17.胃が痛い食卓
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「何故私のレフィーが懲罰房などに入れられなければならないの!」
重い空気が漂う食堂に、甲高い金切り声が響く。鮮やかな金髪を結い上げた女性が、冴え渡る碧眼を怒らせてアマーリエを責め立てていた。ミリエーナによく似た美貌が怒りで歪んでいる。
「どうせあなたがヘマをやらかしたのでしょう! 可愛そうに、レフィーは巻き添えになったのだわ」
「気持ちは分かるが、落ち着きなさい」
ダライが事務的な口調で、女性――ネイーシャを宥めた。
「ですが、あなた。どうしてこんな役立たずがのうのうと食事をして、私たちの愛しいレフィーが冷たい場所にいなければならないのです? あの子は繊細なのよ、きっと満足に食事もできていないわ!」
「確かにそうだな。……アマーリエ、お前は今夜の夕食を摂るな。レフィーが食べられていないのにお前が食事をするなど、文字通りの無駄飯食いだ」
「……はい、お父様」
アマーリエは感情を殺して頷いた。じっと俯くと、日が経って固くなった黒パンと、具のない冷めたスープ、干からびた野菜くずのサラダが視界に入る。どれもほんの少量しかない。これが自分の夕食――になるはずのものだった。
「料理が冷めてしまう前に食べるぞ」
ダライとネイーシャの前には、ふかふかの白パンと数種類のチーズ、温かな湯気を立てるクリームスープ、ぶ厚いステーキ、瑞々しいコンビネーションサラダ、ワインが並んでいる。食後にはケーキも供される手はずになっていた。
「そうね」
ようやく怒りを和らげたネイーシャが、スープ用のスプーンを取った。ダライもナイフとフォークを持つ。
(自分たちはしっかり召し上がるのね。愛しくて繊細なレフィーは食事が喉を通らない状況かもしれないのに)
内心で揶揄するアマーリエだが、口に出せるはずもない。会話がなくなり、静まり返った食堂。まだ温かなシチューや肉にカトラリーが入るたび、ふんわりとかぐわしい匂いが漂う。まるで見せ付けるかのごとく、二人はアマーリエの目の前でじっくりと食事を堪能した。
だが、アマーリエはそれほどダメージを受けない。
(帝国の神官府にも属国と同じ――いいえ、もっと豪華なビュッフェがあって良かったわ。そこでたっぷり食べられるもの)
神官府のビュッフェは終日開いており、神官であれば誰でも無償で利用できる。持ち帰りにも対応しているので、皆から重宝されていた。
(テイクアウト用に包んでもらったサンドウィッチとクッキー、後でこっそり食べましょう。ラモスとディモスと……フレイムと一緒に)
「まあ、何なのこのワインは!? 私の好きなブリューネはどうしたの?」
赤ワインを一口飲んだネイーシャが眉をつり上げる。アマーリエは密かに嘆息した。
「ブリューネは高価なので、今後はロンシスと交互に出すことにしました。先日お話ししましたでしょう」
「あの戯言は本気だったの? 私はそれで良いとは言っていないわ!」
(まったく、お母様は……我が家の家計がどれだけ火の車だと思っているのよ)
家族の散財により、有利子のツケ払いが溜まりに溜まっているのだ。現在まで破産していないのは、曲がりなりにも歴史のあるサード家への最後の信頼として、貸主たちがどうにか返済を待ってくれているからである。
おかげでミリエーナのドレスまで作る羽目になった。ちょうど給金日前だったため、生地を買うのに精一杯で仕立てまで発注する余裕がなかったのだ。直前にネイーシャとミリエーナが新しい宝飾品を購入したせいでもある。
いい加減にしてくれと内心で毒づきながら、アマーリエは熱くならないよう冷静に返す。
「ですが、『細かい話を聞くのは面倒だから、あなたに全て任せるわ。良いようになさい』とお返事下さいました。ですので、同意いただけたものと思っておりましたが」
「あれは、あなたが工夫して今まで通り毎食ブリューネを出せるよう、方法は任せるから私にとって良いようになさいという意味よ!」
あまりな言い分に、アマーリエは唖然とした。
(そんなの、あの言い方で分かるわけないじゃない)
文字通り閉口している間にも、ネイーシャはますます不機嫌になっていく。
「役立たずの癖に、飲み物一つ満足に用意できないの!? あなたがもっと倹約すればいいだけの話でしょう!」
「私の裁量で抑えられるところは全てぎりぎりまで絞っています。ですが、今まで何度も相談しているように、ミリエーナとあなた方の出費が大きすぎて……」
「言い訳は要らないのよ! いいから早くブリューネを出しなさい! 最高級のブリューネとロンシスごときでは色と香りからしてまるで違うわ! 一見して差が分かるほどよ!」
(飲むまで気が付いていなかったじゃない……)
なお、ロンシスも十分に高級の部類に入るもので、ワイン愛好家からの人気も高い。
「空気を悪くするな、食事がまずくなる。アマーリエ、何をしている。早くブリューネを持って来い」
「そうよ、さっさと取って来なさい!」
ダライの苛立った声に続き、ヒステリックな命令が木霊する。
(……仕方がないわ)
アマーリエは渋々立ち上がると、自らワインセラーに行き、ブリューネのボトルを持って来た。
「そう、これよ! 私のブリューネちゃん!」
途端に機嫌をなおしたネイーシャは、テーブル上のワイングラスとロンシスのボトルを無造作に床に払い落した。ガラスが砕け、液体が跳ねる音が響く。
(ああ、必死で値段交渉したロンシスが! グラスもいいものなのに)
心の中で悲鳴を上げるアマーリエに、ネイーシャは一睨みを投げ付けた。
「早く新しいグラスを持ってきて」
「……はい」
「アマーリエ、食事管理はお前の役目だ。親の好みをきちんと把握し、望むものを手落ちなく出せるようにしておけ」
そう告げたダライは、全てをこちらに丸投げしてカトラリーを動かしている。ネイーシャが勝ち誇ったように微笑んだ。
「床を綺麗に片づけておきなさい。役立たずでもそれくらいはできるでしょう」
ワインでぐっしょりと濡れた床を眺め、アマーリエはぎゅっと拳を握り締めた。
(自分で片付けなさいよ。お母様がヒステリーを起こして汚したものでしょう!)
そう声に出して言えれば、どれだけいいか。だが、そんなことをすれば母の頭に血が上り、周囲の物に当たり散らしてさらなる被害が出るだけだ。
「一定の霊威を持っていれば、手足を使わずとも一瞬で清掃や料理などの家事をこなしてしまえるのだが」
ダライが小馬鹿にしたように言うが、もちろん彼自身にもできない芸当である。そのような複雑な技を使うためには、少なくとも下の上レベルの霊威を持っていなくてはならない。下の下未満の霊威しかないアマーリエとダライには夢のまた夢だ。
結局、普通の人間と同じように、あくせくと手を動かして掃除をするしかない。もちろん、家事用の霊具を買ってもらえるはずもない。
(もう嫌よ、こんな生活)
ありがとうございました。