73.その頃の大神官たち
お読みいただきありがとうございます。
◆◆◆
「……無事に片が付いたようだな」
アマーリエたちの様子を視ていたアリステルが呟く。愛し子大好きスイッチが入ったフレイムとフロースにより別の問題が発生してはいるが、それに関しては触れない。
『アマーリエの成長速度の著しきこと。リーリアの対処振りも初陣とは思えぬ。今後のさらなる飛躍が楽しみであるな』
ゆるりと唇に弧を描くのは、両腕で肘を抱える姿勢で佇むラミルファ。ただしその姿は、アマーリエが知る白髪灰緑眼とも骸の姿とも異なっていた。
「こちらの仕事はとうに完了していたのに、彼女たちに経験を積ませるために出て行かないとは。他の聖威師たちにもそのようにして欲しいと頼んでまで……」
才能と熱意はあっても経験が不足しているアマーリエと、つい先ほど聖威師になったばかりのリーリア。この二名には重荷だっただろうと、暗に抗議している。
「彼女たちの主神が共におり、万全のサポートが受けられる状況であったことも加味しての判断だろうが。私たちも、万一の時はフォローできるように準備していたしな。だが……お前らしくないスパルタだな、フルード」
一つ一つ順を追って丁寧に教えていくのがお前のやり方なのに、と言われ、アリステルの隣に座っていたフルードは微笑んだ。
その衣の前面は真っ赤に染まっていた。先ほど喀血したためだ。優しい青に熾烈な意思が閃く。
「もう時間がありません。一刻も早く次世代を物にしなくては。神の寵児が聖威師として地上にいられるのは、人間として持っていた寿命の年数期間だけ。私の余生はもう尽きる」
「昇天期限は31歳から5年半延びたのだったな」
「はい。ですが寿命自体は変わっていません」
フルードが人間として持っていた天命は31歳。実親とガルーンに虐待の限りを尽くされ、若い身空で孤独死する定めだった。現在の彼はまさにその年齢だ。既に昇天の時期は来ている。
それでもまだ下界に留まっていられるのは、およそ5年半の月日を、天界にあるフレイムの領域で過ごしていたからだ。上記の期間は地上にいなかったため、特別に昇天期限に追加することになった。
しかし、それでも元々の寿命を過ぎた現在、精巧に擬人化した体には著しい不調が出始めている。本来であれば、この身は既に死んでいるはずだからだ。
――俺はお前を迎えに来たんだ。お兄様と一緒に天に還ろう、セイン
最高神たちからの密命を果たすために降臨したフレイムが、優しく手を差し伸べて言ったあの日が、人間としてのフルードに定められていた命日だった。
あの日を境に、体調は急激に悪化し始めている。
「その調子では、5年半の猶予を満了する前に限界を迎える」
「だから後継の育成を急いでいるのです。オーネリア様たちの寿命も程なく終わります。遠からず、聖威師の数は一気に減るでしょう」
「お前の息子と娘がいるではないか」
「それでも数が十分ではありません。あなたの子も神官になってくれれば良かったのですが」
「それは無理だ。私の子は、我が主神たる鬼神様との間にもうけた子たちだ。生まれながらの神であるため、聖威師にはなれない。今も鬼神様と共に天界にいる」
両親もしくは片親が神格を抑えていない神の場合、子も生え抜きの神として顕現する。そして、生粋の神は『聖威師』という状態になることができない。生まれながらの神なので、神以外の存在――例えば人間など――として持っていた寿命が無いためだ。
「分かっています。言ってみただけですよ」
「そもそも、今の体制が潤沢すぎる。過去を見れば、天威師と聖威師が帝国と皇国に一名ずつしかいなかった時代もあるだろう」
「しかし、現在は仕事が全体的に増え、個々の難易度も格段に上がっています。高位神の神器が頻繁に暴走しますから、通常の聖威師であれば鎮め切れないでしょう」
属国や地方に配備されている、『神器を鎮めるための神器』では対処不能なレベルの物が狂うのだ。必然、聖威師が出なければならない。
「それは目覚めの刻限が近付いているからだ。神威の鳴動に神器も反応している。世界が岐路にぶつかる時は近い」
「ラミ様……その時まで、私の体は保つでしょうか?」
フルードは放っていた峻厳な意思を和らがせ、不安げに問いかけた。兄弟のやり取りを見守っていたラミルファが、常とは異なる色の双眸を向ける。
『際どいところだ。我が神威をもってしても、どちらに転ぶか見極め切れぬ。果たして間に合うか――五分五分と言えような』
気遣いを帯びた邪神の返しに、透き通った碧眼が下を向いた。
「次代に重荷を残して逝くことになるかもしれないとは」
胸中によぎるのは、絶世の美貌を持つ少女のごとき皇国皇帝秀峰。黇死皇と称され、黄白の天威を操る彼は、フルードを密かに指南してくれた神の一柱だ。澄み切った幻惑的な声が蘇る。
――フルード・セイン・レシス。時が来た際にそなたがまだ地上にいるか否か。それが世界の命運を分けるやもしれぬ。焔を宿すそなたの存在なくば、聖威師たちは重みに耐え切れぬであろう
「…………」
苦しげな表情で眉を寄せ、口元に手を当てたフルードが咳き込む。唇から滴り落ちて手のひらに溢れる赤い血潮。
『我が宝玉』
ラミルファがそっと背をさすると、海面の瞳が海底の眼を見つめた。
「アリステル。あなたは育ての親への復讐を行うために地上に留まっていたはず。報復が終わったならば、天に昇るのですか?」
「そのつもりだ。早く妻子とシスの元に行きたい」
人間としての寿命を使い切る前に、さっさと昇天する聖威師もいる。その場合、一度天に上った時点で、再び聖威師になることはできなくなる。例え寿命が残っていてもだ。ただし、神から天に招かれた時は例外で、用事が終われば地上に戻れる。だが、聖威師が自分の意思と判断で昇天したならば、再び戻っては来られない。
「……そこを曲げて、あともう少しだけ残留してはもらえませんか? 私たちと共に、次代を導いてくれませんか」
アリステルが無言で目を逸らした。拒絶ではない。宙を見て考え込んでいる。
「――検討しないこともない。だが私の寿命とて、後半年も残っていない。お前同様、虐待の果てに三十路前半で息絶える運命だった。地上に残るとしても、僅かな期間しかいられない」
「それでも良いのです。どうか……」
「……考えておく」
憂いを含んだ二種類の青が視線を絡ませ合い、すぐに離れる。
『狼神様は還られたか。愛し子の現状はお分かりのはず。気が気ではないものの、地上に留まれば逸る気持ちのまま強硬手段に出てしまうと自重なさったようだ。……セイン、この後はアマーリエたちの元に戻るのであろう。血痕を消しておかねばならぬ』
フルードの顔や衣を神威で綺麗にしてやりながら、ラミルファは微かな声で呟いた。
『近く目覚める。古の神々と――人間嫌いの神々が。怒りと共に目を閉じた神々は、定めし機嫌が悪かろう』
ありがとうございました。