70.怒りを示せ
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(そうですよねー!)
アマーリエは、天を仰いで現実逃避したい気持ちを抑えた。選ばれし神の神器を鎮める。最高神の神器鎮静に次ぐ、超上級クラスの難易度だ。
(よりによって、聖威師が全員出払っている時に……!)
駄目元で聖威師たちに念話をしてみるが、応えは無い。皆、それぞれの仕事に集中しているのだろう。ならばこちらも、泣き言を繰り出している暇はない。やるべきこと、やらねばならないことに取り掛かるだけだ。焔の神の加護を受ける愛し子として。
覚悟を決めて狼神を見つめ返す。
「承知しております。……一の邪神様の神器、私が止めてみせます」
宣誓と共に掲げた掌中に聖威が宿り、紅葉色の細剣となって出現する。
「わ、わたくしも一緒にできることがあれば……!」
リーリアが援護を申し出てくれた。頭上に伸ばした腕に聖威が絡み付き、スラリとした槍が創生される。アクアマリンを彷彿とさせる、淡い水色の聖威――まるで涙のように優しく柔らかな色だ。
(すごいわ、もう聖威を操作できるのね)
聖威師になったばかりの彼女だが、神官としての実務経験に関しては、アマーリエよりも遥かに豊富なはずだ。
「ありがとう、協力して事を収めましょう」
(と言っても、高位神の……しかも選ばれし神の神器に対処したことなんかないのだけれど)
『ユフィー、安心しろ。俺が見ててやる』
『私がここにいるから大丈夫だよ、リーリア』
焔の神と泡の神が、己の愛し子を激励する。アマーリエの纏うドレスに含まれる紅蓮の神威が脈動し、援護するように熱を帯びた。暖かに爆ぜる焚き火に当たっているような、心地良い温もりだ。
『俺たちが直に参戦すれば一瞬でカタが付くんだが……それは良くないよな?』
『うん、天の神は地上のことには極力干渉しないのが基本だ。今回の神器暴走に神は関わっていないから尚更。メインで対応するのは聖威師で、私たちはフォローに徹した方が無難だと思う』
『だな』
フロースと囁き合ったフレイムが一つ頷き、アマーリエを見た。
『危なくなったら必ず守る。思い切って突っ込め』
「分かったわ」
万感の信頼を込めて微笑み、アマーリエは剣を一振りして斜に構える。不気味に体を黒ずませながら叫び続けるゲイルを見据え、タンと地面を蹴った。
撃退者の気配を察したか、ゲイルを蝕む鎧と大剣がにわかに攻撃的な気配を増した。眼球を裏返したゲイルが、滅茶苦茶な操作をされるマリオネットのような動きでアマーリエを迎え撃つ。
(アリステル様に操作方法を習いなさいよ!)
生身の人間と見紛うほどの自然さで人形を遣っていたアリステルを思い出しながら、音速を超える域で次々に繰り出される巨大な刃を捌く。
「王子、目を覚まして! 王子!」
幾度か呼びかけてみるが、反応はない。関節を全て外して――外されて――いるのか、軟体生物のようなあり得ない動きで獲物を振るっている。
(これはもう人の形をしたスライムね)
相手は五体を持つ生物であり、基本的には人間と同じ動きをする、という先入観をスパッと捨てる。人型の生物の可動域では考えられない軌道から攻撃が来るためだ。
アクアマリンの玉を砕いたかのような燐光が虚空を踊り、鋭い穂先が中空に薄水色の軌跡を刻みながら邪霊の王子に迫る。ゲイルの背後から槍の間合いまで突入したリーリアだ。
「わたくしはあなたに怒っておりますのよ」
強い意志を宿す緑眼が、美しくも冷ややかな怒りを湛えている。波紋を揺らめかせてさざめく水面のようだ。
「散々こちらに理不尽な要求をして、暴言と暴力を振るっていたくせに」
白い繊手が巧みに獲物を操った。槍を連続で回転させて優雅な曲線を描き、ゲイルの背中越しに放たれる神器の猛攻を鮮やかにいなす。桜桃のような唇から、スラスラと言葉が紡がれた。
「主神には絶対服従しろ、失寵が嫌なら命令を聞け、返事ははい以外許さん、慎ましい笑顔を絶やすな、常に見目良く品位を保て……わたくしがほんの少しでも気に入らないことをしたら、使えぬ愚鈍な女だと罵倒し殴ったではありませんの」
詰りの感情に呼応するように、ほっそりした肢体から噴き上がる聖威が勢いを増す。パキン、と何かが壊れる音がした。アマーリエが視線をくれると、リーリアの薬指にはまっていた指輪が砕け散っていた。
『そんなクズ主神いねえよ。独裁者じゃねえか』
フレイムが思わずと言った調子でツッコンだ。
『本物の主神だったら、愛し子を無限に甘やかしまくって全肯定状態になるはずだぜ』
ありがとうございました。