64.フロースの宣言
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《泡神様、しっかりしろ! コイツここまで言ってんだぞ。これ以上頑張らせる気か?》
フレイムが再び激励した。ずっと爆笑していたラミルファが、涙を拭って体勢を立て直す。
《ふふふ……しょうがないな。この僕が協力してあげよう。皆安心するが良いよ》
不安にしかならない台詞を投げた邪神は、芝居がかった仕草で両手を広げた。
『これは残念だ。皆振られてしまったようだな。残るは、最初に申し出た泡神様の神使になる道だけか。だが、心優しい僕がもう一つ別の選択肢を提示してやろう。僕の愛し子になるが良い』
『なっ――』
フロースが息を呑んだ。リーリアが深く頭を下げる。
「大変申し訳ないことながら、わたくしは是が非でもこちらの神にお仕え致したく……」
『ああ、君の意見はどうでも良いんだ。僕は他の神とは違い、人間の意思など考慮してあげないのだよ――何故なら、悪神だから』
「……え?」
『僕は悪神の長、禍神の御子たる邪神ラミルファ。つまり選ばれし神だ。最高格の神に見初められし栄誉に酔い痴れることを許そう』
いくら選ばれし神でも、悪神というだけで栄誉どころか絶望真っしぐらである。
『当たり前だが、愛し子というのは通常の悪神の愛し子。つまり生き餌だ。間違っても奇跡の聖威師ではないよ。案じずとも良いようにしてやろう。ああもちろん、僕にとって良いようにだから、君にとっては最悪かもしれないが、そんなことは知ったことではない』
懇切丁寧なネタばらしの連発に、リーリアが高速で首を横に振った。当然の全力拒否である。
『ちなみに、大勢いる内の一人でしかない神使に望むのと、愛し子に見初めるのでは、後者が優先される。つまり僕の申し出の方が優先なのだよ。例え生き餌としての愛し子だとしてもね』
フロースを横目に見たラミルファが笑い、リーリアは完全に顔色を失くす。悪神の愛し子になるくらいならば、このままゲイルに地下へ引きずられて行った方が遥かにマシだ。
『幾柱もの高位神たちから恩情を差し伸べられておきながら、軒並み袖にするとは。まさか自分が選べる立場だと思っていたのか? 思い違いも甚だしい。高位の神を連続で振っておいて、何の報いも受けず希望通りの神の神使になれるとでも?』
絶大な御稜威が場を支配した。圧倒されてへたり込むリーリアを、フロースが気遣わしげに見た。
『待ってくれ邪神様、リーリアはそんなつもりでは……』
『傲慢ゆえの言動でなかったとしても、やったことは変わらない。だが、その根性は嫌いではないから、僕が可愛がってあげよう。拒否権は無い』
ラミルファの細い腕が上がり、リーリアを指す。
『断るならば神威で心を操り、強制的に愛し子の誓約を受諾させる。何しろ僕は真っ当な神ではない。これが悪神のやり方だ。リーリア、僕の愛し子になれ』
リーリアがフロースを見上げた。震える瞳からポタポタと雫が溢れている。それを視認したフロースが瞠目し、次の瞬間両膝を付いてしゃがみ込むと、リーリアを抱きしめた。
『……ダメだ。邪神様は私の大切な身内だけど、リーリアを生き餌にすることは見過ごせない』
『僕だって泡神様が大好きだよ。だが、彼女を神使に望む君と愛し子に求める僕では、優先順位は僕が上で――』
『私の愛し子にする。通常の神の愛し子と、悪神の生き餌としての愛し子なら、前者が優先だ』
邪神が黙った。灰緑の双眸がキラリと光る。
『ごめん、邪神様。いくらあなたでも、リーリアは渡せない。生き餌にはさせない。私が、リーリアを愛し子にする』
やっと言いやがった。アマーリエたちは胸を撫で下ろした。
『ふぅん、なら仕方ない。ここは泡神様に譲ろう』
《やれやれ、世話の焼けることだよ。正直、リーリアの気は汚いから間近で見るのは気分が悪かったが、同胞のために頑張って良かった》
ラミルファがリーリアから距離を取りながら、こっそりとサムズアップを送って来る。邪神渾身の一芝居だったらしい。
(ラミルファ様、すごいわ。たまには役に立つ時もあるのね!)
笑顔を返しつつ、内心ではかなり失礼な感想を抱くアマーリエ。フロースがリーリアをかき抱いて言った。
『本当は私も、6年前あなたに惹かれた。厳格な祖父、気弱な父、家族に興味がない母。遠巻きにするだけの神官たち……。僅かでも甘えや弱気を見せれば祖父に叱責され、気を許せる者もおらず、休憩も最低限しか与えられず、ただ勉学と重責を課され――それでも実直に学び進み続けるあなたに』
名家に生まれた以上、そして神官となった以上、幼少期からの厳格な教育や修練は必須だ。だが、それは愛や癒やしを与えなくて良い理由にはならない。
『ただ、祖父の言動は、厳しい家を基準にすれば一応は躾の範囲内であるように思った。だからあの時は動かなかったけど、間違いだったようだ。暴言レベルの言葉を吐いて、手も上げていたんだね。……気付かなくてごめん』
苦しげに美貌を歪めるフロースに、リーリアが慌てて首を横に振る。
「いいえ、違うのです。祖父が暴走を始めたのは、御山洗の儀より後でしたの。あの神事の少し後、わたくしは12歳になりました」
ありがとうございました。