40.復讐の時
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引きちぎる勢いでブレスレットを外し、投げ捨てようとしていた夫婦が動きを止める。もはやそうしても無駄だと悟ったからだ。
「お前たちの魂は邪霊にくれてやる。遥かな時を地下で苦しめ。それが神々のご判断だよ」
明るく言ったアリステルが、ふと目を伏せた。
「だけど、僕とシスは話し合ったんだ。色々と酷い目に遭わされたけど、父さんと母さんは僕たちの育ての親なんだから、助けてあげても良いんじゃないかってね」
「そ、そうだぞ、父さんを助けてくれアリステル、サーシャ!」
「親想いの子に育ってくれてお母さんは嬉しいよ!」
フレイムがアマーリエの耳元で囁いた。
「サーシャとかシスってのは、アリステルと一緒に育った子どもの名前だ。サーシャがファーストネーム、シスが秘め名」
「アリステル様と兄弟の契りを結んだという男の子ね」
どんな子なのだろうかと考えていると、アリステルが慈悲深い笑みを浮かべた。ただし、目の奥は全く笑っていない。
「じゃあ助けてあげるよ。邪霊から物をもらって期限が過ぎた後でも、地下に連れて行かれずに済む方法があるんだ。邪霊より遥かに高位の存在……神に選ばれれば良い。父さんと母さんを僕の神使にしてあげる」
「し、神使? 天界に行けるってことか?」
「神使になれるのは神官の特権じゃないの?」
「今は神使選定をしていて、聖威師も自分の好きな人を神使に選べるんだよ。原則は霊威師から選ぶけど、どうしても気に入った人がいたら、一般人を選んでも良いんだって」
にっこりと相好を崩す様は、いっそ無邪気さすら感じさせた。
「父さんと母さんは、僕に……高位神に選ばれたんだ。天界で一緒に愉しく暮らそう。僕が頼めば、主神も仲間の神々も分かってくれる。父さんたちを可愛がってくれるよ」
「ああ、アリステル……!」
「ありがとう、ありがとう!」
親子の美しい和解風景に、アマーリエは全力でツッコミを入れた。
「いえいえ、ちょっと待って! アリステル様、あなた奇跡の聖威師ですよね!?」
「そうだが、それが何か?」
一瞬で大人の言葉遣いに戻るアリステル。
「奇跡の聖威師?」
「何だかすごそうだね。特別な聖威師なのかい?」
夫婦がきょとんと首を傾げる。一般人なので、奇跡の聖威師の意味を知らないのだ。
「特別……ええ、そうですね。仔細は省略しますが、奇跡の聖威師というのは、平たく言えば悪神なんです。アリステル様は悪神の神格を得ておられます」
「「あ、悪神っ!?」」
裏返った声が響く。さすがに悪神のことは知っていたらしい。
「ええ。お仲間の神々というのも、悪神のことであると思われます」
天の神は、全員が互いを大切な同胞かつ身内と認識している。だが、本件に限って言えば、アリステルが用いている『仲間の神々』とは、おそらく悪神のみを指している。
「悪神にとって神使は生き餌です。つまり、愉しく暮らそうとか可愛がってくれるというのは、本来の意味ではなくて、その……」
冷酷無慈悲な悪神たちに、永劫に玩具にされるということだ。人間には想像もし得ないような残虐な方法で。
言葉を濁したアマーリエだが、さすがの愚かな夫婦でもその先は察したらしい。血の気が戻った顔が再び蒼白になっている。
溜め息が場に響いた。アリステルが吐き出した音だ。
「その事実は、もう少しコイツらを喜ばせて、希望を持たせてから暴露してやろうと思っていたのに」
ケロリと言い放たれた言葉に、アマーリエは呻いた。
「趣味が悪いわ……」
「そりゃ悪神だからな」
フレイムが律儀に返す。以前も同じような会話をした気がするのだが。
(最悪の選択肢を突き付けた上で、救いの糸として二つ目の選択肢をこれ見よがしに垂らす。たっぷり希望を与えたところで、実はもっと救いが無い絶望への直通券だとバラす……うん、悪趣味だわ!)
邪霊の玩具になるか、悪神の生き餌になるか。どちらも地獄であることに変わりはないが、どちらかを選ぶならば前者の方がマシだろう。悪神の残忍さは、悪鬼邪霊や妖魔など遥かに上回る。何せ神なのだから。
……問題は、この夫婦の思考がそこまで回るかだが。
「あれーどうしたの、父さん母さん。また顔色が悪くなってるよ? さっきはあんなに喜んでくれていたのに、ねぇどうしたの〜?」
アリステルが笑顔で一歩踏み出す。暗闇の中で明滅する街路灯の光と相まって、不気味さが倍増している。
「本当なら、父さんたちの選択肢は一つしかなかったんだよ。邪霊の玩具になる末路だけ。それを、僕とシスが話し合って、もう一つ増やしてあげたんだ。悪神の生き餌になる道を」
もっと酷い選択肢がねじ込まれただけである。
「これでどちらか好きな方を選べるよ。僕に感謝してね」
にこにこにこにこ、アリステルが嗤う。
「だって父さんと母さん、こんな感じのことを言ってたじゃないか。冷凍庫に閉じ込められるのと熱湯風呂に突っ込まれるのどっちが良いか選べ、選ばせてやるんだから有り難く思え、って」
夫婦はうわ言のように、許してお願いと呟いている。だが、それが聞き入れられるはずもない。
「毎日毎日毎日毎日、僕とシスにもっともっともっと酷い選択を強要して笑ってたじゃないか。同じことを今されてるんだよ。でも僕は優しいから、考える時間をあげる。今から一日あげるから、邪霊の玩具になるか悪神の生き餌になるか選んでね。一日経っても決められなかったら、悪神の長に遊び道具としてプレゼントしちゃうよ」
夫婦が絶望の悲鳴を上げる。悪神たちの長、禍神。彼の神の生き餌にされる以上に最悪な結末はない。一般人でも周知の事実だった。
「じゃあゆっくり考えて。……苦痛なく過ごせる最後の一日を大切にするが良い、愚か者共が」
最後は冷ややかな声で言い捨て、アリステルが指を鳴らす。紫烏色の光が走ると、透明な球体が夫婦を包み、徐々にドス黒く染まっていく。
眦を裂けんばかりに見開いた夫婦が、大口を開けて号泣しながら球体の壁を叩いている。おそらく許しを請うているのだろうが……その声は外までは届かない。
やがて球は完全に濁り、中の様子が見えなくなる。そしてギュルンと凝縮し、アリステルの袖の中に収まった。
ありがとうございました。