37.ある少年の過去
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一人の男と二人の女。そして一人の赤ん坊。四体の人形が仄暗い灯に照らされる中、男のものとも女のものとも付かない不思議な声が反響する。
〝今より30年と少し前。山奥にある小さな村の、とても貧しい家に住んでいた夫婦に、子どもが生まれました〟
〝誕生したのは男の子。お産を手伝ったのは、別の土地で暮らしている、夫の弟嫁でした〟
生まれた子にとっては、父方の叔母にあたる存在だ。
〝弟嫁はとても残酷で醜悪な性格でした。無償の労働力と、自分の鬱憤をぶつけられる子を欲しがっていました。ですが、彼女自身は子を生めない体でした〟
〝そこで弟嫁は、難産の末に泣き声も上げないほど弱って生まれた子を死産と偽り、自分が処分すると行って密かに家に連れ帰りました〟
(どういう思考回路をしているのよ、その弟嫁……)
アマーリエは突っ込んだ。この時点で無茶苦茶である。
〝男の子は、父方の叔父夫婦のことを実の両親だと思って育ちました。子は家長の所有物であり家畜未満の存在だと考える父と、気性が荒くすぐに暴力と罵詈雑言を振りかざす母の下で、虐待を超えた壮絶な拷問を受けながら、馬車馬のごとく酷使されました〟
鉄棒を持った男の人形と、包丁を持った女の人形が、何度も何度も得物を振り下ろしている。その先にいる少年の人形は、頭を真っ赤に染め、腹は裂けて綿が飛び出し、腕は変な方向に曲がり、足は取れかけてボロボロになっていた。
暗青色の目から涙を零す人形を、何倍も大きな男女の人形が容赦なく殴り、叩き、踏み付ける。
〝どれだけ痛め付けられても、少年は死ねませんでした。この世界には、治癒霊具という大変に素晴らしく便利で残酷なものがあるからです〟
(こんなの子どもに聞かせて良い内容じゃないわ。今すぐ止めないと!)
そう思うアマーリエだが、肝心の子どもたちを再度視てから力を抜く。
(――と、普通ならなるところだけれど。多分、この子たちは……)
その間にも、淡々とした語りは続く。
〝男の子の心を支えていたのは、住み込みで働く4歳年下の子どもでした。右目が見えないので、親に疎まれて二足三文で売られた子でした〟
少年の人形より一回り小さい人形が現れた。暴力旺盛な夫婦にとって、サンドバッグは一つでは足りなかったらしい。
〝男の子にとって、その子どもは本当の弟も同然でした。毎日激しい拷問を受ける二人は、共に寄り添いながら息を殺して生きていました〟
小さな二体の人形は、互いを抱きしめるように、寄り添うようにして、大きな人形からの攻撃を受けている。少年の人形が子どもの人形に覆いかぶさり、必死で守っていた。
〝狭い村の閉ざされた集落で、助けてくれる者もなく、生き地獄にいた兄弟に転機が訪れます。10歳になった男の子が不在の時、父親が子どもに酷い暴力を振るったのです〟
一番大きな人形が、一番小さな人形をタコ殴りにしている。
〝あわやのところで帰宅した男の子は、近くにあった薪で父親を殴り、弟を連れて家を飛び出しました〟
少しだけ大きくなった男の子の人形が、子どもの人形を背負って走る。頭から血を流す父親と、母親の人形がその後を追う。
〝ですが、二人は追って来た両親に捕まり、連れ戻されて痛め付けられました〟
これでもかというほどにボコボコにされた小さな二体の人形は、頭部が変形し、片目がこぼれ落ち、全身のあちこちから綿が飛び出し、四肢が千切れ、もはや完全にホラーの様相だった。これが生身の人間であったなら、想像するだに恐ろしい事態だろう。
〝目の前で何より大事な弟をボロボロにされているのに、何もできない少年は、自身の無力さとに涙し、絶対に両親を許さないと憎悪の心を燃やしました〟
同時に、舞台にキラキラと光が降り注いだ。二本の角を生やした女の人形が、優雅な所作で舞い降りる。
〝その時、天界から地上を視ていたとても高位の女神が男の子を見付け、奇跡の聖威師として見初めてくれました。男の子が神の愛し子として加護と寵を得たことで、兄弟は助かることができました。これはまずいと悟った両親は、聖威師誕生のどさくさに紛れて逃げ出しました〟
角を持つ女神の人形が手を一振りすると、男の子と子どもの人形が新品同様に戻った。夫婦の人形は、転がり落ちるように舞台の端に消えていく。よく高位神から逃げられたものだが、女神は愛し子を治すことしか眼中になかったのかもしれない。
〝その後、男の子の弟も、特別に神の従神として取り立てられ、男の子と兄弟の契りを結びました〟
兄弟の契り。フレイムとフルードも交わしているものだ。愛し子の誓約にすら匹敵する、大切な者との間に結ぶ約定。
〝兄弟は神に癒してもらいましたが、心の傷はすぐには治りませんでした。療養に専念しながら、男の子は誓いました。自分たちを虐待した両親に、必ずこの手で復讐してやる、と〟
パッと明かりが消え、活き活きと動いていた人間が砂のように崩れて消える。
「どうでしたか? 今のお話は。なかなか面白かったでしょう」
パン、と軽く両手を鳴らしたのは、外套の青年だ。場違いに柔らかな声が紡がれる。だが、空き地に張り詰める空気は、触れれば切れそうなほどに重く鋭い。
「ひっ……な、んで……お前はもう天に昇ったと、神官府に来ても会うことはないから大丈夫だと、主神様が言ってたのに……」
「あ……ぁ……」
脂汗を流して顔面蒼白になった夫婦が、喘鳴と共に呻いている。
(お、面白くないわよ……)
途中からドン引きしすぎて心身共にフリーズしていたアマーリエは、座っている子どもたちを見た。凄まじい内容の人形劇を至近距離で見たにも関わらず、泣き声どころか悲鳴の一つも上げず、身動ぎすらせず三角座りをしている子どもたち。
――グルン。
その小さな頭が、そろって後ろを向く。
霊威が切れかかっているのか、チカチカと明滅する街路灯の霊具。その妖光に照らされ、能面のような表情の無い顔が、ガラス玉のような目が、生気の無い青白い顔が、きっちり180度真後ろに回転して、一斉に夫婦を睨み付けていた。
ありがとうございました。