28.オーブリーの回想
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オーブリーたちは凍り付いた。今まさに自分たちがいる場所ではないか。ではまさか、今の神威を纏う雷は――
《火山の近くに住む者は不用意な行動をしないように。防御や反撃など神に抗する類の行為は厳禁です。退避や転移も、神に逆らって逃亡したと捉えられかねません。極力何もせず、気配を消してその場に待機して下さい》
やけに手慣れた調子で指示が出され、オーブリーは父共々この場に縫い止められる。
すぐ近くで、圧倒的な神威が迸った。放射状に放たれる稲妻が山肌と地面を抉り、周囲の街までも焼かんと暴れ始めた。ついでの形でその余波に抑え込まれた火山が、黒煙を噴き出しながら熱を溜め込んでいる。
立て続けの非常事態に見舞われ、不法侵入の父子がパニックを起こす寸前。
閃光と共に虹の輝きが満ちた。黒髪をなびかせた絶世の美少女が、黄白の光を纏って顕現する。
恐ろしいまでに整った容貌に煌めく漆黒の瞳が、吹き荒れる雷霆を見据え、次いでオーブリーたちを映し、最後に壊れた玉の神器を捉える。
「…………」
微かに眉を寄せた少女は、小柄な体を躊躇なく神威の前に滑り込ませ、両腕を広げる。拡散していた稲妻が吸い寄せられるように収束し、一斉にその体に向かった。少女は全身を以って天の怒りを受け、街を灰燼に帰そうとしていた雷霆を食い止める。
「て――天威師だ。一度だけ遠目にお見かけしたことがある……あれは黇死皇様だ」
父が安堵と歓声を上げた。天の神が激昂した際、皇帝たる天威師は己が身をていしてその怒りを受け止め、神を宥めて地上と人間を守るという。
(黇死皇様……神千国の皇帝様か。美しい少女にしか見えないが、男神であらせられると聞いている)
一瞬垣間見ただけだが、確かにあの容貌は、初見であれば誰もが女神と見紛うものだった。
「皇帝様がお越し下さったならば安心だ」
胸を撫で下ろす父。荒れ狂う天の怒りをその身一つで受ける少女――黇死皇の姿は、巻き上がる神威の渦の中に隠されて見えない。
数瞬後、再び虹の光が走り、別の青年が顕現した。
「秀峰兄上、早く神鎮めを!」
神威の爆風の中で紺色の外套を翻す青年は、険しい顔で呼びかける。鮮やかな金の短髪に夜空のような深青の双眸、均整の取れた長身。やはり恐怖を覚えるほどの麗姿の持ち主だ。応えるように、澄んだ声が渦中から響いた。
「それはできぬ、紺月帝。これなる火山の噴火を抑えていた神器が壊れたようだ。折しもこの神が放つ神威の余波が、神器に代わり噴火を抑える楔になっている」
「……うん、だから?」
「今ここで神を鎮めてしまえば、神威が消失し、山が火を噴くであろう。そうなれば街に甚大な被害が出る」
「それは秀峰兄上が気にすることじゃない。対処するのは天威師ではなく、国王や主任神官の務めだ」
神とは無関係に発生した自然災害の中でも、人知の力では対処しようがない大規模かつ深刻なものであれば、聖威師が出る場合もある。だがそれは、世界の広範囲を無差別に巻き込むほど規格外の天災に限られる。
フェーレル火山の規模であれば、聖威師も出動範囲の対象外だ。神格を持つ存在はそう簡単に動かない。いや、動けない。
「早く終わらせよう。兄上がこのまま蜂の巣になり続ける必要はない。何なら俺が代わって鎮めを……」
「ならぬ。神器を修復すれば良いのだ。今、念話で聖威師を呼んでいるゆえ、しばし待て。過去視をしたところ、神器の故障には神が関わっていなかったため、天威師が修復することはできない。聖威師でなければ」
神威の渦を挟んで繰り出される皇帝たちの会話。それを聞いていた父が、はたと思い出した顔をする。
「そうか……天威師は神が直接関わっている事柄に対してしか動いてはならないという規定があったはずだ。聖威師はもう少し関われる範囲が広いようだが」
だから黇死皇は、メインとなる雷霆を自身の体で受けて街を守りながら、余波で散った神威が火山を抑えている現状を維持しようとしているのだ。
これは大変に奇特な対応と言える。紺月帝のように、それは天威師の領分ではないと割り切るのが普通だ。
「ふむ、つまり今は聖威師が必要な状況なのか?」
父が瞳を輝かせてオーブリーを見る。
「ならばオーブリー、お前がいるではないか」
「ち、父上?」
「神器を修復できるのは、神格を持つ者だけだ。お前の力を皇帝様にお見せし、お認めいただくのだ」
「っ……」
オーブリーは瞠目した。そろりと視線だけを動かし、皇帝たちと壊れた玉状の神器がある方を窺う。凄まじい神威が逆巻いているのが見て取れた。
「リーリアより先に、お前がお目をかけていただくのだ。あの小賢しい老侯に目にもの見せてやれ!」
期待を込めた熱弁に、泣きそうになる。
(む、無理だ……あの中に入っていくなどできない。結界を張っても瞬殺で砕かれる。いや、そもそも天の神には逆らえない。聖威師や天威師であろうと、天の神の神威を防御してはいけないはず)
だから黇死皇は、防御結界も貼らずにただ粛々と雷を受け止め続けている。文字通り命懸けの過酷な戦場だ。
「皇帝様! 我らはテスオラ王国のマキシム侯爵家の者にございます。まだ公表しておりませぬが、こちらにおります我が息子は聖威師ゆえ、今から御許に参ります。神器など瞬く間に直してご覧にいれましょう!」
鼻高々に大声で宣誓した父に、紺月帝がこちらを一瞥した。
「……聖威師? 寝言は寝て言え。どこに聖威師がいる」
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