第4章 「厳しくも温かく、それが人類防衛機構式の育成論」
だけど、控え目な姿勢が常に美徳になるとは限らないんだね。
私と英里奈ちゃんは、それを改めて実感させられる事になったんだ。
「好意的な賛辞と感謝の念は、遠慮なく素直に受け取り給え。過度な謙遜は貴官の美徳とはならないよ、生駒英里奈少佐。」
「うっ…?!」
不意にアルトソプラノの美声に名指しされ、軍籍を持つ華族令嬢の華奢な肩が雷に撃たれたかのようにビクッと竦み上がる。
「はっ?!」
そんな英里奈ちゃんに呼応するようにして振り向いた私は、もう一人の幹部将校の姿を肩越しに認めたのだった。
「か…、加森千姫子上級大佐…」
赤いネクタイで飾られた黒いセーラーカラーの襟元に、金色の四ツボタンが輝くウエストを黒いベルトで絞った緑色のジャケット。
そして黒ミニスカと黒ニーハイで固められた足元。
一見すると私達が袖を通している遊撃服のカラーバリエーションのようだけど、威厳も洗練具合も段違い。
そんな教導服は、東条湖蘭子上級大佐を始めとする特命教導隊の幹部将校のみに許された栄誉ある軍装なんだよ。
だけど教導服姿の全身から滲み出る圧倒的な存在感は、東条湖蘭子上級大佐ともまた異なる独自の個性で裏打ちされていたんだ。
ポニーテールに結われた輝く金髪と穏やかな笑みを決して絶やされない高貴な美貌の特徴的な東条湖蘭子上級大佐は、さながら上流階級の貴婦人といった趣だね。
それに対して、このボブカット直毛気味の銀髪を紺色のヘアバンドで束ねられた幹部将校のボーイッシュな鋭い美貌と自信に満ちた立ち振る舞いは、少年騎士や貴公子を彷彿とさせる凛々しくも颯爽たる物だったんだ。
その極め付けは、個人兵装として教導服のベルトに帯剣された一振りのバスタードソードだね。
彼女こそは、加森千姫子上級大佐。
特命遊撃士時代と合算して二十年越えのキャリアを御持ちのベテラン士官にして、バスタードソードの鮮やかな取り回しから「銀剣公主」の異名で名を馳せられた凄腕の剣士なんだ。
「おっ…御疲れ様です、加森千姫子上級大佐!自分は元化二十二年正式配属の生駒英里奈少佐であります!」
「同じく、元化二十二年正式配属の吹田千里准佐であります!御尊顔を拝する事が出来て光栄であります、加森千姫子上級大佐!」
「一分の隙も無い見事な敬礼だよ、二人共。毛利元就公曰く、『一日の計は鶏鳴に有り』。登庁直後の挨拶に隙の無い貴官達の誠実で謙虚な姿勢は、正しく人類防衛機構の誇る美徳を体現する物だよ。」
サッと踵を鳴らして敬礼姿勢を取る私達に、加森千姫子上級大佐は凛々しくも爽やかな微笑と洗練された答礼で応じて下さったの。
その上で私達の敬礼姿勢まで御褒め頂けたのだから、本当に喜ばしい限りだよ。
だけど加森千姫子上級大佐の御言葉は、口調も声色もそのままに転調を始めたんだ。
「しかしながら、謙虚と卑下とは分けて考えなくてはならないよ。過度な卑下は時として、自分ばかりでなく相手までも蔑ろにする事に繋がるのだからね。」
御褒めの御言葉から、御叱りの御言葉へ。
余りにもシームレスな転調の原因が誰にあるのかは、当の本人が一番よく理解していたのだろうな。
「確かに、自分に向けられた称賛の言葉や感謝の念は面映ゆく感じられるかも知れない。だが、それを無闇に卑下して辞退してしまっては、折角の称賛の言葉や感謝の念が宙に浮いてしまうのだからね。そうなってしまうと、肯定的な評価を下してくれる人間が次第に減っていき、自信を得られる機会も減っていく。不必要なまでの自己卑下は、長い目で見れば誰の得にもならないのだよ。」
「も…申し訳御座いません、加森千姫子上級大佐…」
加森閣下に応じる英里奈ちゃんが如何に恐縮してしまっているかが、私にも嫌でも分かっちゃうよ。
あの蚊の鳴くような、か細い返答の声を聞くとね。
加森千姫子上級大佐の御叱りは、正確に的を射た正論であるからこそに手厳しい。
だけど単に苛烈で厳しいだけだったなら、このボーイッシュな女性士官が今日のように皆から慕われる事はなかっただろうね。
加森千姫子上級大佐が周囲の人々の崇敬と親愛の視線を集められているのには、それ相応の理由があるんだよ。
「そう悄気る事は無いのだよ、生駒英里奈少佐。貴官の折り目正しい奥床しさは、間違い無く美徳となっているのだからね。ただ、過剰なまでに自分を卑下する必要もないというだけの話さ。」
自信に満ちた凛々しい口調も、アルトソプラノの爽やかな声色も全く変わらない。
だけどボーイッシュな美貌の口元に浮かぶ微笑だけが、ほんの少し変化していたんだ。
「自分に向けられた肯定的な言葉は、有り難く受け取って己の糧とする。そうする事で、自分にも相手にも正しく敬意を払う事が出来るのだと思うよ。」
より具体的に言えば、さっきよりも口角が上がって微笑も深まった感じがするよね。
この微細な表情の変化は、御話の主題が御叱りから激励へと移行した事からも明らかだよ。
「か、閣下…加森千姫子閣下…」
その微細な変化に気付いたのか、英里奈ちゃんも弾かれたように顔を上げているね。
そのエメラルドグリーンの双眸が見上げる先にあるのは、凛々しくも温和な微笑を浮かべられた加森千姫子上級大佐のボーイッシュな微笑があるばかり。
まるで少女漫画の大ゴマみたいな、絵になるシーンだよね。
「あの蘭子もそうだけれども、貴官の事を正しく評価している人間は多いのだからね。貴官が考えている以上にだ。肯定的な評価に対しては、申し訳無さではなくて感謝の念を抱き給え。それが自ずと自信に繋がるのだよ、生駒英里奈少佐。」
「は…はい!承知致しました、加森千姫子閣下!」
改めて敬礼姿勢を取った英里奈ちゃんの気品ある美貌には、もはや一分の迷いも不安も残っていなかったの。
褒める時は褒め、叱る時は叱る。
そして後者の場合においても、叱りっぱなしで放置するのではなくて、次に繋がる激励も忘れない。
こうした気配りが出来るからこそ、加森千姫子上級大佐は堺県第二支局のみんなの憧れなんだ。
そして勿論、私もその一人だよ。
慈愛と気品に溢れた東条湖蘭子上級大佐と、気配り上手で凛々しい加森千姫子上級大佐。
そんな憧れの幹部将校の御二方と御話出来るだなんて、今日は実に幸先が良いね。
私も人類防衛機構の中で着実にキャリアを重ねて、いつか御二方みたいな立派な幹部将校になりたい所存だよ。
「如何でしょうか、加森さん?今日か明日の勤務明けにでも、久々に堺銀座の居酒屋へ繰り出しませんか?勿論、私と加森さんの差し向かいで…」
「御誘い頂き感謝するよ、蘭子。御互いに柵の多い身の上だ。偶には特命遊撃士だった頃のように、ざっくばらんにサシで呑むのも悪くはないね。」
そんな御二方は特命遊撃士養成コースからの顔馴染みで、教導隊の幹部将校に昇級された今日でも親密な間柄なんだ。
あのお二方のように、私も英里奈ちゃん達とは末永く友達でいたい所だね。
その為にも、まずは少佐への昇級を頑張らなくちゃ!