第3章 「鉾槍姫・東条湖蘭子上級大佐」
軽く頷き合った私と英里奈ちゃんは、キッと顔を引き締めて上級大佐殿に向き直ったんだ。
「御疲れ様です!東条湖蘭子上級大佐!自分は元化二十二年度配属の生駒英里奈少佐であります!」
「同じく、元化二十二年度配属の吹田千里准佐であります!」
ローファー型戦闘シューズの踵を鳴らして背筋を伸ばし、握った右拳を左胸に力強く押し当てる。
この人類防衛機構式の敬礼姿勢は、私達特命遊撃士の誇りだよ。
何しろ特命遊撃士養成コースへ編入して以来、この敬礼姿勢は毎日のように取っているんだもの。
編入間もない小六の四月時分に比べて遥かに洗練されているって、私なりに自負しているんだ。
もっとも、そんな私の細やかな自負心も次の瞬間には儚く吹き飛んじゃうんだけどね。
「御疲れ様です。生駒英里奈少佐、吹田千里准佐。御二人とも息災の御様子で何よりですよ。」
優雅ささえ感じさせる折り目正しい気品と、毅然とした凛々しさ。
この両者をバランス良く併せ持った東条湖蘭子上級大佐の敬礼は、私や英里奈ちゃんなんか問題にならない程に洗練されていたんだ。
まあ、それも無理はないよね。
何しろ特命教導隊の東条湖蘭子上級大佐は、勤続二十年を越えるベテランの防人乙女なのだから。
私達が産まれる遥か以前から堺県第二支局管轄地域を守るべく戦われていた大先輩と敬礼の洗練具合を張り合うだなんて、おこがましい限りだよ。
「先月末には貴官も、滝畑地区で決行された『巨大ツチノコ捕獲作戦』に参加されたのでしょう。危険な任務に臆さず挑む勇敢さは、正しく防人乙女の誉れで御座いますよ。」
オマケに部下である私達の近況をシッカリと把握されているのだから、本当に頭が下がるよ。
東条湖蘭子上級大佐がチラッと言及された「巨大ツチノコ捕獲作戦」は、去る十一月に携わった作戦の中でも特に印象的な案件だったから、私もよく覚えているんだ。
堺県と和歌山県の県境に位置する河内長野市の滝畑地区に、体長二メートル半はあろうかという特大サイズのツチノコが現れて民間人を襲ったんだよ。
この巨大ツチノコはサイズばかりか毒性まで規格外だったらしくて、被害者に既存の血清を投与しても効果が今一つなんだ。
被害者を救う為には血清を作らなければならないし、日本の在来種であるツチノコを殺したら生態系のバランスが崩れてしまう。
こうした複雑な事情も相まって、滝畑地区の山中に潜む巨大ツチノコへは駆除ではなくて捕獲の方向性で対策が練られたんだ。
あの作戦に参加して、「吸血チュパカブラや肉食モスマンみたいな特定外来生物は、ある意味では楽な相手だったんだなぁ…」と改めて認識させられたね。
全力で抵抗を示してくる獰猛な野生動物を捕獲するのは、単なる殺処分よりも色々と気を遣うんだよ。
殺さずに手加減しなくちゃいけないし、こちらの身だって守らなければならないし。
とはいえ今となってみれば、ああいう一筋縄ではいかない任務は私達が一皮剥けるのに良い機会だったのかも知れないね。
それを実感出来た事は、あの作戦に参加した大きな成果とも言えそうだよ。
まあ、それも作戦を無事に成功させられたからこそ言える話なんだけどね。
きっと東条湖蘭子上級大佐も、こうした困難な作戦を乗り越えてこられたからこそ、今日のように皆から尊敬される立派な幹部将校に大成されたんだろうな。
「長年に渡って楽隊で御活躍された御祖母様や、予備役に入られた現在も訓練に参加されている御母様の志を、貴官は確かに継がれましたね。今後とも期待しておりますよ、吹田千里准佐。」
「御褒めに与り恐悦至極に存じ上げます、東条湖蘭子上級大佐!この吹田千里准佐、閣下の御眼鏡に叶いますよう誠心誠意努力に務める事を誓う所存であります!」
その気品高くも折り目正しい微笑に応えるべく、私は改めて最敬礼の姿勢を取らせて頂いたんだ。
私も人類防衛機構の幹部将校に昇進した暁には、東条湖蘭子上級大佐のような部下の子達一人一人に気配りの出来る立派な上官になりたい所だよ。
才色兼備な上官殿に温かい賛辞と激励を頂けて、私としては喜ばしい限りだったの。
そして東条湖蘭子上級大佐の有り難い励ましの御言葉は、気品においては一歩も引けを取らない生駒英里奈少佐にも贈られたんだ。
「貴官にも感謝しておりますよ、生駒英里奈少佐。堺市北区におけるマネキン怪人の討伐は、実に鮮やかな手際でしたね。」
これも今となっては実に懐かしい話だよね。
今年の十月頃、堺県立大学の中百舌鳥キャンパス付近で空飛ぶ生首の目撃情報が多発したので、嵐山に拠点を構える霊能力者の京洛牙城衆の皆様方と合同で捜査を行ったんだ。
名前と立地条件からも一目瞭然だけど、この京洛牙城衆って組織は英里奈ちゃんの妹さんを養女に引き取った牙城大社を母体にしているんだよ。
そして美里亜ちゃんも、京洛牙城衆の戦士の一人なんだ。
牙城大社の次期大巫女として幼少時から様々な修行を重ねてきた事もあり、美里亜ちゃんも高い霊能力と戦闘能力を有しているの。
合気道や剣術も一通りはこなせるけど、もっとも得意とするのは槍術なんだって。
英里奈ちゃんもレーザーランスを個人兵装に選んでいるけど、やっぱり一卵性双生児として血は争えないんだね。
そうして生駒姉妹のお供みたいな立ち位置で夜の堺市北区に赴いた私を待ち受けていたのは、浮遊霊の憑依したカットマネキンの襲撃だったの。
個人兵装のレーザーライフルで片っ端から眉間を撃ち抜いてやったけど、何とも気色悪い相手だったなぁ。
ところが薄気味悪さの上塗りとばかりに、浮遊霊が壊れたマネキンヘッドの残骸を義体に仕立て上げて襲い掛かって来ちゃったんだよ。
身体のアチコチに破壊された顔の貼り付いたマネキン怪人は、醜怪極まりない敵だったね。
この悪趣味の極地と言うべき怪人の五体を木端微塵に粉砕して地上から消滅させた決め手こそ、華族と戦国武将の血脈を元化の今に受け継ぐ生駒姉妹が阿吽の呼吸で繰り出した槍術の一撃だったんだ。
そうして事件は一応の解決を見せたものの、このまま陰陽のバランスが乱れたままだと同様の事件や事故が再発する危険が残っちゃうんだよね。
そこで一刻も早く陰陽のバランスを取り戻すため、堺県の各地で神事としての芸能や祭礼が開催される運びとなったんだ。
中でも牙城大社の巫女さん達による御神楽は、雅やかな美しさと荘厳な趣が共存していて実に見事だったよ。
「それに先月の堺まつりで素晴らしい巫女神楽を公演出来たのも、牙城大社の次期大巫女である貴官の妹君の伝手があってこそ。私からも改めて御礼を申し上げますよ。」
「そっ、そんな…東条湖蘭子上級大佐!マネキン怪人の騒動も巫女神楽の便宜も妹の美里亜の助力あっての話で、私は何も…」
だけど肝心の英里奈ちゃんったら、さっきまでの落ち着きが嘘みたいに狼狽えちゃっているんだもの。
幹部将校である東条湖蘭子上級大佐に御褒めの御言葉を頂けたなら、私だったら向こう一ヶ月は大喜びなのに。
まあ、その奥床しさが英里奈ちゃんの良い所なんだけど。