第2章 「一日の計は鶏鳴にあり、登庁の計は挨拶にあり」
そうして友人の家庭事情についてボンヤリと考えを巡らせていた私を現実に引き戻したのは、他ならぬ英里奈ちゃんの問い掛けだったんだ。
「そう仰る千里さんも、今週だけで四日半も歳末特別警戒へシフト入りだそうでは御座いませんか。それはやはり、年明けの昇級試験を意識されての事なのでしょうか?」
「うん…まあね、英里奈ちゃん。昇級試験の対策講座が支局で開講されているから、それと合わせる形でシフトを組んだんだ。勿論、内申点稼ぎもあるんだけど。」
ツインテールに結った黒髪をかき上げながら、私は英里奈ちゃんの問い掛けに応じたの。
同じ堺県立御子柴高校の一年A組に在籍し、同じ元化二十二年四月に特命遊撃士として正式配属された私と英里奈ちゃんだけど、遺憾ながら階級に関しては厳然とした差異があるんだよね。
今みたいなプライベートにおいては慣例でタメ口が許されているけど、厳密には少佐の英里奈ちゃんと准佐の私は上官と部下の間柄になるんだ。
それもこれも、全ては三年前に参加した「黙示協議会アポカリプス掃討作戦」で負った重傷で余儀無くされた長期入院だね。
何しろ余っ程に打ち所が悪過ぎたのか、今年の春先まで昏睡状態が続いちゃったんだから。
さしたる後遺症も患わずに学業や軍務に復帰出来たのは不幸中の幸いだったけど、昏睡状態だった間に同期の友人達が上官に昇級していたのは結構な痛手だったなぁ…
この階級差を何とか解決すべく、私は少佐への昇級に向けて色々な努力を始めたんだ。
普段のシフト提出は勿論だけど、式典や広報活動の御手伝いにも積極的に参加して内申点を稼ぎ、書類審査で高評価が得られるよう頑張ったんだよ。
年明けからは面接や筆記試験も始まるけど、こちらも問題なくクリアしたい所だね。
そうして晴れて少佐に昇級した暁には、佐官の証である金色の飾緒を遊撃服の右肩に頂けるんだ。
夢にまで見た金色の飾緒を頂く為にも、歳末特別警戒も試験勉強もしっかり頑張らなくちゃね!
こんな風にやる気を燃やしながら、私は堺県第二支局のエントランスを潜ったんだ。
こうして英里奈ちゃんと一緒に登庁した堺県第二支局のエントランスは、先週の同じ時間帯と比べて随分と賑やかに感じられたんだ。
私や英里奈ちゃんと同じ白い遊撃服に袖を通した特命遊撃士や特命機動隊の証である紺色の制服を纏った下士官の子達は勿論、特命教導隊に所属されている幹部将校の御姉様方も、このエントランスを慌ただしく行き交っていらっしゃるね。
昔から今の時期を「師走」って言うけれども、この騒々しくも活気に満ちた様子を見ていると、「私達もウカウカしてはいられないぞ!」って具合に急かされちゃうよ。
然しながら、ここで釣られて急かされたらいけないんだ。
古人曰く、「急いては事を仕損じる」。
変に気負って力んじゃったら、勢いが空回りするばかりで碌でも無い結果になっちゃうのが関の山だよ。
こういう時に普段通りの落ち着きを発揮出来てこそ、プロの公安系公務員だね。
そこで私と英里奈ちゃんは気を引き締めるために、この場にいらっしゃる中でも最上級の上官殿に御挨拶をさせて頂く事にしたんだ。
ともすれば浮き足立ってしまいそうな心を落ち着けるには、こうして自発的に活を入れるのが一番だね。
「御覧下さい、千里さん。上級大佐の東条湖蘭子閣下で御座いますよ。」
「個人兵装であるハルバードの巧みな取り回しから、特命遊撃士時代には『斧槍姫』の異名で武名を轟かせた、あの東条湖蘭子閣下だね。上級大佐殿に活を入れて頂いたら、その誉れ高き武名にあやかれそうだよ!」
緑色のジャケットと黒ミニスカで構成された教導服に包まれた優美な肢体に、ポニーテールに結われた綺羅びやかな金髪とも相性良好な貴婦人を思わせる上品な美貌。
そして何より、コンパクトな携行モードで教導服の黒ベルトに装備されたハルバード。
ああして柄を縮めた状態でも近接用のバトルアックスとして使えるけど、やっぱりハルバードは長柄武器として運用されてこそ真価を発揮するんだよ。
穂先や鉤爪等を全て展開した柄の長いハルバードを自在に取り回しながら軍用バイクで戦場を駆ける東条湖蘭子の御姿は、資料映像で拝見させて頂いた際には痺れちゃったね。
そんな東条湖蘭子上級大佐の御姿は、このエントランスでも殊更に際立っていらっしゃったよ。