第10章 「楽しい年末年始を守るために、公安職の私達が出来る事」
そんな研修合宿の楽しい過ごし方についてアレコレと想像していた私の思考は、思わぬ形で現実に引き戻される事になったんだ。
「葵さんとフレイアさんの御二方は、相も変わらずに蜜月を過ごされているのですね。俗に『恋人達の聖夜』と称されるクリスマスが間もない事を考慮すれば、それも無理からぬ話では御座いますが…」
「ちょ、ちょっと!英里奈ちゃんったら、何て事言うんだか…」
白ワインのグラスを優雅に傾ける英里奈ちゃんの一言に、私は思わずズッコケそうになってしまったの。
これが快活で悪友気質な枚方京花少佐やスケバン風の蓮っ葉な口調が特徴的な手苅丘美鷺准佐なら、私も別に驚かなかったよ。
だけど織田信長に仕えた戦国武将である生駒家宗公の場の子孫にして華族令嬢でもある生駒英里奈少佐が、クラスメイト達の愛の逢瀬に言及するだなんて思いも寄らなかったんだ。
そしてそれについては、どうやらマリナちゃんも同様だったらしいね。
旧家出身の少女士官が漏らした一言を聞き終えるや否や、切れ長の赤目をグッと大きく見開いたて身を乗り出したんだ。
「へえ、驚いたよ。御淑やかな英里の口から、まさか『恋人達の聖夜』なんて語彙が飛び出してくるとはねぇ…」
「えっ…?あっ、ああっ!マ、マリナさん…これは、そのっ…そのような意味で申し上げた訳ではなく…」
クールビューティな同輩の少女士官が言外に含めた真意に気付いたのか、英里奈ちゃんの狼狽え様は何時になく激しい物だったの。
上品なソプラノボイスに混ざる震えや吃音は毎度の事としても、ワイングラスまで倒しそうになっちゃうんだからね。
既に白ワインを飲み終えた後だったのが、不幸中の幸いだよ。
「じっ…実は若き日の父と母が夜デートと称してイルミネーションが灯る大阪の御堂筋へ繰り出したのも、丁度この時期で御座いまして…」
未だに動揺の収まっていない英里奈ちゃんの語りを要約すると、冬のイルミネーションイベントは英里奈ちゃんの御両親にとって独身時代の大切な思い出なんだって。
英里奈ちゃんのお母さんにして生駒家の奥方である真弓夫人は、御実家が船場の老舗企業である小野寺教育出版の創業者一族という事もあり、毎年冬に開催される御堂筋のライトアップイベントを御家族と一緒に見物するのを習わしにしていたんだ。
地元の風物詩である御堂筋イルミネーションを家族で欠かさず見に行くとは、流石は郷土愛を尊ぶ船場商人の一族だね。
ところが後の英里奈ちゃんのお父さんとなる生駒家御曹司の竜太郎氏との婚約を決めた年の冬は、実家の両親とのイルミネーション見物を御兄さんに任せ、自分は婚約者である竜太郎氏を伴って御堂筋イルミネーションに繰り出したんだ。
「それと申しますのも、たとえ生駒家へ輿入れをしたとしても小野寺家が母の実家である事に変わりは無いからです。しかしながら、若き日の父と母が恋人同士として御堂筋イルミネーションを訪れる事が出来るのは、婚約期間中の冬をおいて他に御座いません。翌年に出直したとしても、それは夫婦として訪れた事になるのですからね。」
結婚を控えたカップルにとって、恋人同士として過ごせる時間は限られている。
その事を理解していたからこそ、英里奈ちゃんのお母さんは竜太郎氏との夜デートを優先したんだね。
「成る程なぁ…英里の御両親にとって、独身時代最後の冬に見た御堂筋イルミネーションは忘れられない思い出なんだろうな。」
「あの厳格な両親にも、イルミネーションに心をときめかせるような純情な恋人時代が存在した。娘の私と致しましては、それが何とも喜ばしいのですよ。もっとも、これは両親から直接打ち明けられたのではなくて、祖父母や古参の使用人からの又聞きですけれどね。」
マリナちゃんに相槌を打つ華族令嬢の端正な口元には、何とも愛おしそうな微笑が浮かんでいたの。
英里奈ちゃんにとっては産まれる前の話だけど、これも確かに家族の大切な思い出だよね。
「そっか…そういう意味での『恋人達の聖夜』なんだね。」
しみじみと呟きながら、私は休憩室の窓に視線をやったんだ。
堺東駅南口交差点から吾妻橋交差点までの道程を結ぶ大小路の街路樹は、冬になるとLEDのイルミネーションで美しく飾られるの。
大阪府の御堂筋でやっているイルミネーション程に大々的じゃないかも知れないけれど、私も含めた堺っ子にとっては冬の風物詩なんだ。
今この瞬間にも、年若いカップルや家族連れを始めとする地域住民の皆様方がイルミネーションを愛でているんだろうね。
その人達が平和にイルミネーションを楽しめるようにするには、私達を始めとする公安系公務員がシッカリ目を光らせていないといけないんだ。
楽しい年末年始の思い出作りは、歳末特別警戒があってこそだよ。