理解されないという苦しみについて思うこと
この文章は所謂「チラシの裏」というやつで、読む側にとって価値のあるものではない。
ただ、こうやって書いて気持ちを吐き出して不特定多数の人に見てもらうことで僕にとってはちょっとした安息になるのではないかと思って書いている。
僕は女性と付き合ったことがない。
理由は多分女性を1人の人間として見れないことにある。
性欲のはけぐちとしか見ていないのかもしれない。
そんな気持ち悪い人間が女性とうまくいかないのは百も承知だが、30年近く生きてきて、どうやら自分がそんな気持ち悪い人間なのだと気づき始めた。
この前生まれて始めて風俗以外で女性と手を繋いだ。その時は死ぬほど嬉しかった。生きてて良かったと思った。しかしその女性とは段々連絡がつかなくなり疎遠となっている。
「あなたって知れば知るほど気持ち悪いね」と知人の女性から言われたことがある。その女性と初めて会った時童貞であることを告げたら「そうは見えない。成熟した見た目だ。」と言われた。だが僕は見た目ほど普通の人間ではないらしい。わざわざ風俗に行くために韓国まで行った話をしたら上記のセリフを言われた。
ここまで書いてきて、当人以外にとってはどうでもいい話をダラダラと書いていること自体が己の気持ち悪さを物語っているなと思ったがあくまでチラシの裏なので続けさせてもらいたい。
しかしつくづく思う。世の男性はあらゆる手段を使って女にモテようとする。それで何が手に入る?つまらない女の話に相槌を打つ時間、四六時中気を回して女をエスコートする時間、それが大半だ。セックスしてる時間なんてその中のほんのわずかだ。
あのわずかな時間のためにみんな努力しているのか?割りに合わなさすぎる。
自分は普通の人間だと思っていた。普通に恋愛して、普通に結婚して。風俗なんて一生行かないと思っていた。
でも違った。21の秋にフラれた勢いであの世界の門を叩いて以来隔週ペースで行くようになった。この世にセックスの快楽にかなう事象があるだろうか。僕はまだそれを見出せないでいる。(流石にコロナになってからは隔月ペースだが)
僕はどうやら普通ではないらしい。世の中には普通ではないことをカミングアウトしている人は多くいる。しかしそれはだいたい芸能人などの成功者だ。一般社会で俺は素人童貞だのゲイだのロリコンだの誇らしげに語っている人を見たことがない。
「悩みがあるなら言ってみなよ。相談しなよ。」とか「自分をさらけだせ」等言うがそれは精神的健常者のみに当てはまる言葉ではないだろうか。我々精神的グレーゾーン患者が社会にそれを公にした所でメリットよりデメリットの方が多い気がする。実際に恋愛相談を友達にしたって、「ネガティヴすぎる」とか「考えすぎ」とか紋切り型のいつものアドバイスをもらうだけだ。自分をさらけだそうと合コンで下ネタ言ったって信じられない様な空気になるだけだったし。ああいう場で変態キャラでウケる奴はそうとうセンスある人間だと思う。
こうやっていくら書いてもモラトリアム青年のワガママ日記が積みあがっていくだけという印象を受ける。でも本当に辛いと思っていることは言語化できないのだ。人に言えない。言えても伝えられない。そんな苦しみを抱えている。もちろん自分だけではないだろう。世の中の性犯罪者予備軍はみんなこんな悩みを抱えているのかもしれない。
一番辛いのは理解されないということだ。雑踏の中、ビル街を歩いて感じるあの疎外感。世界の中で自分がひとりぼっちだという世界観。あいつらはあんなに楽しそうなのに俺は・・・・。
僕はある程度生きてきてリア充になったってたいして幸せじゃないだろうなという推測はついてきた。独身だって、素人童貞だってある程度人生はエンジョイできる。
でも今だに憧れているのだ。「普通」に。普通に学生時代恋愛をして、普通に結婚する。そして懐かしそうに青春時代を振り返る。そんな「普通」が欲しかった。
その「普通」と自分の間には大きな隔たりがある気がする。今まで幾度となく飛び越えようとしたが叶わなかった。いや、飛び越える勇気がなかった。
しかしその飛び越えた先に何が待っているのだろうか?普通の生活?こんなに苦しんだのに?こんなに勇気を出したのに?もはや普通じゃ満足できない。
矛盾している。普通を求めていたのにあまりにもその怨念が強すぎて普通じゃ見返りとして足りないのだ。
この感じわかるなかな?わかってくれるといいのだけれども。