3-5
「止めないでよ!」
「事情がちゃんとあったんだ」
「知らないわよ! ……そんなことよりも! アンタはもっと自分のことを大切にしてあげて!」
「うん、わかってる」
二人にしかわからない物語がある。それを目の当たりにして、ほんのちょっぴり寂しいような、孤独感がじんわりと滲んだ。
「これだから、大人は嫌いなのよッ」
梶瑛さんは手を下ろした。
大人、か。
彼女の言葉に、心が反応する。私は本当に大人なのかな。体だけが時間と共に大人になっただけで、精神面では子供の頃から変わっていないような気がする。
心が、痛い。
いろんな言葉が突き刺さって。針のようなものが抜けなくて。
「もう、いやだな」
小さな声で呟いた。もうなにもかも投げ出して、なにもかも考えずに過ごせたら良いのに。
会社のことも、母の言葉も、奈良栄先輩のことも……。
そんなことは無理だよと、もう一人の自分が呟く。私はそっと目を閉じた。
「話が脱線したけど、二次会ができるか先生に電話してみますよ」
湊くんの声が耳に入り、目を開けてみると、彼は私を見ていた。ニコッと笑うと、電話をする為に一旦喫茶店から外へ出る。
そして、私は梶瑛さんと二人きり。気づけば、マスターはアルバイトのヒツさんと一緒に奥の部屋へ入ってしまった。どうやら私達に気を遣ってようだ。
「……」
「……」
気まずい。
どちらも口を固く閉じている。私の方が大人なのだから、気が紛れるような話題を提供しなければと決心した時だった。
「湊、誰にでも優しいから」
無音の店内に、梶瑛さんの声が響く。
「だから、勘違いしないで。年増が特別じゃないの。あたしも湊に助けてもらったんだから」
視線は合わない。だが、そっぽを向く彼女の声に悪意は感じられない。
「うん、そうなんだろうなって思ってた」
静かに答えた。
「湊くんと演奏できるのも、今日の演奏会が最初で最後だってわかってる。だから、ちゃんとお別れしようって思って、二次会を頼んだんだよね」
「そう。それならいいけど」
「湊くんは、羨ましいな」
「はあ?」
二人の空間になって、初めて視線が交わる。訝しむ視線をしっかりと受け止めた。
「あなたみたいな心配してくれる人がいて……大切な人がいて」
「……年増にはいないわけ?」
「結婚もしてない、彼氏もいない。良い感じになった会社の先輩には殴られて、私の大切な友達も傷つけられて……」
カウンターに肘をつき、両手で顔を覆う。
「お父さんから貰った大切なフルートも、ぐちゃぐちゃに壊されちゃって。もう良いことなんてないよ」
「男を見る目がないのね」
「ふふ。そうかもしれないね」
思わず吹いた。確かにそうだなって思ったから。
「だから、助けてもらった湊くんには感謝しても感謝しきれないよ」
「湊、優しいから。アンタだけじゃないから——ッ」
何度も言わなくてもわかってるのに。
不意に思い出した奈良栄先輩の存在に心が重くなる。
演奏会に必死だったから今まで思い出していなかった。どうしてこんな時に思い出しちゃうかな。
「もう……嫌になっちゃうなぁ」
「なによ、急に」
「……なんでもない」
それしか言えなかった。彼女には関係ないから。
喉元まで込み上げてきた言葉を、必死に飲み込もうと押し込むくらいしかできない。
「意味不明」
彼女は不愉快に顔を歪めると、ミックスジュースを一気に飲んだ。
そこに、ドアが開いた鈴の音が聴こえた。
「先生、いいよって」
湊くんが戻ってきたのを見計らって、マスター達も顔を覗き込む。
「あと、そういえば日野和先生、五日後に退院だって。メールが入っていましたよ」
「え? 日野和先生?」
梶瑛さんは私を見た。私は重たい口を開く。「さっき話した、傷つけられた友人が日野和夏希のことだよ」
「そっか。目処が立ってよかった」
心底安心した。息をゆっくり吐いていると、湊くんのスマートフォンから音が鳴る。彼は「あ」と声を漏らすと、そのまま画面を私に見せてくれた。
「これって……」
それには、あるニュースが書かれていた。
「この辺りの事件ですね。様々な女性に付き纏いを繰り返し、脅迫、わいせつな行為をしたとして、奈良栄楊容疑者を逮捕。余罪を追及……ですか」
「奈良栄楊って、誰? 知り合い?」
梶瑛さんは小首を傾げる。
「……例の会社の先輩」
「はあああ? 先輩が犯罪者とか……年増、ほんとに運がないわね」
哀れむような目で見てきた。本当のことなので言い返せない。
「余罪があるのなら、この前しほりさんに付き纏っていた人も、奈良栄楊かもしれませんね」
「もし、それが本当なら……私、ヤバかったかも」
「ヤバイどころじゃないですよ。実際、被害に遭ったわけなんですから」
「そうだね。でも、もう終わったんだよね」
呆気ないなと思ってしまう。
でも、これくらいがちょうど良い。もう顔を合わせずに済むわけだから。アパートに来ることもない。会社で居合わすことも。少し安心した。
「先生の家、行きましょうか」
「え、もう行っていいの?」
「はい。ちょうど先生も家にいますし、準備させてます」
「先生、日本に帰ってきてんだ」
梶瑛さんは意外だと言わんばかりの声色で、「ふーん」と呟く。
「しょ、show先生、日本にいるの⁉︎ ヨーロッパじゃなくて? 演奏会は? 準備ってなにしてるの……?」
「本当に日本へ帰ってきちゃったみたいですよ。しかも、ちゃっかり俺たちの演奏会も聴いてたみたいで」
「ええ⁉︎ 嘘! なんか緊張しちゃうなぁ」
憧れのフルーティストと会える。そう思っただけで、嬉しいはずなのに胃が痛い。
胃の辺りをさすっていると、「あんなクズ先生に緊張しなくていいですよ」と湊くんは笑っていた。
言い方が酷い。湊くん、たまにさらっと毒を吐くよね。それがあまりにも自然で、つい気づくのが遅くなってしまう。
「アンタ達、本当に行くの……?」
「梶瑛さんも来る?」
私がそう訊くと、彼女は面食らったような顔をしていた。
そして、少し悩む素振りを見せると、静かに首を縦に振る。照れているように見えて可愛かった。
そんな顔をするくらい、彼女は湊くんのことが大切なのかな。いや、好き、なのかな。
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