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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第四章 優しい音が手を引いてくれた
39/42

3-5

「止めないでよ!」

「事情がちゃんとあったんだ」

「知らないわよ! ……そんなことよりも! アンタはもっと自分のことを大切にしてあげて!」

「うん、わかってる」

 二人にしかわからない物語がある。それを目の当たりにして、ほんのちょっぴり寂しいような、孤独感がじんわりと滲んだ。

「これだから、大人は嫌いなのよッ」

 梶瑛(かじあき)さんは手を下ろした。

 大人、か。

 彼女の言葉に、心が反応する。私は本当に大人なのかな。体だけが時間と共に大人になっただけで、精神面では子供の頃から変わっていないような気がする。

 心が、痛い。

 いろんな言葉が突き刺さって。針のようなものが抜けなくて。

「もう、いやだな」

 小さな声で呟いた。もうなにもかも投げ出して、なにもかも考えずに過ごせたら良いのに。

 会社のことも、母の言葉も、奈良栄(ならさか)先輩のことも……。

 そんなことは無理だよと、もう一人の自分が呟く。私はそっと目を閉じた。

「話が脱線したけど、二次会ができるか先生に電話してみますよ」

 (そう)くんの声が耳に入り、目を開けてみると、彼は私を見ていた。ニコッと笑うと、電話をする為に一旦喫茶店から外へ出る。

 そして、私は梶瑛(かじあき)さんと二人きり。気づけば、マスターはアルバイトのヒツさんと一緒に奥の部屋へ入ってしまった。どうやら私達に気を遣ってようだ。

「……」

「……」

 気まずい。

 どちらも口を固く閉じている。私の方が大人なのだから、気が紛れるような話題を提供しなければと決心した時だった。

(そう)、誰にでも優しいから」

 無音の店内に、梶瑛(かじあき)さんの声が響く。

「だから、勘違いしないで。年増が特別じゃないの。あたしも(そう)に助けてもらったんだから」

 視線は合わない。だが、そっぽを向く彼女の声に悪意は感じられない。

「うん、そうなんだろうなって思ってた」

 静かに答えた。

(そう)くんと演奏できるのも、今日の演奏会が最初で最後だってわかってる。だから、ちゃんとお別れしようって思って、二次会を頼んだんだよね」

「そう。それならいいけど」

(そう)くんは、羨ましいな」

「はあ?」

 二人の空間になって、初めて視線が交わる。訝しむ視線をしっかりと受け止めた。

「あなたみたいな心配してくれる人がいて……大切な人がいて」

「……年増にはいないわけ?」

「結婚もしてない、彼氏もいない。良い感じになった会社の先輩には殴られて、私の大切な友達も傷つけられて……」

 カウンターに肘をつき、両手で顔を覆う。

「お父さんから貰った大切なフルートも、ぐちゃぐちゃに壊されちゃって。もう良いことなんてないよ」

「男を見る目がないのね」

「ふふ。そうかもしれないね」

 思わず吹いた。確かにそうだなって思ったから。

「だから、助けてもらった(そう)くんには感謝しても感謝しきれないよ」

(そう)、優しいから。アンタだけじゃないから——ッ」

 何度も言わなくてもわかってるのに。

 不意に思い出した奈良栄(ならさか)先輩の存在に心が重くなる。

 演奏会に必死だったから今まで思い出していなかった。どうしてこんな時に思い出しちゃうかな。

「もう……嫌になっちゃうなぁ」

「なによ、急に」

「……なんでもない」

 それしか言えなかった。彼女には関係ないから。

 喉元まで込み上げてきた言葉を、必死に飲み込もうと押し込むくらいしかできない。

「意味不明」

 彼女は不愉快に顔を歪めると、ミックスジュースを一気に飲んだ。

 そこに、ドアが開いた鈴の音が聴こえた。

「先生、いいよって」

 (そう)くんが戻ってきたのを見計らって、マスター達も顔を覗き込む。

「あと、そういえば日野和(ひのわ)先生、五日後に退院だって。メールが入っていましたよ」

「え? 日野和(ひのわ)先生?」

 梶瑛(かじあき)さんは私を見た。私は重たい口を開く。「さっき話した、傷つけられた友人が日野和(ひのわ)夏希(なつき)のことだよ」

「そっか。目処が立ってよかった」

 心底安心した。息をゆっくり吐いていると、(そう)くんのスマートフォンから音が鳴る。彼は「あ」と声を漏らすと、そのまま画面を私に見せてくれた。

「これって……」

 それには、あるニュースが書かれていた。

「この辺りの事件ですね。様々な女性に付き纏いを繰り返し、脅迫、わいせつな行為をしたとして、奈良栄(ならさか)(やなぎ)容疑者を逮捕。余罪を追及……ですか」

奈良栄(ならさか)(やなぎ)って、誰? 知り合い?」

 梶瑛(かじあき)さんは小首を傾げる。

「……例の会社の先輩」

「はあああ? 先輩が犯罪者とか……年増、ほんとに運がないわね」

 哀れむような目で見てきた。本当のことなので言い返せない。

「余罪があるのなら、この前しほりさんに付き纏っていた人も、奈良栄(ならさか)(やなぎ)かもしれませんね」

「もし、それが本当なら……私、ヤバかったかも」

「ヤバイどころじゃないですよ。実際、被害に遭ったわけなんですから」

「そうだね。でも、もう終わったんだよね」

 呆気ないなと思ってしまう。

 でも、これくらいがちょうど良い。もう顔を合わせずに済むわけだから。アパートに来ることもない。会社で居合わすことも。少し安心した。

「先生の家、行きましょうか」

「え、もう行っていいの?」

「はい。ちょうど先生も家にいますし、準備させてます」

「先生、日本に帰ってきてんだ」

 梶瑛(かじあき)さんは意外だと言わんばかりの声色で、「ふーん」と呟く。

「しょ、show先生、日本にいるの⁉︎ ヨーロッパじゃなくて? 演奏会は? 準備ってなにしてるの……?」

「本当に日本へ帰ってきちゃったみたいですよ。しかも、ちゃっかり俺たちの演奏会も聴いてたみたいで」

「ええ⁉︎ 嘘! なんか緊張しちゃうなぁ」

 憧れのフルーティストと会える。そう思っただけで、嬉しいはずなのに胃が痛い。

 胃の辺りをさすっていると、「あんなクズ先生に緊張しなくていいですよ」と(そう)くんは笑っていた。

 言い方が酷い。(そう)くん、たまにさらっと毒を吐くよね。それがあまりにも自然で、つい気づくのが遅くなってしまう。

「アンタ達、本当に行くの……?」

梶瑛(かじあき)さんも来る?」

 私がそう訊くと、彼女は面食らったような顔をしていた。

 そして、少し悩む素振りを見せると、静かに首を縦に振る。照れているように見えて可愛かった。

 そんな顔をするくらい、彼女は(そう)くんのことが大切なのかな。いや、好き、なのかな。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけましたら、下にある評価(★★★★★)やコメントで応援してくださると非常に嬉しいです!

お気軽に、是非是非お願いします!

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