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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第四章 優しい音が手を引いてくれた
37/42

3-3

「もう勝手に離れたらダメですよ」

 彼はそう言って、優しく手を繋ぐ。

 指を絡ませる恋人繋ぎではないけど、その大きな掌に重ねられる喜びを全身で感じる。ゾワゾワするような、ホワホワするような。

(そう)くん」

「はい」

「そういえばさ、駅前、凄く栄えたよね」

「そうですね」

「新しいカフェもいっぱいできたのに、どうして『マリアージュ』がいいの? 高校生なら、やっぱり新しい店に行きたいと思わない?」

 私は古い人間だから『マリアージュ』ぐらいが落ち着くんだけどね。

 そう付け足す。

「あそこは馴染みの店なんで気兼ねなく行けるんですよ」

「馴染み? マスターとお知り合いとか?」

「まあ、その……この前話しましたよね、両親のこと。家に親がいないから、金がある日は晩飯とかよく食わせてもらってたんです」

「そうなんだ」

「それに、昔からある店って風情があって落ち着きますよね。流行に囚われない〝変わらない〟楽しみ方というか。趣のある店にしかない良さもある。だから、俺は『マリアージュ』が良いなぁって思ったんですよ」

 じっと私を見据える。

 その優しい眼差しで心が温かくなる。今時そんなふうに考えてくれる若い子もいるんだな、て。

「変わらない楽しみ方、か。確かにね。その気持ちは同感だな。私も昔にしかない良さを感じた時に『ああ、日本に生まれてきてよかったな』て思うのが、凄く心地良いの」

 世界の流行に乗って、新しく開店することが悪いわけじゃない。変化することは必須であり、そしてその変化を楽しめるのが人間。

 煌びやかに着飾った店の前を過ぎ、緑色のコンビニを曲がると、街の雰囲気は一転する。

 人通りの少ない、少し寂しいような雰囲気のある細い路地裏に入った。

 大通りから少し離れただけで現れる昔の時代の名残。若者が入るゲームセンターやブランド店などはない。そこにあるのは日中は閉まっているスナックや、居酒屋、高そうな飲食店があるのみ。

 少し進むと煉瓦の店が見えてくる。『喫茶店 マリアージュ』と可愛らしい字で書かれた緑のテント看板。緑色の観葉植物で店頭を飾っていた。

 ああ、手を繋いでいられるのも終わりか。

「お疲れ様会、楽しみですね」

 (そう)くんはそう笑って、自然に手が離れた。

 重たいクラシックなドアが開かれる。



   ■ ■ ■



 カウンターの中では豆を挽くマスターと、アルバイトである背の低い少女が食器を洗っていた。

 カウンターに座る私達。

 目の前には、一杯のカフェオレとチョコレート。そして、演奏会で配布したアンケート。

 隣の(そう)くんにも同じカフェオレ。

 そして、その更に隣にはミックスジュースを前にする女子高生。しかも、今日話題に出た、(そう)くんの彼女ではない例の女の子。

 何故こうなった。

 アンケートをパラパラと読みながら、首を傾げる。

梶瑛(かじあき)、そう睨むなよ」

 挟まれるように座る(そう)くんは困ったように言う。カフェオレを一口飲むと、助けを乞うように食器を拭くマスターを見遣った。

 彼女の名は、梶瑛(かじあき)凛子(りんこ)。あのshow先生の電話でも話題に出た彼女である。

 ショートボブの黒髪に、白い肌。少し強気な眼差しが印象的。いや、睨まれているからか?

 私は攻撃的な視線を一身に浴び、萎縮しながら次のアンケートを読む。『演奏すごく良かったです』の文字に心の中でお礼を言う。その間も睨みつけられ……。

 ……私、彼女になにかやったっけ?

「あたし、あんたらの演奏を聴きに行ったんだけどさぁ」

 向けられる視線とは打って変わって、声の可愛らしさにキュンとする。演奏会に来てくれたお客様を前にして舞い上がった。

「本当⁉︎ 嬉しい! ありがとう」

 わーい! と喜んでいると、梶瑛(かじあき)さんはじーと私を睨み、口を閉ざす。そして、(そう)くんに視線を移すと、僅かにその視線の鋭さが和らぐのを確かに見た。

「最後の『カルメン』なんだけど」

「あ! 『カルメン』どうだった⁉︎」

「………………」

 ジト目というものでしょうか。

 口をへの字に閉じて、半眼で見つめられる。私はその圧に負けて、乗り出した身を引っ込めた。静かに座るが、彼女の視線が鋭すぎて痛い。

「あの曲をどう解釈したら、ああいう演奏になるわけ?」

「ん?」

 (そう)くんは言ってる意味がわからないと言わんばかりに、目を点にした。

「だーかーらーさー! カルメンは最後ホセに刺殺されるでしょ?」

「うん」

「カルメンの気持ちはエスカミーリョに向いてるんだよ? ホセはカルメンへの想いを抑えきれずに殺してしまう……そうでしょ?」

「うん」

 (そう)くんは淡々と答える。

「……わかってるなら、どうしてあんな演奏するの!」

 キッと彼を睨みつける梶瑛(かじあき)さん。そして、その怒号のような声をさらりと受け流す湊くん。

「〝あんな演奏〟て?」

「言葉にしなきゃわかんない⁉︎ 恋が成就したような情熱的な演奏はおかしいって言ってんの!」

「ラブラブだったでしょ」

 彼は肘をつき「ハハ」と笑う。どうやら確信犯のようだ。

 しかし、私の方はというと、(そう)くんの言葉にドキッとした。ラブラブなんていう言葉を使うとは思わなかった。

 そして、私達の演奏についての話だとわかっているのに、頭は私達のことに変換してしまって、意識しすぎだなぁと反省する。

 一方、わなわなと震え上がる梶瑛(かじあき)さんは、何故か私の方を睨み付けていた。なぜ私?

「確かに曲の解釈は演奏者それぞれ……でも、『カルメン』はオペラがある。物語が存在する。それに沿ったイメージで演奏するのが筋じゃない?」

「たまには型破りもいいと思って」

「型破り? ふざけるのもいい加減にして! (そう)らしくないよ。普段だったら楽譜に、音楽に忠実じゃん! おかしいよ……ッ」

「…… (そう)くん?」

 いまにでも泣き出しそうな彼女に、(そう)くんはなにも反応しない。思わず名前を呼ぶと、彼は一息ついてからカフェオレを一口飲んだ。

「しほりさんの作る音楽は〝人間〟そのものなんだ」

「はあ?」

「悲しい時は音も悲しくなる。楽しい時は音も楽しそうにしてるんだ」

「……そう」

 梶瑛(かじあき)さんは渋々納得してやるといった表情。

「子供が大人になるように音楽も成長してるなぁと感じる日もある。どうしようもないくらい嬉しいことがあったのかなって、奏る音楽も踊ってるみたいだった日もあった」

 ちらりと私を見る。

 もしかして(そう)くんは、あの日以外にも音楽室での私の演奏をずっと聴いていた?

 そうじゃないと、そんな言い方をしないよね。

「最初はただ音が聴こえるなっていう程度だったのに、気づけば毎日耳を傾けていた。今日はどんなふうに吹くんだろうって。聴いてると楽しかったよ」

 思い出しているかのような表情。

 やっぱり。(そう)くんはずっと前から聴いてくれてたんだ。

「演奏者は、聴いてる俺よりももっと楽しいんだろうなと思い始めたら、どんな人なんだろうって興味が出てきた」

 彼は黒い紙袋からチョコレートの箱を出した。包装紙を丁寧に取っていく。

「なんだか、惚気話にしか訊こえないわね」

「そう? 梶瑛(かじあき)が言った通り、プロからしたらあの演奏は悪い評価を受けるかもしれない。でも、俺は自由に素直に演奏するしほりさんの音楽に惹かれて、一緒に演奏したいって強く思った」

 中から出てくる私達で選んだチョコレート。甘い匂いが店内に広がる。

「やってみたら、凄く楽しかった」

 満面の笑顔で、彼は梶瑛(かじあき)さんを見た。

「よく言うよな。音楽とは、音を楽しむって。今回の演奏会は、本当に的を射た言葉だよ」

「確かに、中学の吹奏楽部で先生も先輩もそう言ってたけど……じゃあ、あたしが間違ってたわけ?」

 梶瑛(かじあき)かささんが表情に影を落とす。

 私は口を開いた。

「ううん、間違ってないよ。きっと梶瑛さんが正解なんだと思う。作曲者の伝えたい思いや気持ちを表現することが音楽であって、ただ自由にやればいいってものじゃないもの」

 僅かに彼女の視線が和らいだように感じた。

「ただ『カルメン』だけは(そう)くんと同じ舞台で一緒に吹きたかった。(そう)くんは私の我が儘に付き合ってくれただけ」

「…………その気持ちはわかる」

 ぼそりと呟いた言葉は、上手く聞き取れなかった。

 私が訊き返すと、「うっさい、年増」と睨む。ぐさりと胸に突き刺さる言葉。胸が痛い。胸が。

 (そう)くんはチョコレートを食べていると、手を止めたマスターが奥の部屋に入ったアルバイトさんに「アレを持ってきてもらえますか」と声を掛けた。

 それを見計らって私は口を開く。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメントで応援してくださるととても嬉しいです!

是非是非宜しくお願いします。


——————


湊は、人によってそれぞれ呼び方を変えます。

しかも今回は少ししほりとの演奏をラブラブと表現しました。

凛子は、とりあえず年上の方に対しての言葉と態度を改めた方が良いかと思います。

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