3-1
演奏会が無事に終わり、息をつく間もなく、私達はコンサートホールから撤退する。借りている約束の時間が一分でも過ぎるわけにはいかない。時間厳守だ。
楽器の手入れにはしっかりと時間をかけて、自分の身なりは後回し。協力してくれたスタッフに挨拶をした後、使用した場所に忘れ物がないか全て確認する。
腕時計で時刻を確認し、ドレスの上に上着を羽織りながら、早歩きで荷物を持って外に出た。
そこにはティーシャツにハーフパンツ姿の湊くんが待ってくれていた。
「しほりさん」
ラフな格好で、私を見て下の名前を呼んでくれる——まるで恋人の待ち合わせのような。
違う違う! 高校生にときめいてどうするんだ!
気を紛らわせたくて、頭を強く横に振る。そして乱れた髪を指で整えようとした時、彼に挿してもらったままの花に気づいた。
流石に外では取らなきゃなとそれを摘んだけど、心から外すのは惜しいと思って、そのままにする。
彼の心がその花に込められているんじゃないかと感じたから。私にだけ向けられる、特別な心が。
「な、なんでしょう?」
「折角だから、お疲れ様会をしましょうよ」
聞き慣れた敬語。
そういえばそうか。演奏会が終わってしまったから。約束だもんね。
ん? でも、さっき下の名前で呼んだよね? 名前はこれからも続けるってことなのかな。
そう思うと、少しだけ距離が縮まった気がして恥ずかしくもあり、そして嬉しくも感じた。
「そうだね。じゃあ、あそこのお店とかどう?」
広い歩道を歩いていると、新しく開店したカフェを見つけた。そこを指差して訊くと、彼は横に振る。
「いつもの喫茶店がいいなぁ」
「いつものって?」
湊くんとお店に行ったことがなかったよなと記憶を遡ってみる。やはり彼と一緒に店に入った記憶はない。
「ほら、先にしほりさんがコーヒー飲んでて、俺がお店に入ったらそそくさと出て行ったあのお店」
湊くんが彼女らしき人と入ってきた、あの店か!
そう言われて思い出し、叫び出しそうになる口をグッと閉じ、代わりに目が見開いた。
それにしても嫌味っぽい言い方に訊こえてくるのは何故だろう。気のせいか。
折角湊くんからの指名だし、断りたくない。
「もしかして喫茶店『マリアージュ』のこと?」
「はい。あそこなら店に長居しても良いし、アンケートは早く読みたいでしょ?」
実は演奏会で配ったパンフレットにはアンケートを挟んでいた。観客が演奏会の感想を書いてもらい、最後に箱に入れてもらって回収するのだ。
もちろん書いてくれない人もいるが、案外書いてくれる人は多く、そこに書かれた感想を読んで、次回の演奏会に反映していくのだ。
「うん、やっぱり内容は気になるよね」
彼に私の内心を読まれているのではないかと思うと、空笑いが止まらない。
その喫茶店まで歩いて行けない範囲ではないので、私達はのんびりと向かうことにした。
「そういえば、どうしてあの時すぐにお店を出て行ったんですか?」
「そりゃあ気まずいよ……状況も状況だったし。それに……」
この後に続く言葉を吐き出して良いものだろうかと躊躇う。だが、湊くんは黙って続く言葉を待ってくれているので、諦めて答えることにした。
「湊くん……彼女連れてきてるんだもん」
無意識に唇が尖る。
「彼女?」
彼は片眉を寄せた。
「ほら。入店する時、隣に女の子がいたじゃん。次の日、学校に練習しに行った時だって、下駄箱のところで同じ人と一緒にいたじゃない。気まずいよ」
更に尖る唇。
そんな唇を隠そうと俯く。ヒールでコンクリートの上を歩く、コツコツという音がよく聴こえる。
不意に鼻を擽る珈琲の芳しい香り。匂いに釣られて顔を上げると、湊くんと目が合った。少し嬉しそうな表情に目を見開く。
「彼女じゃないですって」
「そうなの……?」
「はい」
「……じゃあ、なんで嬉しそうなの?」
「どうしてでしょうね」
不服そうな顔で疑問をぶつけても、彼は朗らかにするばかり。
いつも彼は私より余裕があって、大人のようで。私の方が年下みたい。もっと年上っぽくしなくちゃ。
「湊くん、モテそうだよね」
周りを見渡すと、駅近くということもあって、いろいろなお店がある。珈琲の香りがしたのも、豆の種類が多くて美味いという噂のカフェだ。
特に最近、駅前が新しくオープンしたお店が沢山あって賑わいを見せている。
一回は行ってみたいと思う反面、行列の長さにうんざりし、どこにも行けていなかったりする。
華やかな服屋さんだったり、シックな靴屋さんもある。ポップで可愛らしいお店はジュース専門店。
いま店の前を歩く、その大人びた店内はチョコレート専門店。ああ、いいなぁ。美味しそう。
「店、入ります?」
そう言われて、ハッと我に返る。慌てて首を横に振った。
「ううん、大丈夫だよ」
新しくて、綺麗なお店なんていっぱいあるのに、どうして古い喫茶店に行こうだなんて言うんだろう。
決して古いことを悪く言っているのではない。若い子ほど、新しいものに惹かれるのは自然なことだと思ってた。
クラシックの良さを理解するには、もう少し大人になってからと思っていたのだが。
そんなことを考えていると、
「やっぱり行きましょうか」
入店するか悩んでいるように見えたのか、湊くんは笑う。
「チョコとか嫌いじゃない?」
「甘いものは好きですよ。それに前からこの店の話は聞いてたんで気にはなってたんですけど、一度も入ったことがなくて」
「じゃあ、お姉さんがいままでのお礼として奢ってあげよう!」
少しは年上っぽくしたい。そう思った。
「だから、しほりさんはしほりさんらしくいればいいんですよ。奢ってほしくて手伝ったわけじゃないんですから」
彼は笑った。
何度、その言葉を訊いただろうか。彼は私らしくいればいいと言ってくれる。年上っぽくしなくていいのかな。無理やり頑張ってるのが、バレてる?
「で、でも! やっぱりタダなんて悪いし、ちゃんと奢るから! 好きなの沢山選んで!」
「わかりました。じゃ、入りましょうか」
はいはいと言わんばかりに、中へ入る湊くん。なんだか私が我が儘言ったみたいだけど、何故か悪い気はしない。彼の後を追いかけた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
もし少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメントなどで応援してくださるととても嬉しいです!
是非是非宜しくお願いします!




