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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第四章 優しい音が手を引いてくれた
33/42

2-1

 最後を飾るのは、ビゼー作曲『カルメン幻想曲』

 昨日(そう)くんが突然楽譜を書き換えた、あれだ。

 ラストに入る前に着替えをする。

 私はカルメンをイメージした、赤いドレスに身を包み、(そう)くんはネクタイの色を赤に変えただけで、基本的に変わらない。だが、スーツの胸元のポケットには黄色い花が挿さっていた。

 恐らくオペラのカルメンの第一幕にある、カルメンがドン・ホセにアカシアの花を投げつけて去るシーンを意識しているのだと思う。彼は管に温かい息を送っていた。

「花……?」

 そっと指先で触れてみると柔らかい。カサカサとしておらず、肌触りが良かった。顔を近づけると独特の生臭さもある——それは造花ではなく、本物だ。

「ホセをイメージしてるんでしょ?」

「はい」

「いつの間に準備したんだか」

 笑みが溢れる。

 そして、ふっと顔を引き締めた。

 細部まで手を抜かない彼だからこそ、最後の演奏をする前に言いたいことがある。

(そう)くん、お願いがあるの」

「なんでしょう?」

「すぐに終わっちゃうけど……いまから演奏が終わるまで、敬語はなしでお願い」

「敬語を?」

「〝同じ舞台〟に立ってほしいから」

 同じ舞台へ。

 それは目の前にあるステージという意味ではない。同じ場所に立つ演奏者にしか感じられない魂のいる場所——精神的な舞台のようなもの。

 どれだけ一緒に音を出して、ぴったり揃っていたとしても、〝感覚〟が違う人はいる。それを熱量というのか、心構え、それとも雰囲気と説明したら良いのか。全てをひっくるめてそう呼ぶのかもしれない。

 一緒に音を出していても、一緒に演奏をしている気がしないのは嫌だった。

 最後の曲はお客さんにとって、この演奏会の印象、評価になるといっても過言ではない。だから、絶対に嫌だった。

(そう)くんは徹底して伴奏……縁の下の力持ちをしてくれてる。凄く吹きやすい。『さくら』ですっごく実感したの。でも」

 力強い眼差しで(そう)くんを見遣る。

「それじゃあダメなんだってわかってる。この曲は〝同じ舞台〟に立っていなきゃって」

 彼は悪戯っ子のような目元にするが、すぐに一転した。

「わかった。じゃあ、名前も〝しほり〟って呼んでいい?」

 あまりにも素直に応えてくれたから、少し心臓がドキリとする。いや、急に下の名前で呼ばれたからかもしれない。聴き慣れていないから。

 私は首を縦に振った。

「でも、〝同じ舞台〟に立つかどうかは、しほりがどれだけ魅せてくれるか、かな」

 向けられたものは、挑戦的な眼差しだった。

「ドン・ホセも最初はカルメンに興味がなかった。だから、惚れさせるくらい俺に魅せてくれないと〝同じ舞台〟には上がれない」

 そう言うと、右手を差し出してきた。

「エスコートして。しほり」

 ドクン

 心臓が大量の血液を運ぶ。

 その口ぶりに、その視線。完全に挑発されている。だからこそ、私は——

「任せて」

 その手を握る。

「湊、私の本気を魅せるから。必ず〝同じ舞台〟に立たせてみせる」

 自然と目つきも鋭く、声が低くする。それを見ても嫌な顔をせずに、彼は楽しそうに笑い、そして顔の筋肉を引き締めた。

 アナウンスが入った。観客席の灯りは反転し、ステージは一気に明るくなる。

 本物のカルメンを、魅せてあげる——



   ■ ■ ■



 ステージに上がると、光が二人を照らす。

 衣装が変わった私達を見て、会場が少し騒ついた。

 薔薇のような真っ赤なドレスの女と、黄色い花をポケットに挿した男——カルメンとドン・ホセだと、クラシック好きならわかる人もいるだろう。先に入った私は観客の前に出た。

 舞台でも始めるかのように、大袈裟に右手を差し出し、(そう)くんにこの手を取れと言葉なく、促す。だが、彼は首を横に振った。口元で薄笑いをすると、一人先に譜面台より後ろに立つ。

 見事にふられたなと視線を低くしてから、私も楽譜を前に立った。だが、そこに悲しみはない。あるのは、諦めない感情だけ。自由の象徴ともいえるカルメンなら、きっとメソメソ泣いて、全てを受け入れるわけがない。

 これら全て即興の演技。スタッフにも打ち合わせはしていない。大変驚いたと思う。合わせてくれた(そう)くんには感謝だ。

 彼はゆっくりと楽器を構える。それに合わせて私も構えた。


 Allegro moderatoアレグロ・モデラート、アレグロとモデラートの中間の速さから始まる。

 最初の旋律は(そう)くんが奏でる。まだカルメンに惚れていなくても、魅力に気づいているドン・ホセのように。

 その心を更に掻き乱すように、私は途中から同じメロディを低い音で添えた。

 さあ、私と一緒に踊ってよ。歌ってよ。きっと楽しくなるわ。

 まだこの手を取らないの?

 それなら——

 メロディの音域が低く、不穏な空気へと一転。

 私のソロだ。彼は長休符に入り、一度楽器を下ろす。

 その間、歌劇をするように、私は彼を見つめる。熱く、溶けてしまいそうなほど熱く!

 私は何度も目で語りかけると、彼はそれに応えるかのようにニッと笑い、楽器を構えた。

 私のメロディを支えるように彼は伴奏を演奏する。そして、テンポがModeratoモデラートになり、一気に明るい雰囲気に変わった。

 軽く、優美にという指示に合わせ、長く続く連符、十六分音符に指がもつれそうにならないように、ぐっと堪える。

 意識に意識を重ね、テンポが速くなりそうになる前に(そう)くんを見遣る。彼の指、彼の体の動きを見て、伴奏に合わせた。次第に強く音を鳴らし、なかなか答えを出さない彼を急かすように追い立てていく。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメントなどをしてもらえるととても嬉しいです!

是非是非宜しくお願いします!


————


湊はしほりのことを呼び捨てにすることにしました。

しかし、しほりは湊くんと呼んでます。心の中でですが。それは恥ずかしいからです。

じゃあ、湊は恥ずかしくないのか? 答えは……違います。

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