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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第四章 優しい音が手を引いてくれた
31/42

1-2

 それは低いメロディから始まる。ゆっくりな分重くならないように、そして遅くなりすぎないように、一人の時を楽しむ。美しいのに、どこか寂しい。心が苦しくなる。

 (そう)くんも照明に照らされて輝く楽器を構えた。私と目が合う。

 おいで。共に歩もう。

 そう言わんばかりに体で合図を送り、湊くんは私のブレスに合わせる。

 メロディは次第に音域が上っていき、音楽は広がっていく。

 広大な旋律は、樹齢千年を超えるような大きな桜を思い起こさせる。どっしりと構える桜を眺めると、それは壮観な光景で胸を突き上げてくるものがあった。

 日本人の魂を刺激する目には見えないもの。普段自覚しないその魂が震えるように。

 ダイナミックに吹く箇所——桜吹雪が舞う。数えきれない、無数の花弁が風に吹かれて舞う。

 太陽の光が心地よいのか、それはゆったりと流れていく。

 二人の音は重なり、小さなうねりもない、澄んだハーモニー。呼応し合う音の響きに胸が熱くなる。ゾワッと、恐ろしいと感じるくらいに。

 この曲を(そう)くんと一緒に吹けてよかった——体の底から湧き立つ、そんな歓喜があった。

 息が合う。

 音が共鳴する。

 そこには何人たりとも入ることはできない。

 私達の音楽——二人で織りなす桜の世界が。

 私達は歌う——さくらのうたを。

 響け、この歌よ。

 響け、生きて感動を得た喜びよ、誰よりも別れを見た憂いよ、未来の幸せを願う幾万の想いよ。

 桜はいまも花弁の風を見つめている。

 湊くんの低音が会場を響かせるその上に、私は高い音の旋律を乗せる。

 二つの音が交わるたびに、心が苦しくなる儚さが生まれた。手に届きそうで届かない。桜の花びらは手をすり抜けていく。

 彼の目は切なそうに私を見て、私も悲しみを抱いて彼を見つめ返した。

 どんな曲にも終わりがあり、この曲にも最後が見えてくる。

 最後の音をヴィブラートをかけながら伸ばし、合図で一緒に終わる。ぶつりと切れないように、歌を壊さないように、十分すぎるほどの余韻を残して。


 私達は見つめ合ったまま、暫く楽器を構えたままだった。そして、会場もまた静かなままだった。

 会場に作られた〝世界〟を壊したくないかのように、音は何一つしない。

 躊躇うようにゆっくりと楽器を下ろす。恋人達が離れたくないのに離れなければならないような、そんな心苦しい気持ちで。

 息を止める。

 音はない。

 でも、堪らなくその無音の時間が好きだった。曲を全力で吹き切り、息が上がっているにも関わらず、その乱れた呼吸を押し殺す、その時間が。

 静かな会場に、ぽつりと手を叩く音がする。それからどっと数えきれない拍手がどこからともなく湧いた。

 その大きさに驚いていると、「しほりさん」と小声で促されて、一礼する。

 本番で、こんなに曲に没頭したのは初めてだった。曲そのものが綺麗で、こんなに感情移入したのも初めてで。更に、夏希(なつき)よりも私にリズムも表現も細部まで合わせてくれた(そう)くんだったからこそ。

 心臓がドキドキする。高鳴りが止まらない。

 楽しい。楽しくてたまらない。顔がにやける。まずいと思っていても、顔が勝手ににやけていた。

「ソロ、頑張ってください」

 (そう)くんはそっと言って、譜面台を持って舞台袖にはけた。



   ■ ■ ■



 次は、私のソロ——『フラウト・トラヴェルソのためのソロ・ソナタ』

 元よりピアノ伴奏がない無伴奏の曲。その曲はどうやって吹くのか。正直なところ、無伴奏だからといってあまり大差はない。伴奏がなくても、まるであるかのように演奏するだけ。難しく考える必要はない。

 リズムさえ崩れすぎていなければ、自由に吹けばいいと思っている。

 無伴奏だからこそできる表現もある。自分の描く音楽を、あらゆるものを使って表現すればいいのだ。

 空間に自分の音だけで響かせることが、どれだけ至福なことか。失敗も誤魔化しもできない緊張感の中、全ての人が自分の出す音だけを聴く。考えるだけでも、堪らなく血が滾る。

 低いラの音符の上に、逆の黒三角形——スタッカティッシモがあるので、四分の一の長さで鳴らすと指示が書かれているわけだ。更にそこの音量はf。次にあるオクターブ上のラからはp。

 そのフレーズをどう歌うか。このメロディは、小節の始めからではなく、途中から始まる。そこを間違えたら、全く異なる曲に変わる。

 何故そんな指示の記号があるのか。

 他の曲に比べて、強弱記号が多い。だから吹き分けに意味がある。

 八分音符のメロディは物悲しく小川が流れるように。

 十六分音符の下がるメロディは落ち着くように、上がるメロディは盛り上がるように。

 感情が昂ぶるように吹いてみせる。だが、その裏には哀愁がある。

 曲名にある、フラウト・トラヴェルソとは何なのだろう。調べたところ、人名かと思ったが、いま吹いているフルートの前身となった横笛のようだ。銀などの金属製の楽器ではなく、木製の楽器。小学校で使うリコーダーを横笛にした感じで、音色もそれに近い。

 だから、私は音色を少し変える。だが、show先生のように変えられないので、気持ち程度だ。

 アナウンサーが楽曲を紹介し終えたところで、もう一度楽器に息を吹き込む。

 ここからは私だけの世界。


ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメントなどで応援してもらえると非常に嬉しいです!

是非是非宜しくお願いします!

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