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本番当日。
ホールには三百人程度が入る小さなホール。
音の響きは悪くない。手を打つと、気持ち良い響きがある。響きやすいと反響して〝出した音〟がわかりにくいが、響きにくいと誤魔化しも効かず、〝音に酔う〟のが難しい。ここは比較的演奏しやすいホールだ。
薄暗い中、舞台袖で待機する私と福岡くん。
私は左の横髪を編み込み、反対側に流す髪型と、スリットの入った紺のドレスを着ていた。
彼は黒いカッターシャツにスーツ、ネクタイは私に揃えたのか紺色だった。昨日までのラフな服装と異なって、スーツ姿を見ると、幼い顔も大人びたように見える。
変更の確認も含めて、前もってスタッフと打ち合わせもした。リハーサルもした。問題はない。それでも緊張する。
座席に続々と座るお客様を見て、胸元を押さえた。
「しほりさん、緊張します?」
「う、うん。緊張しほ……『しほりさん』⁉︎」
まさか下の名前で呼ばれるとは思ってもおらず、聞き返す。
「そっちの方が演奏しやすいかなって。苗字で呼び合うの、どこか他人行儀だし、壁があるでしょ?」
「あー、確かにそれはあるかも」
私も呼んでみようか。ちょっぴり恥ずかしい。
「湊、くん」
「はい」
ぎこちない呼び方でも、彼は当然のように答えてくれた。それが嬉しくて、でもやっぱり恥ずかしくて。大人びて見えるから、余計にそう思ってしまう。
なんだか緊張が増して、喉が乾いてきた。
一曲目はフルート二重奏から始まる。だが、演奏前に挨拶をしなければならない。
今回のピアノ伴奏からフルート二重奏に変更したことを改めて謝罪する。前もってインターネットでは知らせたが、まだ知らない人もいるだろう。
演奏とは異なる緊張感が私を襲っていた。
■ ■ ■
開演十五分前。
会場内にアナウンスが響く。アナウンサーが開演中の注意事項をすらすらと読み上げていった。
その間心臓がドクンドクンと打って、破裂してしまいそう。湊くんは私の頭をぽんぽんと撫でた。
「大丈夫。俺がいるから」
そう言われると、私がなにか失敗したとしても、彼がフォローしてくれるだろうという安心感が湧いてくる。勿論、失敗をするつもりは毛頭ないけど、本当に頼り甲斐のある彼。
深呼吸を繰り返し、「うん。ありがとう」とお礼を言った。
ベルが鳴る。
舞台袖にある時計を見ると開演時刻だ。スタッフからマイクを受け取り、譜面台が設置されているステージに上がる。
白い光が照らすステージに立つと、会場を見渡した。ちらほら空席が目立つ。落胆しそうになるのを、ぐっと堪え、顔を引き締めた。
「本日は、『クラシック好きのためのコンサート』にご来場いただき、誠にありがとうございました」
深く一礼する。
「今回、ホームページでも記載した通り、ピアノ伴奏者である日野和夏希が都合により出演することができなくなりました。改めて、深く謝罪申し上げます」
再び頭を下げた。
静まり返る空間に、妙な恐怖心を感じる。
「ピアノ伴奏の代わりとしまして、フルート奏者を呼びました。フルート二重奏、デュオコンサートとさせていただきますことをご了承ください」
湊くんが楽器を持って現れると、会場内が騒ついた。
「今回、共に演奏してくださる方をご紹介します。福岡湊さんです」
「ご紹介に預かりました、福岡湊と申します。まだ若輩者ではありますが、尽力させていただきますので宜しくお願いします」
高校生とは思えないほど、しっかりした物言いに、心の中で少し驚く。
湊くんと目が合うと、彼は譜面台の前に立った。私も続いて、楽譜を置いてある譜面台の前に立つと、アナウンサーが一曲目の紹介に入った。
「最初の曲は、福田洋介氏が作曲した『さくらのうた』です」
簡単な説明が入る。
その間に、冷えた管に温かい息を吹き込み温める。フルート二重奏なんて学生の頃でも演奏したことがない。演奏会で初体験だ。
ちらりと湊くんを見遣ると、彼は私を安心させるように口の両端を吊り上げる。大丈夫、落ち着いていこう、と。
今回選んだ曲『さくらのうた』は、いろんな音源を聴いた中で、一瞬で惚れ、演奏会で吹こうと即決したもの。
さくらの華やかさもありながら、切なさを感じさせる、美しい曲。どれだけ歌い込めるかが勝負になる。
アナウンスが終わった。会場内が静まる。
照明に照らされた楽譜。
横に並ぶ湊くん。
できる。私はできる。いまの相棒は湊くんだから、きっとできる。私が私の可能性を信じなくてどうする。
さあ、始めようじゃないか。
足を肩幅に開き、右足を下げる。湊くんを見る。目は合った。彼もまた準備が完了し、いつ始めても問題ないようだ。
私は一人フルートを構える。
ゆったりとしたテンポで始まる曲。スタートは一緒でないが、合図を送る。そして会場内に響くブレスの音。
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