4-3
■ ■ ■
ここに来て、一つ問題が起きた。それは——
「寝る場所は別々の方がいいですよね」
「……そうだね」
私は返答が遅くなる。
福岡くんはそんな私に気にすることなく、私の布団をせっせと敷いてくれた。
「じゃあ、またなにかあったら言ってください。向かいの部屋にいるんで」
それだけを言うと、彼はあっという間にいなくなった。
まあ、特に期待してたわけじゃないんだけども。同じ家に男女。少しはそれっぽいドキドキがあると思っていた。
いやいや、待て待て。なにを思ってるんだ。私は三十三歳。相手は高校生。なにかあるわけがない。そもそもあったらダメなのだ。
電灯のスイッチをオフにして、布団に入る。
確かに布団に入った。
入ったんだけれども。
「寝れないニャー」
目が冴える。
環境が変わると寝られないタイプだったのを思い出した。誰かと一緒に寝たい。人の温もりが恋しい。
「福岡くんの手、暖かかったなぁ」
僅かな月明かりに照らされる天井。
「抱きしめてくれた時も……ふぁっ」
しんみりとした天井に見えてくる。
考えたらダメだ。やめよう。違うことを考えよう。
例えば演奏会。楽器は貸してもらえる。
でも、ピアノ伴奏はどうしよう。福岡くん、フルートはshow先生に習ってるみたいだけど、ピアノも弾けるのだろうか。
福岡くんは凄いな。私と違ってなんでもできる。私はピアノが全くできないし、しっかりもしてない。すぐにパニックになって、人を頼りたくなるし、甘えたくなる。冷静に考えて対処できるなんて、大人の私よりも彼は大人だ。
「……また福岡くんのこと、考えてる」
ダメだ。もうダメだ。飢えた猛獣か。
溜息を長く吐いた。
「寂しくない、寂しくない」
ギュッと目を閉じる。
羊なんて数えても眠れないから、心を無にしよう。無に……無……む……。
「よし、トイレに行こう」
むくりと上半身を起こした。
寝ているだろう彼を起こさないように、音を立てずにドアを開け、廊下に出る。
向かいの部屋から明かりが漏れていた。まだ眠ってはいないようだ。私も若い頃は夜遅くまで起きていた。邪魔しないように行こう。
用を済ませて戻ってくる。まだ寝ていないようだ。
大丈夫かな。
そう心配しながらも、部屋に戻ろうと木目調の引き込み戸を少し引いた時、
「んー……どうしよっかな」
彼の声が微かに聞こえた。
悩んでる?
遊んでいるわけではない?
もしかして、演奏会に向けて考えてる?
そう思うと、私だけのうのうと眠っても良いものなのだろうか。
それは違う気がする。
私は躊躇いながら、福岡くんがいる部屋の戸をノックした。
「はい」
中から返事がする。
ゆっくりとドアを開けると、畳に使われているい草の香りが鼻をくすぐる。
一枚の板の両端を折った座卓が部屋の隅にある。それに向かっている彼と目が合った。
「なにしてるの?」
座卓の上には楽譜。そして五線譜に鉛筆で書き込んでいるようだ。私の視線に気づいた彼は苦笑した。
「すみません、起こしてしまいましたか?」
「ううん、眠れないだけ。……もしかして楽譜を書いてる?」
「伴奏者がいないから、フルート二重奏として編曲してるんですよ」
勝手に楽譜を借りてます、と付け足した。
「え! 嘘! 凄いッ!」
私は感情に駆られ部屋に入った。少しも嫌な顔をしない彼の隣に座ると、綺麗に描かれた音符が並ぶ楽譜を見つめる。
「わぁぁ、本当に書いてる。私、書けないから凄く尊敬するよ」
「編曲って言っても、ピアノ伴奏をそのままフルートに起こしてるだけなんで」
彼はそう言いながら苦笑した。
例え彼にとってはそうだとしても、私にとっては未知なる世界。そんな世界に片足でも入れている彼は尊敬の対象だ。そして、それと同時にある疑問が頭に浮かぶ。
「福岡くん」
「はい」
彼はピアノの楽譜を見ながら、フルートの音域に書き換えていく。
「どうして、そこまでしてくれるの?」
私なんかの為に。知り合って間もないし、深い付き合いをしたわけでもない。なのに、何故?
彼は鉛筆を走らせながら答えた。
「好きなんですよ」
え?
私のことが?
「眞野さんの出すフルートの音が」
「……ですよね」
その言葉に期待してしまう自分が愚かすぎて、泣けてくる。よくあるパターンじゃないですか。漫画とか、アニメとか。
「素直に感情が音に表れるから、聴いていて面白いなって」
「お、面白い……ですか?」
そう言えば、夏希のお父さんにも言われたな。……やっぱり泣けてくる。思わず吐き出す言葉が敬語だ。
私の様子を見て察した福岡くんは、首を横に振った。
「あー、悪く言ってるわけじゃないんですよ。感情豊かで面し……綺麗だなって」
絶対にまた面白いって言いかけたよね。
「褒められてるのか、貶されてるのか、よくわかんない」
頬を少し膨らませて、不満を表す。
「褒めてます褒めてます。だからそんな膨れっ面にならないでくださいよ」
彼は笑った。嫌な感じではなく、私まで笑ってしまいそうな、そんな優しい感じ。
「音楽って、悲しいメロディだったり、楽しそうなメロディだったり、人のあらゆる感情を表しているなって、俺は吹いていて思うんです。曲には物語があるし、作曲者の人生とか、時代背景とか、いろんなものが詰め込まれてますよね」
彼は改めて私を見る。
「だから感情豊かな眞野さんが吹くと、曲に色が付くというか、聴いていて世界が見えるようで楽しいですよね。俺はどうもそれが苦手なんで」
そんなふうに評価してもらったことがなかった。
私の音楽を聴いて、楽しい?
上手い、下手の評価ではなく、楽しい?
面食らった。初めての感覚に戸惑うが、心の奥底からじんわりと温かくなるのを感じる。ああ、嬉しいんだ。
「…………褒めてる?」
「褒めてるって言ってるじゃないですか」
「困った人だなぁ」眉を寄せながら、笑う。
「てことは福岡くん、ずっと私の演奏を聴いてたんだ」
フフッと笑ってみせると、彼は狼狽する。私はそんな彼に追い討ちをかけるように言葉を続けた。
「もしかして音楽室のドアの向こうでずっと聴いてた? あの時頭を押さえてたよね」
「自分の足に引っかかって、ドアにぶつかったんですよ……それはもう忘れてください」
恥ずかしそうに顔を赤らめる。そして、逃げるように、再び鉛筆で音符を描き始めた。
「眞野さんの音をこれからももっと聴きたいし、演奏会を中止にさせるのは勿体無いないから手伝いたいんです」
「……ありがと」
「こういうことなら俺もできるし、ピアノ伴奏がフルート二重奏に変更になったことは、当日にアナウンスすればいい。ただ」
「『ただ』?」
「演奏会を聴きに来てくれた人に『あーピアノ伴奏の方が良かったな』なんて思われたくないんで、やるからには俺も全力でやります」
幼さがある顔だと思っていたのに、この時の彼は大人よりもしっかりした顔つきと、力強い眼差しがあった。
「本当にありがとう」
なにかを考えるより早く、口から言葉が出た。
「宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
お互いに頭を下げた。そして、彼はすぐに楽譜を書き始める。
もう少し見ていたいなと思って、黙ってその場にいると、
「寝てていいですよ」
苦笑された。だから、
「一緒にいたら、ダメ?」
そう言ったら、福岡くんは少し面食らった表情を浮かべ、照れるように楽譜へ視線を戻す。
「寝られないんですか?」
その言葉が胸にグサリと突き刺さる。その通りです。よく理解しておいでで。
「うん。初めての場所はちょっと緊張しちゃって」
頬をぽりぽりと指で掻く。
「じゃあ、そこの布団で寝ていいですよ。俺ので悪いんですけど」
「福岡くんは?」
「楽譜を書き換えるのに、まだ時間がかかるんで。だからそこで寝ても構いません。眞野さんはしっかり休んでください」
一向に目は合わないが、福岡くんの好意だとはわかる。
「……邪魔じゃない? いいの?」
「誰か傍にいた方が眠りやすいんじゃないですか?」
紙上を走る鉛筆の音。
「うん。福岡くんが……大丈夫なら」
そこまで言うと、福岡くんは部屋の電灯を消し、座卓に置いてあるテーブルスタンドの灯りをつけた。小さな光が机上を明るく照らす。
秋の夜にしては少し暑い中、夏布団を掛けて横になると、福岡くんの横顔がよく見えた。彼は視線を向けて、口の両端を優しく吊り上げる。
「おやすみなさい」
「おやすみ。無理はしないでね」
「はい」
彼がすぐそばにいることで緊張してしまうかと思ったが、不思議な心地よさを心で感じつつ、瞼はゆっくりと降りる。
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