4-1
アパートの部屋は奈良栄先輩が来る前のように綺麗になった。ひび割れた皿は捨てた。欠けたコップも捨てた。
でも、傷ついた家具はどうにもならない。
福岡くんは「気に入らないな」と呟いて、物の配置を変えたり、布で覆って隠したり、それが目につかないようにしてくれた。
私の為に考えてくれる彼の背中を見て、感謝の言葉しか出なかった。
そんな私達は、ある家の前まで来た。来てしまった。
ここが福岡くんの家かと思うと緊張する。暗くてどんな家かはよくわからない。だが、この家の中にお母さんもいると思うと、緊張以外の恐怖心も芽生える。
なんて挨拶しようか。どんなふうに接したら、いいだろうか。そもそもこんな深夜に呼び出してしまったことを謝罪しなければならない。
ああ、胃が痛い。
そんなことを思っていると、人の動きを感知して自動的に玄関前が明るくなり、福岡くんはカードケースをドアノブに当てて解錠し、ドアを開けて入っていく。
カードケースに入っているカードそのものが家の鍵の役割をしているのだろう。最新の家だ。
ぼけっと感心していると、彼が玄関で靴を脱いだところで我に返る。
心の準備ができてないのに!
思わず口から出そうになる言葉を飲み込んだ。
「奥の部屋に入っててください」
「は、はい!」
奥を指差すと、福岡くんは別の部屋に入っていってしまった。
ポツンと取り残される私。
周りを見渡す私。
「……玄関、広くて羨ましい」
見たことのない広さ。特に飾り気のない玄関。
「お邪魔しまぁす」
慣れない家の匂いに落ち着かないなと思いながら、家にお邪魔する。
「あれ? 靴が少ない」
玄関に並ぶ靴は私と、福岡くんが履いていたサンダルくらい。たまたま家族がいないのかなと思いながら、奥の部屋に進んだ。
彼が入った部屋の前を通ると話し声が聞こえた。一方的な言葉しか聞こえないので、恐らく電話をしているのだろう。
トイレはあそこかなぁと思いながらも、辿り着いた部屋。そのドアノブに手をかけて押す。
重い……?
違和感を覚えながら、ゆっくりとドアを開けた。
「わあ、凄い」
広い部屋だった。
ソファとテーブルがあって、部屋の角には立てられた譜面台とピアノ。
壁には沢山の棚がある。フルートの教則本、曲の本が綺麗に並べられていた。
他の棚はフルートの清掃に使うクロスや、研磨剤の入っていないシルバークリーナー。
キィの動きをよくするオイルや、グリス、キィの裏側にあるタンポに溜まる水を吸い取るクリーニングペーパーも沢山置かれていた。
一目でどこになにが入れられているのかわかるように表示されていて探しやすい。容器ごとに整理整頓されているのを見ると、使用者の性格がよくわかる。
楽器ケースが置かれている棚に行こうとドアを閉めた時、遠くから聴こえていた福岡くんの話し声がピタリと聴こえなくなった。
あ。ここ、防音室だ。
だから、ドアを開ける時、空気の逃げ場がなくて重かったのかと納得する。
「てことは、ここはレッスン室……? でも、どうして福岡くんの家に……」
棚に並べられている楽器ケースをぼんやりと見つめていると、ドアが急に開いた。
「楽器は後で選びましょう」
まさか私に話しかけられるとは思ってなくて、ドキッとする。
電話がもう終わったのかなと思って振り返ると、彼はスマートフォンに耳を当て、もう一方の手には器用にお茶の入ったグラスを二つ持っていた。
「てわけで、先生。今日と明日、泊まるから」
先生?
不意に耳に飛び込んでくる言葉。福岡くんは電話の向こうの人にそう話す。敬語を使っていない彼の言葉に新鮮さを感じた。
慌てて足でドアを閉めようとする彼を止めて、私がドアを閉める。
「ありがとうございます」
通話中だというのに、彼は律儀にお礼を言ってくれた。なんだか嬉しくもあり、照れくさい気持ちも混ざる。
彼は、徐にスマートフォンを操作し、相手の声がスピーカーから流れるようにすると、テーブルにグラスと共に置いた。
『お? 一人で泊まるんか?』
相手は福岡くんがスピーカーにしたことに気づいていないのか、緊張しておらず、普段と変わらないのであろう口調だった。そこから流れる男性の声を静かに聴く。
頭の片隅でお母さんに電話しているのかなと思ったら違っていたので、お父さんかなと憶測するが、先生と呼ぶだろうか。
「いや、もう一人いる」
『もしかして、さっきから、ちょいちょい話してる女の子⁉︎』
面白そうな声色で返ってくる男性の声。それに鬱陶しさを感じたのか、少し苛立ったように福岡くんは顔を歪めた。
「まあ、そうだよ」
『まさか、凛子とお泊まり会?』
「いや、梶瑛じゃない」
知らない女性の名前。梶瑛凛子。誰なんだろうなとぼんやりと考える。
『凛子じゃないとなるとー……もしかして彼女⁉︎ 年下? 同級生? まさかの年上?』
興奮したように話す男性に、心底鬱陶しいと言わんばかりに溜息を吐いた。
『その反応は年上なんだろ? あってる? 湊は年上好み?』
「うるさい」
福岡くんは私の方を一瞥すると「ごめんなさい」と謝った。別に福岡くんが謝ることでもないのに。
「すみません。私、眞野しほりと申します。年上は年上でも、三十代のおばさんです。突然お家の方に押しかけてしまい申し訳ありませんでした」
そう自己紹介すると、とても驚いたように相手の男性は声を上ずっていた。
『え? はい? は、はじめまして、平野将と言います。えー、俺も四十七のジジイなんで気にしないでください。……って、湊! スピーカーにしてんだろ⁉︎』
「うん、してる」
『お前、スピーカーにしてるならそう言えよ! 恥ずかしいだろ!』
「知らない。そもそもクソジジイが悪い」
福岡くんが毒を吐いてる。
『先生に対してなんっつー言葉を……! そんなふうに育てた覚えはないぞ!』
「育てられた覚えがない」
ノリの良い平野さんだ。
のほほんと、そんなことを考える。
「で、さっきも話した楽器の話なんだけど」
福岡くんがそう言いかけた時、電話の向こうから新たな声が割って入った。
『showさーん。本番十分前なので、そろそろ舞台袖にお願いします』
若い女性の声。
それよりも、
「ショー?」
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