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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第三章 いろんな感情に振り回されたけど
24/42

3-3

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    ■ ■ ■



 アパートのドアの前に着く。

 少し前までここにいた。奈良栄(ならさか)先輩と、そして夏希(なつき)も。

 心が騒ぐ。怖いことが起きた場所だよ、と。怖い場所なんだよ、と。

 先輩は、もうここにはいない。

 そうわかっているのに、頭の隅で先輩の姿がチラつく。実は部屋に隠れているんじゃないかと、考えてしまう。

 持っている鍵を、鍵穴に差し込めずにいた。恐怖で手が震えるのだ。

 すると、福岡(ふくおか)くんは横に立ち、私の手から鍵を取った。無理矢理でもなく、ただそれが普通のことのように。

 そして、躊躇うことなくドアの鍵を開ける。ガチャリと鍵の開いた音がすると、体が強張る。顔を引き締めて、彼は先に入っていった。

 真っ暗な部屋。

 普段ならなにも思わない、帰宅時に見る光景。なのに、いまは違う。その暗さが不気味に見えた。

「だ、誰も、いない、よね?」

 もし先輩がいたら、どうなるかなんて想像できる。頭の中でその予想を描いた瞬間、背中がぞっとした。

「くん、待って、先輩がいたら危ないから……ッ!」

 前を歩く彼の腕を掴もうとした。

 先輩が夏希(なつき)だけではなく、福岡くんにまで手を出したら。男の子には容赦なく、怪我だけでは済まさないかもしれない。それだけは阻止しなければ。

 しかし、腕を掴む前に、彼は部屋の照明のスイッチをつけた。

「お父さん、大丈夫ですよ。俺、これでも男なんで」

 部屋が明るくなり、彼の顔がはっきりと見える。

 どうして私の為にここまでしてくれるのだろう。危ない目にも遭うかもしれないのに、彼は前へ進んでいくのだろう。

「明るいところでみると、怪我、結構酷いですね」

 私の顔を見て、目を見張る。私は首を横に振った。

「私の怪我なんて大したことない。私を助けに来てくれた夏希(なつき)は、熱湯をかぶってしまったから……ピアノを弾く大事な両手をダメに、してしまったから……」

 床に転がる電気ケトル。

 私の視線に気づいた福岡(ふくおか)くんは、その矛先を見ると、納得したかのように床を濡らす水を見下ろした。

 彼は静かに部屋を見渡した。

 荒れたままの部屋。テーブルは倒されて横になったまま。食器棚の中にある食器は乱れたまま。そして、床に転がるフルートに目をやると、優しい手つきでそっと手にとった。

「……酷いことをする」

 その声は低く、怒りがこもっていた。

「管自体が曲がっているので、ダメかもしれませんが、一回修理に出してみましょう」

「いいよ。お金の無駄だもん」

 私でもわかる。直らないって。キィも歪んで、深い傷もついて、なによりも横笛らしからぬ湾曲した体。

「でも、これは大切な楽器でしょ?」

 そう言われて、いつの間にか落としていた視線を上げる。彼と目が合うと、「ね?」と言われた。

 うん、そうなの。もうこの世にいないお父さんからのプレゼント。同じモデルの楽器は沢山ある。でも、お父さんから買って貰った楽器は別物。

 私は、初めて貰った楽器を中学三年の時に壊してしまった。お父さんの悲しそうな顔を見て、もう二度と壊さないって誓った。

 そう誓ったのに、お父さんとの約束を破ってしまった。どちらも同じような姿にしてしまった。

「……うん……もう、お父さんから買って貰った楽器はそれだけなの……ッ」

 お父さん、ごめんなさい。

「もう、この世には、ないの」

 お父さん、許して。

「お父さん、ごめんなさい……ッ」

 込み上げてくる感情。泣き腫らした目が痛いのに、真っ赤な目から飽きずに涙が溢れる。

 突然、頭の上に温かいものが置かれた。

「きっと、お父さんも許してますよ」

 福岡(ふくおか)くんは頭をポンポンと撫でた。大きな手で、父のように優しく。

 彼は楽器ケースに入らないフルートをタオルで包み、袋に詰める。大切なものを扱ってくれる姿を見て、「ありがとう」と伝えた。

眞野(まの)さんは、座っててください」

 そう言うと、くんは床に転がる電気ケトルをキッチンカウンターに置く。

 私は気持ちが落ち着くまで、彼の言葉に甘えてベッドに腰かけた。

「ねぇ、福岡(ふくおか)くん」

「はい」

 彼は手を止めないまま返事をする。

「ずっと言えなかったこと……前に会った時、酷いこと言ってごめんね。一方的に、その……」

「ああ。全然気にしてないんで」

 あまりの爽やかさに、ポツンと取り残されている気分。でも、悪い気がしない。

「あと、今回のこと、頼っちゃってごめんね。前に連絡先消してって言ってたのに、私は消してないし、年下の君に、こんなどうにもならないことを言っちゃうし……そ巻き込んじゃったら、ダメだよね」

 消え入りそうな声。しっかりしなきゃと思ってるのに、行動は伴わない。

 絡める指を見下ろす。フルートを支える手。フルートだこができてる。硬くなっているそこを指でなぞる。

「ダメですよ」

 優しい声色に顔を上げた。

「そんなふうに思っちゃあ」

「でも」

「それに、いろんな人がいる中で俺を選んで連絡してくれたんでしょ? 俺なら大丈夫だって」

「それは……」

 ぎゅっと手を握る。

 福岡(ふくおか)くんならなんとかしてくれると思った。もしなんとかならなくても、良いとも思っていた。

「約束通り、俺が助けますよ」

 幼さが残る顔が、にっこりと笑う。

 その笑顔が心を擽る。温かくて、自身にも優しくなれるような朗らかさが心地良い。

「年齢なんか関係ないです。辛い時は頼ればいい。甘えたっていい。そうやって支え合って生きてくもんじゃないですか」

 彼は床をタオルで拭いた。

 先輩がいた時は熱かった湯が、福岡(ふくおか)くんがいるいまはただの水。怖いものはない。安心できる人の傍にいられたら、そんな怖い思いをしなくても済むのだろうか。

「こんなおばさんが君を頼っても、嫌じゃないの?」

「はは。嫌じゃないですよ。本当に嫌なら連絡先なんて教えないし、ここまで来ない。なんなら、ぎゅーって抱き締めましょうか?」

 冗談混じりに言って、両手を広げる。

 わかってる。本気じゃない。

 でも——体は勝手に動いていた。

「うん」

 私は福岡(ふくおか)くんの胸元に飛び込んだ。

 人の体温が肌に伝わる。温かい。久しぶりに感じる人肌が気持ち良い。

 ああ、バカだな。

 年下にセクハラまがいなことをしてる。でも、抱きしめてほしい。抱きしめたい。苦しくなるくらい。悩みがどうにでもなれと思えるくらいに。私を壊して——

 突き離されるだろうか。拒絶、されるだろうか。目をぎゅっと瞑る。拒否されるのを待っていた。

「……」

 待つ。

「…………」

 ひたすら待つ。

「………………?」

 来ない。なにも来ない。

 不思議に思い、顔を上げてみると、そこには頬を朱色に染め上げている福岡(ふくおか)くんがいた。

 すると、私も段々照れてくるもので。私まで固まっていると、福岡(ふくおか)くんは広げていた手で、遠慮気味に私の頭を撫でた。

「いまだけですからね」

 そう言って、そっと抱き締めた。

 腫れ物に触るように、優しく。

 お互いの視線が交わらないまま、暫く体温を確かめ合うように離れなかった。

「怖かったですね」

「……うん」

「俺がいますから、安心してください」

「……うん」

 それが一時だったとしてもよかった。

 恋人じゃないのに抱き合うなんておかしな話。

 福岡(ふくおか)くんは本当に私のことを変に気遣ってないんだろうなと、やっとそこで思うことができるようになった。

「ハッ!」

 わざとらしく声を上げたと思ったら。急に体を離され、福岡(ふくおか)くんはまじまじと私と視線を合わせる。

「いまから早く片付けて、家に行きましょう! 時間がないですし」

 そう言って、早い動きで床を拭いていく。

 それがもう照れ隠しだとバレバレで。なんだか、私も恥ずかしくなった。私は逃げるように離れ、食器棚の中にある食器を整えていった。

「…………家?」

 さらっと福岡(ふくおか)くん、言いましたけど、家って言いました?

福岡(ふくおか)くん、家って言った?」

「はい、言いましたよ」

「……………………」

 年頃の男の子の家に行くことになるなんて。

 流石にまずくない?

 いやいやいやいや、まずいでしょ。あのお母さんもいるんだよね。気まずいですよね。向こうも。

 体がブルリと震えた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

世間ではクリスマスイブです。

そんな日に読んでいただけて誠にありがとうございます。

もし少しでも気に入っていただけましたら、下にある評価(★★★★★)やコメントなどで応援をしてくださると、非常に嬉しいです!

是非是非宜しくお願いします!

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