3-2
「ふ、福岡くん?」
『はい』
久しぶりに訊く福岡くんの声。
ほっとするように、強張っていた全身の力が抜ける。
「いま、時間いいかな」
『いいですよ』
怒ってる?
あんなふうに突き放した私を、怒ってる?
そう思った瞬間、口が震えた。
『……眞野さん?』
まただ。またなにも言えなくなってる。
勇気を、出して。
「あの、あのね」
なんて言おう。
なにから伝えよう。
「あの、あの」
言いたいのに、上手く言葉が出てこない。
いままで起きた出来事への悲痛が、吐き出そうとする口の邪魔をする。
おかしいな。もう落ち着いたのに。
夏希のおばさんとおじさんに元気をもらったのに。
涙も枯れたはずなのに。
「福岡、くん……」
どうしてだろう。
どうして涙が溢れてくるんだろう。
「ふ、ふく……くん」
名前も言えなくなって。
寒くないはずなのに、全身が震えて。
「ふぇ……ふえぇ……」
嗚咽が漏れる。
言葉が紡げない。喉を締め付けるような苦しさが私を襲う。
言いたいのに。
夏希にも、その両親にもちゃんと説明できたのに。何故か、福岡くんになると感情が抑えきれなくなって、止まらない。
悲しいとか、辛いとか、苦しいとか、後悔もある。いろんな感情が混ざり合って、ぐちゃぐちゃになって、言葉もまとまらない。
なんで。
なんで、こんなにも涙が止まらないの。
ダメな三十代だ。福岡くんよりも先輩なのに。しっかりしなきゃ、いけないのに。
『眞野さん』
優しい声。
『大丈夫ですか?』
優しい声。
「だ、大丈夫、じゃ、ない」
聴いていたい。
「大丈夫じゃないの」
あなたの声が、私をおかしくする。
だって、ずっとずっと聴いていたいと、身勝手に願ってるの。
「助けて」
ダメだよ、そんなこと言っちゃあ。困らせちゃう。
「助けて、福岡くん」
私の方が年上なのに。
顔をぐしゃぐしゃにして、電話を切ってしまおうかと思った。
電話の向こうから、ふっと笑う声がした。
『いま、どこですか?』
「え? えっと、四つ葉病院、だけど」
『四つ葉かぁ……チャリでも電車でも時間がかかりそうですね』
少し悩むように沈黙が流れる。
『眞野さん、賀翔高に来られますか?』
「いまから?」
『はい。落ち合いましょう。直接会った方が話しやすいでしょ?』
流れ星が流れる。
「うん……うん、わかった……ごめんね、ありがとう」
『気をつけて来てくださいね』
こんなにも彼の声が聴けてよかったと思ったことはなかった。
■ ■ ■
校門に着くと、既に福岡くんはいた。
ティーシャツにハーフパンツでラフな格好だった。
その姿を見て、ドキリと脈打つ。本当に福岡くんに会ってるんだ。
「ごめんね。急に電話しちゃって」
「いいえ、大丈夫ですよ」
前見た変わらない笑顔。
ズキンと痛む心臓。
「こんな夜中に……お母さん、怒ったでしょ?」
「あー、それは大丈夫です」
そう言って、私を安心させるように笑った。
その笑顔を見た瞬間、心の突っかかっていたものがすっと消えるのを感じる。
「ふ、ふぇ……」
目から温かいものが溢れる。
ああ、ダメだ。
泣いちゃあダメだとわかってるのに、溢れては筋を作る。何度も両手で拭っているのに追いつかない。
唇を噛んで、嗚咽が漏れないようにしても、どうしてもうまくいかなくて。どれだけ隠したくても、隠しきれなくて。
それでも福岡くんにバレたくなくて、両手で顔を覆う。
「眞野さん」
名前を呼ばれて、体がびくりとする。でも、いまは声が出せない。絶対にまともに話せないとわかっているから。
「左手」
わけがわからなくて手をずらすと、福岡くんは手を差し出していた。そこに左手を添えると、ぎゅっと握る。
そして、彼は徐に歩き出した。
私は声を殺しながら泣いた。福岡くんに導かれるまま、歩いて、泣いた。
その手は温かくて、どんなものよりも安心できて。導いてくれる福岡くんの背中を一歩後ろから眺める。
「福岡くん、私、演奏会ができなくなっちゃった」
その背中に泣きながら言う。
「楽器を……お父さんから買って貰ったフルートを……会社の先輩に壊されちゃった」
「うん」
福岡くんは、ただ静かに聴いてくれた。
「夏希も、怪我を負わせちゃって……病院に……」
「うん」
「どうしよ……全部、私のせいだ」
涙が止まらない。
自責の念から、止まらなかった。
「大丈夫です」
彼の足が止まる。
顔を上げると、福岡くんは振り返っていた。
「俺がついてますから」
笑ってくれた。
夜空にある月が照らしたその表情を見て、根拠もなく安堵を覚える。柔らかく見えた月明かり。そして、誰でもない福岡くんだから。
「……ほんとに?」
「はい」
「……助けて、くれる?」
「もちろんですよ。それに」
ぎゅっと握り締められる左手。
「眞野さんのせいじゃありません。悪いのは、その会社の先輩です。だから自分を責めないでください」
「でも」
「いまは演奏会をどうにかするのが先決です。その為に、まずは必要なものを取りに、眞野さんのアパートに行きましょう」
必要なものとはなんだろう。
疑問に思いながらも、福岡くんの言葉を信じてみようと思った。
一秒も動揺を見せず、真っ直ぐ向けてくれるその視線に、信じてみたくなった。
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