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お互いに謝り、心を入れ替えてからは、夏希と衝突することはなくなった。しこりが全くないわけではないが、音楽をするのに全く支障はない。
本番まで一週間きった。
福岡くんを見かける時もある。でも、一度も話しかけることはなかった。
そして、彼もまた全く知らない人のように私へ目を向けることもなかった。
部活が終了し、校舎に生徒の影はない。音楽室には、私一人。
夏希は用事があると言って、職員室に篭っている。終わったら音楽室に来るそうだが、いつになることやら。
九月になったとはいえ、残暑は続く。暑くて流れ落ちる汗をタオルで拭く。
開けた窓から入ってくる風がとても気持ち良い。虫の鳴き声が聴こえる。鈴虫やコオロギ。他にも名前を知らない虫の声もする。
数枚の紙を持ってパイプ椅子にどしんと座った。天井に掲げるように紙を持って目を通す。
『カルメン幻想曲』
ビゼーの歌劇『カルメン』だ。
スペイン南部が舞台。タバコ工場に働くカルメンが原因で、女達の喧嘩が起きてしまう。兵隊達に捕えられた彼女は、見張り役、竜騎兵隊の伍長ドン・ホセを誘惑して脱出した。
カルメンを逃したことで牢に入っていたドン・ホセは、自由の身になって、酒場でカルメンと逢う。彼は酒場に戻ってきたスニガ隊長と揉めてしまい、密輸団が二人の間に入った。仕方なくドン・ホセは密輸団に入り、仲間になる。
ドン・ホセの婚約者であるミカエラが彼を取り戻しに来た時には、カルメンは闘牛士のエスカミーリョに恋をしていた。
よりを戻そうとするドン・ホセ。しかし、カルメンは指輪を返す。
逆上した彼はカルメンを刺殺。「ああ、カルメン」倒れた彼女を抱え、ドン・ホセは泣いた。
純情な男の悲劇。
恋が叶わないなら殺すことを選んだ彼の気持ちが、あまり理解できない。最後が死で終わるなんて残酷だなぁと思うが、ただそう思うだけでは演奏には繋がらない。
曲のイメージを作るべく、印刷した歌劇『カルメン』の物語を読むが、なんだかしっくりこない。なにが足りないのだろうかと頭を捻ってみるが、やはりピンと来ない。
歌で男を魅了したカルメン。その中で一人だけ興味を持たなかったドン・ホセに、彼女は胸に付けたカッシアの花を投げつける。
黄色い花、カッシアとはなんだろう。すかさずスマートフォンで調べる。なんとまあ便利な時代になったものだ。
「花言葉、輝かしい未来……ねぇ……」
どうしてこの花を投げつけたのだろう。
自分に興味を持たなかった男がいままでにいなかったとか?
カルメンはドン・ホセになにを見て、どう感じたのだろう。そこに純真な愛が見えたのだろうか。
「愛……」
私を純粋な愛してくれそうな人が、もし目の前にいたら求めてしまうのだろうか。カルメンのように花を投げつけなくても、もっと別の形で。
「……いないなぁ」
そんな人。
そう思ってるのに、頭の隅でチラチラと見える福岡くんの顔。そして思い出す度申し訳ない気持ちでいっぱいになって、心が苦しかった。
スマートフォンが鳴る。メールだ。メールと言うことは、きっと〝彼〟だ。
嫌々ながら画面を見ると、その嫌な予感は的中する。困惑しながら読み進めていくと、思わず目を疑った。
「えっ⁉︎ 今日アパートに来るの⁉︎」
美味しいケーキを買ったから一緒に食べよう。
こちらの都合を聞かずに誘う言葉が並んでいた。
「ハア……」
思わず、溜息が出た。頭を抱えるほどの案件に、顔を両手で覆い、呟く。
「こっちの都合はお構いなし……別に来てもいいけど、掃除してないよぉ……急すぎる……」
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
今回から第三章の始まりです。いかがでしたでしょうか?
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