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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第二章 傷付いたりもした
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3-2



   ■ ■ ■



 学校からアパートに帰る気になれなかった私は、喫茶店にいた。

 煉瓦造りの建物の両脇には観葉植物が飾られている。木目調のクラシックなドアを開けると、鈴の音が迎えてくれた。

 レザー生地の赤い長椅子に腰掛ける。大きな窓を覗けば、曇り空が広がる。

 天気が良ければ、陽の光が多く入り、店内は一段と明るい。だが、曇天の為、普段より早く空は暗くなり、店内をオレンジ色の電灯が彩る。

 耳にイヤホンをし、テーブルに楽譜を広げて、音符を目で追いかける。

 そして、カフェオレを一口。

 鼻に届く珈琲豆の芳ばしい香り。口の中は、酸味が少ない、コクのある味わいが広がる。苦味をミルクと砂糖でコーティングし、ブラックが飲めない私は、このカフェオレが好きだった。

 何度もコンサートで演奏する曲を聴いた。ピアノ伴奏の楽譜も覚えるくらいに。

 私はプロではないから、数回のアンサンブルで仕上げることは困難。だからこそ、プロのようなスキルがない分、努力で補う。

 ピアノと合わせにくいフレーズに丸を付ける。

 音程が変わりやすい音符には、矢印で、音程をどう意識しなければならないかを書く。

 曲の最も盛り上がる場所はどこか。逆に、落ち着く場所はどこか。

 鉛筆で書き続けた。楽譜が真っ黒に見えてしまうくらい、何度も何度も。頭が、体が覚えるまで。

「しほりちゃん」

 頭上からお爺さんの声が落ちてくる。

 この喫茶店のマスターだ。黒いカッターシャツに、ブラウンのギャルソンエプロン。ヨーロッパの血が半分入っているらしく、ハーフ顔とスタイルの良さから、渋くて格好いいと大人気。

 スマートフォンの停止ボタンをタッチして、音楽を止めた。

「マスター。ごめんなさい、場所を借りてます」

「ハハッ。ああ、いいんだ。客なんていないんだから、気にすることはないよ」

 マスターはカウンターに座りながら、自慢の白い髭を撫でながら口を開いた。

「演奏会がもう少しだったかな?」

「はい。九月だから、あと少しですね」

「来月か。あっという間だねぇ、ホッホッホ」

「あ、そうだ。ポスターがあるんですよ。貼ってもらっても大丈夫ですか?」

 カバンからノートくらいの大きさのポスターを取り出した。

 巻いた紙を止めている輪ゴムを外すと、露わになる秋空に向かって咲く秋桜。『クラシック好きの為のクラシックコンサート』と書かれた、自作のポスターだ。

 それを手に取ったマスターは感嘆の声をあげた。

「おお、これは素晴らしい! この秋桜の写真も美しいが、演奏者がとても綺麗で、惚れてしまいそうだよ」

「かなり盛りましたから、私の写真は」

 空笑いをする。

 人物紹介で載せた写真。わざわざスタジオで撮った甲斐があった。お見合いの写真にも使いたいほど、綺麗に撮れた。

 黒いドレスは、体の線がくっきりと出るスレンダーラインで、足元の窮屈さを解消する為に、太腿あたりから切り込みが入っている。

 勝負服のような気持ちで、このドレスに決めた。そして、コンサートではそれを着ると決めている。

「しほりちゃんって、音楽学校を卒業してないんだろう?」

「はい」

「毎年しほりちゃんの演奏会を聴かせてもらっているけど、プロみたいに上手いのに、何故その学校に行かなかったのかな?」

 不思議そうな顔をしていた。そんな実力があるなら、音大(おんだい)に行けばよかったのにと、言いたげな表情。

「それは……」

 十七の夏、音大(おんだい)に行きたいと母に伝えた。

「私も行きたかったんですけどね」

 ハハッと笑ってみせる。頬をポリポリと指先で掻いた。

「実は中学一年生の時に親が離婚したんです。吹奏楽に入って、父が母に内緒で楽器を買ったことがきっかけで、喧嘩になって……父と離れ離れになりました。それから母は音楽に対して嫌悪感しかなくて、音大(おんだい)は猛反対されました」

 視線が落ちる。

「離婚してから母の心に余裕がなくなって……。母に老後が心配だから、早く彼氏を作れ、結婚しろって言われたんですよ。困っちゃいました」

「お母さん、生活が不安だったんだね」

「はい。だから、お母さんが納得しそうな人、見つけたんです。年上で、仕事ができて、人望もあって、将来有望な人」

「へえ。じゃあ、しほりちゃんはいまお付き合いしてるのかい?」

 私はカフェオレを飲み、その水面を眺めた。

「うーん……好きになろうと、私なりに努力したんですけどね」

「付き合ってはいないわけか」

「……話が合わないというか……私が大切にしたいものを一緒に大切にしてくれないというか」

「人の価値観はそれぞれだし、合わせてもらうものでもないからなぁ」

「それはッ! ……うん、そうなんだけど。向こうの大切にしたいことは、付き合わされるみたいな……」

「なら、放っておけばいいじゃないか」

「え……?」

 マスターの言葉に唖然する。

「んー。簡単に言えば、鬱陶しいヤローってことなんだろ? ホッホッホッ」

「そう! 確かに!」

 私は腹から笑った。テーブルに置いたスマートフォンが震える。

「鬱陶しいヤローからのメールか?」

 マスターは笑いながら訊く。

「そうですね」

「しほりちゃんの表情が暗かったのは、その男のせいだったわけか」

 ハッとする。

「へ? く、暗かったですか? 気をつけてはいたんですけど」

「しほりちゃんとの付き合いは長いからね」

「そんなにわかりやすいです……? 夏希(なつき)にも似たようなことを言われたんですけど」

「ホッホッホッ! まあまあ。それも長所だ」

 そうだ! そう言いながら、マスターは閃いたような顔をした。

「今度、うちの店でも演奏してくれよ。お礼は弾むからさ」

「いいですよ。いつも美味しいカフェオレを飲ませてもらってますし」

 この店ではいろんな演奏者を呼んで、小さな演奏会を開くことがある。スケジュールを確認してから、検討してみよう。ホール以外の演奏はあまり経験がないから、下調べをしないと。

「コンサートを聴きに行くから、頑張ってね」

「はい!」

 頑張らなきゃ。

 数あるコンサートの中で、私達の演奏を選んで、わざわざ足を運んでくれる人がいる。選んでくれた人の為に、無様な演奏は聴かせられない。

「私、頑張ります! だから今後とも宜しくお願いします」

 頭を下げられるだけ下げた。

 来年に繋がるようにしなきゃ。

 アマチュアでもやれるんだって。音大の肩書きなんてなくても、やれるんだって。

 カフェオレを飲む。

 奈良栄(ならさか)先輩のことも、詳しいところまで話せなくても、ほんの少し話しただけで、気が楽になった。

 明日からもっと頑張らなきゃな。

「こんにちは」

 男女のカップルらしき人達が、喫茶店に入ってきた。

 どこに行ってもカップルか。

 そう嫌気がさしていた時、気づく。

「ふ」

 思わず口を塞ぐ。

 福岡(ふくおか)くんだ。

 しかも、下駄箱で見た、可愛らしいショートボブの女の子と一緒。若い子は駅前にあるオープンしたばかりのカフェにでも行けばいいのに。

 私は流し込むようにカフェオレを飲んだ。勿体無いが仕方がない。その場から早く逃げ出したかった。

 楽譜をせっせと片付け、マスターにカフェオレ代を直接手渡す。

「マスター、ご馳走様。また来ます」

 足早に福岡(ふくおか)くんの前を通り過ぎる。特に呼び止められることもないまま、店を後にした。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメント等応援してくださると凄く嬉しいです!

もちろん誤字脱字報告のみでも大歓迎です!

是非、宜しくお願いします!

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