2-2
「眞野さんが泣いてると気になります……心配です」
私を一向に見る気配はない。でも、それが私にとって気が楽で。
「余計なお節介……放っておいてほしいのかもしれませんが……」
ギシッとパイプ椅子が軋む。
「どうしても放って置けなくて」
彼は私を見ていた。
「俺、たぶんお節介屋なんだと思います」
そう言いながら、苦笑する。
「だから、ちゃんと言葉に出して教えてください」
「……なにを?」
聞き返すと、福岡くんはこちらを見て笑った。
「『助けて』て」
ハッと思い出す。
一人の時に、口から出てしまった言葉。誰にも伝えなかった言葉。
その言葉を訊かれていたことと、そしてそれを言ってしまった自分を再認識すると恥ずかしく思えて、顔を背ける。顔から火が出るようだ。
「あ、あれは! つい、出ちゃっただけなの。だから」
「それでも良いんです。助けてって言いたくなるほど、いまが辛いんだって言ってください」
彼は朗らかに笑う。
水が染み渡るように、その言葉がすうっと傷だらけの心に入ってくる。
「ありがとう」
素直な気持ちだった。まだ羞恥心があって、彼と目を合わせることができなかった。
「でも」
——ねえ。
「どうして、そんなに優しくしてくれるの?」
——年上の私に。
「情けなく見えない?」
——気持ち悪いでしょ。
「三十の女がさぁ、勝手に一人で悩んで、苦しんで、無様に大泣きしてる姿が」
——こんなみっともない泣き顔を見たら。
「『もっと大人になれよ』て、言いたくならない?」
言葉が過去に傷つけられた言葉と重なる。自分で言って更に傷ついて、涙が流れた。
「『ちょっと怒ったくらいで、すぐに泣くなよ』」
止まらない。
「『少し傷ついたくらいで、すぐに甘えてくるなよ』て、言いたくなるでしょ⁉︎」
元彼に言われた言葉が、止まらない。
「優しくしないでよ」
——優しくしてよ。
「もう放っておいて」
——放っておかないでよ。
「お願い」
私は、苛立つように立ち上がった。
「二度と話しかけないでッ‼︎」
そう叫んでから、我に返る。
終わった。
これで、春のように穏やかだった関係が終わった。
静かに福岡くんは立ち、ドアに向かっていく。彼の顔を見ることはできなかった。どんな顔にさせてしまったのだろうか。
終わってしまった。終わらせてしまった。
福岡くんは歩み寄ろうとしてくれたのに。私の言葉で突き放してしまった。
「あ、あぁ…………い……ないで……」
馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ!
私は、大馬鹿者だ。
電話の着信音が鳴る。どれだけ無視を決め込んでも、それは鳴り続けた。話を訊くよと、私を気遣うように。
■ ■ ■
福岡くんが去ってからかかった着信は奈良栄先輩だった。所謂、デートのお誘い。断った筈なのに、何度も何度も誘ってくる。
先輩の着信にかけ直そうか、スマートフォンの画面を遠目に眺めながら悩んでいると、別の着信が入る——夏希だった。
おかしいなと思って電話に出てみると、先生に捕まって時間がかかりそうだから、先に帰ってくれとのことだった。
楽器に付着した指紋を拭き取り、曇りのない銀のフルートを見つめる。楽器はこんなに綺麗なのに、私の心は曇ってる。
「はぁ……」
それを楽器ケースに片付け、学校を後にした。
夜道を一人で歩きながら、そこで奈良栄先輩に電話をかけ直す。
私達は別に付き合ってはいない。それなのに、先輩はちょっとお茶をすることをデートと呼ぶ。紛らわしいのでやめてほしいと頼んだのだが、軽く流されて終わった。
少しずつ、先輩の存在が大きくなると同時に、重くも感じていた。それにいまは福岡くんの件もある。全て捨ててしまえれば楽なのに。
他愛のない話をしながらアパートに着いた。その頃には、気持ちが少し落ち着いていた。
部屋に入ると、長々と話した電話を切り、ベッドに投げる。楽器を木目調のテーブルの上に置き、楽譜が入った黒ファイルは床に投げ置く。そして、身軽になった私は、ベッドに飛び込んだ。
閉じた目を開けると視界に入る、向日葵のケースのスマートフォン。福岡くんが、このスマートフォンを拾ってくれて、そこから縁ができたんだっけ。
「でも、そんな縁、ない方がいいんだよね」
ゴロンと仰向けになると、ベッドは軋んだ。
「こんなおばさんと話してると、変な噂、たっちゃうし。福岡くんに申し訳ない」
見慣れた、白い天井。
「笑顔、なくしたくない」
福岡くんが私に向けてくれる笑顔は、向日葵のような派手さはないけど、のどかな春のような温もりのようで。そして、咲いてはすぐに散る桜のようでもあって、大切にしたい。
お風呂に入らなきゃ。
そう頭で思っても、体は鉛のように重たい。そして心の底から疲れた。動きたくない。
「福岡くん……ごめんね」
あんな言葉を言って。本当にごめん。全部、あなたの為だから。
また涙が流れる。目が痛い。ぎゅっと目を瞑った。
そして、長い時間が経たないうちに、うつらうつらと睡魔が襲ってくる。
「……福岡くん……」
メールの受信音が鳴る。ああ、きっと奈良栄先輩だ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
しほり、少し福岡くん福岡くん言い過ぎな気がします。
もっと奈良栄先輩と読んでもいいような気もします。違うか。
少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメントなどをしてくださると非常に嬉しいです!
是非、宜しくお願いします!