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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第二章 傷付いたりもした
14/42

2-1

 曲の最後の音をピアノと一緒に切る。

 一呼吸置いてから、ピアノを弾いた夏希(なつき)が口を開いた。

「もう来ないのかと思った」

 フルートを持つ腕を下ろし、改めて私を見上げた。

「なんで?」

「返事がなかなかなかったしさ。ちょいと心配した」

「あーごめん。仕事が忙しくて」

「ホントにそれだけ?」

 心配そうな眼差しで私を見つめる。

 そうだよ、とすぐに口から出たらよかったのだが、何故か思いとどまってしまった。

 嘘ついてもわかるんだからと言いたげな顔に、心が痛んだ。確かに仕事も忙しいけど、本当は男の先輩と遊びに行ってた、なんて言いたくない。

 先輩と上手くいけば付き合えるかもしれない。そうしたら、結婚するかも。お母さんの小言を聞かずに済む。私も将来に不安を感じずに済む。だから、出来るだけ先輩との時間を取っておきたい。

 それが——本音?

 本当に?

夏希(なつき)

「やっぱり他になにかあるんだよね。福岡(ふくおか)くんのことでしょ?」

「ぁ……」

 久しぶりに聞く名前。

 その瞬間、心をギュッと鷲掴みするような痛みが走った。同時に、予兆なく、目から涙が溢れた。

「あれ、あれ?」

 わからなかった。涙が出る理由。

 もう一人の私が囁く。

 最低だね。あんなに学校を騒がせた張本人なのに、自分勝手に忘れようとするし、新しい男を作ろうとしてる——と。

「ご、ごめん」

 いままで、頭の隅に追いやっていた。勝手になかったことにしようとしていた。

 夏希(なつき)はずっと、あの職員室の出来事を心配していてくれたんだ。

 なのに、私は自分のことしか考えてなくて、夏希(なつき)はこんな私を気にしていてくれていたのに。都合良すぎるよ、自分。

「ごめん」

 私、最低だ。

「ごめ、ごめん」

 涙が溢れてきた。

「ごめん、夏希(なつき)

 私を心配してくれてたのに、その気持ちを蔑ろにしていた。

「しほり?」

「ごめんね、。夏希(なつき)な私、私」

 学校にあんなに迷惑かけたのに、なんの罪悪感も持ってなくて。私、最低だ。

「どうして泣くの?」

 オロオロする彼女の隣で、私はただ泣いた。

「しほり、とりあえず落ち着きな。ジュース、買ってくるから。あ、まだ楽器吹くんなら水がいいよね?」

 そう言って、私をパイプ椅子に座らせ、楽器も隣の椅子に置いてくれた。

 一人の音楽室。私の泣き声が、広い音楽室に満ちる。

 何故、泣いてるんだろう?

 何故、こんなに苦しいんだろ?

 夏希(なつき)の気持ちを蔑ろにしてしまった罪悪感から。

 本当にそれだけなのだろうか——違う。

「うぁ、ぅぅ……ぅー……」

 涙が心の鎖を溶かす。

 三十代にもなって、子供みたいに大泣きをしてしまうなんて。

 両手で涙を拭う。拭っても拭っても、新しく涙は流れ落ちた。

 胸元を掴む。

 ああ、目を背けていたけど、本当はずっと苦しかったんだ。福岡(ふくおか)くんのお母さんに言われたことも、あと——

「誰か」

 口はひとりでに動く。

「誰か、助けて——」

 本当は、先輩と付き合いたいわけじゃないことも。結婚なんてしたくない。

 お母さんの為に、お付き合いをした方がいいの。

 自分の為に、結婚した方がいいの。

 ——そうやって、ずっと、自分を騙してた。言い聞かせてた。

「もうやだ……わかんないよ」

 身を縮こませる。

 先輩に壁ドンされた時に抱いた違和感。

眞野(まの)さん」

 グシャグシャになった顔を上げる。懐かしい声に、恥ずかしい顔だと、見せられない顔だとわかっていても、顔を上げずにはいられなかった。

「……福岡(ふくおか)、くん?」

 福岡(ふくおか)くんはドアを開けたまま動かなかった。笑顔を見せず、口を閉じて、静かに私を見ていた。

 私はすぐに腕で涙を拭う。変わらないかもしれない。情けない。こんな姿を高校生に見せるなんて。

「えっと……」

 どう声をかけたらいいのだろう。考えてみたけど、言葉は続かなかった。

 福岡(ふくおか)くんは、ゆっくりとした足取りで、私の隣に座った。椅子に置かれた楽器を一瞥すると、口元が僅かに朗らかになる。

「お久しぶりです」

 一ヶ月ぶりに聞く声。ハッキリとした先輩とは全く異なる、優しい声。

「ずっと謝りたかったんです」

 伏し目がちに、彼は話を続けた。

「母から事情を聞きました。本当に迷惑をかけて、すみませんでした」

 彼は頭を下げる。

 私は慌てて「顔を上げて」と促した。すると、自然と視線が交わる。茶色の瞳は、真っ直ぐに私の瞳を捕らえた。

「謝らないで。福岡(ふくおか)くんはなにも悪くないんだから。むしろ、私の方こそ上手くお母さんに言えなくてごめんね」

「いえ、眞野(まの)さんが責任を感じないでください」

「……お母さんに怒られたでしょ? 大変、だったよね」

「もう終わったことですから」

「そっか……」

 過去のことになったんだ。ほっとしたと同時に、それでよかったのかと疑問がじわじわと奥底を燻る。

 私は自分から福岡(ふくおか)くんの目から離した。

「もしかして、他になにかあったんですか?」

「え?」

 心臓が、一瞬止まったのかと思った。

「まだあるんですよね?」

 言葉に詰まる。

 どうしてわかるの?

 どうしよう。

 なんて返そう。

 私、福岡(ふくおか)くんのお母さんのこと、忘れてましたって言えない。他の男の人で頭がいっぱいでしただなんて、絶対に言えない!

「……別に、大丈夫だよ」

 そう答えるのが、精一杯だった。

 なにも話せない。

 すると、彼は前を見据えた。口を開く様子なく、ただ前を——ピアノを眺める。

「……」

「……」

 喋らなくなっちゃった……。

 私は福岡(ふくおか)くんをチラチラと一瞥する。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、感想や評価(★★★★★)をしてくださると凄く嬉しいです!

是非、宜しくお願いします!

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