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風のフルーティスト  作者: 蒼乃悠生
第二章 傷付いたりもした
12/42

1-1

 前からあった残業が、いまは毎日のようにあり、そして休日出勤も当たり前になってきていた。

 福岡(ふくおか)くんのお母さんと初めて会ったあの日から、丁度三週間が経った。忙しい仕事に身を委ねたおかげか、もう一年も前のような出来事に思える。むしろ、もうなかったことにしたい。

 夏希(なつき)から、『そろそろ練習再開する?』と連絡が来たが、私はまだ返信できずにいた。

 仕事で忙しい。確かにそれもある。でも、私は学校に行ったら福岡(ふくおか)くんに会ってしまうかもしれない。偶然でも会うのはまずいと、考えていた。もし、また会って話すようなことがあったら、お母さんにどう説明すればいい? 私にはもう無理だ。なにも言えない。

眞野(まの)さん」

 会社のパソコンをぼーっと眺めていると、声が聞こえた。だが、なにを言っているのかわからなくて、私じゃないと思い込んだ。

眞野(まの)さん?」

 肩を揺すられた。我に返り、顔を上げると、すぐ隣には奈良栄(ならさか)先輩が立っていた。モテモテのイケメンで、尚且つ仕事を嫌な顔せず手伝ってくれる先輩。

「あ、奈良栄(ならさか)先輩。すみません、なんでしょうか?」

 急いで笑顔を作ると、先輩はデスクに小包装されたチョコレートを置く。

「疲れてるね。手伝おうか?」

「チョコ食べて」そう勧められて、手に取ってみると、それはアーモンドチョコだった。口に入れると甘いチョコレートが広がり、噛んだ瞬間にカリッと良い音が鳴る。

「少しだけ、手伝ってもらってもいいですか?」

「いいよ。あまり無理しないでね」

 甘いマスクに微笑まれて、コロッと堕ちない女なんているのだろうか。人の優しさに触れて、頬が熱い。

 奈良栄(ならさか)先輩は、本当に優しい人だなぁ。仕事を覚えるのも、こなすのも早い。人柄が良いから、人望もあるし、あんな人と結婚できたら、自慢の夫だね、きっと。

 パソコンと睨めっこしながら、そんなことを考える。未来予想図は豊かになり、止まらない。

 じゃあ、もし奈良栄(ならさか)先輩じゃない人と結婚したら?

 あのストーカーのように〝付き纏い〟の人だったら、最悪だ。

 そう考えると、一瞬、心を摘まれたような痛みが走った。

「?」

 何故だろう。なにが痛むのか。まあ、いいか。

 それにしても、あの〝付き纏い〟はなんだったのだろう。

 特に被害があったわけではない。風呂場を覗かれたこともないし、変な郵便物が入っていたこともない。鍵もちゃんと締めてるから、部屋に入られた痕跡もない。福岡(ふくおか)くんに気づかされるまでは、怖い思いを一度もしたことがない。

「……福岡(ふくおか)くん」

 誰にも聞こえない声量で、久方ぶりの名を呟く。

 元気かな。

 お母さんとの関係、あれから悪くなってないかな。

 心配はしているが、連絡することはできない。

「結局、連絡先は消せなかったな」

 自分から消してとお願いしたくせに、私は消せなくて。何度も『消去しますか?』の文字を見た。

 何度も『はい』を押そうと、指を寄せた。何度も何度も。でも、同じ数、それをやめてしまった。『いいえ』を押していた。

 何故?

 そう訊かれると、答えられない。自分でもわからない。考えても考えても、答えは得られなかった。

「〝福岡(ふくおか)くん〟て、誰?」

「ひゃっ」

 耳元に息がかかる。驚いて見上げると、そこには奈良栄(ならさか)先輩がいた。爽やかな笑顔。

「えっと、わからないところがありました?」

 任せた仕事に質問だろうか。そう思っていたのだが、

「いや? 終わったからさ、仕事」

 なんですと⁉︎

 先輩の仕事の早さに目眩がした。

「で、〝福岡(ふくおか)くん〟て誰? 彼氏?」

 悪戯っ子のように笑う。

 私は「先輩、顔が近いです」と両手で遠ざけてから、一呼吸置いた。

「彼氏じゃないですよ」

「じゃあ、なに?」

「なにかと言われたら……うーん、後輩、でしょうか?」

「そうなんだ! よかったァ」

 安堵したような表情を浮かべるので、私は首を傾げる。

「どう、してですか?」

「どうしてでしょーか?」

 少年のような笑顔を向けられて、なんだか私は先輩にとって特別なんじゃないかと、頭が勘違いを起こす。これは、勘違い。そう、勘違い。

「今日、仕事が終わったら時間ある?」

「えっと、はい。大丈夫です」

「じゃあ、また後でね」

 これはデートというのでしょうか。

 状況の変化に頭が追いつかず、しばらくの間茫然とした。すると、隣のデスクにいる同僚から肘打ちされる。

「先輩とご飯?」

「さ、さあ」

眞野(まの)さんに気があるんじゃない? 奈良栄(ならさか)先輩」

「まさかっ……んなわけないよ」

「独身同士、いいと思うよ? 結婚すればいいじゃん。応援してる! 結婚式、呼んでね!」

「いやいやいや、話が急すぎるし」

 そう否定したものの、実際は確かにそうかもしれない。私は三十三歳。先輩は私の三つ上。先輩も親から結婚の話を切り出されていてもおかしくない。母の言葉が蘇る。


『いまは一人で生きていけるでしょうけど、歳を食えば独りだなんて不安ばかりなの、わかってる? 安定の生活を手に入れないと、後から辛い思いをするのはアンタよ⁉』


 まるで呪いの言葉のようだ。どれだけ振り払っても、母の言葉がべったりとくっついてくる。現実を見ろ、呪いはそう言っているかのように思えた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、評価(★★★★★)やコメント等応援してもらえると非常に嬉しいです!

執筆活動にも影響が出てくるので、宜しくお願いします。

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