私を呼ぶ声
ぐらり、と霞む意識の中、確かに求めていた人の声を聞いた・・気がした。
「アユールさん・・・」
慌てて周囲を見回す。
でも見渡す限り、どこにも想う人の姿は見えない。
「なんで・・・。今、確かに声が聞こえたのに・・・」
空耳・・・じゃない。
絶対に、聞き間違いじゃない。
私がアユールさんの声を聞き間違える筈がない。
思わず、胸の前で両手をぎゅっと結ぶ。
アユールさんが、私を呼んでいる。
私を、呼んでくれている。
ここにいちゃ、いけないって。
アユールさんのところに、戻って来いって。
うん、私もよ。
私も貴方のところに帰りたいの。
ここでまた、意識が揺れる。
なんだか前より頻度が増えてる気がする、けど。
「・・・ヤ・・・」
あ、また。
今度は、本当に微かだったけど、確かに聞こえた。
どこ?
どこにいるの?
きょろきょろと周囲を見回しながら、一歩、一歩、進んでいく。
方向があっているかも分からない、けど。
あそこで待っていた時よりは、声が頻繁に聞こえるようになったから。
足に力を込めて、勇気を出して、また一歩、進む。
ぐらり。
意識が遠のきそうになって。
・・・あ。
そう思った時、また、私を呼ぶ声が聞こえた。
あれ?
これは・・・偶然?
アユールさんの声が聞こえるのは、いつも私の意識がぐらついた時だ。
考えすぎ、かな。
ううん、私がここにいることの方が可笑しいんだもの。
ここから離れられないから、皆のところに戻れないんだもの。
もし、アユールさんがここに来られないのなら。
この世界から目覚めて、現実に戻るには。
・・・この意識が邪魔なんだ。
また一瞬、意識が薄くなる。
ほら、やっぱり。
「サーヤ」
私を呼ぶ声が聞こえる。
「アユールさん・・・っ!」
私も、声の限りに大好きな人の名を呼んだ。
きっと、聞こえてるよね?
私には見えないけど、貴方には私が見えてるのよね?
ああ、でも。
あのガゼブの樹の下にいた時よりも、ずっと頻繁に、もっとはっきりと、聞こえるようになってる。
あの場所は駄目なんだ。
きっと、ここに私を強く引き留めてるんだ。
もっと。
もっと、離れないと。
とにかく出来るだけ遠くへ。
その後どうすればいいのかは、きっと。
きっと、私の魔法使いが教えてくれるから。
どうしてか酷く足が重たくて、ゆっくりとしか歩けないけど。
少しづつ、でも着実に、私はあの樹から離れていった。
◇◇◇
眠り続けるサーヤの額に自分のそれを合わせていたアユールは、それまで閉じていた目を開けると、「声が届いた」と言った。
緊張で強張っていた表情が、ほんの少しだけ緩まる。
「俺の呼び掛けに反応して、辺りを見回しているから間違いないだろう。いつも夢の中で逢っていた樹の側から離れたら、声が届きやすくなったようだ」
アユールの説明に、カーマインが顎に手を当て、少しの間、考え込む。
「その樹に意味があるとも思えないが、もし距離を取ることでこちらからの声が届きやすくなるのなら、サーヤが目覚めないことと何かの関連があるのかもしれないな」
「あちらからの声は聞こえるんですか、師匠?」
それまで黙ってやり取りを聞いていたクルテルが、会話に加わった。
「ああ。安定はしていないが、大体は聞き取れる。・・・どうも出来るだけその樹から離れようとしているらしい」
「・・・サーヤさんは、何かを感じたんでしょうか」
「そこまでは、まだ分からない・・・が、もしそうだとしたら、あいつも今、何とかして帰ってこようと頑張ってる筈だ。早く助けてやらないと・・・」
「大丈夫だ、アユール。とりあえず、声だけは通じることが確認出来た。もしサーヤがあちらの世界のことで何か気づいたようであれば、それをまず教えてもらわねばならん。何か大きな鍵が隠されているかもしれないのだからな」
「ああ、分かってるさ。分かってるけど・・・」
カーマインは、それ以上は何も言わず、ただアユールの肩をぽん、と叩いた。
アユールも言葉を続けることなく、口をきゅっと引き結んだ。
アユールは手に握った月光石を見つめた。
それはいつもサーヤが首から下げているもの、前にアユールが魔力を込めて贈ったものだ。
夢の中のあいつも、これを首から下げている。
それは今、アユールたちに残されたたった一つのサーヤとの繋がりで。
掌を握ってしまえば簡単に見えなくなってしまうような、ちっぽけな乳白色に輝く月光石。
今はこれだけ。
アユールは、きつく唇を噛んだ。
今は、こんな拙いものに縋るしかないなんて。
 




