ベアルーガ
近くにいなければ作用しないかもしれない。
未知の領域に踏み込むことになるから、万全を期したい、そんな話になって。
準備が整い次第、全員で洞窟内の月光石のある所まで行くことになった。
不足がないように、と、資料やら魔道具やらを一から調べ直したりして、アユールたちは大忙しだ。
ランドルフに付いて魔法の勉強を始めたサイラスまで、作業に駆り出される程で。
必然、家事全般および雑用はレーナとサーヤが引き受けて。
今日は、サーヤが一人で市場まで買い出しに来ている。
この街にも随分と慣れてきて、すれ違う人の中には顔見知りも多くなってきた。
「買い物かい、サーヤちゃん。偉いね」
そんな風に声をかけてくれるおじちゃん、おばちゃんもいる。
話せないけれど、いつもにこにこと笑みを絶やさないサーヤは、市場に来ると結構みんなから可愛がられて色々とおまけしてもらえたり、割引してもらえたり。
今日も今日とて、予定以上の大荷物を抱えて、帰路に就いていた。
市場は街の中央に位置しており、カーマインの所有する屋敷は街の外れにある。
少し大きめの森に隣接して広大な平野が広がっており、そこに街が形成されたのだ。
カーマインの屋敷は、ぽつんと一軒、街を背にして森を臨む形で建っている。
規模は全く違うけれど、生まれ育った『黒の森』が思い出されて、目に入ると何となくほっとしたりして。
だいぶ屋敷に近づいて、あと少し、そう思って荷物を抱え直した時だった。
視線を向けた先、森の方から、小さな女の子がこちらに向かって走って来るのが見えた。
年の頃は恐らく五歳か六歳、転んだのか膝が赤く擦り剝けて。
スカートはうっすらと土で汚れ、えぐえぐと泣きながら走っている。
どうしたのかな。
心配になって歩くペースを速める。
女の子も前方から歩いてきたサーヤに気付いたようだ。
「お姉ちゃん、助けて!」と大声で叫んでいる。
え? 何があったの?
その言葉に驚いて、走り寄ろうとしたけれど、荷物が重すぎて小走りにしかならない。
女の子は凄い勢いで走っていたらしく、上手く止まれずにサーヤにどしん、とぶつかった。
持っていた荷物がばらばらと落っこちたが、そんなことは気にしていられない。
腕の中の荷物も地面に下ろし、膝をついて女の子の顔を覗き込む。
息が切れているのと泣いているのとで、なかなか上手く喋れないようだ。
はあはあと息を吐いてから、ようやく話し始めた。
「あのね、あのね、マリーとお兄ちゃんとで、木の実を取りに森に行ったの。でもね、拾ってたら大きな生き物が飛び出してきて、ガァーッて吠えて・・・それで、追いかけてきたの。逃げようとしたらマリーが転んじゃって、そしたらお兄ちゃんが・・・」
話の途中でサーヤは森に向かって走り出した。
荷物も何も全部地面に転がしたままだけど、それはきっと大丈夫。
ここはもう街の外れだもの。
小さい頃から森の中を駆け回っていたサーヤは、実は意外と走るのが速い。
女の子も後ろから追いかけて来ているようだが、並んで走る時間の余裕はなかった。
大きな生き物?
何だろう。
一番危険なのはライガルだけど。
でも、この辺はライガルの生息地域からは離れている筈。
お願い。
無事でいて。
森の入り口に差し掛かった頃、正面から男の子の声が聞こえた。
何か大声で怒鳴っている。
あっちね。
木々の根でデコボコしている地面も低木も、サーヤにとってはさほど障害ではない。
ひょいひょいと身軽に避けながら声のする方へと進んでいく。
よかった。そんなに奥までは行ってないみたい。
思っていたよりも早く、マリーの兄が視界に入った。
手には大きな枝を握って、必死に振り回している。
あれは。
・・・ベアルーガ。
濃茶の巨体がじりじりと男の子に迫って行く、
どうやら、お腹を空かせて木の実を食べに来たベアルーガと鉢合わせになったようだ。
間に合って。
男の子は木の枝を振り回すのに必死で、走り寄るサーヤに気付きもしない。
ごめんね。
声が出せないから、助けに来ても分からないよね。
怖かったよね。
ベアルーガの視線がサーヤに向いた。
駄目よ。
その子は少し木の実をもらいに来ただけなの。
枝を振り回してるのは、あなたを怖がってるだけ。
あなたを傷つけたいわけじゃない。
唸り声が止んだ。
後ろ足で立ち上がって威嚇していたベアルーガが、すとんと座り込む。
「え・・・?」
男の子が呆けた声を上げる。
ベアルーガはそのまま頭を下げると、ぺたりと平伏した。




