よくある話
夜、全部の仕事を終えてから。
そう約束して、そのとき僕たちはそれぞれの仕事に戻った。
少しどきどきとしながら。
大丈夫かなって心配しながら。
だってきっと、クルテルくんは家族の話をするつもりなんだと思う。
そしてそれは、孤児の僕には生涯、手にすることのない世界の話で。
・・うん、でも。
口にするだけで、楽になることもあるし。
考えたって、出来ないことは出来ないもんね。
そうして、あっという間に約束の時間になって。
クルテルくんは僕の部屋にやって来た。
「こんばんは」
「あ、こんばんは」
さっき別れたばっかりなのに、へへ、緊張してるのかな。
お互いに少し、ぎこちない。
「えーと、お茶、飲みますか?」
会話のきっかけが欲しくて、喉も乾いてないのにそんなことを聞いてみたりして。
「お茶なら僕が淹れましょうか」
そしたらクルテルくんは、自分がやると言って立ち上がった。
茶葉を入れたポットにお湯をこぽこぽと注いで。
蓋をして、蒸らして。
器のぶつかる音だけが響く静かな時間が、ゆっくりと流れて。
そんなときに。
「・・・別に大したことじゃないんですけど」
そんなことを言いだした。
「きっと、よくある話だと思うんです。僕の家族の話なんて」
蒸らし終わったお茶をカップに注ぐ。
クルテルくんは、湯気の立つお茶を僕の前にことり、と置いた。
「僕を生んだ母は、僕が七歳のときに亡くなりました。この間訪ねてきたのは、父が再婚した義理の母です」
カップからは、ほかほかと湯気が立ちのぼる。
そっとカップに手を伸ばすと、掌がじんわりと温まって。
「でも、僕は父の顔をずっと知らなかったんですよ。ずっと・・・アデルさんたちが来るまで」
「・・・え?」
「だから僕はずっと、うちは父親がいない家庭だと思ってたんです」
「そうなんですか」
「でもね、別に寂しくはなかったんですよ。持ち家がありましたし、親子三人、それなりに仲良く暮らしてましたから」
・・・うん?
「三人、ですか?」
「はい、母と僕と、それから妹と」
「あ、ソフィさん、でしたっけ?」
「いいえ」
クルテルくんはカップを持つと、ふう、とお茶に息を吹きかけた。
「ソフィは父とアデルさんの子になります。僕より一つ下なので妹と同じ年になりますが」
・・・あれ?
ちょっと話が分からなくなってきた。
「え、と、その妹さんって」
「妹は・・・モニカは、五歳の時に流行病に罹って・・・」
言葉はそこで途切れたけれど。
ぐっと噛み締めた唇が。
カップを握る手の、白くなった指先が。
全てを語っていた。
「タルボル山の中腹にある一部の土地でしか採れない珍しい薬草があるんですが、病気の治療薬はそれしかありませんでした。でも当然、希少なのと高価なのとでなかなか手に入らなくて・・・」
話をする時、クルテルくんは、僕を見なかった。
真っ直ぐ前を見て、でもどこか焦点がぼやけていて、なんだか遠くて。
僕はただ、黙って頷くことしか出来なかった。
「それでも、妹のためにどうしても手に入れたくて・・・無いんだったら摘みに行けばいいって、家を飛び出したんですよ、僕」
「・・・」
「でも、当然、タルボル山は子どもの僕には遠すぎました。・・・結局、山に辿り着く前に行き倒れちゃったんですよね。出発して十日後ぐらいだったかな」
ここで一息吐いて、こくりとお茶を飲んだ。
「でもその時、ぼろ雑巾みたいに薄汚れて地面に転がってる僕を助けてくれた親切な人がいました。・・・それが師匠との出会いです」
「アユールさんが・・・」
「ええ。あのとき、師匠が僕のことを拾ってくれなかったら、多分行き倒れたまま死んでしまったでしょう。・・・師匠は僕の命の恩人なんですよ」
「そう、なんだ・・・」
「それから僕は、丸二日眠り続けたそうです。そして、ようやく目が覚めたけど、動けるようになるまでに更に二日かかりました。ですが心配した師匠にこちらの事情を話したところ、手伝うと言ってくれて、一瞬でタルボル山に到着してたんです」
「ああ、えっと、なんだっけ。アレでしょ、『飛んだ』ってことですよね?」
クルテルは、返事の代わりに軽く頷いた。
「師匠は、その薬草の生息地域も知っていたので、摘むのも大して時間はかかりませんでした」
そこまで話したとき、クルテルくんは一瞬だけ笑った。
「その時なんですよ。魔法使いってすごいなぁって感動して、僕も魔法使いになりたいって思ったのは。颯爽と助けてくれた師匠の姿が眩しくて仕方がなくて。こんな格好いい人がいるんだって憧れてしまって」
「・・・うん、わかります。その気持ち」
アユールさんって、ブレないなあ。
いつもどんな時でも、誰かを助けるために動くんだ。
なんて。
改めて感心したりして。
「帰りも家の前まで連れてってくれたので、行きと比べたら段違いの速さで帰ってこれたんですよ。・・・でも、僕は間に合わなかった」
クルテルくんの顔が歪んだから。
僕の頭には、嫌な予想が浮かんでいた。
「家に帰ったとき、もう既に妹は亡くなってから二日経っていて・・・母はその傍で泣いていました」
ああ、やっぱり。
僕は目を瞑った。
こんな予想、当たってほしくなかったのにって。
そう思って。




