サイラスの初恋
「おはようございます」
「おはよう、サイラス。朝早くから頑張ってるな」
洗濯物を抱えて廊下を歩いていたら、アユールさんが声をかけてくれた。
アユールさんは魔法使いで、僕の恩人だ。
意地悪なご主人さまに酷い目に遭わされていた僕を、アユールさんが助け出してくれた。
そのせいでレーナさんの身元がバレたり、アユールさんの命を狙っていた奴らが再び現れたり、色々あったのに、アユールさんはいつも通り、カラカラと笑っていただけだった。
アユールさんの叔父さまであるカーマインさんのお屋敷で働けるようになって、今、僕はすごく幸せだ。
「あ、サーヤさん」
庭の畑のところにサーヤさんがいるのを見つけた。
きっと、朝食用に使えるものを見繕っているのだろう。
僕の声に答えて、サーヤさんがぺこりと頭を下げる。
顔には明るい笑みが浮かんでいて。
はぁ、今日も可愛いなあ。
そう心の中で呟いた。
サーヤさんは、声が出せない。
後になって事情を知ったけど、悪い魔法使いがかけた呪いのせいなんだって。
本当だったら、声どころか命まで奪われていた筈の呪いで、それをカーマインさんが途中で止めたのだとか。
よく分からないけど、アユールさんも、カーマインさんも凄い人なんだ。
サーヤさんは明るくて、いつもニコニコしている。
生まれながらに呪いを受けた人とは思えないくらい、普段から笑顔を絶やさない人だ。
そして、サーヤさんは、アユールさんに恋をしていて。
その視線はいつも、アユールさんを追っていて、やることなすこと全部、幸せそうな顔して見守っている。
アユールさんもサーヤさんのことをいつも気にかけていて、声をかけたり、荷物を持ってあげたり、とにかく傍に行きたがる。
あれはきっと、両想いってやつだと思う。
サーヤさんはすごく可愛いし、アユールさんも格好いい人だから、とてもお似合いなんだけど。
そう、とてもお似合いなんだけど。
ちょっと素直に喜べない自分がいて。
少し胸が痛くなる自分がいて。
それが嫌なんだ。
サーヤさんは可愛くて、明るくて、元気いっぱいで。
いつもにこにこ笑ってて、働き者で、頑張り屋さんで。
それに・・・実は王さまのたった一人の子どもらしい。
もし名乗り出れば、王女さまだ。
僕は奴隷上がりの従者見習いで、取り柄といえば体が丈夫なことくらい。
料理とか掃除とか買い物とか、そういう日常生活のことなら人並にできるけど。
でも、そういうのってサーヤさんも出来ちゃうんだよね。
しかも僕、年下だし。
釣り合うところなんて、一つもない。
そんなの分かってる。
そもそも、サーヤさんには好きな人がいる。
王国一の実力を持つ魔法使いで、僕と違って強くて頼りになる大人で。
そんなの、よく分かってるんだ。
この屋敷に、こうして居させてもらえて幸せだって。
今は、もう誰かに殴られたり、蹴られたりしない毎日が過ごせて。
ご飯もたくさん食べさせてもらえて。
衣服やお給金まで貰えて、みんな親切にしてくれて。
とっても幸せなんだ。
・・・幸せ、なのにな。
僕って、自分で思ってたより欲張りだったのかな。
あの笑顔が向けられる先に、僕がいたら、なんて思ってしまうなんて。
でも、この気持ちは誰にも言わない。
言うつもりもない。
サーヤさんが幸せそうに笑える場所は、アユールさんの隣だって分かってるから。
だから僕は、この気持ちが自然に小さくなって消えるのを、ただじっと待っているんだ。
畑で何かを収穫していたサーヤさんが、籠を抱えてこちらにやって来る。
「サーヤさん?」
ニコニコと笑いながら、右手を僕に差し出した。
掌の上には、真っ赤に熟したナランハの実があって。
「え・・・?」
戸惑う僕に、サーヤさんは笑みを浮かべてナランハを差しだしたまま、受け取るのを待っている。
「あ、ありがとう・・・ございます」
おそるおそる手に取って、かぷり、と噛みついた。
途端に、口の中に甘い果汁が香りと共に広がって。
「わぁ、すごく甘いですね。美味しい・・・!」
思わず、笑顔になった。
僕の反応に嬉しそうに微笑むと、サーヤさんは野菜や果物をたくさん入れた籠を持って、屋敷の中に入っていった。
扉の向こうでは「持つよ」と言っている声が聞こえる。
可愛くて、優しくて、いつも気遣ってくれる人。
その人の隣には、強くて、これまた優しくて、不器用だけど思いやりに溢れた人がいる。
ああ、そうだよな。
この屋敷にいるのは優しい人たちばかりで。
僕は、ここに来れたことを、本当に幸運だと感謝しているんだ。
洗濯物を干し終わった頃、ランドルフさんが玄関の扉を開けて僕に呼びかけた。
「サイラス、朝食の用意が出来ましたよ。こっちにいらっしゃい」
「はい。ランドルフさん」
洗濯カゴを手に持って、僕は屋敷へと歩いていく。
心は、不思議なことに、どこかすっきりとしていた。
口の中には、さっき貰ったナランハの香りが、まだ微かに残っていて。
たったそれだけで、なんだか世界中の幸せをもらった気分になったんだ。
僕は空を見上げた。
突き抜けるような、青い、青い空。
雲一つない、眩いばかりの青だ。
そして、僕は目を瞑り、初恋の人の姿を思い浮かべた。
僕は、僕の初恋の人が、必ず幸せになれると信じている。
だって、彼女の隣には、不可能を可能にする王国一の魔法使いがついているのだから。