かけがえのない存在
『サリ、タス・・・。た、すけて・・・。サリタス・・・』
その声が届いたのは、夜もかなり更けた頃、カーマインが床に就こうと服を脱ぎかけた時だった。
月光石を渡してから、数週間。
レナライアからの声が届くことは、予想に反して数回ほどしかなかった。
いつもギリギリまで我慢して、自分だけではどうしようもなくなった時になって、ようやくカーマインを呼ぶ。
たった数回ほど。
しかし、それら全てが、かなり危うい場面だった。
シリルのレナライアに対する対抗心と嫉妬心は凄まじく、かといって追放するのも許せないほどまでに執着していて。
手元に置いて自らの手で苦しませることでしか気持ちが収まることのない、それ程まで歪みきった関係だった。
そんなシリルが最終的な手段としてレナライアの命を奪うであろうことは、誰の目から見ても明白で、それが実行されるのも、最早、時間の問題となっていた。
月光石を介して届けられたレナライアの通心の声は、途切れ途切れで、彼女の身に何か起きたことは明らかで。
これまでとは一線を画した更なる異常事態であると感じたカーマインは、即座に物理的な移動ではなく、月光石から気配を辿って直接その下に飛ぶことを選んだ。
そうして、なんとかレナライアの気配を探知して飛んだ先は。
王城の外へと続く長い石段。
その陰に、隠れるようにして倒れ込んでいたレナライアを発見した。
体は脱力しきっていて、目の焦点もぼやけてきている。
・・・今度は何をされたのだ?
見たところ、外傷はない。
だが、明らかに様子がおかしい。
力の全てを奪い取られたような。
吸い取られているような。
魔法か?
シリルがサルマンに何か命じたのか?
そのとき、レナライアの掌にカーマインの渡した月光石が堅く握りしめられていることに気付いた。
ゆっくりと指をひとつずつ開いていくと、それが粉々に砕けていることに気付く。
これは・・・。
保護魔法が働いた跡、か?
その上で、ここまで粉々に砕け散ったとなると。
よほど強力な魔法だったのか。
いや、これはいっそ、魔法というよりも、禁呪の類いか・・・?
目の前の苦しそうな王妃の姿を見つめる。
いずれにせよ、月光石に付与した保護魔法が発動した事は間違いない。
禁呪だったとしても、保護魔法の効果で、完全にかけきっていない可能性がある。
そうであれば、軽減が出来る筈。
その時、城壁付近を走る近衛兵たちの声が聞こえてきた。
どうやらレナライアを探し回っているようだ。
兵たちが通り過ぎるのをじっと待つ傍ら、会話にも耳を欹たせていると、衝撃的な言葉が耳に入ってきた。
放っておいても、どうせ死ぬだろう、と。
最大にして最悪の禁呪を施されたそうだ、と。
最大にして最悪の・・・。
頭の中に、悍しい禁呪の名が浮かぶ。
・・・まさか。
『亡失魔法』・・・?
その言葉に思い当たって、再びレナライアに目を向ける。
月光石の破片に手を置き、術式のトレースを試みた。
砕けていた故に、完全なトレースは出来なかったけれども。
カーマインも、はっきりと分かった。
いや、分かってしまった。
これは、亡失魔法に間違いない。
数年という年月をかけて、ゆっくりとその人の全てを奪い尽くしてから死に至らしめる悍しい呪術。
あまりの残酷さに、禁呪とされて既に百年以上経つ魔法。
それをサルマンが行ったのか。
怒りで我を忘れそうだった。
何故、ここまで憎める?
何の罪も犯していない女性を。
しかも、少しずつ、亡失魔法の効果が現れてきたようで。
レナライアの苦しみ方がどんどん酷くなっていく。
城内外も、シリルの命によりあちこちに追手がかけられているようだ。
ここにいたら見つかるのは時間の問題だ。
どうする?
私の魔力で足りるのか?
いや、可能かどうかじゃない。
何と引き換えにしても軽減するのだ。
このままでは、この姿も心も美しいこの女性が、あの醜悪な奴らに命を奪われてしまう。
まずは、移動が先だ。
とりあえず、一旦は王宮の外へ避難しよう。
そして今度こそ、逃すのだ。
何処か安全な場所へ。
邪魔が入らずに魔法が施せる場所は。
・・・あそこにするか。
ランドルフと通心を行い、必要となるあれこれを準備するよう言付けてから。
レナライアの肩に触れ、共に飛んだ。
王都の外れにあるバーテの森へと。
既にレナライアの意識はなく、ただ苦しそうに悶えるだけ。
急がねばならない。
自分に万一の事が起きた時のために、その後の段取りまで先ほどの通心でランドルフにも伝えておくことにして
他に自分が出来ることは、軽減魔法を施すこと、それだけだ。
「・・・失礼いたします。レナライアさま」
そう言ってから、そっと胸元に手を置いた。
術を施す前に、もう一度、この美しい女性の姿を目に焼き付ける。
貴女に出逢えてよかった。
心の中でそう呟いて。
カーマインは目を瞑り、軽減を施すべく詠唱を開始した。




