眼裏の美しき人
そこに存在した必然には、もうひとつ。
レナライア王妃とカーマインの出会いも、そうだと言えた。
レーナが亡失魔法をかけられた当時の状況について語るカーマインの言葉は。
ふたりの命が、まさにギリギリのところで救われたのだと、アユールたちに改めて思い知らせた。
シリルの脅迫まがいの言葉に応じる形で出仕したカーマインだったが、彼がいなければ、今のふたりはすでに存在していなかった筈で。
それは、まさに偶然が積み重なって生まれた奇跡だった。
「私がレナライア王妃を見つけたときには、既に意識は朦朧としていた」
今はもう、何も映すことのないカーマインの黄金の瞳は、広間の明かりを反射して微かに煌めいている。
聞けば、サルマンから走って逃れた後、だんだんと意識が霞み始めたレナライアは、王城の外へと続く石段の陰に隠れ、そのまま気を失いかけていたらしい。
カーマインがレナライアを発見したときには、彼女の内に最早どこにも逃げる力は残っておらず、一瞬だけ目と目があったものの、その後すぐに、倒れ込むように意識を失ってしまった。
城内はシリルの命によりあちこちに追手がかけられており、ここにいても見つかるのは時間の問題だったと。
そしてなにより、亡失魔法がレナライアの身体を蝕み始めていた。
お腹の子に術の効果が現れ始めたのか、酷く苦しみだして。
亡失魔法ーーー限られた書物の中でしか記載されていないその禁呪は、博識博学のカーマインすら、己の目で見るのは初めてで。
術者にも多大な負担を強いるゆえに、手負いの状態である今のサルマンならば目を欺くことも可能かと、カーマインは賭けに出たのだ。
たった数か月ではあったが。
この哀れな王妃の振る舞いは、常に優しさと憐みに基づいていたことをカーマインは知っていた。
他の誰に顧みられずとも、恨むことも怒ることもせず。
周囲がどうあろうと、彼女だけは正しさを追い続けていて。
花開いたリリアのように、美しく、気高く。
あの諸悪の根源である女さえいなければ。
気弱なだけの国王ひとりであれば。
王城での暮らしに、さほど問題は起こらなかっただろうに。
そう思っていたからこそ、あの気高く哀れな王妃に手を差し伸べたのかもしれない。
その結果、自分の身に何が起きるかは、分かり切っていたが。
そこに迷いなど一切なかった。
そこまで記憶を辿って、カーマインの表情に微かな笑みが浮かんだ。
・・・なるほど。確かに、私もアユールも大して変わらぬな。
カーマインの顔に浮かんだ、その微かな笑みを、甥が訝し気に眺める。
「叔父貴、なに笑ってんだ?」
「・・・いや」
今更、話しても詮無いことだ。
あの時の私に、確かに迷いはなかったのだから。
心残りは、たったひとつ。
ひとつだけ、あるけれども。
それも今は、叶わぬことと諦められる。
なにより、あの黒の森で、今も彼の女性は生き続けているのだから。
私が救った娘と共に、今日も明日も。
そうであれば、その他のことなどどうでもいい。
そう思えるようになったから。
それが今はもうひとつ、欲が出て。
あの娘に声を取り戻してやろうと言い出した、怖いもの知らずの甥に、ついつい乗せられて。
・・・だが、こうも愉快な気分になれるのなら、それも良い。
娘の声が取り戻せたら。娘の声を聞けたなら。
あの女性は、どれほど喜ぶだろうか。
嬉しくて泣くのだろうか。
「・・・では、まず月光石の作用から調べ直すとしよう」
今はもう何も映すことのないこの眼裏にすら、未だ鮮やかに浮かび上がる、いつかのレナライアの美しい姿。
あの家で暮らす今の貴女には、着飾るものなど何もないかもしれない。
だが。
それでもなお。
貴女の麗しさが陰ることはなく。
変わらず美しいままだと、信じている。
この眼が、貴女の姿を映すことはもう二度とないとしても。




