マハナイムにて
「今からトールギランに行ってくる。多分、帰りは明日か明後日になる」
ケープを手に持って部屋から出るなり、アユールは、そうレーナとサーヤに告げた。
ふたりは驚きながらも、外まで見送りに出て来てくれて。
「ずいぶん急なのね。もう外は真っ暗だけど大丈夫なの?」
「どうせ飛んで行くんだ。問題ない」
「? 飛んで行く? ・・・まぁ、あなたたちなら心配いらないでしょうけど。でも気をつけてね」
俺たちが勝手に転がり込んできただけなのに、やたらと寂しそうな顔をされてしまったのが妙に嬉しくて。
取りあえず、そのまま森の奥へと歩いて行った。
「・・・本当に、良い人たちですよね」
「まったくだ」
「あんな良い人たちばっかりが悲しい思いをするのって、やっぱりおかしいですよね」
さっきからずっと、あの母娘の心配ばかりしている弟子に、アユールは優しい眼差を送る。
「・・・ああ、そうだな、クルテル。お前の言う通りだ」
話をしながら、アユールは袋から中くらいの大きさの月光石を取り出して、クルテルに渡す。
アユールの体力をなるべく温存しておくために、クルテルの魔力を増幅して、ふたりまとめて飛ぶ予定でいるのだ。
「よし、この辺りでいいだろう。クルテル、頼む」
「はい」
アユールがクルテルの肩に手を置いて。
クルテルが、小さな声で詠唱する。
刹那、ふたりの体を光が覆う。
そして光と共に、ふたりの姿は、黒の森から消えた。
ふたりが飛んだ先は、マハナイム地方の外れ。
そこは、見渡す限り、平原が広がっていて。
その平原に、一軒だけ、ぽつんと大きな家が建っていた。
「あの家、ですか?」
「ああ。恐らく、ランドルフもあの後しばらくしたら『飛んだ』だろうから、もう俺たちのことは叔父貴に報告・・・」
「ええ、もちろん。報告済みでございますよ。アユールさま」
見れば、従者服に身を包んだランドルフが、門の前に立っている。
「俺たちが来るのも予想済みってか」
「はい。我が主人より、ここでお迎えするよう言われております。ようこそいらっしゃいました、アユールさま。そして、こちらは・・・」
「俺の弟子だ」
「クルテルです。はじめまして」
「ようこそ、クルテルさま。従者のランドルフにございます」
そう言って深々とお辞儀をする。
クルテルも慌ててぴょこんと頭を下げた。
「では、どうぞこちらへ。主人がお待ちでございます」
そう言うと、ランドルフは門を通り抜け、家の中へとアユールたちを案内して行った。
玄関を抜けて広間に出ると、中央には大きなテーブルが置かれていて、ひとりの男が席に着いていた。
肩に届くくらいの真っ直ぐな琥珀色の髪、眼が見えない筈なのに、何故か眼鏡をかけている。
その瞳は、アユールと同じ、黄金色で。
「よう、叔父貴」
「・・・アユールか。久しぶりだな」
ランドルフに勧められ、二人が席に着く。
「食事は?」
「食ってきたよ。あの母娘のとこで」
「・・・そうか。では、ヴィ―ネでも飲むか。確か弟子も一人一緒に来ていると聞いたが・・・」
「あ、クルテルといいます。僕はまだ子どもなので、ヴィ―ネはご遠慮しておきます」
「子ども・・・?」
カーマインは、少し首を傾げて、ふむ、と頷く。
それからランドルフに声をかけた。
「ではクルテル殿には、ジュルベリー水をお出ししなさい。・・・それで構わないかね?」
「あ、はい。ジュルベリーは大好きです。あと、僕はまだ10歳ですから、呼び捨てでお願いします。師匠の叔父上さまに『殿』なんて付けて呼ばれると困っちゃうので」
その無邪気な返答に、カーマインは軽く笑む。
「そうか、では遠慮なく。・・・ああ、挨拶が遅れてすまない。私がカーマイン・サリタスだ。クルテル、甥が世話をかけているな。その年でアユールの弟子に認められるとは、さぞや優秀なのだろう」
その穏やかで紳士的な態度に、クルテルは思わずアユールとカーマインを代わるがわる見比べる。
「・・・なんだよ」
「いえ、・・・さすが師匠の叔父上さま、礼儀正しく優しいお人だなぁ、と」
クルテルの嫌味に、アユールが渋面になったところで、ランドルフがヴィ―ネとジュルベリー水の入ったグラスをそれぞれのテーブルに置いていく。
「このジュルベリーは、前にランドルフが、あの家から物々交換でもらってきたものだ。なかなかに美味いらしいぞ」
「・・・いただきます」
クルテルは、そっとグラスを手に取り、こくりと飲む。
途端に、クルテルの表情が、ぱあっと明るくなる。
「うわぁ・・・。あそこのジュルベリーは、それだけで食べても甘味が濃くて美味しかったけど、これはまた格別ですね・・・!」
「そうか。それは良かった」
そう言うと、自らもヴィ―ネのグラスを手に取る。
目が見えない筈なのに、動きがとても滑らかだ。
ヴィ―ネの赤が、光に反射してきらきらと宝石のように輝いている。
カーマインはグラスを傾けながら、さっきからほとんど会話に加わらない甥に向かって声をかけた。
「・・・どうした、アユール。何か言いたいことがあるのなら、早く言ったらどうだ」