レナライア・バンテラン
「この子は、術をかけられているの。この子が声を出せないのは、そのせいなんです」
母さんが言っていることがわからない。
私の声が奪われたって。
声を取り戻せるって。
ぽかんと口を開けたまま、母を見つめるサーヤの向こうでは、アユールたちが互いの顔を見合わせている。
「・・・声が出せなくなる術となると言葉封じになるが・・・にわかには信じがたい話だな。一体、誰にその術をかけられたと言うんだ? まさか・・・」
「ええ、そうです。サルマンです。宮廷魔法使い長の」
「・・・あり得ない」
アユールは即答した。
「お前たちは、ずっとここに住んでいると言っていただろう。・・・サルマンは、王宮を離れたことがないのだぞ。それに、そもそも、サルマンがこの子に術をかける理由がないだろう」
理解できない、と言いたげに眉間に深い皴が刻み込まれる。
話に付いていけないのか、クルテルは怪訝な顔を隠せずにいて。
それも当たり前のことだ。
なにせ、当の本人であるサーヤが、まったく理解できていないのだから。
サルマンなんて人、会ったこともない。
名前だって、今、初めて聞いたのに。
しかし、レーナは目元を指でそっと拭うと、ゆっくりと言葉を続けた。
「ええ、おっしゃる通り、サルマンはここに来たことなどありません。・・・この子に会ったことも」
「では、なぜ・・・」
「術を受けたのは、私なんです。・・・王宮にいた時の私。攻撃されたことがあるって、言ったでしょう? ・・・サルマンは、呪いとして私に術をかけたのよ。お腹の中の子が、その呪いを受け継いで生まれてくるようにと」
アユールの問いを遮るように、言葉を継ぐレーナは、とても・・・とても、悲しそうな顔をしていて。
もう、あふれる涙を拭おうともしない。
透き通った涙が、後から後から、ぽたぽたとこぼれ落ちてくる。
「王宮に、いた・・・?」
アユールが、呆然とした表情で呟く。
「まさか・・・」
それからサーヤをちらりと見て。
「確か・・・13歳だった、か・・・?」
アユールが、ごくりと唾を飲む。
「まさか、あんた・・14年前に姿を消したという・・・あの・・」
アユールの言葉に、クルテルが驚きの言葉を漏らす。
「え・・・? 14年前って・・まさか」
え?
みんな、どうしたの?
何を、そんなに驚いて・・・。
そう思ってサーヤが見上げた母は、母の顔は。
この13年間、サーヤと共にこの小屋で過ごし、よく見知った大好きな母の顔は。
同じ顔、同じ優しい顔のままなのに。
なのに、まるで違う人みたいに気品があふれていて。
その美しい碧眼から零れ落ちる涙をそのままに、レーナは真っ直ぐにアユールを見据えて、はっきりとこう告げた。
「ええ、そうです。私の名はレナライア・バンテラン。バンテラン王国の第二王妃だった女です」
ーーーレナライア第二王妃。
それは、国王ダーラスに望まれて第二王妃として王家に嫁し、わずか1年足らずで突如、姿を消した幻の妃の名前。
美しく豊かな黄金色の髪に、優しげな面立ち。
透き通るような碧眼は、けぶる睫毛に縁取られて。
その麗しさは、まるで国花のカーサブランリリアの如き高貴さであったと、未だ巷で伝説のように囁かれる女性。
「あんたが、あの、レナライア王妃・・・。まさか・・・。いや、だが・・・」
自らも予想した結果にもかかわらず、あまりにも突然で頭がなかなか追いつかない。
目の前のレーナは、なんの化粧も施していない肌に、着古した服、髪は簡単にまとめあげて、手もあかぎれだらけで。
だが、同時に、これまでどうやって隠していたのかと思うほどの気品が溢れて。
髪は艶を失ってはいるが、それは確かに太陽のような黄金色。
そして、今も涙がこぼれ落ちるその瞳は、目の覚めるような透き通った碧色で。
あまりに突飛すぎて、信じ難いことではある・・・が。
戸惑いを隠せずにオロオロするサーヤの顔を、アユールがさりげなく目を走らせて確認すれば。
栗色の髪に碧色の眼。
なるほど、こうして意識して見れば、確かに似ている。
・・・そういうことか。
まぁ、あいつらなら、やりかねんな。
「・・・王の子、か」
「・・・ええ」
「けしかけたのは、シリル王妃あたりだな?」
「・・・ええ」
「・・・ふむ、やはりか。それでお腹の子に術をかけて、王城から追い出したと。・・・それにしても、よく、これまで無事でいられたな。元は貴族の姫君であり、王妃でもあった女性が、突然、こんな森の中で生活できるはずはないのだが」
「自分でも、そう思います。でも正直に言うと、気を失っていたので、どうやってここまで辿り着いたかも覚えていないの。気がついたら、この家にいて・・・」
「家に?」
アユールが興味深げに顎に手をあてる。
「ええ。意識を失っている間にでも、運んだんじゃないかしら。もちろん、それからの生活も楽ではなかったわ。分からないことばかりで。・・・でも、不思議なことがいろいろ重なって・・・」
アユールが怪訝な顔をして聞き返す。
「不思議なことが重なって?」
「・・・動物たちが、たくさん助けてくれたり・・・とか」
「動物たちが何をしたんだ?」
レーナは、両手で涙を拭きながら、にっこりと笑った。
「いろいろと暮らしを助けてくれたのよ。最初の頃は、ファルラビトやベアルーガが、木の実とか果物とか魚とか、いろいろな食べ物を戸口に置いてってくれたりね。冬になる前には、ホルクスが薪に使えそうな細木を大量に運んでくれるの。たまに、迷った商人をこの家まで連れてきてくれる子たちもいてね。道を教えてあげると、森では手に入らないような品をお礼にもらえたりするから、凄く助かったりして」
「動物たちが? ・・・それは・・・」
「分からないわ。でも私自身に、元々そんな力はなかったから、考えられるとすれば・・・お腹の中に、サーヤがいたからなのかしら? それとも・・・」
「それとも?」
「・・・いえ、なんでもないわ。ただ、すごく助かったのよ」
そうぽつりと言うと、レーナは隣にいたサーヤをぐいっと抱き寄せて、アユールに向き直った。
「私たちがどうやって生きてきたかなんて、どうでもいいのよ。それで、どうかしら? 王国一の魔法使いさん。あなたは、この子をサルマンの術から解放できるの、できないの?」
そこに立つ女性は、先ほどまでの厳かな気品など、すっかり掻き消えていて。
辺境の広大な森近くの小屋に住む、肝の座った、ただの母親の顔で。
王妃の座になど、未練も執着もない、娘を思うひとりの母の顔。
アユールの唇が軽い弧を描く。
・・・面白い。
これも奇妙な縁というやつか。
アユールは、隣でおとなしく控えていたクルテルに声をかけた。
「・・・クルテル」
「はい、師匠」
「今から俺の言うものを取ってきてくれ」
「はい、大至急、ですね」




