第二話 感染
その日、少年と少女は物資回収のために家を出た。
いつも通りの探索。
そのはずだった。
「今日は私が運転する」
少女が自衛隊の偵察バイクに跨る。
少年は適当に頷き、彼女の後ろに座った。
本来一人用の偵察バイクに二人乗りするのは窮屈で、身体をよじった。
「腰に掴まっていいぞ」
少女がからかうように笑う。
遠慮がちに少年が腰に手を回す。
女性らしい柔らかい感触がした。
「現役JKの触り心地はどう?」
「少しは酒を控えたほうがいいね」
少年は腹の脂肪を軽くつまんで答えた。
「誰にも怒られないで堂々と飲めるんだよ。止められないね」
「いずれ死ぬよ」
「酒で死ぬなら本望」
少女がエンジンを始動させ、バイクが発進する。
家を背に、終末の街へと向かう。
少年は呆れた笑みを浮かべながら流れる風景に目をやった。
焼け焦げた自衛隊の高機動車。
死体に群がる蠅。
虚ろに彷徨う屍。
見慣れた世界はもうないのだ。
この時、世界は二人だけのものだった。
放置された車で封鎖された国道を避け、裏道に入る。
住宅街の静寂をエンジン音が破る。
血に染まったサッカーボールが道端に転がっているのが見えた。
小さな男児が足でそれをつついている。
バイクが通り過ぎる刹那、男児がこちらを向いた。
虚ろな目。
滴る体液。
紛れもなく保有者だ。
変異型狂犬病は区別をしない。
男でも女でも、大人でも子供でも。
誰にも平等に長い死を与える。
目的地の大型スーパーに着いた。
郊外に建設された海外資本のものだ。
大量生産、大量消費。
かつての日常の象徴だった。
「さて、パーティーといきますか」
少女がP230を握る。
撃鉄は起こされ、安全装置はかかっていない。
彼女の攻撃的な性格が表れていた。
「お供がこんな男で申し訳ないね」
少年はH&K製の自動式拳銃、SFP9をホルスターから抜いた。
SIGP220の後継として自衛隊に採用された新型のモデルだ。
銃口に減音器を装着する。
「キミみたいなタイプも好きだよ。『ゾンビランド』のコロンバスみたいで」
少女が笑う。
八重歯がちらりと覗く。
「そりゃどうも」
彼女の笑い声を背に店内に足を踏み入れた。
辺りは薄暗い。
銃に付けたライトを点け、進む。
その後にはカートを押した少女が続く。
「お、これ食いたかったんだよな」
少女が海外のスナックを放り込む。
「ほどほどに」
「これでも体重は平均以下だぞ」
「体重と健康は別」
「キミだってガリガリな女は嫌だろ。この前した時にそう――」
呻き声が響いた。
少年が銃口を振り上げ、発砲する。
接近していた保有者が倒れる。
「私の獲物だったのに」
同じく拳銃を構えていた少女が頬を膨らませた。
「サプレッサーなしで撃ったら後が面倒」
少年が釘を刺す。
少女のP230には減音器が付けられない。
無闇に発砲すれば保有者を引き寄せてしまう。
「へいへい」
少女はおどけながらワインをカートに入れた。
それからバック一杯に物資を集めた二人は、帰路に着いた。
行きとは違い、少年がバイクを運転している。
「帰ったら飲もうぜ」
少女が少年の身体に掴まりながら声を張り上げた。
「ちょっとだけ!」
少年もエンジンに負けぬよう声を上げた。
バイクが住宅街に入る。
来た時と同じ風景が広がっていた。
減速しつつ角を曲がる。
その先に予想外のものがあった。
血に染まったサッカーボールが転がっていたのだ。
前輪が乗り上げ、バランスが崩れる。
身体から少女の温もりが消え、彼女が振り落とされたことが分かった。
バイクは民家の壁に衝突して止まる。
少年は無理やり着地した。
地面に着いた左肘に激痛が走る。
――油断した。
ボールはまだ先にあると思っていたが、男児の保有者が蹴ってここまで来ていたのだ。
記憶が残っているタイプの保有者だったのだろう。
ボールで遊んだ記憶を基に、歩く屍になった今でも『遊んでいる』のだった。
少女は全身を打ち、アスファルトの上でもがいていた。
そこにあの男児が歩み寄る。
少年は拳銃を抜き、片手で何発も撃った。
ホルスターに仕舞うために減音器を外していたが、そんなことを気にしている場合ではない。
残酷にも弾は全て逸れた。
保有者が少女に馬乗りになる。
元は子供といえど、保有者の力は凄まじい。
抵抗虚しく押さえつけられた。
少年が痛む左腕を無理やり持ち上げ、銃を構える。
低速で転倒したとはいえ、ダメージは少なくなかった。
保有者が口を開く。
顔を庇おうと、少女が腕を上げる。
そこに歯が突き刺さる。
銃声。
保有者の頭に穴が開く。
銃声。
保有者の頭が弾ける。
銃声。
保有者の身体中に穴が開く。
少年は無我夢中に撃っていた。
弾が切れ、スライドが後退する。
我に返った時には、保有者の死体は無残な有様になっていた。
「おい!」
アスファルトに横たわる少女に駆け寄った。
「やっちゃったな」
少女が呟いた。
腕の噛み傷からは鮮血が滴っている。
それだけでなく、身体のあちこちに擦り傷があった。
変異型狂犬病は保有者に噛まれることで感染する。
つまり、少女は感染したのだ。
「顔は無傷でよかった」
少女が微笑む。
ここまで傷付いても顔は守ろうとする女性らしさだった。
「大丈夫か」
少年が呟く。
大丈夫でないのは明らかだった。
しかし、他にかけるべき言葉がなかった。
「二人で飲みたかったな」
割れて中身がこぼれたワインを見て少女が呟いた。
何気ない一言が少年には痛かった。
「――殺ってくれ」
少女が目を合わせながらP230を差し出す。
感染すれば治療法はない。
殺す以外に発症を止める術はないのだ。
銃を受け取り、彼女の眉間に向ける。
人差し指に力を込めれば全てが終わる。
しかし、少年にはできなかった。
今まで何体も保有者を殺してきたが、目の前の少女は特別だった。
簡単に殺すことなどできるはずもない。
「――ったく」
少女が笑う。
いつもの笑顔だった。
立ち上がる。
転倒の痛みも感染の影響で麻痺していた。
背を向けながら歩き出す。
――少年の家とは正反対の方向に。
「もう二度と合わないように遠くへ行くよ」
顔を合わせることなく少年に告げる。
流れ出る涙を見せたくはなかった。
少年は何も言えないまま立ち尽くす。
「でも、もしまた会った時は――」
少女がそこで息を吸い込む。
「――殺してくれよ」
少年はただ彼女の背中を見つめた。
右手にはP230が握られていた。
次回でラストです~