さなぎの部屋
[ 第一幕/Y 朝の風景 ]
日曜日の朝。
寝ているところを、アゲハにたたき起こされた。近所のパン屋に行くという。
「ひとりで行ってこいよ」
俺の言葉にふってきたのは、やわらかな空手チョップだった。
側頭部にあたったアゲハのチョップは、全然痛くない。
アゲハは非力だ。ペットボトルのキャップが、回せないくらいに非力だ。だからと言って、ぶたれて良いわけではない。
俺は布団をがばりと頭までかぶった。布地がつくりだす、うす闇が心地よい。
瞼をしっかりと閉じたまま、「俺は寝ているから、行ってこい」そう言った。
閉じているはずの瞼は、けれど完璧な暗闇を運んではこなかった。アゲハが布団を持ち上げている。そこから光があたっているのだろう。
閉じたまなうらの、わずかばかりのしろさに、俺は眉をしかめた。
「一緒に行こう」
「やだ」
せっかくの休日。
俺は昼まで布団とともだちだ。アゲハの第二第三の空手チョップから逃れるように、胎児のごとく躯をまるめる。
「ねえ、一緒に行こうよ! ヨースケぇ!」
「俺は眠たい……勘弁してくれ」
「やだよ」
アゲハの声がとがる。
「パン屋さんのテラス席で食べたいんだもの。ひとりで食べるなんて、やだやだやだ」
駄々っ子みたいにわめきながら、俺の布団をべりりとむしりにくる。お前、いつもの非力はどこにいったんだ。
「持ち帰りして、家で喰えば良いだろう」
俺は布団を離すまいと、五指に力をこめながらも正論を吐く。
「だめっ!」
声は荒いのに、おでこに降ってきたのは拳ではなかった。あたたかな感触。アゲハの唇だ。
なんてこった。反則だ。
思わず俺は目を開けてしまった。
春のやわらかなひかりが、部屋を照らしている。布団の取り合いをしていたせいか、埃がひかりのなかを舞っている。眩しいほどの日差しではないのに、生理的な泪が眦に浮かんだ。
桃色の口紅をさしたおおきな口で、こどものようにアゲハは笑っている。
「おはよ。ヨースケ」
アゲハは布団から手を離し、俺の頭に両の掌をそえた。
そうしながら、ゆっくりゆっくり撫でていく。
「あそこのね。カフェオレが飲みたいの。だからふたりで行こう」
拒絶されるとは思ってもいない、決定事項を告げる声。
やさしい指先でとかされる、俺の髪の毛。
「……」
俺はねぼけたふりをしながら、アゲハを見つめた。
アゲハは決して、整った美人じゃない。鼻はひくめだし、口はおおきすぎる。けれどアゲハには、人を魅了する華がある。
陰気な俺とは、真逆なあかるさがある。
「起きた? ぼおっとしてるね、ヨースケ。大丈夫?」
ぱっつんと切りそろえられた前髪のしたで、巴旦杏みたいなでかい目玉が、俺をじっと見つめる。そうすると俺には、もう抵抗する気力がわいてこない。
そうだ。目蓋を開けた瞬間に、俺はとっくに負けている。
「ねえねえねえ。いいでしょう? ヨースケも行くよね?」
髪の毛から離れた指先が、頬骨のうえをとおり、首筋を愛撫するかのように撫でていく。
途端。背骨を中心に、ぞわわとした波がはしる。けれどアゲハは、こちらの気持ちなんてお構いなしだ。こどものように笑うだけ。俺の感情は、いつだって置いてけぼりだ。
「ヨースケぇ!」
焦れたのか、首筋からおりた手は、俺のパジャマの襟首をつかんで、ぐいぐいと引っぱる。アゲハのこうしたちいさなわがままを、「めんどう」と言う奴もいる。
俺は違う。俺はアゲハのこういうところに、滅法よわい。
「……わかったよ」
しろ旗をあげた俺に、「やったあ!」アゲハはバンザイをすると、「五分で用意ね」情け容赦ない指示をだす。
「ムリ。せめて十五分くれ」
俺の言葉を聞いているのか、いないのか。クローゼットを開けながら、アゲハは機嫌よさげに唄を口ずさむ。
London Bridge is falling down
Falling down, Falling down.
London Bridge is falling down
My fair lady.
アゲハのお気に入りのマザーグース「ロンドン橋落ちた」は、一節のみが延々と繰り返されていく。
俺は裸足で、ひんやりとしたフローリングの床を踏みしめながら、洗面所へ向かった。
わずかばかり曇っている鏡には寝起きの男の顔が、ぼんやりと映っている。ガキの頃は鏡がキライだった。今も苦手なことにかわりはない。
おざなりに髪をなでつけ、ざぶざぶと冷水で顔を洗う。
アゲハが手にしていたのは、サーモンピンクのワンピースだった。春先にあれ一枚で、寒くないのだろうか? アゲハは、だての薄着を好む。そして鼻風邪をひく。
シュークリームみたいな名前の服屋で買ってやった、しろのカーディガン。アレをもっていかせよう。
[ 第二幕/A パン屋 ]
ベッカライダンケンは、緑としろの庇がかわいいパン屋さんだ。店内と中庭のテラスにカフェがある。
テラス席は三つしかナイけれど、今日はちょうど開いていた。ラッキーだ。
あたしは喜びいさんで、ほころびはじめたハナミズキの下に席をとってから、トレーを手にした。
店内は焼きたてのパンの匂いが充満していて、それだけで幸福な気持ちになれる。
ドイツ語で、ベッカライがパン屋。ダンケンが感謝するとか、ありがとうの意味だと教えてくれたのはヨースケだ。
ヨースケは無駄に美形で、無駄に博識だ。
全身これ無駄でできているよね。ヨースケにそう言ったら、すごく変な顔をされた。
あたしの意見は多分、まちがっていない。
スポーツにまったく興味がないのに、百八十越えの長身で。こどもが大嫌いなくせに、私立高校の美術教師をしている。
ヨースケならば、もっと割りの良い仕事にだってつけたはずなのに。担当教授に気に入られ、院へ進む話しだってあった。けれどヨースケは、採用通知を受けとった途端に即断した。
ーーはやく稼いで自立したい。
ーー転勤のある仕事は面倒だ。
ーー今の部屋から引っ越しせずに通える。
などの理由をあげつらね、美術教師の仕事におちついた。もちろんそのなかには、「アゲハと暮らすだけ稼げる」という一番の理由がある事を、あたしはちゃんと分かっている。
ヨースケは甘い。
あまい顔で。あまい声と態度で。あたしをダメにしようとするのがヨースケだ。
けれど。めくらめっぽうに、イエスマンにはなってはくれない。
今だってそうだ。
大好物のデニッシュペストリーを前に、あたしは随分迷っていた。新作の洋梨と定番のダークチェリー。どちらも美味しそうで、どちらも食べたかったのに、「ふたつはやめろ」と言うなり、トングをもったあたしの掌を、ぺちりと叩いた。
ヨースケいわく。極あまのペストリーを、欲望のおもねくままに食べ続けたら、あたしは三十代で間違いなく太っちょになるらしい。太っちょになったあたしとは、とてもじゃないが暮らしていく自信がない。
そんな横暴で自分勝手な要求を、さも当然という顔でする。それが花岡葉介という男だ。
洋梨のペストリーと塩パンのサンドイッチ。それからお目当てのカフェオレを手に、テラス席に腰かけた。
風がまだちょっとつめたいね。そう言うとそらみた事かと、ヨースケはカーディガンを渡してくれる。あたしは素直にカーディガンに腕を通した。
シュープリームララの服をーー正確には着ているあたしを、ヨースケは気に入っている。
今も目をほそめながら、自分は珈琲を(ヨースケの朝ご飯はいつも飲み物だけだ)すすりながら、じっと見つめている。
「みるな」
あたしはテーブルの下でヨースケの足を蹴る。
「なんでさ」
片頬だけでヨースケが微笑む。
「かわいいから見たいんだ」
「いいから。みるな」
だってあたしは知っている。
ヨースケが今見ているのは、目の前のあたしじゃない。
あたしを通して、思いでのアゲハを見つめている。レースや花模様。ガーリーな洋服が大好きな、小さなアゲハをヨースケはこよなく愛している。
「横暴だな」
そう言うと、テーブルのうえに画集をひろげた。画集はカフェの本棚にあったものだ。あたしにはちっとも分からない、いびつなフォルムをした女たちの絵を、ヨースケは熱心に見つめだす。
ヨースケは外でスマホをあまりいじらない。あたしにも電源を切っておけと命じる。着信を知らせる音を、ことのほか嫌がる。
手持ち無沙汰になると、ヨースケは本を読む。本がなければ、ちいさなスケッチブック(なければレシートのうらやナプキン)にスケッチをはじめる。
あたしはヨースケがキャンバスに長い時間をかけて描く油画よりも、手早く鉛筆を動かして描くスケッチの方がうんと好きだ。
「ヨースケは良いよね」
「なにが?」
画集から視線は外さないまま、ヨースケが訊き返す。
「甘いもの。全然好きじゃないから。太る心配がない」
「……誕生日ケーキはちゃんと喰っているぞ」
そうだね。
義務のように、きちんとお腹におさめている。みているコッチの気分などお構いなしに、ヨースケは律儀だ。
律儀であまくて馬鹿なヨースケ。
その言葉は、さすがにペストリーと共におなかに収めた。なにせ破格のデリケートさを有する男だ。落ち込むとめんどくさい。
慎重に食べているはずなのに、ペストリーのパイ生地は、ポロポロとテーブルへ落ちていく。いくつかは膝へもおちる。そこにはすでにヨースケの予測にしたがって、大きめのハンケチが広げられている。
オレンジと黄色で、鮮やかなミモザの花が描かれている。ヨースケが買ってくれたものだ。
「俺はさ。喰うことに、あんまりキョーミがないだけだ」
いい訳のようにヨースケが呟く。
「そうだね」
あたしは何だか腹立たしい気持ちがわきあがってきて、唇をとがらせた。
「ヨースケは食べることに興味がないから、ひょろひょろだもんね」
「まあな」
ヨースケは気にもとめない返事をする。だからと言って、あたしを無視しているわけじゃない。
今だって、丸眼鏡の奥から、ちらりと視線をよこしてきた。多分。言葉の端に、嫌味を感じたからだろう。
ヨースケの探るような瞳は、ひかりのかげんで褐色に煌めいている。切れ長の、そのうつくしい瞳を、ヨースケは嫌っている。だから視力が落ちたときは、喜びいさんで眼鏡をかけたのだ。
「……喰うのは面倒なんだよ」
「面倒って言葉で、ヨースケは人生のたのしみの、三分の一を放棄している」
あたしの言葉に、「でも、」
ヨースケはすました顔を崩さない。
「三大欲求のひとつ、睡眠欲はちゃんとある。今日はアゲハに邪魔されたけれど」
そう言って珈琲カップを持ち上げたヨースケの左手薬指には、銀の指輪がある。
将来をささげたしるしの指輪を、ヨースケはとても大切にしている。けれど指輪は、友愛の象徴であって、性愛には結びつかない。
本当にヨースケは、無駄に人生を損している。
誰も愛さない。
欲しがらない。
食べたがらない。
神さまからのギフトである、綺麗な顔を毛嫌いしている。満ち足りない人生をわざと選び、退屈しているように見える。
「わっかんないなあ」
あたしの独り言に、「ん?」ヨースケが顔をあげたけれど、あたしはわざと知らぬふりをして、ペストリーの最後の一口を飲み込んだ。
ダンケンを出ると、街路樹のプラタナスが葉裏を風にひらめかしている。風は花の匂いを運んでくる。山の中腹にある故郷の風は、もっと濃いみどりの匂いがするはずだ。けれど山も街も。ひとしく春は、すぐそこまできている。
あたしはそっと差し出されたヨースケの右手を握る。
握るあたしの薬指には、お揃いの指輪がある。
いつまでヨースケの隣で、この指輪をはめていられるんだろう。そう思うと、せつなさが胸を満たしていく。けれどアゲハは元気な子だから、ヨースケの前で哀しい顔なんてしないのだ。
「晩ご飯。なにたべるーー?」
わざと能天気な口調で、ヨースケへ問いかける。
「今、喰ったばっかだろ」
ヨースケは鼻をならすけれど、目はやっぱりあまやかだ。ヨースケはアゲハに弱い。弱くてあまい。
どうしようもなく。馬鹿な兄だ。
妹に恋するなんて。ホント馬鹿だ。
[ 第三幕/Y それは勘違いか、盲目的な信頼か ]
放課後。美術準備室にいると、ノックのあとすぐに、「しつれいしまーす」声と共に扉が開いた。開いた先にいるのは学ラン姿の斎藤だった。
斎藤は美術部員の二年生だ。
十六から十八の、生徒の顔を俺はほとんど覚えられない。全部がぼんやりと似てみえる。
俺は顔よりも声で判断する方が得意だ。そのなかでも、自信をもって名前と声が一致するのは、顧問をしている美術部員くらいだ。
「せんせー。いる?」
「扉は開いているし、俺がいるとお前は確認済みじゃないか」
「だね」
屈託ない肯定をしながら、斎藤は俺が招きいれる前から入ってくる。
「コーヒーのませてよ」
「一杯百円。出世払い」
「はいはい」
美術部員の何人かは、昼休みや放課後。こうして準備室に顔をだしては、俺が淹れているサイフォンの珈琲をねだる。斎藤は慣れた様子で、「出世払いノート」と部員がよぶ台帳に記名する。
「これ。ちゃんと払った先輩いるの?」
手にした紙コップにコーヒーをそそぎながら、斎藤が尋ねる。
俺は陶器のカップを使っているが、こいつらは部費で購入した紙コップを使う。生徒会へ提出する会計簿に紙コップをどのように計上しているのか、俺は知らないし、関心がない。
「企業秘密だ」
「いないんでしょう?」
「ノーコメント」
「せんせーらしい」
「ふん」
斎藤の言葉に鼻を鳴らしながら、俺は眼鏡のブリッジを押しあげた。
せんせーらしいと斎藤は言う。だがせんせーらしい俺を、咄嗟に想像できなかった。
教師らしいというのか? 俺が?
斎藤の言葉は、じわじわと俺のなかにはいりこみ、落ちつかない気分にさせる。
果たして。俺はいつ先生らしくなっているのだろうか。それは斎藤の誤解か、希望的観測ではなかろうか。もしくは盲目的な勘違いか信頼だ。
勘違いならばマシだ。それは斎藤が人として未熟だから導きだされた発想であって、今後の成長に伴って「勘違い」を訂正できる可能性がある。だが信頼ならば危険だ。
盲目的な信頼であれば、斎藤は途方もない馬鹿か。あるいは純粋であるがゆえに、裏切られ続ける人生をおくるはめになる。
俺はうるさくて、自己中心的なこどもが基本好きではない。だからと言って、身近なこどもを心配しないわけではない。
「斎藤よ」
俺の呼びかけに斎藤は紙コップを片手に振り返った。反対の手にはイーゼルを抱えている。どうやらデッサンでもするつもりらしい。
「なに? せんせー?」
「斎藤。人生はながい。重々に気を配って歩いていけよ」
「なに? それ?」
斎藤がぽかんとした声で聞き返す。きっと阿呆面をしている事だろう。
こういう時に表情がよく見えないのは、絵を描く立場として惜しいなと思う。
俺は斎藤の質問には応えずに、ペインティングナイフを画布に走らせた。「変なせんせー」と呟きながら、斎藤は準備室を後にする。
教えても実践に活かせるかどうかは、斎藤の今後の経験次第だ。そして俺に、教える資格はない。
画布のうえでは、やたら首のながい女がじっとこちらを見つめている。
生きている人間の顔はぼやけて見えるが、絵のなかの人間の表情は理解できる。
俺は犬の顔も猫の顔もわかる。
彼らの機嫌よさげな感じも、怯えた顔つきもわかる。
植物、食材、無機物の色形がわかる。
街並がわかる。空や海の色が、複雑なコントラストが分かる。
OK.ここでまでの問題点を、俺は充分に理解している。
オカシイのは俺の頭のなかであって、目の玉じゃあない。
俺の不安定だったあたまのなかは、おかした罪の後(しかし本当に罪なのか? 俺にはそう思えない)、さらに強固な混乱に陥った。多分死ぬまで治らないだろう。
かまやしない。
人の顔がうすぼんやりとしか判別できなくても、人生に損害はない。アゲハの顔だけははっきり分かる。それだけで、俺は前向きに生きていける。
ペインティングナイフから絵筆に持ちかえる。
再現されつつある、モジリアニ作「大きな帽子をかぶったジャンヌ」を、俺はうしろに下がって眺める。
自分のオリジナルの絵に興味はない。いくら上手く描こうが、俺の絵にはメッセージがない。ならば模写をとおし、偉大な先人たちのメッセージを受け取る方が、空っぽのオリジナルを描くよりも数倍マシというものだ。
モジリアニは好きだ。生きざまも好きだ。
ここに描かれているジャンヌ・エビュテルヌはモジリアニのモデルであり、内縁の妻であった。
彼の愛した女の絵は、見る者を戸惑わせる。
絵のなかの彼女の蒼い瞳には、睫毛はおろか虹彩さえない。真っ青に塗り潰された瞳は異質でありながら、とても魅力的だ。
モジリアニは三十五歳で病死する。彼の死の二日後に、妊娠九ヶ月の腹を抱えたジャンヌは、自宅のあった五階の窓から投身自殺をする。
ジャンヌはまだ二十一歳であった。腹の赤子も死んでいる。
ふたりの純粋な完結に、俺は焦がれる。
※ ※ ※ ※ ※
俺とアゲハは似ていない兄妹だった。
俺は背が高くて、アゲハは小柄だ。
俺の髪は猫っ毛でくるくると渦を巻き、茶色で、アゲハの髪はまっすぐでまっくろだ。
俺は鼻筋が通って高く、面長で、視力が悪く、根性まがりだ。
アゲハは誰ともすぐ仲良くなって、忘れっぽい。単純で、目がよく、丸顔だ。
俺はアゲハが好きで、アゲハは父も、俺も、友人もクラスメイトも好きだという。どうしようもない母親も、決してキライとは言わなかった。
俺には理解しがたい寛容さだ。俺は俺さえ好きになれない。
俺が十二歳。アゲハが五歳の春に、俺たちは母親に捨てられた。その事実に気がつくまで、随分ながい間、俺たちは母親を待っていた。
派手で美しかっただけの母親が、どうして無骨な家具職人の父親と恋におちたのか。俺にとってはナゾであるが、尋ねたことはない。
アゲハはもしかしたら知っていたかもしれないが、俺は知りたくもなかった。
その当時の俺が学校から帰ってまずする事は、母親が戻っているかの確認だった。作業所をのぞき、父だけだったらアゲハに声をかけてバス停へ向かう。
峠から一本だけ伸びる幹線道路が俺らの待機場所だった。そこで街からのバスを待つのだ。
母親の「家出」は今までにも度々あった。父と喧嘩をしたり、田舎暮らしが退屈になったと言っては、無責任に家をあけた。
だからある意味俺らは慣れっこだった。
俺はアゲハの左手を握り。アゲハはオレンジ色のトラのぬいぐるみを握りしめていた。アゲハが退屈すると、ふたりでしりとりをしたり、けんけんぱをした。
アゲハはよく通る声で、ロンドン橋落ちたを歌ったりした。
見栄っぱりな母親は、田舎くさい子供にしたくないと、自分はしゃべれもしない英語教育を俺らにしていた。俺は興味をもたなかったが、アゲハは喜んで英語のCDを聴いては覚えていった。
バスが空の時はガッカリして。人影が見えるとドキドキした。けれど降りてきた乗客が赤の他人の時は、そいつに問答無用で殴り掛かってしまいたくなっていた。寂しかったからじゃない。落胆したアゲハの顔を見るのが辛かったからだ。
そうやって。晴れの日も。雨の日も待っていた。夕方になり。家の窓がオレンジ色に染まると、つないだ手をほどき、家路についた。
すぐにも帰ってくると思っていたのに、三週間がすぎた。さすがに今回は、いつもと少々ちがうと思いはじめていた。
春がすぎ、しとどに雨ふる夜だった。
「母さんは、もう帰ってこない」
夕飯の席で、父は俺たちへ真実を告げた。しずかな。おもたい声だった。
ただの家出じゃなかった。離婚なのだと、咄嗟に思い、慌ててその考えを振り払おうとした。けれど父の苦渋に満ちている顔が、俺に否応無く現実を突き付ける。
「帰ってこない? じゃあ、あたし達がママのところへ行くの?」
アゲハは幼すぎた。ゆえの邪気のない質問が、室内を情け容赦なく打ちのめす。
「……いや」
父がみじかく頭を振った。
「じゃあどこで暮らすの?」
「ママはどうするの?」
「ママはどこにいったの? いつ会えるの?」残酷な質問が続いた。
父は「いや」と、首をふるばかりだった。俺はいつの間にかカラカラになった口を開けたまま、なにひとつ言葉を挟めなかった。ただ父の様子に、ただならぬものを感じた。
「ーーじゃあ、あたし達、」
そう言いかけたアゲハの手をつかみ、俺は「ごちそうさま」急いで席を立った。アゲハは手にご飯茶碗をもったままだった。
びっくりしているアゲハを引きずり、ふたりで部屋へこもった。俺たちがいなくなった茶の間から、父の嗚咽が聴こえた気がするが、気のせいかもしれない。
思いだしたくない。とおい記憶だ。
母親がいなくなったと知れわたった途端、陰口をいたるところで聞いた。やれ付き合いが悪かった。婦人会活動をしていなかった。田舎者だとバカにした態度で、高飛車だった。
一番堪えたのは、母親に男がいたという噂だった。その男と一緒になる為に、俺たちは捨てられたという。
俺は耳をふさいで、アゲハと家に閉じこもった。父は。父はどうしていたのだろう。
「……ママは忙しいだけだよね? 帰ってくるよね?」
俺の手を握りしめて、すがるように見上げてきた、アゲハのまっくろな瞳は思いだせるのに、父の記憶は曖昧だ。
「ねえ。アゲハ、ママに会いたい」
アゲハの言葉に、その時の俺は嘘をつけなかった。
「もう。かえってこないとおもう」
俺の言葉にアゲハはトラのぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめた。アゲハは、トラが走り回って、ぐるぐるまわって。バターになるはなしが大好きだった。トラは母親が去年の誕生日にプレゼントしたものだ。今年のプレゼントは多分ない。
「……ごめん」
俺があやまる必要はない。けれど「ごめん」をくりかえした。
学年があがるにしたがって、母親から捨てられた可哀想な子供というレッテルは顕著になっていった。
まだちいさかったアゲハは、臆せず同世代のこどもと遊んでいたけれど、俺にはできなかった。
母親似の俺は、どこにいても肩身が狭かった。
今思えば時間の経過と共に、周囲のこども達はいつも通りに戻っていたのだと思う。けれど俺自身が他人の反応や目つきを想像しては勝手に傷つき、臆病になっていた。
母ゆずりの、色素のうすい髪や色の白さが疎ましかった。できれば、まわりに同化したかった。
入学式。学習発表会。運動会。どこにいても誰かの母親が目にはいる。
俺はだんだん独りを好むようになっていった。父も俺を救ってはくれなかった。互いにたがいの瞳のなかに、母親への出口のない感情を読み取っては、そっと目をそらせた。
アゲハだけが、俺に気を遣うことなく、側に居てくれた。共に捨てられたアゲハだけが、俺にとって、もっともちかしい暖かさだった。
「アゲハ、ずっといっしょにいる。ずっと。ずっと仲良しでいよう」
アゲハは一人でいる俺の手を握って、そう言ってくれた。
「ずっとだ。誰がいなくなっても。居場所がなくなっても。俺らはずっとずっと一緒だ。ふたりでいよう。そうしよう」
俺はアゲハの幼い躯を抱きしめた。
アゲハは俺のひかりになった。
アゲハが母親に似ていなくて良かった。
神さま、ありがとうございます。
俺は両親の遺伝子には感謝しない。俺たちを兄妹として、身近においてくれた神へ感謝した。
[ 第四幕/A 偏愛の軌道 ]
ヨースケがおかしくなったのは、母親に捨てられてからだ。
わたしはそれを後に知った。
もしわたしがもっと前からヨースケの隣にいて気づいてあげられたら。そうしたらヨースケを助けてあげられたかもしれない。そう思うと悔しくて仕方ない。
ヨースケはアゲハだけを愛した。
他は全部つけたしみたいなものになった。
母親似の顔をことさらに嫌って、中学時代は鏡という鏡を拒否した。
ひどい時は鏡に映る自分の顔を目にして吐いた。
家中の鏡を見ずにすまそうとした。三面鏡は常に閉じ、それ以外はさかさまにした。
母とよく似た面影を、ことごとくナシにしたがった。すごい執念と努力だった。
ヨースケは努力だけは、きちんとする。それは人生を彩るための力というよりは、常にうしろ向きの方向ではあったが、努力できるのは一種の才能だ。あるいは執念だ。
ヨースケは執念で自分の容貌から目をそむけ続けた。あのままだったらヨースケは成人する前に、己で己の目を潰していたかもしれない。
混乱していた彼を、正気の対岸に繋ぎ止めてくれていたのはアゲハだ。
幼子のまっすぐな信頼の眼差しは、彼のこころを少しずつではあるが、満たしていってくれた。
ヨースケは前髪を伸ばし、眼鏡をかけた。
他者への感心を示さず、殻に閉じこもることでヨースケは自分を守り、精神の均衡をはかろうとした。
故郷を出るために一心に勉強をし、それ以外の時間は、アゲハとだけ共にいた。
妹と歌い。本を読んでやり、強請られると絵を描いた。
チューリップ。バラ。ひまわり。
トナカイとサンタ。
うさぎ。やぎ。キリン。
なかでも妹を喜ばせたのは、お姫様の絵だった。ヨースケはいつも妹そっくりのお姫様を描いた。オーロラ姫も、シンデレラも。すべてアゲハの顔だった。ただしどんなに妹に強請られても、トラの絵だけは決して描かなかった。
ぐるぐると廻り回ってバターになってしまうトラは、盲信なこども時代の自分と共に、彼の頭のなかに封じ込まれた。
花岡葉介は、アゲハによって再生しようとしていった。アゲハは彼にとって、生まれ変わるための、第二の母親でもあった。
彼は高校から地元を出て、そこで妹との距離は物理的にできた。但し、会わなかっただけで、メールなどの連絡はしつこい程していた。
アゲハへの執着と愛情が、距離ごときで揺らぐはずがないと、彼は自分の気持ちを信じていた。また妹もそうであるはずだと、疑いもしなかった。
人付き合いは下手であったが、絵を得意とし、将来は教育学部の美術課程へ進みたいと、前向きな姿勢をみせていた。実際彼はその夢を叶えた。高校からさらに遠い大学へと進んだ。
そのままであったならば、多少不器用でも充分魅力的な美しい青年となっていただろう。
だが再生の途中にいたヨースケを壊したのも、アゲハであった。
わたしはとても悔しい。
ヨースケとアゲハ。ふたりの物語を知る者として。
ヨースケの側に居て、なのに愛されない者として。叶わなくても彼を愛した者として。
傍観者の自分が、悔しくてたまらない。
※ ※ ※ ※ ※
花岡揚羽を演じるのは、わたしの仕事だ。
※ ※ ※ ※ ※
ヨースケが愛した妹。花岡揚羽。享年十七歳。
ヨースケが二十四歳の時。最愛の妹は地元で死んだ。
死因は溺死。
大雨の夕刻。アゲハは町外れの用水路に転落して死んだ。
父親が胸を痛めたのは早世した娘よりも、壊れかけている息子であった。天に召された娘をいくら嘆いても、戻ってはこない。しかし今生に残されている息子はどうなるだろう。
母に捨てられ。妹に去られ。
父親はヨースケが今度こそ全てを拒絶し、壊れてしまうと覚悟した。しかし違った。
妹の訃報に帰宅した彼は、憔悴した様子ではあるが、比較的マトモに見えた。少なくとも泣きながら家中の鏡を拒否した中学時代よりはマトモな態度であった。
いつあつらえたのか。手足が規格外にながい彼にぴったりの喪服姿に、不謹慎にも頬を染めた参列者がいたそうだ。
わたしの手元には、当日の写真がある。
親類縁者が映っているその写真のなかで、ヨースケはどこか達観したような表情をしている。どうしてなのか。父親は頭をひねった事だろう。
写真に残る彼の顔は、マトモだ。皆が、彼は社会人となり、大人になったからだと感じたかもしれない。
だがそれは違う。ヨースケの目には、しずかな狂気が満ちている。
あたしは写真を投げ出して床へ寝転んだ。
この部屋は、アゲハの孵化しない思いでを閉じ込めるための、ヨースケのお城だ。そしてあたしはこの舞台の道化師だ。
以前のあたしは掃除が好きだった。
今はしない。だから床はいつも埃っぽい。
けれど平気だ。なぜなら花岡揚羽はよく言えば、おおらかで、悪くいえばガサツだったから。
床に投げ出しているチョコレートの箱から、ひとつ摘まんで寝転んだまま口にする。
花岡揚羽はあまいものに目がないから。
英語の歌を覚える。できるかぎり流暢な発音をこころがける為、日がな一日CDを聴いた。
レースや花柄。しろやピンクのガーリーな服を着る。まっすぐな黒髪をくしけずる。おにいちゃんとは呼ばすに、甘えた声で「ヨースケ」と呼ぶ。
あたしは、むくわれない恋こころを抱いたまま、こわれているヨースケと共にいる。しんどい。正直逃げ出したくなる時もある。けれどこれは、あたしの仕事だ。
売れない劇団員だったあたしに声をかけてくれたヨースケ。
台本は亡くなった妹のアルバムと、携帯電話に残されたメール類。それとヨースケの思いで話し。
ヨースケがどうやってわたしを見初めたのかは訊いていない。余計な詮索はしないのが条件だ。
ここで生活をしていれば衣食住が保証される。アルバイト代まではいる。
劇団をしながらの条件を、ヨースケはのんでいる。時々は劇を観に来てくれる。ヨースケが顔をだすと、「◯◯の彼氏、かっこよすぎ!」仲間が黄色い声をあげる。
自分の名前が、耳からこぼれて落ちていく感覚に襲われた。ソレハアタシノナマエダッタダロウカ。チガウキガスル。
他者からアゲハと呼ばれないのが、苦痛になったのはいつからだろう。
壁の時計が午後八時をさす。
もうすぐヨースケが帰ってくる。「ただいまアゲハ。ひとりで寂しかったかい?」そう言って、あたしを抱きしめる。
あたしは「お腹がすいた」そう言ってヨースケの胸に飛び込むのだろう。ヨースケはきっとあたしの額にやさしいキスをおとす。けれどそれは唇にはおちてこない。
ヨースケは変態だけど(あたしはそう確信している)近親相姦を望んではいない。そういう意味ではノーマルだ。ただ彼は、妹を誰にも渡すつもりはなかっただけだ。いつまでも二人で居たかっただけだ。だからーー
あたしは目を瞑る。ここから先は、決して仕事に持ち込んではいけない、ストーリーだ。
台本代わりのアゲハのメールを頭のなかで反芻する。
『ヨースケへ なんと彼氏ができました! えへへ、やったね!! こんどヨースケにも紹介します』
アゲハが溺死する半月前にうたれたメールだ。
可哀想なヨースケ。
母に捨てられて、次は妹が約束を反故にすると思ったのだろうか。いや、いくらなんでもわたしの考え過ぎかもしれない。答えは全て藪の中だ。解答を求めなければ、あたしはアゲハのかわりとして、兄妹ごっこを続けられる。側にいられる。
インターホンが鳴った。
しあわせの音だ。
彼が狂人であろうと、極度のシスコンであろうと、関係ない。アゲハになりきり、ヨースケに甘やかされ、彼の隣に居続けたい。
「ただいま。アゲハ」
愛する兄が帰って来た。
完
作中曲/マザーグースより「ロンドン橋落ちた」一部抜粋。
本曲に関しては、著作権がきれています。和訳にすると訳に対する著作権が発生するケースがあるため、英語表記としました。
原稿用紙換算枚数約 38枚
締め切りギリギリでなんとか書き終わりました。ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
以下、作風にまったく合わない後書きですので、イヤな予感がする方はスルーしてください。
作者は、小学生時代からの年期の入った筋金入りのシスコンです。「わたしの妹が可愛くて仕方がない」と妹大好き人間でした。姉妹仲は良好ですが、いくぶん妹にうざったがられています。笑。
「シスコン」としてのヨースケくんには全く同情も共感もできませんでした。ちがうんだ! 妹を愛するっていうのは、もっと違う形なんだ! まったくおまえって奴はあああっ!! と、心中で吼えながら書いていた珍しいパターンでした。
モジリアニは大好物です。「ゆがみ」という一面を描く事で、なんとかキャラとしての花岡葉介を好きになれました。
余談ですが。マザーグースの「ロンドン橋落ちた」には、人柱の意味もあるようです。
感想等いただけると大変励みになります。ありがとうございました。