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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アリウスの乙女

作者: さくら比古

古い塩漬け作品を取り敢えず出します。スミマセン!


 嗚呼、なんということだろう。

 契約に縛られたこの身が締め付けられるように軋んだ。

 衆人環視の中、ただ一人この喜劇の舞台に上げられてしまった。

 目の裏に父や母、兄の顔が浮かんでは消えてゆく。

 神の御前で契約させられた『勿忘草(アリウス)の乙女』たる私と、この男との婚約と言う名の契約。望んで受け入れた訳では無いというのにこの仕打ち、この有様に、この国の行く末を想うと私の中は悲しみで充たされてゆく。

 男の背後に立つ幼き日々を共に過ごした彼等の変わりようにも、怒りより憐れみを感じている。

 どうかもう、これ以上何も言わないで。そう言えたならば運命の歯車は逆戻(さかもど)りしてくれるだろうか。


「聞いているのか!マリア・アリウス」

 耳障りな怒声に、現実が戻ってくる。

 王国の国立高等教育学院イスルグ学院の大食堂。

 私一人を対面に、一人の少女を守るように数人の少年たちがこちらを()めつけていた。

 皆、幼き頃より共に過ごしてきた少年たち。穏やかで楽しいひと時を過ごしてきた記憶は、もう少年たちの中からは消えてしまったかのようだった。

「低い身分の出身とは言え学院の生徒として共にあるこのエミリアに、身分を盾に非道の限りを尽くしたとは、見損なったぞ」

 ナイル・エリース。宰相の息子とは歴史や治政について語り合った。幼い頃は病弱だった彼の世話を任され、医療について学んだのだったわ。

『マリア・・・僕は父上の跡を継げるだろうか』

 揺れる眼差しが求めている答えを幼いながらに必死に探し、共に泣いたこともあった。

「君と言う人は・・・見損なったよ」

 クレディ・ファルス。神殿長の庶子だった彼は、微妙な立場にあった自分を見失うことがあった。常に不安定だった彼の為に神殿に詰めた日々。私があげた守り石を捨てたと聞いたのは一昨日の事だった。

「裏でこそこそ卑劣なことをやっておいて、表では知らん顔して俺たちと居たなんて!反吐が出るぜ」

 バッカス・レイン。騎士団長の息子。体を動かすことが大好きで、学問となると3階からでも逃げ出していたわ。探し出して連れてくるのが私とナイルの日課だった。

 皆、少女を守り私に嫌悪と憎悪の眼を向けてくる。

 彼等の憎悪が私を侵してゆく。胸の奥の開いてはいけないあの・・・がカタカタと音を立てている。

「・・・君がこんなことをしでかすなんて。信じていたのに。

 父上や母上が国際会議でおられぬこの時に、だからと言って時を置いては再びエミリアに何事か起きてしまうかもしれない」

 嗚呼、何という人かしら。答えは初めから用意しているのに御自分で下すこともできないの?

 貴方が授業も公務も放棄して彼の人エミリアに執心しておられたのは、市井の井戸端までにも知れ渡っているというのに。

 国王陛下より下された婚約の契約に異議申し立ては認められていたというのに、貴方はただ下を向いて応も否やも無く婚約は成立してしまったというのに・・・。私が『アリウス』というだけで決まった婚約。幼馴染の私を妻にすることなど思いもつかなかったという顔。

 醜くはないけれど十人並みの顔立ちの私の数倍も美しく愛らしいエミリア。

 『アリウス』を娶らなければ王位に就けない不幸な自分に酔っている男に、誰が思いを預けられるだろう。

「こんなことを引き起こすような人間を王妃に、国母にするわけにはいかない。

 私・イルグスト王国王太子ハロルド・イスラールはここに婚約破棄を宣言する」

 カタカタとなる胸の奥が一層激しくなる。

 いけないと思うが、もうこのままどうにでもなるがいいとも思う。

 私たちを取り巻く学院の生徒も教師も、王太子の宣言の前から私にきつい視線を向けている。この茶番は何もかも誰かの書いた脚本通りに進行しているのだ。

 自分たちが何をしているのか、何を目撃しているのか。彼らがそれを知った時にはもうこの国は消滅しているだろう。

 思えばあの英明な国王陛下が、この事態に気づかぬ筈もない。それでもなお放置し国外に出られたのだという事は、そういうこと(・・・・・・)なのだろう。あの方の闇の深さに今更ながら妃殿下やその父の内務大臣の罪の大きさを感じる。

 王太子と言う第二王子(ハロルド)にはもしかしたら英雄王の血もアリウスの血も継がれていないのかもしれない。その疑惑は彼等をこそ迷わせたのだろうか。

「恐れながら。

 国王陛下お立会いの下成された契約です。何事やあろうとも、神殿で神の御許で成された契約を王族である(・・・・・)ハロルド様といえど勝手に破棄する事はできませんわ。

 なぜこのような事態になったのか、私には未だ理解できません。

 何かの誤解擦れ違いがあるようですので、お話は両陛下ご帰国までお待ちいただけないでしょうか」

 震える胸を抑えようやくと訴えた私に、王子は醜いものを見るように眉を寄せ、隠しから巻紙を徐に出し掲げる。

 ドクンと打たれた鼓動に息が詰まる。

「父上を待っていることなど出来ん!幸いここに契約の証書がある。

 たかが紙切れ一枚反故にするくらいこの場でできるわ!!」

 嗚呼、鍵が、鍵が!いけない・・・

 掲げた証書を王子が破り捨てた瞬間、胸の奥にかちりという音が響いた。

 わっという歓声が上がり、衝撃で座り込んだ私を乱暴にバッカスが立たせそのまま腕を拘束する。

 神殿の奥に収められた証書を持ち出したのはクレディ。不憫な我が子可愛さに神殿長は取り出し方を教えてしまったのだろう。

 契約の証書が破かれた今、神殿長はその意味を知ったでしょうね。

「お前が行っていた罪の全てを告白してもらうぞ。

 ことは重大だ。次期王太子妃エミリア様に対して行ってきた非道の数々全て吐かしてやる」

 意気揚々と私を引き回すバッカス。馬鹿な人。

 私を城の牢へ連行すれば騎士団長の御父上にも知られてしまうわ。

 きっとあの方は貴方を殺して御自分も・・・王国の行く末を見ないで済むのならばそれも幸せなのかもしれない。

 鍵は回されてしまった。

 もう時は動き始めている。彼らが気付いた時には・・・いえもうすでに始まっているだろう。

 嗚呼、陛下。それ程までに絶望されておいででしたの。王国を滅ぼしてしまってもいいとまで。

 思えばこの婚約の時から始まっていたのですね。


「マリア!」

 この声は・・・お兄様?

 どこに?どこにおられるの?

 私だけではなくその場にいる誰もが凍り付いたように動けなくなっていた。

 広い大食堂に響き渡る大音声。心なしかバッカスの身体が小刻みに揺れ、クレディとナイルは紙のように白くなっている。

「・・・何をしているバッカス・レイン。妹からその汚い手を離せ」

 静かな口調で兄上が威圧を掛ける。バッカスは私から飛び退(すさ)り、硬直している。

 アリウスの本家であるアリウス家に於いて、当代である父親よりもその名を知られるダウケント・アリウス。文武で王国に並ぶ者無し、押し出しの強い偉丈夫で彼の名を知らない者は王国どころかこの大陸のどこにもいないと言われる人だ。

 王国の貴族階級の中でも爵位を持たない上位家として力を持つ謎の一族『アリウス』。その一族は数代毎に必ず王妃を輩出してきた。

 伝説の英雄王とアリウスの乙女の故事に所以(ゆえん)するその繋がりは、決してアリウスの当代が政に関わらないという事実から貴族社会に受け入れられてきた。

 前王妃もマリアの従姉であったし、現王太后も父の叔母だった。

 彼女たちの生家はアリウスの領地に引っ越し、王都に一度も出て来ないのだ。王妃に自分の娘をという貴族たちは当てこすりすら出来ず、精々地団太を踏むぐらいしかできないと言われていた。

 それが私が気付かないうちにいつの間にか外堀を埋められ、今日この日に婚約破棄ひいては王国の滅亡に至る事態を引き起こしたのか。

 兄上に抱きしめられ少し落ち着いてきた頭に、兄上がことも無く答えてくれた。

「何を考えているかわかるぞマリア。なぜこんな事態になったのか?とな」

 男臭いそして強い笑みを浮かべ私を抱き上げると。

「この場にいる者はな、お前がいなくなれば自分が甘い汁を吸えると思っているのさ。

 この馬鹿な女に誑かされたぼんくら共よりはこすっからい連中だ。だがな、この王国の真実を知らん浅墓さ故に己らがやったことの意味を理解できんのだ。どうせ皆なくなるんだ。捨て置け」

 抱き上げた私を抱えたまま椅子に座った兄上は、そうだろうと周囲をねめつける。

 びくりと縮こまるのは大人たちも同様だった。

「お父様とお母様はどうされていますか?」

 心配だった肉親の動向が今更ながら気になった。

「親父殿が一族共々引っ越しが完了したと知らせてきた。

 今度の国は選び放題で、外交官どころか国王や皇帝自ら列に並んでるとさ」

 面白くもなさそうに告げる兄上は少し疲れているようだ。

「あとはお前を連れてゆくばかりという事で俺が来たんだ」

「あの・・・王太后様は?」

 ギリッと音がしてそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。

「あの方は、陛下の尻ぬぐいではないがこの王国の国母だったのだからと殉ずるとだけ・・な」

 そんな・・・潔い方ではありましたが、あの方も『アリウス』である以上ともにありたかったのだけれど。

「陛下は?」

「クソッタレ!!」

 ダンとテーブルを叩く兄に近くにいた女生徒が卒倒し、落ちた食器が派手に音を立てる。

「あの方の弱さは知っていたが、罪もない国民やマリアを傷つけたことは許せん!

 一発殴ってやりたかったがな、エイの河(死者の河)を渡っちまったらもう引き戻せんからな仕方がないが、残された者が後始末をせにゃならんのは納得がいかんと思わんか?」

 ひゅっと喉が鳴る。同じように幼馴染たちも声を無くし青褪めていた。

「ち、父上が死んだと言うのか?何故だダウケント・アリウス!」

 狼狽え叫ぶ王子に五月蠅そうに兄上が吐き捨てる。

「五月蠅えよぼんくらの頭領が。第一罪人が俺様の名前を呼ぶ資格があると思っているのか」

 どういうことなのか理解ができない。という顔で固まってしまった王子に、健気そうにエミリアが寄り添う。今回のことが無くても二人に対して何ら思う事のない私も、溜息しか出なかった。

「罪人とはどういうことだ!私ではなくマリアこそ罪人であるのだぞ。

 罪人の肉親として其方も連座すべきなのだ。

 誰か!この痴れ者を捕縛しろ!!」

 喚き散らす王子に、誰も動こうとはしない。そんな初めて(・・・)の事態に王子は呆然とするしかなかった。

「いいか?お前のおつむに理解できるかは知らん。だが、親切な俺様が親切にも教えてやろう。

 先ず、この国の法の下この国の王の立ち合いで正式に神殿で結ばれた婚約という契約を、王の許可なく、不正に手に入れた契約証書を破ることで破棄した。

 正式に契約し規約に縛られる身でありながら、乙の立場の人間が甲の立場の人間を不当に糾弾しそれを理由とし契約を破棄した。

 契約者の身に在りながら不義密通をし、その上婚約者であるマリアを陥れ無実の罪で投獄し処刑しようとした。

 王族ではあるが王太子を僭称し、他者から様々な利益を得ていた。

 現王妃の不義密通で()された身でありながら、前王妃及び前王妃の一子である第一王子暗殺を企てた外祖父の内務大臣より真実を聞かされてなお王太子を僭称し続けたこと。

 申し開きはあるか反逆者ハロルドよ」

 淡々と告げられる断罪の言葉に、周囲の者達の息を呑む音まで響き渡りました。

 一緒になって私の断罪の視線を送っていた人々が顔を見合わせお互いに顔を伺っている様子に、ふんとばかりに兄がねめつけるのを何処かふわふわとした心持でいる私がいました。

 現実逃避と謗られても甘んじて受けましょう。

 見渡す人々の行く末を思えば考えることを無意識に拒否してしまうのも無理はないと思いませんか?


「う、嘘だ!偽りを申すな!

 私は正しくこの国の王子で兄亡き後は王太子として正式に立太子も受けたのだ!

 母上の不義など、しょ、証拠はあるのか?あるわけがない!

 お祖父(じい)様が兄上を謀殺したなどと・・・どこまで吾らを愚弄するのだアリウス!!」

 狼狽え目を血走らせながらハロルドが叫ぶさまに、私たちでなく周囲の人間も不信の目を向けてきます。

 お兄様は私を脇に寄せると凍えた瞳のまま、淡々とお答えになられました。

「一度だけしか言わん。よく聞いておけ。

 お前の母は前王妃に陛下を取られたのだと言う妄想に憑りつかれ、父であるお前の祖父と謀り前王妃を暗殺した。

 まんまとその空いた椅子に座りこの国での女性の最上位として君臨する夢を見たが、陛下は亡き王妃を想い一向に自分に手を付けなったばかりか一言さえ与えられなかった。

 形骸化していた後宮で一人冷えた寝所に押し込められ、王妃としての公務にさえ呼ばれなかった。

 屈辱と子を成すことのできない状況に焦ったお前の母親は、陛下に睡眠薬を盛らせ行為をねつ造した。

 お前の真の父親は成人後から付けられていた護衛官・マクス・オルソン。その関係は子を成すまで続けられ、お前が王子として(・・・・・)誕生したその日に殺された男だ」

 衝撃にはくはくと喘ぐハロルド。もう周囲の者は何をどうしていいのか判らないという態で固まっている。

「殺したのはお前の母親だ。オルソンが欲を出して脅してきたものだから、内務大臣を頼り殺させた。その遺体はスラムの最奥に捨てられ、最後は下水溜で身包み剥がれて浮かんでいたそうだ。

 そして、お前の母たちは王子が生まれた以上は邪魔な第一王子を亡き者にしようと暗躍した。

 中々効く様子がない毒に苛立ち事故を装うも躱され続けたために相当焦れたようだが、ある日、偶然に偶然が重なり第一王子は命を落とした。予想もしない事でな」

 そこからは誰もが知っています。第一王子の悲業の死を。

 健康で陽気な気性だった第一王子は、本来ならば私の婚約者でありました。

 まだ幼く年の離れた私に、飽くことなくお声を掛けてくださり、折折には素敵なお土産を持ち我が家に訪問して頂いたりもしたのです。

 あの日は珍しく駄々を捏ねたらしいハロルドを伴われてのご訪問でした。

 終始不機嫌で私に不満があるのかしつこく絡まれたので、疲れた私は自室へと下がらさせていただいたのでした。

 ふと、階下が騒がしく、使用人たちが慌ただしく行き交う気配に私は廊下へと出ました。

『いけませんマリア様!』

 普段は声を荒げたことのない側付きのエリが声を上げたので思わずすくんだ私の耳に、

『第一王子様が!」

 と叫ぶ声が入りました。

 その時私は止める手や声を振り払い階下へと走りました。

 中央階段の裳裾が広がるように設えた最後の段で仰向いた第一王子が倒れておられました。

 その頭の下から赤黒い血のようなものが染み出してカーペットに広がっていくのです。クラリと揺らいだ体を支えたのが誰なのか、覚えていません。気が付けば私はベッドの上で、第一王子の葬儀は三日前に終わっていたのです。

 幼いながらにお慕いしていたあの方の笑顔をもう見れないのだと思うと、悲しくて悲しくて泣いて暮らした日々は忘れられず、その気持ちがその後第二王子ハロルドを心の中で忌避する因となった思います。


「咎人ハロルドよ。この国の王は立太子を済ませた後、王医指導の下毒を始めとするあらゆる薬への耐性を付ける訓練をする。

 陛下がお前を自分の子ではないという実証は無かった。だが、お前の母親を抱いていないことは覚えてらっしゃったのだ。

 それなのに存在するお前の事を陛下は放置された。そして、愛する妻を殺したのが誰だという確証も得られた。

 それからはたった一人の我が子を護るためにお手を尽くされあらゆる危険から遠ざけることに苦慮されたのだ。護衛兼友人として異例に召し上げられた俺に真実を全てお話になられ同志として第一王子を護ることにお心を砕かれた。

 それなのに、あっけなく逝ってしまわれた。

 その瞬間からだろう、陛下が狂われたのは。悲しみ苦しんで恨んだ。この国を民を巻き込んでも構わないと思い詰めるまでにな」

 嗚呼、悲しみが滲み出してきます。胸の中をゆっくりと湧き出すその凍えるような感情は、在りし日の良き思い出まで侵食してゆくのです。

 愛した者を亡くされた陛下の深い悲しみが、奪われた怒りが、どんどん流れ込んでくる。

 そんなにも憎かったのですね陛下。それ程までに。

「そ、そんな・・う、嘘だ!嘘を言っている!

 やっぱりアリウスはこの国に禍を呼ぶのだ。滅ぼすべきなのだ!」

 第一王子殺害の件で第二王子を取り囲んでいた人々の輪が広がって行きます。周囲に疑心暗鬼の視線を彷徨わせ、誰もが言葉を発することさえ出来ないでいるようでした。

「本当に何も教えられていないんだな。

 因みにだが、お前の母親は陛下の手によってお前の父親の元へ送られた。文字通り身包み剥がされてな。お前の父親と違って生きたままだから、今頃は自分の犯した罪を懺悔する時間ぐらいはあるだろうがな」

 ひゅっと息が漏れました。真っ青な顔色の第二王子は母親を奪われた怒りや悲しみではなく、はっきりと自分の死を感じ怖れに震えていました。

「お前の祖父は城の肥壺に落とされた。他に関係した者は罪の軽重問わず処刑された。

 陛下の今際の際に間に合った俺は問うたのだ。

 陛下を狂わせたお前の母親たちは当然の報いだが、そこに罪もない国民も巻き込む理由をな。

 陛下は仰せられた。

『愛した王妃の死を悼むことも許されず、国民はあの女を娶ることを歓迎したのだ。王妃との愛し子まで奪ったあの女をな。理由はそれで十分ではないか』とな」

 悲しみが全てを染めてゆきます。人々は衝撃に揺れています。私の乾いてしまった瞳を満たす涙のせいでしょうか。

「馬鹿な女と欲をかいた父親が、陛下の全てとこの国の滅亡を招いた。その象徴がお前だ。

 『アリウス』を得んがために放たれた雌犬に踊らされて、まんまとこの事態を招いたのだ。国が亡びるその姿を目に焼き付けて死ぬがいい。

 さあ、マリア疲れただろう?父や母が待っている。行こう。

 ああ、お前。そこの女。お前の雇い主なら体中から火が出て死んだぞ。報酬は諦めることだ。雇い主の国もその火が飛び火して焼け落ちたそうだから帰る家も無いかもな」

 幼馴染たちに護られるようにして立っていた少女が愕然と立ち尽くしている。

 そう言う事でしたか。『アリウス』を知っていても名前ばかりだったようですね。

「ど、どういうことです!ダウケント・アリウス」

 ナイルが震える声で兄に問い掛けます。

 兄はふんと鼻を鳴らし、振り返ります。

「某帝国の工作員だ。『アリウス』の恩恵を得るためにこの国からアリウスを引き剥がそうと画策していたのだ。

 この女の一族は薬師でな。人を操ることに長けている。だが、本当の『アリウス』の事は知らなかったようだ」

「ア、アリウスと言う一族は、この国が亡びると言うのはどういうことなのですか?」

 ナイルは騙されていたことを自覚したようでした。そして、自分の犯した罪を問います。

「神の雫を賜った神人の裔の一族。故事に依ればこの国の初代王を助けたアリウスの乙女が王の妻となり、愛し子を妻に迎える限りこの国を護ることを神が約束された。

 当時大陸は混沌としており、魔の者が闊歩する時代だったからな。神の護りが無ければ人など一日も生きていけなかった時代だ。

 その恩恵への感謝は時と共に薄れ、国王の血筋の者がアリウスの女に固執する程度にしか思われないようになったがな」

 ナイルの口からは深い悔恨と謝罪の言葉が漏れ落ちました。しかしもう遅いのよナイル。鍵は開けられてしまったの。

「ぎいいいい!ギャアアアア!!」

 いきなり物凄い叫びが上がります。慌てて人々が見遣ると体中から火を噴きだした彼女が倒れ込んでいました。ごろごろとのた打ち回る彼女に成す術もなく、真っ黒い人型となった彼女はもうモノを言うことが出来なくなりました。

 王子や幼馴染たちが立ち尽くす中、人々は恐慌状態となり、食堂は阿鼻叫喚の苦鳴に満ちています。

「馬鹿め!貴族だろうが商人だろうが目端の利く者なら持ち出せるものを持って今頃国外に出ておるわ。

 家族にすら要らぬ者と切り捨てられた愚か者どもよ。王子たちに殉ずるがいい。

 アリア、行くぞ」

 いつの間にか現れた兄の愛馬に押し上げられ私は馬上の人となります。あちらこちらから救いを求める手が差し出されますが、私が取るべき手はありません。

 王子が何やら喚き立てていますが、直に人の波に飲まれてゆきました。

 幼馴染たちは皆呆然と私たちを見送ります。

 ナイルは深々と私たちに頭を下げます。嗚呼、ナイル。私達の時間はもう途絶えてしまったのですね。真実に。

「眠れ、マリア」

 兄の大きな手が私の瞼を閉じます。

「はい、兄さま」

 そこまでが私の覚えている限りです。その後、王国は隣接していた魔の森に呑まれて無くなりました。

 大陸の歴史からも。何もかも無くなってしまいました。


ああああ、昏い。



読んで戴き感謝感激!

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― 新着の感想 ―
[一言] お花畑の一族だけではなく、国民すべてが断罪されるというあまり見ない悪役令嬢モノでした。この路線の話をもっと読みたいと思います。また機会があればお願いしたいです。ありがとうございました。
[良い点] 練られた設定。 さくら比古さまの作品は設定がしっかりしたものばかりなので、短編だと惜しい気がします。 もちろん短編としてまとまっていますから、もうちょっと先を望んでしまいます(笑) […
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