文明の潮流(トレンド)
技術と政策は、文明社会を支える二本柱です。
文明には『技術が進めば社会が変わる。 社会が変われば政策も変わり、
その政策がまた次の技術の開発を促す』といった発展の循環があります。
またその中では、技術なら農業技術、工業技術、情報技術……、
政策なら技術的政策、経済・社会政策、人的資源政策……というように、
中心的な技術や政策も変わってきたと思います。
自作小説『Lucifer』シリーズを書く中で考えた文明論です。
1 〝文明の星〟
文明発展には意外と単純な、自然の成り行きというか必然の道筋、
潮流があるのではないかと思います。
なぜ、農業技術の次に工業、情報技術が生まれたのか?
それぞれの発展段階で、どんな政策が重要になってくるのか?
文明活動の本体である経済・社会活動を支える二本の柱、
科学・技術と制度・政策について、考えてみました。
自作SF『Lucifer』や『Lucifer 断章』を
書く中で考えた 文明論が、もとになっています。
それは、文明の成立や変化を、
次の六つの要素によって説明する仮説です。
まず文明活動を、Ⅰ 科学・技術(事実認識/知る)、
Ⅱ 経済・社会活動(現実行動/行う)、
Ⅲ 制度・政策(意思決定/決める)に分けます。
次に、それらに必要な内外の環境条件として、
①物的資源(科学・技術が経済・社会政策を豊かにするのに必要)、
②人的資源(制度・政策が経済・社会政策を健全に保つのに必要)、
③自然・社会環境(制度・政策が次の科学・技術を開発するのに必要)
を加えます。
これらの各要素を、変化や課題となる順に並べると、
Ⅰ→①→Ⅱ→②→Ⅲ→③となります。
さらにそれらを、ダビデの星または籠目といわれる、
六芒星の形(✡)で図示すると、
文明の様々な事柄を分かりやすく説明することができます。
私はこれを、〝文明の星(The Star of Civilization )〟と名付けました。
(より詳しい内容は、『 天使な悪魔の文明論 』にも書いていますので、
よろしかったらご覧ください。)
2 技術
技術においてはまず、
果実や動物を探して野山を彷徨わなくても、
食べ物を手に入れられるようになりたいというので、
農業技術が生まれました。
次に、でもまだ農作業や製品加工は重労働だったので、
力仕事を代わりにやってくれるものがあればいいなということで、
動力機関を中心とする工業技術が生まれました。
そして、便利な動力機関ができたら、
速く、遠くまで移動できる交通手段を安全に誘導・管制したり、
遠くに移動した人と通信したりできるようにも、なりたい。
大量・高速に作られて動く、物や人、お金の流れをさばいたり、
大きな力で正確に動く機械を自動制御したりする必要も出てくる。
そこで電気工学を経て、情報技術が生まれました。
さらに科学・技術が発達して、経済・社会活動が複雑・加速化し、
制度・政策が高度化すると、
人間の頭脳だけで考えて、それらの活動を行うのが
大変になってきます。
そこで、これまでは人々が考えて試行錯誤で行うしかなかった、
経済・社会活動上の臨機応変な対応や[[rb:弛 > たゆ]]まぬ改善が必要な仕事、
さらには技術の開発・利用や政策の立案・実施なども
機械に助けてもらえたらいいなというわけで、
人工知能(AI)技術が生まれ、発達しつつあるのだと思います。
以上の技術の本質を振り返ってみると、農業技術は体外物質の利用、
工業技術は体外動力の利用、
情報技術は体外情報処理(通信・記録・演算)手段の利用、
そしてAI技術は体外知性(自己改良型の演算指示)の創造といえます。
やはり技術は段階を踏んで、その難易度に応じて、
易しいものから難しいものへと発達したようです。
ところで技術には、他の文明要素との関係で、4つの種類があると思います。
経済・社会活動に直接働きかけて変革をもたらし、文明の発展段階を画する
いわば〝直接ルート〟としての主力技術、
主力技術の物的資源化を助け、次の主力技術を生み出す可能性がある
いわば〝間接ルート〟としての関連技術、
科学・技術の研究・開発を助ける
いわば〝自助ルート〟としての研究・開発技術、
制度・政策の立案や実施を助ける、
いわば〝互助ルート〟としての社会工学的技術です。
この章であげた農業、工業、情報、人工知能といった技術はいずれも、
文明の発展段階を画する主力技術なので、
技術における〝文明発展の潮流〟は、
同じ主力技術の内部における技術の変遷といえましょう。
3 政策
政策にも、他の文明要素との関係で、4つの区分があります。
経済・社会活動に直接働きかけて人々の利害を調整する、
いわば直接ルートとしての経済・社会政策、
政策の立案や実施、改善に必要な人材を確保する、
いわば間接ルートとしての人的資源政策、
制度・政策を立案・実施する組織内の予算配分や人材育成を行う、
いわば自助ルートとしての行政管理政策、
科学・技術の健全な開発や普及を助ける、
いわば互助ルートとしての技術的(いわゆるハード的)政策です。
文明発展の循環が繰り返される中で見られる技術の潮流は、
主力技術という、直接ルート内における主役の交代だったのに対し、
政策の潮流は、上記4つのルートが交代で主役を演じるものです。
しかしそれも後述のように、別の意味ではやはり難易度に応じた、
変化の流れといえると思います。
まず農業~工業段階においては、
灌漑・都市設備の建設や戦士階層の組織化、富国強兵のように、
富を増やしたり、守ったりする土木・軍事政策のような、
技術的政策の比重が相対的に見て大きかったと思います。
工業~情報段階においては、
殖産興業から福祉国家化、さらなる産業・金融や社会政策の発達のように、
豊かになった富を再分配・再投資して、社会の安定とさらなる豊かさを求める、
経済・社会政策の割合が増えてきました。
そして現在、情報~AI段階の社会においては、
先進国における少子高齢化からくる医療・福祉費の増大、
途上国における若年人口の爆発が紛争の原因となるというユースバルジ仮説など、
育児・教育や、精神・社会面も含む健康といった、人間自身の問題への注目から、
教育・保健といった人的資源政策の重要性が増しつつあると考えます。
近年の国連における〝人間の安全保障〟といった政策も、
資源・環境問題や貧困・紛争の解決に当たり、そうした課題を解決する鍵が、
国際的な支援自体ではなく、支援を受ける人々自身の力にあるという、
人的資源政策重視の表れといえるのではないでしょうか。
特に少子超高齢化に対する取り組みは、
人類の次なる文明段階を画するような、
技術や政策の開発・企画に役立つと思われます。
なぜなら、成年人口の半分近くが高齢者となっていく社会において、
社会の高齢化からくる大変な状況や悲惨な事件の増加を許し続けることは、
道義上はもとより、実際上も難しい。
ほとんどの人々が人生の半分以上を中高年として過ごす社会で、
そんな選択をすれば明日はもう我が身、
自分の首を絞めるに等しいからです。
誰もが歳をとるわけなので、
誰か他の人々のせいにして済ますわけにはいかず、
〝我々〟自身の問題として、責任を持って考えることができる、
ある意味では良い時代なのかもしれません。
もちろん将来のことも考えるなら、より少数の子ども達で、
より巨大化し、複雑・加速化していく社会を運営していってもらう必要がある。
そのためには、育児・教育・適材適所など次世代人材の確保と活用も、
人間的かつ合理的に行ってゆかねばならない。
ただでさえ少ない子ども達に、より多くの高齢者などを支えながら、
より大きく難しく、急速に変わる社会を担ってもらわねばならないのに、
子どもの貧困や心身の健康問題への対策が足りず、
学級崩壊や学習困難を増やしたりすれば、
その先のことは考えただけでも恐ろしい。
より少ない犠牲や損失、費用、危険で、
より多くの福祉や利益を得ようとするのは、
良くも悪くも知性に伴う無制限的な欲求と、それによる危険性と可能性を備えた、
人間の業であり、性でもあります。
他に選択肢がなければ、深刻な状況となってしまうかもしれませんが、
そうしなくても済む新しい技術や政策は今、まさに生まれつつあります。
個人と同様、文明の発達にも適度な負荷と恩恵が必要なのだとすれば、
現在はむしろ絵に描いたような、ピンチはチャンス!の時代にも見えます。
もしこの段階の課題をクリアすることができれば、
その次のAI(人工知能)~宇宙開発(本格的な進出)段階には、
さらに産業の省人化、労働の頭脳化、社会の分権化が進み、
皆が政策管理者となって、以上全ての政策をバランスよく運営する、
行政管理政策の比重が高まっていくのかもしれません。
4 まとめ
繰り返しになりますが、
技術革新によって変化する経済・社会活動を健全に保ち続けるため、
政策の重点もまた変わってきました。
まずは、富の生産を増やして守る技術的政策。
世界史の参考書にある、国家の起源に関する学説にもあるように、
灌漑水路を築いて収穫を増やそう、軍隊を作って穀倉を守ろうというのは、
大昔の時代において、まず必要となる政策だったと思います。
次は、増えた富を適切に配分して、さらなる繁栄を得る経済・社会政策。
多くの税金を集めて使い、困っている人々を助けたり、
次世代産業を育てたりというのは、
より技術が進み、豊かになった社会でないと難しい。
その次は、さらに進んだ技術を用いて、
人道的な資質向上を図る人的資源政策です。
文明が発展していく中で、人間自身が衰えていってしまったら、
どんなに富を作って分けても、楽しめないし賄えないからです。
今では生活が向上し、大勢が一緒に物事を考えられるようになる一方、
大勢が皆で考えるべき、大きな自然・社会的な問題も見えてきました。
他方で、少子高齢化からくる経年・経代的な健康水準の低下や、
人間にしかできなかった仕事も行えるAIの出現により、
人々自身のあり方も問われるようになっています。
人間誰しも、自分達の能力が落ちたとか、
ついていけなくなっていると認めるのは嫌なものだし、
自分達以外の人々だけを悪者にするようなこともあったので、
これまでは政策課題にしづらかった。
しかし今では、昔なら戦争や災害、疫病、貧困があると助けきれなかった、
私のような虚弱者や、誰しもどこかが弱る高齢者などにつき、
より大勢を助けることができるようになってきた。
人々の能力自体を医療や教育で向上させて支援し、
より複雑加速化した社会活動の担い手になってもらうことが、
技術的に可能になりつつあり、政策的にも求められる。
( ↑ ここらへん自分の近未来にも関わるので必死[笑])
それができたら、さらにその次は、
一緒に協力できるようになった人々みんなが参加して、
どんな政策を考え、どう行っていくかという行政管理政策。
技術を活かして富を増やし、社会が豊かになったら富を分け、
それを維持できる人材も確保できるとなったら、
最後の課題は、それらの政策をバランス良く実施できる態勢づくり、
総合調整の政策になると思います。
そうした行政管理政策の中では、
より多くの人々による(民主化や官民協働)、
より多くの人々のための(全地球化や政策間連携)、
より高度な(価値多様化やAI導入への対応)政策へという変化の中で、
最大限に人間を活用し、最も人類文明の発展が図れるような政策を、
立案・実施していけるかが問われていくのではないでしょうか。
農業段階の技術革新・社会変化・政策変更、
工業段階のそれら、そして情報段階のそれら……と、
やはり政策も難易度に応じて、必要な段階を踏みながら、
文明発展の循環を重ねていくほど、
各循環の後の方まで考えられるようになっていくようです。
新しい技術と政策によって、
人類文明がこれからも発展し続けられるよう、願っています。
こうした流れは、自作小説『Lucifer』シリーズ を
書く中で考えつきました。
よろしれば、お読みいただけましたら幸いです。