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2017年/短編まとめ

夜闇の中に君と沈む

作者: 文崎 美生

金混じりの茶髪に、ヘーゼルの瞳で、甘ったるい匂いに良く合う、甘ったるい容姿。

端的に言えば、女性が好みそうな顔立ち。

中性的で線が細く、その上、立ち振る舞いが紳士的で、女に甘く、強か。


下がり気味な目元の端に、ぽつりとアクセントのように置かれたホクロは、妖精のホクロのようだ。

妖精から送られたホクロは、異性を魅了する魔力があるとか、ないとか。

まあ、それっぽいだけで、それではないだろう。


「悪魔に加護を与える妖精ってのも、変よね」

「何がだい?マイプレシャス」

「いいえ。ただの独り言よ」


見上げていた男の顔が、小さく傾き、私は首を振る。

人好きのする笑みを向けられており、その視線から逃れるように、男の腹部に顔を埋めた。


肺いっぱいに甘ったるい匂いを吸い込む。

香水よりももっと自然な匂いは、スイーツを前にした時のそれと良く似ている。

目細めながら、顔を埋めたまま、ねぇ、と声を掛けた。


「アスモデウス。貴方、悪魔よね。七つの大罪、色欲を司る悪魔」


深く息を吐き出し、首を傾けて男――アスモデウスを見上げる。

見た目こそ、人のそれと何ら変わらないが、本質は人ならざるモノだ。


私の言葉に、軽く小首を傾げたアスモデウスが、ヘーゼルの瞳に怪しい光を宿す。

ゆらゆらと揺れるそれは、不安定に光り、私の姿を映している。


「そうだね、マイプレシャス。君が望むなら、僕はどんな男でも、いや、女の子だろうと君の手中に……」

「胎内回帰」


光が消えた。

パチリ、音を立てて長い睫毛で影を作りながら瞬きをするアスモデウス。

その動きは、悪魔には思えない。


「胎内回帰」


聞こえているだろうが、再度一字一句違えずに告げる。

瞬きの回数が増え、オウム返しをしてくる辺り、人間の生活に馴染んでいるのだろう。


それでも、と考えながら、腹部に頭を押し付けたまま、仰向けになる。

ベッドのスプリングが動きに合わせ軋む。

迷ったような指先で、私の頬を撫で、横髪を払うアスモデウス。


「色欲を司る君は、女も男も魅了することが出来る。最近では、視線を合わせただけで妊娠させることが出来るのではと思う」

「女の子がサラっと言うことじゃないよ。後、流石にそこまでは出来ないかな」


困ったように、形の良い眉を下げたアスモデウスは、頬を撫でた指先で、私の腹部を撫でる。

丸く円を描くような撫で方は、私自身が腹痛を感じた時に良くするものだ。


「こうして、魔力を流せば出来るけど。直接注いだ方が、確実さ」


ヘーゼルの瞳が鋭く光るのを、私は見逃さなかった。

問答無用で腕を払い除ける。

こうして、とは言ったものの、アスモデウスのことだ、事実撫でていただけだろう。


不穏な空気を打ち払うように、一度深呼吸を挟み、それが出来るなら、と続ける。

アスモデウスの手が、頬に戻っていた。


「それが出来るなら、私を胎内に戻すことも出来るんじゃないかしら」

「いやぁ、流石にそれは」

「あら、やったこと、あるの?」


綺麗に整えられた指先で頬を突っつかれる。

「やったことはないけど」と言うが、試していないことは、ゼロではないのだ。

未知数は不可能では、ないのだ。


「僕は嫌だなぁ」


体を折り曲げて私に覆い被さるアスモデウス。

まるで大型犬がじゃれ付いているようで、うふふ、と含み笑いが漏れ出た。


鎖骨目掛けて鼻をすり寄せて来るので、腕を上げて腹部に回していた腕を、その頭に移す。

抱え込めば、嫌だなぁ、という言葉だけが繰り返される。


「別にこの際、母さんの胎内に戻せなんて言わないわ。アスモデウス、君で良い」


頭を抱え込んでいるにも関わらず、私と視線を合わせようと顔を上げるアスモデウス。

さらりと動きに合わせて流れる髪は、どんな手入れをしているのか、と思う程、キューティクルがしっかりしている。

髪も、甘ったるい匂いがした。


「僕、かい?」

「ええ。アスモデウス、君の胎内に」


片手で頭を抱えたまま、もう片方の手でアスモデウスの腹部を突っつく。

色欲を司る悪魔だが、その見た目は男。

しかし、人間ではなく悪魔なのだから、性別という概念がそもそも無さそうだ。

故に、胎内に人一人くらいならば、余裕を持って収められるのでは、というのが私の考えである。


流石に子供が出来ることを色欲に部類させるのは、下品というか下劣というか、好ましく思わないだろうが、やることは同じだ。

やることをやれば出来る、そういう意味合いで、色欲の悪魔ならば、アスモデウスならば、と私は言っている。


当の本人も、私の言わんとしていることが理解出来たようで、それは、また、とか何とか呟いた。

そんなことは考えたこともなかった、と言うような反応だ。


「夢も浪漫もあるでしょう?君の大好きな私が、ずっと君の腹の中にいるの」


今度は私がアスモデウスの腹部を、円を描くように撫でる。

私の言葉に、頬を朱に染めるアスモデウスは、割と乗り気に見えた。

うっとりと弓形に細められるヘーゼルの瞳に、歪んだ私が映り込んでいる。


「ああ……マイプレシャス。君は時々、悪魔顔負けのことを考えるね」

「それは何だか嫌ね。私は人間だもの」


頬を撫で、顎を撫で、鎖骨にまで指を這わせるアスモデウス。

流石と言うか何と言うか、手付きが厭らしく、色っぽい。

テクニシャン、何て単語が浮かんだが、唾液と共に飲み下す。


「ねぇ、マイプレシャス?」

「何、アスモデウス?」


せい、とアスモデウスの体を後方へ押す。

抵抗もなくベッドの上に転がることになったアスモデウスは、それでも私を見ている。

私は私で、位置を調整するように身動ぎ、アスモデウスの横に寝転ぶ。


「君は、良く僕のお腹に顔を埋めていたけれど、普段からそういうことを考えていたのかい?」


横を向くアスモデウスに、私も横を向き、今度は腹部ではなく胸部に顔を埋める。

そんなこと、ではなく、そういうこと、と言う辺りが、アスモデウスらしい。

しかし、私は生憎、可愛らしい女にはなれないので、悪魔の癖に人並みの体温で、心臓の音なんかさせやがって、と思う。


「胎内回帰願望は、昔からね。胎内記憶って言うのかしら、アレがあったからなのか、酷く恋しいと思って生きているわ」


胎内記憶――その名の通り、母体の中にいた頃の記憶を指す。

そうして胎内記憶というのは、薄れていくものだ。

普通の記憶ですら、自然と薄れ、沢山の記憶と混ざり合い、曖昧になる。


その中でも、胎内記憶というのは、親が問わねば発覚することが少ないと言う。

更に、幼子故に、それを言葉にすることが出来ずに、知られることがないことも多い。

そうして、歳を追うごとに記憶から薄れ、深層に埋もれるのだろう。


「人によっては、人の形となる前、細胞状態の記憶がある子もいるって話よ」

「へぇ……。人間って不思議だね」


私にあるのは、本当に母体にいる時の記憶で、その後の誕生記憶もあるが、あまり良いものでもなかった。


「暗くて、狭くて、温かくて、ゆらゆらと揺れる感覚の中、薄らと聞こえた歌があったのよ」

「それは、君のお母さんかい?」

「えぇ。だから、私が初めて覚えた歌は、母の即興子守唄だったわ」


僅かに音の外れた旋律を、今でも鮮明に思い出すことが出来る。

母自身、元の子守唄の歌詞が曖昧で、その日その時の気分で歌詞が変わっていた。

思い出すと、うふふ、と笑い声が漏れる。


「マイプレシャスのお母さんか……」

「何を考えているのかは分からないけれど、胎内記憶が心地好過ぎて、誕生記憶は最悪なのよ」


ふむ、と何か思案しているアスモデウスを見て、私はその頬に爪を立てた。

柔らかな皮膚を引っ掻けば、形の良い眉が八の字に変わる。


「眠っていたのに、沢山の人の声が聞こえ、まるでカーテンを開けるように光が差し込んで来たの。それで、目が覚めたわ」


嘘みたいに聞こえる話を、アスモデウスは首を縦に振りながら聞いている。

私は、のんびり屋のようで、予定日超過で帝王切開だったのだ。

無理矢理、部屋をこじ開けられ、外に出された時の不快感は、今でも、やはり鮮明に覚えている。


「正直、あの医者は許せなかったわね」なんて恨み言を言ってみても、生まれて既に二十年以上経過しているのだ。

アスモデウスもそれを分かっているのか、クスクスとお上品な笑い声を漏らす。


「そんな記憶がずっとあるせいかしら。ずっと、胎内にいたいと思うわ。誰からも害されず、いつ産まれてくるのだろうと期待され、愛される」


吐き出す息が、空気に溶ける。

目を閉じても、あの羊水の感覚は味わえない。

仕方無く、アスモデウスのキメ細やかな肌に爪を立て続ける。


それを甘んじて受け入れるアスモデウスの方は、両腕を伸ばし、私の体を抱き寄せた。

香水よりも上品な、それでも甘ったるい匂いは、思考を鈍らせる。

それは、胎内にいる時と似ていた。


「アスモデウスも、私を胎内に入れておけば安心でしょう。何処にも行かない。ずっと、アスモデウスの中にいるの」

「それはまた、マイプレシャスは、お誘いが上手だなぁ」


揃って笑い合いながら、アスモデウスは私の背中を撫で、私はアスモデウスの腹を撫でる。

ベッドサイドにある時計が、カチコチと秒針を動かし、音を鳴らす。


マイプレシャス、アスモデウスは私をそう呼ぶ。

時折、思い出したように名前で呼ぶが、基本は、マイプレシャス――僕の宝物と呼ぶ。

純日本人で、日本に生まれ育った私からすればら最初はなんてキザな奴だ、というのが大きかったのだが。


「今となっては、ピッタリよねぇ……」


はふ、と短い溜息が漏れ出る。

「うん?」「いいえ。こっちの話よ」きっと、意識はしていないんでしょう、そんなことを思いながら、頭を振った。

宝物を、自分の中に、物理的にも閉じ込めておけるなんて、願ったり叶ったりだろう。


だからレッツプレイ、と親指を立てようとした所で、アスモデウスの、でも、という呟きが聞こえた。

視線の先、アスモデウスの瞳は、何かを思案するように天井を向いている。


「マイプレシャスを閉じ込めるって言うのは、酷く魅力的なお誘いだよ。だけど、そうするとマイプレシャスは僕と語り合えないだろう?」

「語り合うと言うより、アスモデウスは口説き落とすの方が似合ってるわ」

「あははっ。流石にマイプレシャス、僕のことを分かってるね」


何が嬉しいのか、楽しそうに肩を揺らして笑うアスモデウス。

シルクのような茶金の髪に手を伸ばす。

案の定、頬同様に羨ましくなるような手触りだ。


「そうだよ、マイプレシャス。僕はまだ、君を口説き落としていない」

「まあ、落ちたつもりもないものね」


片手を持ち上げ、髪を撫でていた私の手を取るアスモデウス。

細い指は、男らしく節立っている。

指先に乗った爪は、ガラス片のように透き通っていた。


私の腕を下ろし、まるで壊れ物でも扱うように抱き竦め、額を寄せる。

子供相手に熱を測るような体勢に、私は瞬きをしてしまう。

はて、これは口説かれているのか。


「僕は色欲を司る悪魔、アスモデウス。孕むよりも、孕ませる方が好きだしね」


するりと、作り物のような指先で下腹部を撫でられ、鳥肌が立った。

小さくぷつぷつ粟立つ肌を見て、瞳も唇も弓形に細めたアスモデウス。

ああ、これは、それはそれは。


今度は私が苦笑を浮かべる番のようだ。

身の危険も感じるが、何より願っている胎内回帰は不可能に近い。

少なくとも、若さを武器に出来る間に不可能で、人一人育てる時間は余裕で必要になるので、恐らく、良い歳になって胎内回帰が目前に……。


「愛しているよ、マイプレシャス」


瞼に落とされる唇。

甘ったるい匂いが、よりいっそう強くなる。

こりゃあ駄目だな、そんなことを考えながら、胎内にいた頃に似た夢を見た。

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