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トル・ラバートリックの冒険  作者: 長谷川コールスローサラダ
9/15

勇者の盾

「ここに、その勇者の盾が眠ってるわけか」


 簡素な装飾の施された洞窟を歩いて、ハルトはそう呟いた。左右の壁には朽ちかけた石柱が並んでいる。


「左様です。この神殿は勇者の盾を祀るために建てられたもの、何か魔王に関する手がかりがあるやも知れませんぞ」

「しかし地中の遺跡とは…もし崩壊でもしたら助からんぞ」


 ウィルとワトーがそう答える。ハルトはランプで足元を照らしながら、振り返って背後の女性に目をやった、そこには先の町で出会ったナサルディ・ネルソンがいる。


「……」


 彼女はどこか不安そうな面持ちで自分達に付き従っていた。


(何度見ても普通の女にしか見えない……)


 ハルトは彼女への疑問を拭えずにいた。

 見た目はどこにでもいる只の町娘だが、ナサルディが魔物との戦いで見せたあの白いオーラのようなもの。あのオーラが彼女を魔物の攻撃から守り、更にどういうわけか勇者の聖剣があのオーラを吸収して必殺技のような力を発揮したのだ。戦いの後彼女のオーラについて矢継ぎ早に質問したが、何を聞いても本人は「自分にも分からない」の一点張りだった。


(本人も無意識のうちに何か呪文を使っているってことか……ひょっとして血筋なのか?)


 石畳を歩きながら、ハルトは頭を捻った。優秀な魔法使いの子供は修業や勉強をせずに呪文が使えたりするらしい、ナサルディは早くに親を亡くしたと言っていたから、もしかすると、その親が相応の術師だった可能性はないだろうか。半身になって声をかける。


「なあ、ナサよ」

「え、はい」


 突然の声にナサルディが慌てて顔を上げる、ランプの灯がその顔を照らした。


「ちょっと聞きたいんだが、お前の両親は魔法使いだったりしないか?」

「親ですか?あんまりよく覚えてないですけど……普通の商人ですから、魔法は使えなかったと思います」

「そうだよなぁ……」


 ハルトはそう言って腕を組む。


「勇者様、ネルソン殿のご両親がどうかしたのですか?」


 肩に乗るワトーが話しかけて洞窟に声が反響した。


「ああ。ナサのオーラについてな、ちょっと考えてたんだ」

「ふむ。確かにネルソンよ、どうしてあのオーラを操れるか本当に分からんのか?」

「はい。私これまで魔物と戦った事なんてなかったんです、自分にあんな力があるなんて本当に気付きませんでした」

「オーラが剣の力を引き出したと言うこともあります。ネルソン殿のオーラについてはできるだけ情報を掴んでおきたいところですな」


 ワトーの言う通りだった、オーラを吸収した聖剣は容易く魔族マルオーを両断したのだ。剣に秘められたあの『必殺技』について、ハルトは魔王と戦うまでに何としても知っておきたかった。


「なに、ラバートリックの血を引く勇者様が勇者の盾と剣を持てば剣の持つ力もおのずと明らかになる事でしょう」

「勇者の血を引くか……」


 ワトーの楽観的な言葉にハルトは小声で答えた、聖剣を手で触る。


(ひょっとして、この剣は持ち主を選ぶんだろうか。本物の『トル・ラバートリック』でない俺だから、この剣が反応しないのか?)


 自分はトル・ラバートリックではない、その事実が久方ぶりに蘇りハルトは唇を噛んだ。


(まあ何にしても、もう後にも引けないんだけどな)


 もし自分に勇者の器がなかったとしても、この剣が自分を偽物としか思わなかったとしても、自分は今魔王討伐の途上にいる。決して届くはずのなかった栄光と使命がこの手に握られている。


(どんな結果に終わっても俺は後悔しない、俺が『伝説の勇者』になって、必ず世界を救ってみせる)


 ハルトは静かに拳を握りしめる。会話が止まり、再び足音だけが地下の神殿に響いた。


「……」


 三人の後ろでナサルディも、ハルト同様旅路に頭を悩ませていた。


(何よ魔王って……)


 その事を考えると溜息が出る。何しろ勇者達は今『魔王討伐の旅』をしているのだ、最初は冗談かと思ったがどうやら本気らしい。


(どこかで逃げるしかない……そんなのに巻き込まれたらシャレにならない)


 そもそも彼女の目的は封印してしまった弟を元に戻す事で、それ以外のことに構う余裕はないのだ。マルオーと戦った後勇者と話をしたのも彼女からすれば『妖精なら魂に関する呪文を知っているかもしれない』と思ったからだったのに、肝心のワトーは「そんな呪文は知りません」とにべもなかった。

 収穫がない以上勇者達に同行する必要はないものの、それはそれとして自分にはもう路銀がない、確かに魔物を狩って肉を売る彼らと一緒にいれば当面のお金は困らないだろう。


「……」


 胸中を釈然としない思いが渦巻くが、さっきから勇者達の言っている『オーラ』についてナサルディ自身知りたいのも事実だった。

 あの力の正体については本当に自分でも分からない、それだけにそれが何なのかを思うと気になった。加えてそのオーラは勇者達にとっても衝撃的だったらしく、三人は自分を必要としている、ならば同行して悪い事にはならないだろう。

 それに旅をしていれば弟の封印について何か掴めるかも知れない。


(でも、結局のところ……)


 ナサルディは前を歩く二人と肩に乗った一人を見やった、自分にはよく分からないが、きっと三人共かなり強いのだろう。

 自分を守ってくれるボディガードがいる、その事実が女の一人旅にはこれ以上ないほど心強かったのだ。

 その意味でも、彼らに同行するしか選択肢はないのかもしれない。


 ナサルディは不満を払拭するように口を開いた。


「あの。今更なんですが、この遺跡の中には何があるんですか?」

「何だお前、それも分からずに付いて来てたのか?」


 ウィルが振り返る。ランプの明かりに照らされて渋面が見えた。


「いえ『勇者の盾』がここにあるのは聞いたんですが、その、勇者の盾って何なんですか?お宝ですか?」

「勇者の盾は勇者殿が持つ聖剣と対を成す神聖な武器です。今勇者様の聖剣は完全な力を出せずにいるようですが、剣と盾が対を成す事で必ずやその力が解き放たれることでしょう」

「ははあ……じゃあ皆さんはその二つを揃えてから、魔王討伐に向かう訳ですね?」


 なら逃げるタイミングもまだ多少稼げそうだった。もう暫くは彼らに付いていてもいいだろう。


「そうなんだが、正直なところ今俺達は魔王がどこにいるかも分かってないんだ。まずは魔王の居場所を突き止めないと動きようがなくてな」

「何か、手がかりとかないんですか?」


 ナサルディがそう問いかけた時、ウィルとハルトが同時に足を止めた。二人とも少し身構えるようにして正面を見ている。


「え、どうしたんですか?」

「静かに」


 ナサルディがキョトンとして二人を見返した時、ドサっという音がして黒い何かが一行の前に落下した。首を伸ばして目を凝らすと、それは鶏ほどに大きい不気味な蜘蛛だった。


「いやぁー!!」


 ナサルディの悲鳴が洞窟に響き渡り、声に反応した大蜘蛛と彼女の目が合った。あまりの気色悪さに息が詰まる、その途端、強い力に押されてナサルディは横倒しに倒れた。


「やかましいわ!」


 ウィルが怒気を込めてそう叫びナサルディを睨みつける。

 彼に突き飛ばされたのだと、彼女はようやく気付いた。


「……ごめんなさい」


 正面では勇者が剣を抜き、蜘蛛の身体を貫いていた。剣を引き抜くと退治された大蜘蛛は奇声を上げながらヨタヨタと助けを求めるように動き始める。


「ひっ!」


 ウィルが力強くナサルデイの口を押える。彼女の口を掴んだまま、ウィルは噛んで含めるように言った。


「声を、立てるな」

「……」


 ナサルディが首肯すると相手は一瞥をくれて立ち上がる、隣では勇者と妖精のワトーがランプを掲げてきょろきょろ周囲を見渡していた。

 黙って立ち上がると頬がジンジン熱い、どうやら叫んだ時に頬をはたかれたらしかった。

 確かにうるさかったかもしれないが手を上げるほどの事だろうか。そう思うと少し腹が立ってくる。


「何も叩かなくたって……」


 膝の砂を払いながら呟いた。


「虫が苦手なのか?」

「はい。苦手です」


 勇者の質問にナサルディは憮然として答える。そもそも突然こんなケダモノが出てきて平気でいる方が無理だと、彼女はそう思った。


「しかし今のはまずかったぞ」

「どうしてですか」

「この手の魔物は刺激しなけりゃ大人しいもんでな、黙ってれば戦わずに済む相手なんだが、どうやら騒ぎ出したらしい」


 ハルトが背後を見やる。そこにいたのは石柱の間を移動する十匹近い大蜘蛛だった。気付けば背後だけではない、正面にも回廊の先にもそこら中に巨大な虫の影がうごめき、触手のような脚をぞわぞわと動かしている。


「きゃああああ!」


 今度はハルトがナサルディの口を押さえた。ウィルが怒り心頭の形相で近づく。


「お前、つまみ出されたいか」


 再び口を掴まれながらナサルディは必死になって頷いた。身の毛がよだつ。気持ち悪くて手足が震える、ただの地下遺跡だと思ったのに、こんな蜘蛛がうじゃうじゃいる場所にいるなら外の方が余程マシだ。


「何か口に布でも詰めておくんだな。これ以上叫んだら冗談抜きで蜘蛛達が飛び掛かってくるぞ」

「そう言う事なら、もう遅いのではないかと」


 ワトーがそう言って背後を指さした。さっきまで壁を這っていた蜘蛛達が集まってこちらに近付いて来る、どの蜘蛛も顎を広げシュウシュウ唸り声を上げている。


「……仲間を呼んでる。今ので完全に俺達を敵と認識したらしいぞ」


 勇者がそう言って剣を構えたが蜘蛛は天井からも、壁面からも現れて四人を睨みつける。


「ひっ……」

「勇者殿、蜘蛛には毒があります。ネルソン殿を連れて戦うのは危険かと」


 さっきまで通ってきた道はもう蜘蛛に塞がれ、それどころか更に多くの蜘蛛が集まり始めていた。


「トル。奥へ向かおう、数が多すぎる」


 ウィルがそう叫び、皆一様に回廊の奥に向かって走り出した。


「待って……奥へ行くんですか?」


 ナサルディももつれる足を動かしてそれに倣う、奥に進むことに抵抗はあったが一人で取り残されるわけにもいかない。勇者と戦士の持つランプを頼りに、真っ暗な洞窟の中を必死で駆けた。



 奥へ奥へと走り、倉庫のような部屋に入って先頭を走るハルトが振り返った。


「ようやく落ち着いたか?」


 ハルトはそう呟いて額の汗をぬぐう。ランプで照らすと部屋には多少の広さがあり朽ちた木箱や布袋が床に転がっていた。


「ええ、問題なく振り切ることができたようです」


 ワトーがそう答える、ナサルディは疲れ果て、その場に座り込んでぜえぜえ息した。さっきまでに一体どれほどの蜘蛛が行く手を阻み、襲い掛かってきたか分からない。今も積み重なった木箱の影から蜘蛛が飛び出してくるようで気が気でなかった。


「ここは神殿のどの辺りなんだ?」

「う~ん。大雑把な地図はあるが、よく分からんな」


 勇者達は木箱に地図を広げて話している。ナサルディの事などまるで眼中にない様子だった。

 ナサルディは息を整えて立ち上がる。


「あの……」


 三人の視線が彼女に向いた。


「本当にすみませんでした。私が叫んだせいで、あの蜘蛛達が興奮してるんですよね」

「何だ、よく分かってるじゃないか」


 ウィルが皮肉を込めて言う。ナサルディは小さく唇を噛んだ。


「ごめんなさい……今度は絶対に騒いだりしません」


 勇者が向き直り口を開いた。


「ナサよ、これからどうするか決めたい。今この状況でさっきの入り口まで戻るのは無理だが、魔物達が落ち着くまで待てばさっきの道を通ることはできるだろう」

「それって、どのくらい待つんですか?」

「早くて半日ってところだろうな」

「そんな……」


 それは彼女にとって絶望的な答えだった、その様子を見て勇者が再び口を開く。


「だが地図によればこの神殿にはもう一か所入り口があるんだ。距離はあるが、そっちから出ればあの蜘蛛達と遭遇せずに済むかも知れない」


 魔物に会わず脱出できるなら何も悩む必要はない。一条の光が差した思いだった。

 だがハルトは地図を畳み、吐き捨てるように言った。


「もっとも、また誰かさんが大騒ぎすればそっちも塞がれちまう訳だが?」


 収まりかけていた怒りがナサルディの中で膨れ上がる。


(こっちが謝ってるのに、何でそんな言い方をするの?)

「何だ?」


 ハルトが片眉を上げてナサルディを睨む。


「そこまで……言われる筋合いはありません」


 勇者は何も言わず彼女を見ていた。


「そりゃ、私が騒いだせいでアイツらが興奮しちゃったのかもしれませんけど、私は只の一般人です。それを分かっててこんなところに連れて来たそっちにも責任があるんじゃないんですか」

「おいおい、勘弁してくれよ……」


 横にいたウィルが大仰な仕草でそっぽを向く。

 ハルトは自分を睨みつける少女を眺めて小さく溜息を吐いた。


(まったく、面倒な奴だ)


 自分のさっきの言い方が気に入らなかったらしいがそれを言うなら怒ってるのはこっちだ、勇者の旅と町人の旅行を一緒にされたんじゃたまった物じゃない。

 入り口で叫び声を上げた時もよっぽど見捨ててやろうかと思った、事実こいつのせいで勇者の盾探しは日を改めるしかないだろう。


「皆さん落ち着いて下さい。いかなる状況でも平静を失ってはなりません」


 三人の様子を見かねて、ワトーが割って入った。ナサルディだけでなくハルトも内心穏やかではなかったが、確かに彼女と言い争ったところで喧嘩にもならないのは分かっているし、いくら面倒でも女性を見捨てるのは流石に気が引けた。


(本当に、いい迷惑だ)


 そもそも理屈の通じる状況とも思えない、こういう時はこちらから折れてやる必要があるのだろう。ハルトはそう思って再びナサの方を見た。


「ナサよ、確かにこの遺跡にお前を連れてきたのは俺達にも責任があるだろう、お詫びにもならんだろうがこの遺跡を出るまで俺達はお前を守ってやる」

「……」


 ナサルディは荒い息をしながら勇者の話を聞いた。


「ただしそれは俺達に余裕がある範囲での話だ。もしもお前がパニックになって走り出したり、大声でわめいたりしたら俺達はもうお前を守れない。だからこれからどうしたいか、お前が決めるんだ。お前の責任で」


 勇者とナサルディの視線が交錯する。

 ナサルディの中で、ふつふつと感情が湧き上がっていた。


(何こいつ訳の分からない事言ってんの)


 お前達が私をここに連れて来たとさっき言ったはずなのに、この男は何も理解できてない。所詮こいつらは自分達の基準でしか物事を考えられないんだ、剣を使えるのがそんなに偉いのか?こんなパニックの状況に追い込んで何が「お前の責任」だ、馬鹿な男の自己満足ほど下らないものはない。


「どうする?」


 勇者はじっとナサルディの顔を見ている。今この状況で、私に何の選択肢があるのか、悔しさを堪えてナサルディは声を絞り出した。


「……もう一つの出口へ向かいます」

「分かった」


 勇者は満足そうな表情で向き直り得意げに二人と話し始める。ナサルディは三人を睨みつけながら歯を噛み締めた、あまりの怒りに涙が頬を伝った。

 出来る事なら手元のブロックをこいつらの頭に投げつけてやりたいとさえ思う。


「……死んじまえ」


 声にならない声で彼女は毒づいた。



 休憩とも言えない短い時間の後、四人は神殿の出口を目指して進み始めた。ナサルディは手拭いを噛み締めて震えながらハルトとウィルの間を歩く。

 薄暗い回廊の中、頼りになるのは小さなランプの明かりだけでいつどの物陰からあの蜘蛛が飛び出して来るとも分からない。それどころか度々蜘蛛が現れて行く手を阻むのだ。


「またか……」


 勇者がそう言って剣を構える、その前に丸々と太った大蜘蛛が五匹ほど立ちふさがっていて、ナサはウィルの腕にしがみついた。


「さっきから、妙に数が多くないか?」


 勇者とワトーがいとも簡単に魔物を切り捨てる。


「一体当たりは弱い魔物だ、戦う分には問題ないがね」


 ハルトとワトーの視線がナサに集まった。


「ネルソン殿、きっと出口はもうすぐです。今しばらくの辛抱ですぞ」

「はい」


 そう答えた彼女も魔物の数が増えている事に気付いていた。


「お、出口か?」


 ウィルが示す先には、確かに外の明かりが差し込んでいた。


(やっと出られる。)


 ナサルディは泣きたいほどに嬉しかった。三人を急かして足早に回廊を進む、やっとこの神殿から、この連中から解放される。

 回廊の先に見える日光が救いの光に見えた。曲がり角を曲がると大きな広間に出た。


「何これ……」


 天井は見上げるほどに高く、広間自体も相当に広い、まるで大聖堂の様な空間があって、その天井部分に採光用の窓が設けてあるのだ、日光は10m近い高さの天窓から差し込んでいるらしい。


「あそこまでは届かんなぁ」


 広間に足を踏み入れながらウィルが言った。


「出られないって事ですか……」

「心配ご無用ですぞ、日光が差し込むと言うのはそれだけ地表が近いと言う事。出口は目と鼻の先なのです」


 安心したような落胆したような気持だった。外の明かりが見れたのはホッとするものの、結局まだ出口までは遠いのだ。


(……どうにか、上に登れないかな)


 広間の中を歩いて階段を探した、周囲にはがれきや彫刻が重なっていてあまり見通しが良くない、それでも日の光は安心感を感じさせた。


(駄目だ……どこからも登れそうにない)


 ナサルディは柱に手を突きながら勇者達の方に向かう。彼等にとっては出口などどうでも良いのか、のんきに談笑などしている。

 ハルトがナサルディの方を見た。


「後ろだ!」


 振り返ったナサルディは動けなかった。そこには信じられない大きさの蜘蛛がいたのだ、5mはある。一体いつからそこにいたのか、巨大蜘蛛は広間の壁を這ってゆっくりと降りてくる、その足の間を縫うようにして幾匹もの子蜘蛛達が溢れ出た。


「いやああああ!」


 悲鳴が合図となったかのように、瓦礫の隙間からも子蜘蛛が現れる。錯乱したナサルディをハルトが振り払った。


「こいつは、女王蜘蛛か?」


 体の大きさと言い周囲の子蜘蛛と言い、そうとしか思えない。他の蜘蛛が集まって来る前にさっさと倒してしまわなくては。ワトーが呪文を放って足元の蜘蛛に火をつけた、ハルトとウィルは周囲の蜘蛛を斬りつつ、女王との距離を測った。

 目の前で子蜘蛛が殺されるのを見て女王蜘蛛が怒りの声を上げる、喉を震わせるような低い唸り声が広間に響いたかと思うと女王が四人目がけて突撃した。その巨体が素早く動き、足元の柱や彫刻が粉砕されていく。


「どんな虫だよこいつは!」


 ハルトは叫びながら横っ飛びに転がり広間の端に身を隠した。


「ウィル、無事か?」

「俺は問題ない、ワトーもいる!ネルソンはどうだ」


 ハルトは周囲を伺う、土ぼこりで視界が悪かった。


(あいつは全く……)


 ナサルディは瓦礫の中を必死で駆けまどった。怖くて気持ち悪くて、パニックになるのを必死で堪えた。

(もう嫌だ!)

 もう何度思ったかわからない。帰りたかった、住み慣れた家で安全で平和な生活に戻りたかった。


「あっ」


 瓦礫に足を取られてうつぶせに倒れる、今にも蜘蛛が襲い掛かってきそうで慌てて立ち上がった。

 数匹の蜘蛛と目が合う、確実に自分の方を威嚇している。

 逃げようと後ずさったナサルディの目前で、子蜘蛛が勇者の剣に切り裂かれた。


「じっとしてろ!」


 勇者は乱暴にそう言い放つと剣を払い、女王蜘蛛の方に向かった。


(……助かった)


 一応感謝すべきだろう。そう思いながら胸元に手を当てて、ナサルディは慄然とした。


(宝玉がない)


 弟を封印した『封印の宝玉』が無くなっていた、いつも首からぶら下げていたはずだ、この神殿の中を歩いているときも何度か握って勇気を貰った。逃げ惑っている間で落としたのだろうか、もしも回廊のどこか、例えば勇者と言い争ったあの倉庫で無くしていたとしたら……

 ナサルディは広間の中を走った。子蜘蛛が襲い掛かってくる度に鞄で叩き石を投げ、瓦礫の間を逃げ惑いながら必死に宝玉を探した。せめてこの広間で落としたのなら近くにある筈だ、そうあってくれと願った。


「何をしている!」


 気付くとすぐ隣でウィルが剣を構えていた。その正面では巨大な女王蜘蛛がこちらを見据えている。


「下がってろ!」


 ウィルが首根っこを掴んで投げ飛ばす。転がって頭をゴチンと打ち付けた時、少し先に白く輝く物体が見えた。


(あった!)


 宝玉があった。瓦礫の間、石畳の上にそれは転がっていた。周囲に子蜘蛛は見当たらない、立ち上がって両足を必死に動かして走る。

 やがて宝玉までほんの少しと言うところまで来たとき、ナサルディのすぐ近くを女王蜘蛛が突進した。

 ガラガラと音が響き、柱の一本が倒れる。


「……」


 彼女の中で、時間か止まったような感覚があった。

 それは柱の一部だった、あの女王蜘蛛の突進で崩れた柱の一片、硬くて重い石材の塊が、弟の封印された宝玉の上に落下した。声にならない悲鳴を上げて必死に動かそうとするが崩れた石柱は容易に動いてくれない。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ)


 身体を押し付けて何とか持ち上げようとしても上がらない、顔中から嫌な汗が噴き出した。血の気が引いて顔の皮膚がペタペタした。


(誰か、お願いだからこれを)


 何か手はないかと思った時、岩盤の下に少し隙間が空いていた。その場に這いつくばって、隙間から手を差し入れる、しかし隙間は狭くほとんど下を探る事が出来ない。周囲に蜘蛛が寄っていようがどうでも良いと思った。ナサルディは立ち上がって岩盤の横に、後ろに回り込んで調べた。

 幸運なことに岩盤は裏側が大きくへこんだ形をしていた。身を屈めて下を覗き込むと、奥に白い光が見える。

 祈るような思いで岩盤と地面の間に手を突っ込んであらん限り腕を伸ばし、指先で宝玉を探した。やがて指先に丸い感触があってナサルディはそれをしっかりと掴み引き寄せた。


 宝玉は無事だった。


 全身から力が抜けるような、深い安堵の息が漏れる。


「良かった……」


 いつもと変わらない宝玉、しかしよく見るとその表面には亀裂が走っていた。落とした時か、岩の下敷きになった時かに傷ついたらしい。

 必死に指でこすっても消えるはずはなかった。


「……」


 ナサルディの視界に最後に見たボストの姿が浮かんだ。血を流して力なく横たわった姿、自分を見るあの乾いた瞳が、手の上の宝玉と重なる。


(私しかいないんだ、この子を守れるのは私しかいないのに、一体私は何をやってるんだ)


 彼女の中に小さな覚悟と勇気が湧いた、自分を守るためではなく、大切な弟を守るために。

 振り向いて巨大な女王蜘蛛を見据えた。やはり怖くて不気味だが、もう恐怖に呑まれることはなかった。

 気付くと身体からあの時のオーラが湧き出ていた。

 勇者へ歩み寄り、心を静めて念じるとオーラが少しずつ彼女と勇者を包み込んでいく。


「お前……」


 ハルトが驚いた顔で振り返る。弱々しい光ではあったが、剣が光り輝き刀身に力を宿した。身体の一部として、ナサルディはその力を操作できた。女王蜘蛛が巨大な脚の一本を振り下ろす、ハルトもナサルディもその場から一歩も動かなかった、ナサルディが見つめる先でオーラは光り輝き蜘蛛の攻撃を弾く。

 勇者の聖剣がその脚を切断し、蜘蛛の奇声が広間に響いた。


「ナサ、もっと力を」

「はい……」


 ナサが念じるとオーラは次第に力強さを増す、やがて聖剣は純白の剣となり勇者の繰り出した一振りが巨大な蜘蛛を真っ二つに吹き飛ばした。柱が崩れ天井から明るい日光が注ぎ込む、両断された女王蜘蛛から体液が流れ出てナサルディは気持ち悪いと思った。


「やるじゃないか」


 勇者がそう言って笑う、気付けば彼女の顔も微笑んでいた。


「勇者殿、あれをご覧下さい」


 ワトーが指し示す先、これまで光が弱くて気付かなかったが、広間の奥には彫刻で飾られた荘厳な盾が祀られていた。


「おおお、あれが勇者の盾か」


 ウィルがそう言いながら群がる子蜘蛛を切り払う。ハルトが崩れた瓦礫に登り、勇者の盾を手に取った。


「素晴らしい、これで剣と盾が揃ったのですね」

「とにかくここから出ましょう!どんどん集まってきてる……」


 女王の断末魔に反応したのか、蜘蛛はとめどなく現れては四人に襲い掛かる。


「出口へ!」


 ウィルがそう言って全員が遺跡の出口に向かった。ようやく脱出し全身で日の光を浴びた時には緑の芝生がひどく懐かしく感じられた。


「ネルソンよ見直したぞ」


 ウィルがそう言って笑うが、彼女はもう限界だった、心も体も疲れ果て、もう全てがどうでも良い。

 ゆっくりと芝生の上に倒れ込む。

 だが周りに蜘蛛がいる気がした彼女は慌てて手を付いて立ち上がり、勇者達の近くへと走った。

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