二本目の予言
『道標を捨てて施しとせよ。舞台は西へ向かった、戒めが入場料だ、座して開演を待てば、道に迷った太陽が貴方を会場へ案内する』
一つ目の予言を解いて、宙に浮かぶ魔王城を見つけたアルダとセルネイラは早速次の『示しの梢』に火をつけ予言を耳にしていた。
「退屈だ……」
柔らかな午後の日差しに照らされながら、アルダは見渡す限りの平野を歩いていた。
「魔王討伐の旅ってさ、こう……もっとスリリングだと思ってたんだけどな」
「まあ、おぬしの気持ちも分かるが。今は予言に従うよりあるまい」
「んな事言ったって、今度の予言もよく分からないぜ?」
「それはそうじゃが……」
セルネイラは顎に手を当てて考えた。
『道標を捨てて施しとせよ。舞台は西へ向かった、戒めが入場料だ、座して開演を待てば、道に迷った太陽が貴方を会場へ案内する』
やっぱり意味は分からない。それでも『西』と示されているだけ前よりマシなのだろう。
「……」
見晴らしの良い芝生は陽光に照らされ魔物の影も見当たらない。
(そうだなぁ……)
アルダが突然立ち止まって荷袋を開いた。
「やるよ」
アルダが差し出したのは最後の一本となった『示しの梢』だった。
「え?」
「これをやるって言ってんだよ。だって、俺達にとっての『道標』って言ったらこの枝以外にないだろ?」
そう言いながらアルダは口元を抑えて大あくびをしている。
「良いのか?これは弟御から貰った宝じゃろう」
「予言が言うなら仕方ないだろ。それにお前が持ってりゃいつでも使えるしな」
「まあ確かにそうじゃが」
セルネイラがそう言って枝を受け取ると、アルダは目をこすりながらまた歩き始めた。
「……」
空を見上げれば雲の間を小さな鳥が飛んでいる。
「早く魔王、出てこないかな……」
セルネイラも小さな口を開きあくびをした。
「そうじゃなぁ……」
一つ目の予言が当たってからというもの、二人は『予言にさえ従っていれば魔王に辿り着けるだろう』と言う何ともお気楽な旅を続けていた。
しかしそのお気楽な期待は見事に成就する。
アルダとセルネイラが西に進路をとって僅か二日後、彼らは再び魔王城を発見することが出来たのだ。
「こりゃ……どういう事だ」
ゴツゴツした岩に隠れながらアルダが声を漏らす。
切り立った山々に囲まれた窪地、草木も無くむき出しの白い砂地が続く地面の上に魔王城は鎮座していた。その姿は数日前空に浮かんでいたものと寸分違わない、しかし今その城は乾いた地面の上にどっしりと腰を下ろし、あたかも最初からそこにあったかのように日差しを照り返している。
「まあ、飛べるからと言って常に飛んでいる必要もないわけじゃしな。むしろこうして地上にある方が自然ではあるが」
「そりゃ俺も分かってるけど……」
アルダはそう言って岩の裏に身を隠す。二人は魔王城から100mほど離れた岩陰に隠れそびえ立つ城を見つめていた。つい数時間前はあまりの退屈に苦しんでいたのにこの変わりようは何だ、そう思うとアルダは頭が付いて行かない思いだった。
「ここまで急なのは……求めてないんだよな」
自嘲気味の笑みが口元に浮かんだ。
その頃彼等が見つめる魔王城では地上に進軍していた部隊の収容が行われていた。アルダとセルネイラは知る由もなかったが、この部隊こそトル・ラバートリックを名乗る勇者達が戦った魔族マルオーの率いる自慢の部隊だったのだ。魔王より進軍の命を受けたマルオーは部隊を率い地上に降り立ったが突如現れた勇者との戦いに破れた。その後指揮官を失った魔物達は統率を失いその多くが野へ逃げ、人間に狩られるものも後を絶たず壊滅目前と思われたが、偶然その場に居合わせた魔族のリュマが指揮を執ることによりマルオー隊はかろうじて全滅を免れたのであった。
魔王城の内部、豪華な装飾の施された回廊を馬頭の魔族リュマが闊歩していく。回廊や中庭の所々には豚や虫の姿をした魔物が座り込みリュマを見つけては怠惰そうな挨拶をする。リュマは魔物達に一瞥もくれる事なく回廊を進んだ。
(まったく汚らしい……)
この城は魔王軍が地上へ侵攻を行う拠点であり元は人間の住む城であったのを呪文により宙へと浮かべたものだ、最初この城に住み始めた頃はまだ城内も規律で溢れ、隅々まで掃除が行き届いていた。
それが今はどうだ、城内はゴミで溢れ部下にも気品というものがまるで感じられない、少し目をやれば今も一頭の魔物が壁にもたれて居眠りをしている。よほど怒鳴りつけてやろうかと思ったが魔王様への報告が先だった。やがて大広間を抜けたリュマは円形に続く階段を登る。
魔王様の軍がこうあるべきではない、あの方の手足となるのはもっと高潔な部隊であるべきなのだ。リュマはそう思っていた、マルオーなどはその典型と言えただろう、大した実力もないくせに態度だけが大きく暴れまわる以外能がなかった。あのような幹部がいるから部下の規律も乱れるのだ。螺旋階段を上がっているとマルオーの最期が思い出されリュマの頬が緩んだ。
(あのチビが。弱いとは思っていたがまさか人間風情に殺されよった)
噛み殺しても、後から後から笑いは込み上げてくる。何しろ自分は部隊を救った英雄なのだ。自分がいなければマルオーの部隊は確実に全滅していただろう、あの目障りだったマルオーがいなくなっただけでなく、これだけの手柄を立てられたのだから。
暫く階段を登ったリュマは、やがて尖塔の最上階へと辿り着いた。螺旋階段の頂上には一枚の大きな門があり、その前にとても毛の長い年老いたウサギの魔族が立っている。
「只今戻った。魔王様にお目通り願いたい」
リュマの声にウサギが顔を上げた。ウサギの魔族は年季の入った燕尾服に身を包み、扉の前に佇んでいる。
「ご苦労であった。しかし何故お前が部隊を率いている。マルオーはどうした?」
「奴は死んだ。人間にやられてな」
リュマのその一声にウサギは糸のような眼を見開いた。
「何と、魔族が人間に殺されたと言うのか?」
「驚くこともあるまい、最近では人間も我々への準備を怠らぬ。マルオーは愚かにも人間を見くびったと言うだけの話よ」
「……場合によっては、そなたの責任も問われるところであろうが?」
「そのことについてこれより魔王様に報告致す。早く扉を開けろ」
「……」
ウサギは訝しげにリュマを見ながらも道を譲り、リュマを扉の前に通した。
「魔王様、失礼致します」
リュマがそう言って扉を開ける。真っ赤に塗装された重々しい扉が開かれ、室内の異様な光景が目に入った。
それは天井の高い部屋だった。部屋自体の広さは驚くほどでもないが壁に並ぶ本棚はどこまでもびっしりと本が詰まっている、棚から溢れて床に積み重なった書籍が部屋の両脇に山となり部屋の中に道を作っていた。
しかしそれにも増して異常なのは床の上にも、本の上にも並べられたおびただしい数のロウソクだった。数千本数万本のロウソクが部屋中を埋め尽くし、数えきれない小さな炎が何かを求めるようにして揺れる。
とても現実とは思えない光景だった。通路の先、この部屋で唯一の窓には分厚いカーテンが閉められ太陽の光は届かない。代わりにロウソクで埋め尽くされた地面が室内を明々と照らす。
リュマはロウソクと本に囲まれた通路を進み、膝をついた。
「……」
部屋の一番奥にある分厚いカーテンを背に、真っ黒な影がこちらを見ている。リュマは厳かに口を開いた。
「魔王様。只今帰還致しました」
黒い影が僅かに動き、声を出した。
「……マルオーを見捨てたそうだな……」
身体の芯にまで響く声だった。
「恐れながら魔王様。私はマルオーの戦いには関与しておりません、私があの場に参上しましたのはマルオーの討たれた後でございます」
「ほほう……では何故貴様がその人間を殺さなかった……」
「あの者達には生かすだけの利用価値がございます、情報を得るため部下を近辺に潜ませました。無論、魔王様の指示とあればいつなりとも殺して参りましょう」
「魔族一人を死なせても……惜しくないだけの価値があると言うのだな?……」
「その人間は『ラバートリック』の血を継いでおりました。加えて『退魔の魔力』を操りマルオーを打破しております」
魔王の影が小さく動いた。
「……勇者の血筋など……さっさと消してしまえばよかろう……何故そんなものに利用価値があるのだ……」
声に小さな苛立ちがこもっていた。
「勇者の力はひどく弱っているようでした。理由までは分かりませんが、いずれにせよこのまま泳がせていれば我々を妖精王の元に案内してくれるはずです」
魔王は少しの間思案した。
「……十日待って進展がないようなら……その勇者は殺してしまえ」
「承知致しました」
「それにしても……貴様がそれ程マルオーを疎んでおったとはな……」
「いえ、魔王様私は決してそのような」
そう言った瞬間、リュマは射殺されるような畏怖を感じた。
「リュマよ……」
魔王の声が大きくなりその目がはっきりとリュマを睨みつける、リュマは咄嗟に顔を伏せると黙して主の言葉を待つ。
頭上から降り注ぐ凄まじい威圧に当てられて逞しいリュマの全身が震えた。
「あまり……余の部下を粗末に扱うでないぞ……」
リュマの長い顔を、幾つもの汗が流れ落ちた。
「申し訳ありませんでした……」
謝罪するリュマを眺めるように、立ち並ぶロウソクからゆっくりとロウが滴っていた。
リュマが魔王の部屋を出て再びその扉が閉められる、外の空気がひどく冷たく感じられてまるで悪夢から覚めたようだった。毛の長いウサギがくつくつと笑う。
「こってり油を搾られたようじゃの」
リュマは汗を拭いながらそのウサギを睨みつけた。
「……何もせず傍観しているだけの年寄りに、非難される言われはない」
「ほほう、若造が随分生意気な口を利くではないか、場合によっては儂が魔王様に代わって貴様を罰してもよいのだぞ?」
ウサギはたしなめるような目でリュマを睨み返す。
「……」
リュマは目を反らし、汗で湿った毛を撫でた。
「儂と魔王様はこれより討議を行う、しばらくの間、貴様が城の指揮を執れ」
「……承知した」
リュマがそう言い残して螺旋階段を降り始める。小窓から見える景色の中、遠く並んだ岩陰に小さな人影が見えていたが、リュマはそれに気付くはずもなかった。
岩陰の後ろでアルダは魔王城を睨んで言った。
「俺はやるぞ、この為に来たんだ。こんなチャンス逃したら次いつやって来るかも分からない」
「儂も突入することに異議はない、しかし突入して後どうする。おぬしのことじゃ、力任せに拳を振るって暴れるつもりかも知れんが流石に何か計画を立てて臨むべきではないか?」
「そうは言うけど……じゃあどんな計画があるんだよ」
「例えば……貯水庫を攻撃するのはどうじゃ。あの城が宙に浮いている間、当然ながら食料も水も補給はできんじゃろう。ならば城内には相当の食糧庫、貯水庫が用意されているはず。それを破壊してしまえば、実質的に城はもう飛べなくなると思わんか?」
「回りくどい事はそっちでやってくれ、俺は俺のやりたいようにやる」
アルダは岩から身を乗り出す。セルネイラが慌てて彼の袖を掴んだ
「待て、いくら何でも正面突破は無謀じゃ!」
「……でも、嫌なんだよ。今になってまどろっこしいやり方は」
アルダが旅に出たのは馬鹿な自分に何ができるのか、それを見極めるためだった。これまで何をしても人並み以下で定職にも就けなかった自分、母親と共に暮らしながら母を助ける事も出来ず弟にもまるで尊敬されていなかった、そんな自分を試すための旅だった。だからこそ自分のやり方は曲げたくなかった、しかしあの城に単身で殴りこむのがいかに無謀であるかはアルダも感じている。だからこそ未だどうするかを決めかねていた。
「確かに、いつ城が浮かんでしまうとも限らん。ここは一つ城に忍び込むことを優先すると言うのはどうじゃ」
「そうだな、まずは入り込んで様子を見よう」
アルダは憮然として強く息を吐くと顔を叩いて気合を入れ直した。
(俺らしくない、完全に場に呑まれてるな)
二人は再び岩陰から首を伸ばし周囲を窺う。
「……」
魔物の姿は見られなかった。
二人は静かに顔を見合わせると岩陰から飛び出し少し先の茂みに向けて走る。滑りこむようにして茂みに入るともう魔王城は目の前に迫っている、茜色に染まった城壁が自分達を眺めている気がした。
(……生きた心地がしないな)
ひょっとしたらもう敵に見つかったかもしれない。空はまだ明るく、西日がアルダ達を照らしている。さっき魔王の部下がこちらを見ていたら容易に自分達を発見できただろう。
アルダはもう一度深く息を吐くと、茂みを出て一気に城門の真下にまで走った。
心臓が高鳴るのを感じながら城に手を付くと、セルネイラと横に並んで城壁へぴったり身を寄せる。
「なあ……この後どうするんだっけ……」
「そうじゃなぁ……」
嫌な汗が流れた。
「どこか……入れる場所はないか」
そびえる城壁は高過ぎてとてもよじ登れない、背中を付けた城壁が熱いのは日差しで熱されたせいだろう。
もう隠れる場所はないのだ、ここへきて自分の無鉄砲さが思い知らされた。
「あれはどうじゃ」
そう言ってセルネイラが指したのは城壁に並ぶ狭間だった。少し高いが二人がかりなら手が届くかも知れない。
「よし、肩車するぞ」
アルダは小走りで狭間の下へ回り込むとセルネイラを担ぎ上げた。
「……どうだ」
「ダメじゃ、まるで届かん」
セルネイラが小声で言う。アルダは両手で少女の足の裏を持ち、バランスを取りながらバンザイをするようにして相手を持ち上げた。
「もう……ちょい……」
もういつ魔王が現れても不思議ではないのだ、今にも背後から魔物が襲い掛かって来る予感に囚われ背伸びする足元にも力が入った。
「早くしろ……敵に見つかるだろうが」
「あと少しなんじゃ、もうちょっと上げられんか……」
アルダは一度かかとを地面に付けると膝と腕を曲げ、ジャンプしてセルネイラを投げ上げた。
「うわ!」
少女は小さな叫び声を上げたが、無事に狭間の端を掴みそのまま中へと滑り込んでいく。アルダは大急ぎで振り返ると周囲を見渡した。
「……」
見えるのは斜陽に照らされた平野と岩山ばかりだ。それでもアルダは岩陰から魔物が狙っている気がして恐ろしかった。
「おいアルダよ」
くぐもった声が聞こえる。目をやると狭間から細いロープがぶら下がっていた。
「誰もおらん、今のうちじゃ」
アルダは二、三度ロープを引いて検めるとそれを両手で掴み、跳ねるようにして城壁を登った。
狭間に手をかけて身体をねじ入れると中には狙撃用の矢や敵を追い出すための槍、他にもランプなどの調度品が雑然と並んでいた。
そして本当に誰もいなかった。
「ほれ、ここを見ろ」
セルネイラはそう言って足元を指差す、床は一面にうっすらと埃が積もり二人の足跡が残っている。
「この部屋、誰も使ってないみたいじゃのう」
言われてみれば床だけではなく調度品もすっかり埃まみれで部屋の隅には蜘蛛の巣まである。
アルダは飾られた剣と盾を眺めた。
「まあ、魔物がこう言う武器を使うってのも考え辛いか……」
「恐らく元は人間が建てた城であったのを、魔王が奪い取ったのじゃろう。魔物の手でこんな城が造れるとも思えんしな」
まだ心臓は高鳴っていたが魔物がいないと思うと一段落付いたような気がした。
(まず侵入は成功てところか……)
アルダは少し安心しながら棚に置かれた金具に目をやった、見慣れない形をしている。
(何だこりゃ?)
手を伸ばしてその金具に触れた時、突然金具が溶けたように動き始めてアルダの腕に巻き付いた。
「うわ!」
金具はまるで蛇のようにグルグルと腕にまとわりつく、そしてどこからか大音量が鳴り響いた。
「ギャーーアアアア!」
「黙れこの野郎!何だよこれ!」
「何をしておるのじゃアルダ!早くそれを取らんか!」
必死で金具を抑えるが金具はがっちりと固まり簡単には外れない、耳をつんざく大声はまだ続いている。
「それじゃ、そこが音の元じゃ!」
セルネイラが示す先には壁から生えた骸骨がありその口が開いて声を上げている、見れば腕に巻き付いた金具は鎖で骸骨と繋がっていた、すぐに叩き壊したかったが位置が高くて届かない。
「喰らえ!」
セルネイラが呪文を放ち骸骨を破壊した。いとも簡単に骸骨は粉砕され白い破片がバラバラと床に散らばる。
「……」
部屋には再び静寂が訪れ二人の視線が交錯した、一体どうすればいいんだ、今にもその一言が出そうで出なかった。
次の瞬間ドアノブが回され部屋の扉が開いた、二人が見つめる先に豚顔の魔物が立ってこちらを見た。
「……」
「逃げるぞ!」
アルダはそう叫び弾けるように狭間へ向かったが狭間の外からは数匹の大トカゲが覗き込み行く手を阻んでいる、扉の豚が咆哮を上げて手に持った武器を構え二人の方へ突撃した。回避しようと身を屈めると壁から生えた鎖が腕を引っ張る。
「嘘だろ?」
骸骨を砕いてもまだ金具はアルダの腕に巻き付いていた、アルダはその場で跳躍して豚の突撃をかわすと壁に固定された鎖を力いっぱい引っ張った。
「何をしておるのじゃ!」
セルネイラが術を唱えて豚の魔物を黙らせた、アルダは壁に両足を着いて渾身の力を込める。
「……」
ゆっくりと壁にひびが入り、ついに勢いよく壁の鎖は抜けた。背中から落下したアルダが急いで立ち上がると今度は狭間から入り込んだ大トカゲが牙をむく。
二人が扉から外へと走り出ると回廊は蜂の巣をつついたような騒ぎだった、城のいたるところから亜人種や四足獣、羽のあるもの無いものから武器を持つもの牙をもつものまで、次から次へと魔物が現れ、やがて二人は城の中庭に逃げ込んだ。
数えきれないほどの魔物が集まり、中庭の自分たちを取り囲む。
「まったくおぬしと言う奴は!」
彼女の言葉にアルダは何の申し開きもできなかった。今や自分達は中庭で完全に魔王軍に囲まれている、腕の鎖がジャラジャラと音を立てた。
「……悪いな、生きて出れたら何でもするよ」
セルネイラが舌打ちをして腕を振るうと正面の地面が白く輝いて爆発した、閃光が収まるとさっきまでその場にいた十頭ほどの魔物は皆吹き飛んでいる。驚き戸惑う魔物の群れの中にアルダが突進し、三倍はあろうかと言う大型の魔物を正面から殴り飛ばした。殺気立っていた魔物達の動きが一瞬にして凍り付く。
「うらぁあ!」
アルダが大型の魔物を次から次へと打倒し、セルネイラは群がる小型中型の魔物を一掃した、数で勝っているはずの魔物達も思いがけぬ人間の猛攻とその強さに戸惑いを隠せない。
実のところ魔物達の大半は『何やら中庭が騒がしいので見に来た』程度の心構えの者がほとんどでとても戦意などなかった。しかしアルダ達にとっては二人対一城の戦いである、全力で戦う事は勿論、口に出さずとも『この混乱に乗じて少しでも早く脱出する』とお互いが考えていたので自然に攻撃も一点へ集中する。
二人は中庭の奥に見える正門を目指し魔物の群れの中を突き進んでいた、正門の向こうにはもう外が見えている。
「何と言う数じゃ……」
魔物達は倒しても倒しても湧いて出て二人に襲い掛かった、そもそも勝てるはずのない勝負なのだ、アルダもセルネイラも必死になって敵を蹴散らしていく。しかしそんなアルダの放った拳が一頭の双頭犬を殴り飛ばした時、よろめいた双頭犬はそのまま横倒しに正門をふさいでしまった。
(しまった)
アルダは内心で舌打ちした、あの大きな身体を乗り越えている暇はない。
渋面を作るアルダの背後から激しい声が聞こえた。
「行くぞアルダぁ!」
セルネイラはそう叫ぶと出口に向かって手を伸ばし、渾身の呪文を唱えた。途端に爆発のような轟音と衝撃が轟き光の雷が魔物の群れを貫く。
音が止んだ時、さっきまでそこにいたはずの魔物は残らず消え去り、倒れた双頭犬の身体も中心から二つに焼き切れていた。まるで掃除したような空き地がそこにあった。
(凄い……)
魔物だけでなくアルダも言葉を失った。見た目は少女だが、間違いなくセルネイラは人間ではない。考えれば彼女の正体について自分はまだ何も知らなかった。
「馬鹿者!早く来い!」
「あ、ああ……」
ハッとして正門へ走る、あまりの衝撃に魔物達はまだ戸惑っていた。
しかし、正門まであと数歩のところで上空から新たな魔物が降下して二人の前に立ちふさがる、それは大柄な体を持った馬頭の魔物だった。
「邪魔だ!」
アルダが走り寄り軽いフットワークで相手を殴りつけるが、馬頭の魔物は軽々とその拳を受け止めるとアルダを睨みつけ口を開いた。
「全く、貴様ら人間はどこまで目障りな存在なのだ」
(喋った!?)
馬頭は噛み殺すように声を漏らし軽々とアルダの体を持ち上げた。
「私は、今ひどく虫の居所が悪い」
抵抗する隙も無くアルダの身体が振り回され、傍らにいたセルネイラとアルダが一緒になって魔物の群れの中に投げ捨てられる。二人は急いで立ち上がり必死に周囲を薙ぎ払うが、魔物達も動揺しているらしく彼らを攻撃するものはいなかった。
その様子に馬頭の咆哮が轟く。
「何をしているのだ貴様らは!」
「……」
水を打ったように城内が鎮まった。
「こんなゴミ二匹に後れを取りおって!それでも魔王様の配下か!」
この魔物は幹部なのだ、部下の不甲斐なさに業を煮やして出てきたらしい。アルダは息を整えながらそう思った。
「さっさとこいつらを始末せんか!」
「……」
耳が痛くなるほどのしんとした沈黙が城内を支配した。
やがて一頭の魔物が雄叫びを上げる。
一頭の声に倣い次から次へと中庭にいる全ての魔物が喉を振るわせ始める。アルダは大急ぎでセルネイラに寄り添い、互いの背中を合わせた。正門からはもうずいぶん離れてしまった上に馬頭が門の前に立ちふさがっている、それに魔王軍は今の号令で指揮を取り戻したらしい。今や互いの声も聞こえないほどに魔物達の雄叫びは共鳴し合い体中がその音で震える。もうこの軍団に油断は無かった、今万全の状態で一城の軍が二人に襲い掛かろうとしている。
しかし、二人を取り囲む魔物達の輪は一向に狭まる気配を見せなかった、それどころかあれほどに高まった魔王軍の戦意が再び鎮まっていく。
「何だ、かかって来るんじゃないのか?」
アルダは背中合わせの少女に問いかける。
「分からん……」
セルネイラも必死に周囲の気配を探った。魔物達だけでなく馬頭までもが口を閉じ、表情には明らかな狼狽が窺える。
(まさか)
いつの間にかセルネイラは魔物達の見つめる先、城の中心部を見上げていた。
そこには一つの影が浮かんでいた。いつしか日も沈み明るかった空は青暗い紫へ変わり始めている、まるで太陽の名残を背負うように、夕闇の中にその影はあった。表情は見えなくともその影が何者であるか、セルネイラには感じる事ができた。
ゆっくりと、中庭を見下ろす影が動いた。
「……騒々しいぞ……」
声は静かな呟きのようでもあり、それでいて城中に響くような重みも感じさせた。
「ご、ご無礼を」
馬頭が言った。二人を警戒しながら必死に相手の様子を窺っているのが分かる。
「……忍び込んだのは……その二人か……」
「は。そのようであります」
その様子にアルダが口を開く。
「おい、あいつまさか」
「その通り」
セルネイラが答えた。
「あいつが魔王じゃよ」
魔王の影が小さく動き、二人を見つめた。
「……たった二人にしては…手ひどくやられたのう……」
「も、申し訳ございません」
馬頭が言葉を詰まらせる。既にその目はアルダ達でなく魔王に向けられていた。
「……リュマよ……余は先ほど部下を粗末にするなと、貴様には申したはずじゃが……」
「申し訳ありません、即刻私がこの手で人間共を始末して御覧に入れますので」
「……貴様……そいつの気配に気付かんのか?……」
リュマが二人の方を見る。魔王の視線はアルダではなくセルネイラに向けられていた。
「……久しぶりではないか……王女様よ……」
「王女?」
アルダもセルネイラを見る、セルネイラは小さく顔を背けた。
「……そやつは妖精族の王女……二年前の戦いで幾人もの余の部下を葬った、セルネイラその人であるぞ……」
「何と、妖精族の要人とは」
セルネイラを見つめるリュマの目が大きくなった、アルダも魔王とセルネイラを交互に見比べる。
「お前、そうだったのか?」
「まあ……言うなればそうじゃな」
少女は苦い顔でそうこぼした。
「……並の部下をけしかけても犬死であろう……リュマよ、貴様がそ奴らの首を取って見せい……」
それだけ告げると魔王は煙の様に消え去った。後には只薄暗い夕闇が残る。
「必ずや!」
リュマは力強く応えると向き直り、力強くアルダ達を睨みつけた。凄まじい殺気が二人を容赦なく包み込む。
「どうやら相手はあの馬頭のようじゃな」
「勝手に決めてくれるぜ……」
二人がそう言うとリュマの巨体が砂埃を上げてアルダに突進した、アルダが咄嗟に身をかわしリュマの拳が地面を殴りつける、中庭の一角が大きくえぐれた。
「おっかねぇな!」
アルダが体勢を整えるより早くリュマの首が動きその口から紅蓮の炎が吐き出される、セルネイラの呪文がリュマ目がけて放たれ顔面へ直撃したが、リュマの顔には傷一つ残っていない。
リュマが今度はセルネイラに向けて口を開き咆哮を放つと振動と衝撃波が少女を包み、弛緩したセルネイラの身体はそのまま後方に吹き飛ばされた。起き上がったアルダが跳躍してリュマに拳を繰り出す、リュマも拳を構えてそれを受け止め距離をとった。魔物の両目がアルダを捕えると大きく息を吸い込み、口から再び炎が吐き出された。アルダは必死で上体を反らして何とか相手の攻撃をかわす。背後で部下が巻き添えを喰らったのも意に介していないらしい。セルネイラが腰を落として強く呪文を放ったが、リュマは全身の魔力を解放させてそれをかき消してしまった。凄まじい魔力の余波がアルダの皮膚を震わせる。
「キレるなって、魔物のくせによ……」
リュマは右手を振り上げると一気にアルダとの距離を詰める。接近戦が始まった。
(何て速さしてやがる)
リュマの攻撃は速く、それでいて拳の一つ一つが重い。やがて拳の一つがアルダを捕え、土の上に身体が転がった。
「大丈夫かアルダ」
セルネイラがすぐ近くにいた。
見上げればリュマの吐いた炎が二人を直撃する。
「うわ!」
アルダがそう言って手をかざしたが、炎はセルネイラの出した青白いバリアで防がれていた。少女はバリアを唱えながらアルダに声をかける。
「アルダよ、次の一撃にかけるぞ」
「何?」
「儂は全力で魔力を溜める。ぬしの力で少しだけ時間を稼いでくれ。頼んだぞ」
リュマの炎が尽きると同時に、跳躍した馬頭の一撃が上から襲い掛かった。
(迷う余裕もねえな!)
アルダは一歩も引くことなく、正面からその拳を殴り返した。極限状態で研ぎ澄まされたアルダの意識は全身の魔力を拳に集中させ、インパクトと同時に炸裂させる。衝撃波が周囲に轟き、両者の身体が反動で吹き飛ばされた。
「……小癪な!」
リュマが次の攻撃を仕掛ける、アルダの方は流石にそう何度も連続で技を打つ事は出来ない。アルダは繰り出される拳と炎をかわしながら機会を窺った。
そして相手が拳を振り上げたのに合わせてアルダは素早く相手の懐へ潜り込む、身体の下に入り、背負うようにして相手を持ち上げた。
「うお……この」
投げ飛ばしてやるつもりだったが、思った以上に相手が重い。よろめいたリュマが手を伸ばしてアルダの背を掴み、アルダは身を回転させながら相手の下っ腹を殴りつけた。
「ごふっ」
十分な手ごたえだったが相手はわずかによろめいただけでこちらを睨みつける。横からリュマの尾が現れて強くアルダを打ち付けた。
アルダが横倒しに倒れた時、セルネイラの右手が強烈な閃光を発した。妖精族の王女である彼女がその持てる力の全てを一点に集中させ、まるで雷そのものの様な一撃をリュマに向けて放ったのだ。
雷鳴の様な爆発音のような衝撃の後、リュマが白い炎に呑まれながら地を転がった。致命傷までは至らなかったのかもしれない。
「今じゃアルダよ!」
セルネイラがそう叫ぶ。アルダは行動に迷い、立ち上がって彼女の方を見た。
「逃げるぞ!」
少女はそう叫んでがら空きの正門に向けて走る。アルダも急いでその後に続いた。
「うおおおおお!!」
リュマの咆哮が背後から響き渡る、アルダとセルネイラが同時に正門を潜るが、そこに地面は無かった。
「……マジかよ」
いつの間にか、魔王城は宙に浮いていたのである。はるか下方には真っ暗な夜の大地が広がるが、見えるのは墨の様な黒ばかりだ。
「殺せえ!」
背後からはリュマと数えきれない魔物の大群が押し寄せる。選択の余地はなかった。
「行くぞ!」
「ええ!?」
先に跳んだのはアルダだった。その手はセルネイラの片腕を握っていたが、跳躍の直後、リュマの炎が落下する二人を包む。
咄嗟に唱えたバリアでアルダを守ることはできなかった。アルダの身体が炎にまみれながら夜の中を落ちていく、セルネイラの身体も時を同じくして落下した。
「アルダ―!」
風に巻かれながら叫ぶが、アルダは炎の中で必死にもがいている。そして地面があった。
「…。」
どのくらい経ったのか、セルネイラが目を開けると彼女はひどく不安定な姿勢で動けずにいた。身体を揺らしてみるとどうやら木の枝に引っかかっていたらしい。命を拾った事に安堵しながらよたよたと木を降りる。
「……」
辺りに魔物の気配はない、しかしいずれ敵の捜索が来るだろう。
(あ奴も無事でおると良いのじゃが……)
夜の闇はどこまでも、深い森の中を覆っていた。