街中の戦い
街中を魔物が飛び回り、逃げ惑う人々を捕まえて牙をむく。地獄絵図の景色が広がる中、一匹の子鬼のような魔物が屋根に座り込み、その光景を楽しそうに眺めていた。
「素晴らしい、きっと魔王様もお喜びになるであろう」
そう言いながら笑う子鬼の背後に忍び寄る影があった。
「どうやら順調なようだな」
子鬼が驚いて振り返ると、そこに立っていたのは馬の頭を持った魔物だった。首から下の部分は人間によく似ていてむしろ逞しい大男と言った様相だが、首から上はまるでチェスの駒がそのまま乗っているような、本当に『馬』の頭だった。
子鬼は立ち上がって馬頭の魔物と向かい合った。
「……何だリュマではないか驚かすな」
「侵攻の具合はどうだ、見たところ順調なようだが」
「当然である。このマルオー様の軍勢が愚かな人間などに後れを取る筈がなかろう」
マルオーと名乗った子鬼は得意満面の様子で馬頭の魔物、リュマに街の様子を自慢した。
「そうか、しかし西の大通りで貴様の軍勢を次々と蹴散らす人間がおったようだが」
「何ぃ、馬鹿を申すな俺様の軍勢が人間風情にてこずる筈がなかろう」
「能書きは良い、私が言いたいのはその人間が妖精を連れておると言うことだ」
「妖精だと?」
「そうだ。魔王様の叱責を受けたくなければ、殺さず生け捕りにするべきではないかな」
マルオーは腕を組むと、片眉を上げてリュマを見上げる。子供程の身長しかないマルオーに対してリュマの体躯は2mを超えていた。
「ふん、貴様に言われずともそうするつもりであったわ。余計な口出しをするな」
「それは失礼した。貴様の小さな体では街の様子が見渡せぬのではないかと思ったのでな」
リュマがそう言った瞬間、マルオーの放った炎がリュマの顔を焼いた。
「でくのぼうが、少し大きいからと言って調子に乗るなよ……」
リュマは涼しい表情で顔を撫でるとマルオーを見下ろして口を開いた。
「どうするのだ?もたもたしていては妖精に逃げられてしまうぞ」
「……覚悟していろ。この街を滅ぼしたら、貴様の死体も一緒に焼いてくれるわ」
そう言ったマルオーが口笛を吹くと一羽のガルーダが降下し、マルオーを背中に乗せて飛び立った。たちまちその姿が見えなくなる。
「シャドウはいるか」
「……ここに」
リュマの足元から黒い影が現れ、傍らに控えた。
「話は聞いておったであろう、マルオーの相手だか恐らくマルオーでは勝てん。マルオーがそ奴らの相手をしている間に貴様は人間どもの影に潜むのだ」
シャドウから小さな笑い声が漏れる。
「全く、リュマ様もお人が悪い……」
「別にマルオーを捨て駒にしたのではない。確実に貴様を潜入させるにはあやつ程度の存在が必要だったまでよ。それに場合によってはマルオーが勝つやも知れんしな」
シャドウは一礼するとレンガの壁を伝って市街へと向かった。
壮麗に飾られれた建物が大通りの両脇に並ぶ。ハルトは石畳の上を走りながら後ろの女性を振り返った、何度見てもただの町娘にしか見えない。
「ワトーよ、さっきのを見たか?」
声をかけると肩に乗ったワトーが顔を出した。
「私の目にも、あの女性が何かの力で魔物から身を守ったように見えました」
やはり見間違いではなかった、ハルトはそう思いながら足を止める。辺りにはまだ何匹もの魔物が徘徊し、街中のいたるところで黒い煙が上がっていた。
「俺はトル・ラバートリックと言う者だが、あんたは?」
「私は……ナサルディ・ネルソンと言います」
ナサは焦った、一刻を争うこの状況で一体何の話が始まるのか。しかし彼女のそんな気持ちにも構わずハルトはあくまでも落ち着いた口調で続ける。
「ネルソンか。さっき魔物に襲われたのに無事だったのは一体どうやったんだ?」
「私にもわかりません……あの、その話は今でないといけませんか?」
「別に後でも良いんだが、次に会えるとも限らないだろう?」
「後にして下さい、話してる暇に魔物が来ます!早く、逃げないと!」
(随分錯乱してるな……)
ハルトは辺りを見渡す。確かに何匹もの魔物が辺りを徘徊しているがその殆どが雑魚だ、もっともこのネルソンと言う女性は一般人のようだから、このレベルの魔物に対しても避難する必要があるのだろう。
「お前の家はどこだ、そこまで連れて行ってやる」
「私は……旅の者ですから、家はこの街にありません。どこに避難していいか分からないんです」
壁から巨大なムカデが降りてきてハルトの背後に忍び寄った。
「後ろ!」
ナサがそう叫んだ時、既にムカデの頭は飛んでいた。ハルトは向き直って剣を下ろすと何食わぬ顔でナサの方を見る。
「後でいろいろと聞きたい、またどこかで会いたいだが」
ナサは驚きのあまり声が出なかった、頭を失った大ムカデは何をすることもできずに石畳の上をのたうっている。
「勇者殿、彼女を連れて街の外に出てはいかがです?恐らくこの街の中に安全な場所は少ないでしょう」
「そうだな、一旦外に出て落ち着ける場所を探そう。ついて来てくれるか」
「……はい」
ハルトはそれだけ確認すると踵を返して街の中を走った、ナサも大慌てでそれに従う。勇者がどうかは知らないが自分にとっては正に命懸けの瞬間なのだ。ナサは小さな悲鳴を上げながら必死になって勇者の背を追った。
「トル!」
声の方を見ると路地の先からウィルが走って来ている。露店が並び普段は人で賑わう大通りも今では大半が破壊されていた。
「ウィル殿、ご無事ですか」
「数は多いがそこまで厄介な魔物はおらん、だが長くとどまるのも危険だな」
ウィルはそう言いながらハルトの後にいるナサを見やった。
「お嬢さん、外にいるのは危険だ。家で大人しくしていろ」
「あの、私は……」
「ちょっと待ってくれ、彼女に聞きたい事があってな、話が出来る所まで連れて行きたいんだ」
「何を言っている?」
ウィルは訝しげにハルトを見た。
「説明すると長くなる。取りあえずこの街を出よう」
その時四人の頭上で大きな鳥の羽音が聞こえた。
「何だ?」
手をかざして見上げると太陽を覆うようにして巨大なガルーダが路地へ降下してくる。
「話は後だな」
ハルト達は一斉に散開して物陰に隠れた、突風をまき散らしながらガルーダが路地に降下して露店の幌や骨組みが飛ばされていく。
ハルトは木箱の裏に隠れると短弓を取り出して矢を構えた。身体が大きく炎を吐くガルーダは強敵だが矢で奇襲すればそれ程のことはない。ハルトは相手の気配を窺いながら身を乗り出し、怪鳥の顔面に狙いを定めた。
しかしそこで手が止まった。
(何をやってるんだあいつは……)
そこではナサがガルーダの目の前で震えながら立ち往生していた、ガルーダは今にも彼女めがけて炎を吐かんとしている。ハルトは路地へ飛び出すと大声でガルーダを呼んだ。
「お前、相手は俺だ!」
ガルーダが声に反応して振り返った瞬間ハルトの放った矢がその左目をとらえた、巨大な怪鳥が凄まじい声を上げながらドタンバタンと暴れる。既に勝負は決していたが、ナサはまだその場に立ちすくんで動かずにいる、慄然とするあまり逃げる事もできないらしい。今度はウィルが叫んだ。
「馬鹿野郎!女!さっさと逃げろ!」
暴れまわるガルーダの鍵爪がナサの身体に食い込み、その身体を引き裂いた。
「ネルソン!」
その瞬間ナサが死んだものと誰もが思ったが、ハルトが走り寄って抱え起こすと彼女は平然と口を開いた。
「……私は大丈夫です、ごめんなさい」
さっきと同じ白い光が彼女を包み込み、彼女を守っていた。そしてその光はハルトの方へと流れていく。
「何だこりゃ……」
立ち上がって自分の手足を眺める、ナサの持つ白いオーラがハルトの身体を包み、そして次第にそのオーラは勇者の聖剣に集まっていくのだ。
「何だトル、それはどうなってる?」
「勇者殿、それは一体……」
4人全員が見つめる中聖剣はオーラを完全に吸収し純白の輝きを放ち始める、ハルトも聖剣のこんな姿は見た事がなかった。聖剣は昔からずっと村長の家に飾られていたのでハルト自身詳しく知っているわけではない。
だがどうやらこのナサルディと言う女性、彼女の持つオーラが聖剣と呼応し互いに共鳴しているらしい。
「お前……何者だ?」
ハルトはナサを見て言う、やはりただの町娘にしか見えない。
「私は……私は、ただの人間です」
皆が顔を見合わせる中、聖剣は次第に輝きを失いやがて静かな鉄色に戻った。軽く振ってみても風切り音がするだけでもう普段と何ら変わらない。
「お……おのれ人間め」
微かな声に振り返ると、転げまわるガルーダの脇に小さな魔物が腰を押さえながら立っていた。
「貴様ら、この俺様を魔王様の一の部下マルオー様と知っての無礼か!」
「喋った!?」
ウィルが驚いて言う。ハルトも目を丸くした。
「何だこいつは、どうして口が利ける?魔物じゃないのか?」
「勇者様、こやつめはどうやら『魔族』の様です」
ワトーが口元に手を当てて言った。
「魔族?」
「魔族とはすなわち魔の世界を統べる種族。魔王の仲間の事です、我々と同等の知能を持っているとか」
「と言う事は、こいつは結構良い情報源なんじゃないか?」
ウィルが腕組みをしながら言った。
「確かに、魔王についていろいろと知っているかもな」
「ちょっと待て下さい、魔王ってどういう事ですか……」
「貴様ら!俺様を放って何をゴチャゴチャと!思い知るが良い!」
立ち上がったマルオーが手を掲げると上空に巨大な火球が現れ四人めがけて落下した。
「いきなりかよ!」
「やだ、嘘でしょ!?」
爆音と共に辺り一帯が真っ赤な炎に包まれる。
「フハハハハハ!どうだ人間め!貴様らの様な低能な種族!束になろうとも俺様には敵わんのよ!」
目の前に広がった火の海にマルオーの高笑いが響き渡る、部下のガルーダが巻き添えになった事も全く意に介していないらしい。
「勇者様、お怪我はございませんか?」
炎の中でワトーがハルトに声をかけた。
「ああ、助かったよ」
「すいません、私まで……」
ワトーを中心に青白いバリアが展開され、四人を炎から守っていた。よほど愉快らしくマルオーの甲高い声が炎の中まで聞こえてくる。
「ペラペラとよく喋る奴だ。あれが本当に魔物か?」
「しかし、あいつなら捕えられるんじゃないか」
「そうですな、捕えて魔王の情報を聞き出す良い機会かもしれません」
「そう言う事なら、俺が行ってタコ殴りにするとしよう」
ウィルが盾を構えて炎の中に走る。そうとは知らずマルオーは通りの真ん中で楽しそうに次から次へと火球を投げ込んでいる、その隣に黒い影が立ち上がった。
「……マルオー様」
「何だ、シャドウではないか。何の用だ」
興を削がれたマルオーはであからさまに顔をしかめた。
「……恐れながら申し上げます。リュマ様より妖精は生け捕りにせよとの助言があったと記憶しておりますが、よろしいのですか?」
「しまった、そうであった。なぜもっと早く言わんのだ!」
マルオーが腕を振ると突風が吹き荒れ、路地の炎をかき消していく。
「まだ間に合うはずだ、すぐに引きずり出して……」
マルオーが目を凝らしていると、突如ウィルの拳がマルオーの鼻っ面をとらえた。子鬼の身体が大きく後ろにのけぞり壁際まで転がる。
「きしゃま……生きておったのか。なぜ俺様の、ほのおが効かぬのだ」
顔面を抑えて涙を流しながらマルオーがウィルを睨む。
「そりゃお前の呪文が出来そこないだからだろうさ」
ウィルが子鬼の首元を掴んで壁に叩き付け、縄で手足を縛り始めた。
「おにょれ……者ども!かかれ!」
周囲からサルの魔物が次々に現れ、ウィルの身体に爪を立てた。いつの間にか周囲にシャドウの姿はない。
「うお!?」
ウィルが地面に転がった隙にマルオーは立ち上がり怒声を張り上げる。
「殺せぇ!殺すのだぁ!」
傍らから飛び出したハルトが群がるサルを蹴り飛ばした。別方向からワトーが呪文を放つとそれがマルオーの顔面に直撃する、叫び声をあげていたマルオーが再び顔を抑え転げまわった。
「ウィル、大丈夫か?」
「申し訳ない。あんなチビに不意を突かれるとはな」
「小物ながらなかなかの呪文を使います、油断は禁物でしょう」
「あの小さいのはどうしたんでしょうか」
「標的が小さいと見つけ辛いからな」
どこからともなくマルオーの声が響く。
「貴様ら、楽に死ねると思うなよ……」
黒い炎が爆発し、中から黄色いゴリラの様な化け物が現れた。
「何だありゃ……あれがあのチビなのか?」
「もう手加減はせんぞ!どっちがチビか思い知るが良い!」
化け物となったマルオーが拳を振り下ろすと街の石畳にヒビが入り地面が大きくえぐれた、四人が一斉に距離をとる。
「面倒くさい奴だな」
ハルトが素早く矢を射るがその矢は鎧の様なマルオーの体毛に防がれて通らない、化け物が口を開くと紅蓮の炎が噴き出される。
「危ない!」
ワトーのバリアが四人を包むが、さっきの火球よりも遥かに威力が増している。
「一体どういう理屈だ、突然変身しやがった」
ウィルが呟いて武器を構えると、マルオーの身体が勢いよく回転し巨大な尾が全員を横殴りに叩き付けた、咄嗟にトルが跳躍しウィルが身を屈める。
しかしその尾が完全に振り切れることはなかった。
「……」
巨大な尾は逃げ遅れたナサの光に防がれて止まっていた。どれだけマルオーが力を込めてもそれ以上尾を振る事が出来ないらしい、そして先ほどと同じようにナサを包む白い光はハルトの聖剣へと注がれる。
「小癪な小娘が!」
マルオーが跳躍してナサに拳を叩き付けるが、地面をえぐるほどの威力も彼女のオーラを貫通する事はなかった。
「うぬれ!」
マルオーが両手でナサを握り潰そうとするが、既にマルオーの左手は身体に付いていなかった、左肩から鮮血が飛び散る。
「こいつは凄いな……」
白く輝く聖剣がいとも簡単に魔族の腕を切断したのだ。ハルトの持つ聖剣はナサから溢れる白いオーラを次から次へと吸収し純白の稲光を帯びる。
「馬鹿な、魔王様から頂いたこの身体が……」
腕を抑えたマルオーが呆然とする中、ハルトは地を蹴ると大きく剣を振りかぶり、稲光もろともマルオーに向けて振り下ろした。
轟音と共に爆発のような光が発せられマルオーを両断する。
「……」
ハルトが立ち上がって剣を振る。剣は既に輝きを失い、目の前の光景がこの剣によるものだとは到底思えなかった。斬撃は剣の遥か先までもを切り裂き、魔物も建物も地面にも裂傷を刻んでいた。
「勇者殿、ご無事で」
「俺は無事なんだが……」
ハルトは振り返ってナサを見た。
「お前、本当に何者なんだ……」
「私は……本当に只の人間、商人です。魔物と戦った事もないし、呪文も使えません」
「待て、今の技はこの女の力なのか?聖剣が魔族に反応したんじゃないのか?」
「だとしても、どうして彼女は魔物の攻撃を防げるのでしょうか。あんな呪文はこれまでに見たことがありません」
「……私にも分かりません」
皆が互いの顔を見やる。思い出したように視界の隅を魔物が横切った。
「街の外に出よう、落ち着いて話がしたい」
「……私も、妖精族の人の話を聞きたいです」
「私のですか?」
四人がそれぞれの思惑を抱えながら街の外へと向かう。
ウィルの足元で影に潜んだシャドウが不敵に笑っていた。