決戦
優しい太陽の光が地上の空気をじっくりと温める。雄大な大地を眺めるように魔王城は悠然と空を漂っていた、先に見える町では今まさに魔王の軍勢と人間達との戦いが繰りひろげられ町のそこここから黒い煙が昇り始めている。
魔王軍にとってそれは普段と何も変わらない人里の襲撃だった。しかしその景色の中、ドラゴンの翼が力強く空を裂き魔王城へと近づいていく。
(あれに乗り込めばよいのだな)
魂を通じて、その言葉がドラゴンの背中にいるナサルディへと聞こえた。
(はい……お願いします)
ナサルディは薄く目を開けると心の中でそう応えた。強い風圧の中で彼女はマントに首を埋める。その後ろにはハルト、ウィル、ワトーが並び、ドラゴンの尻尾近くにセルネイラとアルダが控える。
ナサルディの後ろでハルトは次第に大きくなる魔王城を眺めていた。突風に吹かれながらも彼は城から目を離す事ができなかった。
「……」
不思議な気分だった。城が飛んでいるなどアルダ達の話を聞くまで信じられなかったのに、今その姿を目にするとまるで自分はずっと以前からこの城を知っていたような気がするのだ。
やがて四人の人間と二人の妖精を乗せたドラゴンは城の周囲を旋回し始める、小窓の並ぶ城壁が目まぐるしく通り過ぎ、翼の生えた巨体が少しずつ高度を上げていく。
そしてドラゴンの身体が城壁の最上部近くまで達したとき、大きな翼が力強く羽ばたきドラゴンの体勢が変わった。全員が慌ててドラゴンの背中にしがみつくのをよそにドラゴンは胸壁と銃座に爪をかけ、城壁を蹴り崩すようにして乗り越えると魔王城の内部に地響きを上げて着地した。
「行くぞぉ!」
ハルトが叫んだ、周囲では城のそこら中から大小さまざまな魔物達が顔をのぞかせ驚愕の声を上げる。
「皆さん!ご武運を!」
ナサルディ以外の五人が中庭に降り立ち、身にまとっていたマントを脱ぎ捨てた。特別製の分厚い生地には焼き石が入っていて移動の間にも身体は冷えていない。ハルト、ワトー、ウィルの三人が周囲を見渡し手近な扉へと向かった。反対側ではアルダとセルネイラが別の扉へと滑り込んでいく。
既に手筈は全員の頭に入っていた。
「とすると、まずは俺達が魔王城に忍び込む訳だ」
侵入の一週間前、妖精の里の広間でハルトはそう呟いた。周囲には仲間達の他に妖精王やベサド達も座っている。
「左様です。ドラゴンが一度に運搬できる人数はそう多くありません、可能な限りの戦力を持って奇襲をかけようと思います」
妖精王の言葉にウィルが口を開いた。
「しかし、俺達だけってのはちょっと少ないように思うが……あれだけ大きな翼なのにそれだけしか運べないのか?」
「搭乗は可能でしょうが移動中敵に発見される恐れもある、多少の機動性は確保する必要があるのです」
「ふむ、まあそれもそうか」
ベサドの言葉にウィルが腕を組んで応える、テーブルの一番端からけだるそうな声が聞こえた。
「……さっきから結構な話だがよ。結局いつ城に乗り込むんだ?俺の鎖で敵の居所が分かってんなら今すぐでも出発すりゃいいじゃねぇか」
アルダの声にセルネイラが口を開いた。
「阿呆、おぬしは魔王軍の数を忘れたのか?確かに人数こそ増えたがそれでもたかだか六人、一城を相手に戦えるはずがなかろう」
「あ?ふざけんなよ?これだけやって結局勝てませんとか言うんじゃねえだろうな?」
身を乗り出すアルダとセルネイラが睨み合った。
「……」
ハルトが視線を妖精王に戻して尋ねる。
「それで……どうするんだ?攻撃のタイミングは確かに重要だろう」
「ご説明します。決行は魔王軍が外に出払っている間、つまり人里に襲撃を行っている間に行う予定です」
隣に控えていたベサドが資料を広げると口を開いた。
「セルネイラ様の話とこれまでに確認されている魔王軍の数から判断して、魔王軍は人里を襲撃する際にその部隊のほぼ全てを動員していると思われます。また魔王城の動きを観察しましたが一度人里を襲撃してから暫くは上空に退避しています、この事からも襲撃の前後で傷付いた構成員の回復を……」
「ややこしい話はいいんだよ!要するにいつ、俺達は魔王城に乗り込めるんだ!」
アルダが机を叩いたが、ベサドは臆する様子もなくアルダを見返して告げる。
「魔王軍が人里を襲撃している間、城が空になっている時を狙います。恐らく十日以内に実現するでしょう」
「十日以内……」
ナサルディは小さく息を呑んだ。妖精王が続ける。
「勿論我々も戦いに参加します。第一班にワトーとセルネイラの二名を加え、皆さんが戦っている間地上に降りている魔王軍は私が相手を致しましょう」
「……」
少しの沈黙が流れる。 ウィルがアルダを顎で指して言った。
「ところで本当にこいつを連れて行くのか?俺はまだ納得できん」
「そうかい、俺がいちゃ皆さんにご迷惑だったか?なら大人しく失礼するとしようか」
そう言いながら手を広げてアルダは立ち上がり乱暴に荷物を担ぎ上げた、全員の視線が集まる中を出口へ歩き始める。
「アルダよ」
「……」
アルダは少し迷ったが歩を止めるとセルネイラを見た。
「……何だよ」
「そなたは確か魔王城に乗り込むときに言っておらなんだか?自分は魔王と戦う為にここまで来たと、今更まどろっこしいやり方をするのは嫌だと」
「……まあ、言ったかも知れねぇさ」
「改めて一度考えるが良い。ま、チームを離れると言うならそなたに借りていた旅費と食事代金を払おう、すぐに用意するから今日中にでも決めてくれれば良いぞ」
「は?俺は金なんて別に……」
しかし彼がそう言った時、既にセルネイラは妖精王の方に向き直っていた。
「母様、失礼致しました。この者がどうするかは今日中に当人が答えを出す事でしょう」
「……」
タイミングを逃したアルダは部屋を出るでもなく、荷物を持ったまま立ち尽くしている。
アルダにも聞こえる声で、妖精王が口を開いた。
「ベサドからもありましたように、我々は魔王軍が人里に降り内部が手薄になった時期を見計らい魔王城に乗り込みます。攻撃に向けて皆さん身体を休めていて下さい」
「いよいよだな……」
ハルトは顔の前で両の手を組み合わせたが、ハルトは再び胸中にわだかまりのような例の『衝動』がくすぶるのを自覚していた。
「ええ、いよいよです……」
彼の隣でワトーがそう答える。ハルトは動揺が顔に出ないよう意識しなくてはならなかった。
「皆さん、どうか無事で」
ドラゴンの背中にしがみつきながら、一人残されたナサルディは辺りを見渡した。突然現れたドラゴンに魔王軍は明らかな狼狽を見せているがそれでも数頭は武器を取りこちらに向かって来る。階段や柱の陰で矢を構えている魔物もいる。
(我が主よ……ここで少し暴れればよいのだな?)
(ええ、お願いします)
ナサルディが念じるとドラゴンは高らかに咆哮を上げ向かってくる魔物に灼熱の炎を吹き付けていく、彼女が熱気に顔を背けるとドラゴンは舞い上がって再び城壁の上へと着地した。そして立ち並ぶ尖塔に炎を浴びせかける。
(ドラゴンさん、あまり城の上は狙わないで下さい!)
ナサルディは慌てて口をはさんだ、先日の話からして魔王が城上の階、恐らく塔の上にいる事は聞いていたのだ。
(……注文の多い奴だ)
(もういいです、早く地上に戻って次の部隊を連れてきましょう!)
ドラゴンは大儀そうに首を回すと翼を広げ、再び地上目がけて降下していく。降下するドラゴンの背にしがみつきながらナサルディは敵に追われている気がして何度も後ろを振り返った。
「魔王め……一体どこに隠れておる」
城内の別の場所ではセルネイラとアルダが走りながら魔王の姿を探していた。以前忍び込んだ時はあまりの敵の多さから逃げ回る事しか出来なかったが、今では逆に魔物の方が自分達に驚いて右往左往している。
(やはり母様の見立ては正しかった)
そう思って隣を見るとさっきまでそこにいた筈のアルダがいない。後方の扉から爆発のような音がした。
「何じゃ!?」
振り返って音の方に構えると憮然としたアルダが扉を開けて廊下に出て来る、部屋の中では大きなサソリが殻を砕かれぴくぴくと痙攣していた。
「ああ畜生……ここもはずれじゃねえか!」
アルダはそう言いながら無造作に隣の部屋に入ると中にいた魔物に飛び掛かった。魔物が壁に叩き付けられ、飾られていた鎧や盾が騒がしく床に落ちる。
「こ、これアルダ!もっと静かにやらんか!騒いで敵が集まって来ては意味がないであろうが!」
アルダは魔物に止めを刺して立ち上がる。
「うるせぇ!勇者が見つからなきゃそれでいいだろうが!俺に指図すんじゃねぇよ」
アルダは肩を怒らせ部屋を出ると声高々に叫んだ。
「どこだ、魔王!さっさと出てこい!」
そう言いながら廊下を歩き、次々に扉を開けて行く。
(全くこの男は、自分の思い通りにならなければすぐへそを曲げる……)
どうやら戦いが理想の形にならなかったことに業を煮やしたらしい。いい迷惑ではあるがこれはこれで勇者達が動きやすくなるかも知れない。
(まあ四の五の言っても始まらんな……)
セルネイラは小さく溜息を吐いてアルダの後を追った。
「トル、そっちからも来るぞ!」
ウィルがそう叫ぶとハルトの背後から大きな剣が振り下ろされ、大理石の床にひびを入れる。
「大丈夫ですか勇者殿!」
ワトーが声を上げると振り下ろされた剣の裏側からハルトが現れて手を上げた。
「何とか大丈夫だ」
相手は見上げんばかりの身体を持つ彫刻だった。どう見ても只の石像だったのがハルト達が近づいた途端に動き始めたのである。二体の石像が台座から降りて回廊に立ちふさがる、後方には槍を持った大ネズミの魔物が集まって鼻を鳴らしていた。
石像が唸り声を上げて剣を振りかざす、それを合図にしたのか背後のネズミ達も槍を手に突進した。
「面倒臭い……」
ハルトは退魔のオーラを充填させると、聖剣の斬撃で石像の胴体を斬り払った。回廊の壁が裂け、辺り一帯に強い光が轟く。後ろでネズミ達を薙ぎ払いながらウィルがこちらを見た。
「やったか?」
胴を二分され石像は力なく崩れるが、上半身だけになった二体はまだ腕を振り上げてハルト達を捻り潰そうともがいている。切り口を見てもそれは只の石像にしか見えないが、まるで生き物の様な柔軟さで二体は動いているのだ。
「こんな魔物がいるとはな……」
「いえ勇者殿、恐らくこれは呪文によって石像を操っておるのです。術者を討てばこやつらもまた只の彫刻に戻りましょう」
「そう言う事なら、直接戦うのは割に合わないってもんだ」
三人はしぶとく動き回る石像の間を抜け、回廊の先の扉へ手を伸ばした。
扉の先にあったのは広間だった。かつて城主達が食事をとり笑い合っていたこの部屋も、今ではあらゆる家具がぞんざいに投げ捨てられ机も椅子も部屋の隅でガラクタと化している。
「……何だありゃ?」
ウィルが部屋の奥を見て呟いた、ハルトとワトーもその方向を見て目を細める。広間の奥、敷き詰められた石畳の先に奇妙な物が見えていた。
「……」
まるでチェスの駒だった。二十体近い石像が規則正しく並んでこちらを見る、そしてその真ん中に一羽のウサギが立ち、同様にハルト達を見ていた。丸く曲がった腰、そしてあごひげの様に垂れた口回りの長い毛並みがどこか老齢さを感じさせる。
ウサギは薄く笑みを浮かべると口を開いた。
「全く貴様らには驚かされる、只の人間でありながらマルオーを倒したばかりかよもやリュマまでもを討つとは……否、リュマに止めを刺したのは妖精王であったかな?」
「魔族か、ならば魔王の居場所を吐いてもらおう」
ウィルが呟いて斧を構える。
「落ち着かんか」
ウサギがそう言うと並んだ石像が一斉に動き始めた。それもさっきの回廊にいた二体とは比べ物にならない程に素早く。騎士や歩兵の像が力強く地を駆けるとハルト達の前に立ちふさがった。
「無礼者め……話はまだ終わっておらんのだ、死ぬのは会話の後にせい」
「……」
とても彫刻とは思えないその動きに一同の足が止まった。ウサギはまた口を開く。
「さて勇者よ。お前はどうして魔王様に逆らおうとするのだ、ほれ答えろ」
「何を言っておるのだ貴様は」
ワトーの声にウサギは地の底を見るような視線を向けた。
「ハエが。俺は勇者に聞いておる、口を利きたくばまず言葉を覚えてから出直すが良い」
「何を……」
その言葉が終わる前に騎士の像が跳躍しワトーに襲い掛かった、慌てて身をかわすワトーをウィルが庇い斧を振るうが、石の身体はいくら斬りつけても動きが鈍る事はない。
ウィルがワトーを抱えて身を引き、再びハルト達とウサギは向かい合った。乾いた埃が部屋の隅で舞った。
「あーうむ、それで勇者よ、さっさと答えろ」
もう一度ウサギは冷めた目をハルトへと向ける、ハルトは像に気を配りながら口を開いた。
「逆らうも何も俺が魔王に従う理由がない、地上を荒らされちゃ迷惑だから退治しに来ただけだ」
「阿呆」
ウサギは吐き捨てるように言った。
「お前は戦いたいなどと思っていない。大方勇者の血筋を引いていると言うだけで周囲から持ち上げられたのだろう」
それを聞いた瞬間、ハルトは背筋が寒くなる感覚に襲われた、全身が硬直するようだった。
「貴様、好き勝手な事を言いよって……」
隣からウィルの声が聞こえる、ハルトは気を落ち着かせ慎重に口を開いた。
「……お前が俺の何を知ってる」
「何も知らん、知りたくもないわ。だが知らずとも全て見通せる程に貴様ら人間は愚かであると言う事よ。しかし理解に苦しむ。戦いたくないのに何故戦う?金で雇われでもしたか?ならばその倍出そう、我らと共に人間を殺してみんか?」
「それ以上喋るな!」
ハルトは動揺を振り切って叫び剣を構える、その様子にウサギは高笑いを返した。
「この程度の言葉にご立腹とは、どうやら確信を付いていたようじゃな」
そう言ってゆっくり微笑んだ。
「そして……油断はせぬことじゃ」
天井からスライムの様な魔物が落下し、ハルトを飲み込んだ。
「しまった!」
「勇者様!」
声を上げるウィルとワトーに石像達が襲い掛かった。身を守りながら戦う二人をよそにスライムは床を滑り、飲み込んだハルトをウサギの目の前にまで運んでいく。
「まったく張り合いのない、この程度の相手にリュマもマルオーも負けたとはな」
「トル!大丈夫か!」
ウィルが声を上げるがハルトはスライムの中で空気を求めもがいていた、だがいくら暴れても魔物は呼吸を許してくれない。勇者が溺れながら苦しむ様子をウサギは目を細め恍惚の表情で眺めた。
「さて……この愚か者をどうしてくれよう……」
襲い掛かる石像達の隙間を縫いワトーが掌から閃光を放った、スライムの身体が白い炎に包まれ奇声と共に溶解していく。
ハルトは床の上に転げ落ち、むせ返りながら必死に息をした。口の中に冷たい泥の様な物が詰まって気持ち悪い。せき込んだハルトが顔を上げると目の前にさっきのウサギが佇んでいる。
「しかし……よろしいのですか……いえ……はい」
ウサギは一人でブツブツと呟きながら片目でハルトの方を見た。
「承知致しました、ただちに取り掛かります」
そう言ってウサギはハルトに声をかけた。
「喜べ勇者よ。魔王様がお目通り下さるそうだ」
「……は?」
「この扉の奥に階段がある、そこをまっすぐ登れ」
ウサギが手を振ると部屋の中を突風が吹き荒れ、ハルトの身体を部屋の奥へゴロゴロと転がした。
「幸運だぞ、魔王様に面会の叶う人間など百年に一人いるかどうかだ。言っておくが失礼のないようにな」
やがてウサギが指を鳴らすと扉が勢いよく閉ざされ、ハルトを奥の部屋へと飲み込んだ。
「勇者殿!」
今度は反対側の扉が開いてアルダとセルネイラが現れる。
「何だこりゃ?」
アルダは目を見開く。埃っぽい広間の中央に怪しげなウサギが立ち、目の前ではワトーとウィルが石像の大群と戦っているのだ。
「……勇者がいねぇな。死んだか?」
「とにかく窮地の様じゃ、加勢するぞアルダ!」
セルネイラが叫んだ。アルダは頭を掻いて応える。
「面倒くせぇな……」
二人が地を蹴るとそれに呼応して像の陣形が変化し、たちまちの内に乱戦が始まった。
「開けろ!この野郎!」
奥の部屋でハルトは声を荒げ力任せに扉を叩き付けるが扉はピクリとも動かない、剣を抜き扉に向けてオーラを込めると何者かがハルトの腕を掴んだ。
「……」
扉の脇に置かれた女神像が彼の腕を掴んでいた。女神像はハルトの腕を掴んだまま優しい微笑みを浮かべる。
「クソッ!」
腕を振りほどいてハルトが後ずさると、女神像は静かに部屋の片隅を指さした。
そこは薄暗い円形の部屋だった、塔の内壁に沿って螺旋階段が続いていて、吹き抜けの天井は見上げるほどに高い。
『頂上まで登れ』女神像はそう言っているようだ。この先で魔王が自分を待っていると、ウサギの魔族はそう言っていた。
「……」
暫くの逡巡の末、ハルトは階段に足をかけて登り始めた。
広間に戻ってウィル達の戦いに加勢するべきではないか、そう思う自分もいる。だがハルトは魔王と戦いたかった、できるだけ早くこの戦いを終わらせたかった。石造りの階段に足をかけて歩くように登って行く。自分の足音が壁に反響した。
今自分は魔王と一対一の戦いをしようとしている。かつて自分の先祖である初代ラバートリック以来誰も実現できなかった『魔王討伐』に挑もうとしているのだ。
「……」
柔らかな陽気が壁の小窓から差し込み頬を照らす。
ハルトは念じるように思った。今世界の命運が自分の双肩にかかっていると、自分の勇者としての素質が今まさに試されようとしていると。
世界を救わんとする勇者は足を止め、小さく呟いた。
「……駄目だ」
もう一度呟いた。
「畜生……やっぱり駄目だ」
ハルトは頭を押さえると階段に座り込んでしまった、これまで漠然と感じていた『衝動』が明確な一つの感情となり勇者の口からこぼれ落ちていく。
「何で俺がこんな面倒くさい事しなくちゃいけないんだよ……」
腰のあたりに上空の冷えた風が吹いた。差し込む陽光が階段の少し先に陽だまりを作った。
「ああもう……魔王討伐なんて国王とかそう言うところがやれよ軍隊持ってんだろが、何で俺一人に押し付けるんだ知らないんだよ世界平和だなんだとうっとうしいな……」
堰を切ったように浮薄な愚痴が溢れ出した、偽らない彼の本心だった。
(さっきのウサギのせいだ。あの野郎急に確信突いた事言いやがって……)
『お前は戦いたいなどと思っていない。大方勇者の血筋を引いていると言うだけで周囲から持ち上げられたのだろう。』『しかし理解に苦しむ。戦いたくないのに何故戦う』
ハルトは苛立ちのあまり頭を掻き毟る、どれも耳の痛い言葉だったのだ。
階段に座ったまま強く息を吐いた。
「……」
生まれてからこれまで勇者としての修行を繰り返してきたが、そんなものが楽しいと思った事はなかった。きっと自分が勇者でないからだと思った、勇者は長男のトルで次男の自分は脇役に過ぎない、だからつまらないのだと。
その自分が勇者になって、確かに充実した冒険だった。村の束縛から逃れた解放感を楽しみ、勇者としての使命感に酔っていた。だがそれも一時の事だ、飽きてしまえば勇者としての日々に何の意味も感じる事はできなかった。
「畜生、あの時アルダに魔王討伐任せとけばよかった。ウィルは怒ったかもしれないけど……」
そう言って勇者はもう一度溜息を吐いた。
戦いや狩りが嫌いではないが、他人の為に粉骨砕身する事が彼はどうも好きになれない、つまり『性に合わない』のだ。いくら周りからはやし立てられようが、結局興味がなければ長続きもしない。
(多分……俺は気楽な暮らしがしたいんだろうな)
ハルトは階段に腰掛けたまま目を瞑った、眉間にしわが寄っているのが分かる。
心の底から魔王との戦いを面倒くさいと思った。
「……」
耳を澄ませてみれば下の階から戦いの音が聞こえる。
(流石に、座ってる訳にもいかないか……)
ハルトは立ち上がって足元の砂を払うと、塔の頂上を見上げた。
「魔王か……」
勝てるかどうか分からない、相手にとって不足がないのは勿論だ、そう思えば武者震いもする。溜息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「こんな勇者で良いのかな……」
ひとしきり愚痴を吐いたせいか苛立ちも収まった。小さく気合を入れ直すと改めて螺旋階段を登った。
一応は周囲に気を配りながらどこまでも歩を進めて、やがて勇者は塔の最上階にまで辿り着いた。重々しい鉄扉が彼を出迎える。
(ここか……)
ハルトは罠と敵の気配を探りながら静かに鉄扉を開いた。
途端に焼けるような熱気が押し寄せ、ハルトは顔をしかめる。
最初は部屋が燃えているのかと思ったが違う、円形の大きな部屋、その床一面におびただしい数のロウソクが並んでいるのだ。ロウソクの小さな炎が立ち並び部屋全体をサウナの様に熱している。
「……」
ハルトは盾を構え慎重に部屋の中を眺めた。部屋の奥、炎の灯りを挟んで黒い影が立ちこちらを見ていた。
低く、どこまでも響く声が聞こえた。
「……よく来たな勇者よ……」
魔王は悠然とハルトの方を眺める。
「お前が魔王か」
ハルトは部屋に踏み入りながら声をかける。伏兵や罠の気配は感じなかった。ただ部屋を埋め尽くす小さな炎、まるで星の海のようにも見えるロウソクの灯りが魔王の黒いローブを照らす。
暑苦しい部屋で戦うのは嫌だな…ハルトはそう思った。
その考えに呼応するかのように、魔王が静かな笑い声を上げた。
「……面白い。やはりお前は今までで一番面白い…余を恐れぬのか」
「何だと?」
魔王の姿は影の様に黒く表情までは分からない。だが魔王がこの状況を楽しんでいることは何となく分かった。
「……人間は皆余の姿に恐怖し、余を畏怖していた…お前ほど平然とした人間は初めてだ……」
「ああ、そうかい」
そう言ってハルトは汗を拭った。
すぐに斬りつけても良かったが、剣と盾を構えながらハルトもまた魔王に声をかけた。
「魔王よ、お前はどうして人間を滅ぼすんだ?」
魔王が鼻で笑う。
「……愚問……余は全ての頂点に立つ存在……人の世も余の手中にあるのが節理というものよ……」
今度はハルトが苦笑を浮かべる。
「あんたは生粋の魔王様だよ」
何と羨ましい、自分にもそんな割り切った意思があればきっと無駄に悩む事もなかっただろう。
「……ではそなたは、何故人間を助けるのだ……」
魔王の質問にハルトは鼻白んだ。数瞬の後、彼は驚くほど安直な答えを口にしていた。
「……俺にも分からん……気付いたらそうなってた」
「……何だと……」
軽く頭を振り、ハルトは語尾を強めて言い直した。
「俺は人間だ、人の世界で生きるため、邪魔者を退治してるだけだよ」
「……では余がそなたの生きる場所を用意してやろう、余の仲間になってみぬか……」
「おいおい、随分な提案をするじゃないか」
再び苦笑しながらも、ハルトは悩むことなく答えた。
「それは出来ない。勇者が魔王の仲間になったなんて知れたら周りが放っておかないんだ。確実に俺は処刑されちまうよ」
「……であれば余の城に住むか?客人として迎えようではないか……」
「こんな住み辛い場所ごめんだね。俺は人里に住みたいよ、誰にも恨まれずにな」
『できれば勇者じゃない只の人間として』その言葉は胸の内に飲み込んだ。
「……そうであろうな、余とそなたは相容れぬ存在じゃ……」
ハルトは熱気をこらえながら部屋の中に踏み入った。
「魔王よ、俺とあんたは初対面だが今日はあんたを殺す為にここへ来た、仲間の命もかかってる。理不尽でも何でも殺し合いといこうじゃないか」
陽炎で揺らぐ魔王の姿。ハルトは魔王の顔に微笑みを見たような気がした。
「……そなたの……名を聞かせてくれぬか……」
魔王の影が動き、纏っていた布を外すのが分かる。頭部に鋭い二本の角があった。
「……人間の世界じゃ、人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀でね」
魔王が手をかざすと、部屋中の炎が規則正しく揺れ始める。
「……余はワルファーノと言う」
「俺の名はハルト。ハルト・ラバートリックだ」
そう言うと、ハルトも武具を構え退魔の魔力を展開した。
「……始めるとしようか……」
「そうしよう」
魔王がかざしていた手をふっと持ち上げると、揺れていた炎が突如業火へと変わりワルファーノの身体に集まった。球状の炎がワルファーノを覆い部屋全体をまばゆく照らす、そして一瞬息を吸うような気配があった。
(来る!)
ハルトが盾を構えたのとワルファーノの炎が爆発したのは同じだった。上空に火柱が立ち上がり軽々と天井を突き破る。
「……」
崩れた天井が降る中、灼熱の魔人が姿を現した。肩が左右に突き出て腕がとても長く少し前かがみのような姿勢、大きなしっぽが体の後ろに伸びている。そして真っ赤な炎が体中に灯っていた。
「流石は魔王様……」
勇者も、そして魔王も口元に笑みを浮かべていた。
「何だ!一体何が起こってるんだ!」
広間での戦いを繰り広げながらウィルは声を上げた、突然瓦礫が降下し広間の天井を突き破ったのだ。彼等には知る由もないがそれは塔の頂上、魔王と勇者のいる部屋から落下した屋根の一部である。
「魔王様……一体何を」
ウサギが上を見ながら声を上げた。その隙を突いてアルダが拳を繰り出す。
「な……貴様。いつの間に」
ウサギが目をやるとアルダのいた場所にはバラバラに破壊された石像の残骸が転がっている。
「アルダにあの手の相手を任したのは失敗じゃったのう」
セルネイラが最後の石像を破壊しながら口を開いた。
「こ奴の技は力を一点集中させて殴り飛ばすもの、石像は剣や呪文には強いが、砕いて破壊すればこの通りよ」
細かく破壊された石像達は立ち上がることもままならず、まるで目的を求めてさまようように床の上を蠢いていた。
「覚悟してもらおう」
ワトーが両の手に力を込め相手を睨みつける。
「人間風情が、調子に乗りおって……」
ウサギの身体が小さく震えると体中が伸びあがりそれはオオカミのような獣に転じた。
「魔王様が気がかりじゃ、貴様らの相手などしておれんぞ!」
「どうしてこう魔族ってのは……どいつもこいつも巨大化するんだよ!」
ウィルの叫び声の中、ウサギがアルダめがけて牙をむいた。
塔の頂上でハルトは魔王ワルファーノとの戦いを繰り広げていた。ワルファーノが手を掲げると掌に炎が集まり見る見るうちにそれは巨大な火球となる、振りかぶるようにして投じられた炎をハルトがかわすと背後の壁一面が吹き飛ぶ。既にほとんどの壁が取り払われ、塔の頂上はさながら円形の舞台と化していた。
「調子に乗りやがって……」
ハルトは剣を横に構えると踏み込みながら横一線に薙ぎ払った。
オーラの斬撃は残っていた壁を吹き飛ばしワルファーノの腹部を両断する、しかしワルファーノが倒れる事はなかった、斬り口からマグマとも炎ともつかない血液が溢れだしたちまち傷を修復していくのだ。
(どうすりゃいいんだ……)
ワルファーノは涼しい顔で姿勢を立て直すとハルトが次のオーラを充填するより早く長い腕でハルトを殴りつけた。
不意を突かれ、勇者の身体が塔の端にまで転がる。あわやのところで踏みとどまるがもう少しでも転がっていれば下まで真っ逆さまだったろう、ハルトが立ちあがるとワルファーノは本棚の残骸を抱えてハルトめがけて投げつけた。手前に落ちた本棚から雪崩のように本が溢れ出てハルトを押し流し始める。
(まずい!)
壁の残骸につかまり何とか塔にぶら下がった、本と本棚がバラバラになって地上に落ちていく。
塔の頂上でハルトは必死に身体持ち上げようとした、ワルファーノの足音が近づく。
「……」
ハルトの頭上を紅蓮の炎が通り過ぎた、しかしそれはワルファーノとは反対、舞台の側ではなく外側から発せられていた。そしてハルトのすぐ後ろからナサルディの乗ったドラゴンが現れたのだ。ドラゴンは舞台に着地すると大声で魔王を威嚇し、戦いを始める。
「トルさん!しっかり!」
ナサが落ちそうになっているハルトを引っ張り上げる。そしてもう一度舞台の上に上ったハルトに回復呪文を唱えた。
ハルトは苦笑した。
「悪いな。結局お前がいなきゃダメみたいだ」
「冗談言ってる場合ですか!」
ナサルディはドラゴンと魔王の戦いを不安そうに眺めている。ドラゴンも風と炎で魔王の体制を崩すが魔王の動きは素早く、長い腕を活かした打撃もドラゴンを苦戦させる。魔王の腕がドラゴンを殴りつけ、ドラゴンが魔王の拳に噛み付いた。強靭な顎が拳の肉と骨を裂き、ついにワルファーノの左拳をもぎ取ってしまった。あまりの痛みにワルファーノが苦悶の声を上げる。
身体を回して魔王の尾がドラゴンを空中に追い出すと、ドラゴンは降下しながら翼を広げてまた周囲を旋回する。
(主よ、儂はいつまでこいつと戦えばよいのだ!)
「トルさん、ドラゴンが苦しんでます…」
「ああ、もう構わないよ」
ハルトは息を吐いて立ち上がった。
「これは俺とワルファーノの勝負だ。もう十分助かった、ドラゴンには下の連中を助けるように言ってくれ」
「ワルファーノ……?」
ナサは不思議そうな顔を見せていたが、彼女がドラゴンの方を見るとやがてドラゴンは頷く様な仕草を見せて降下した。
「ワルファーノ!邪魔が入ったな!だが今更フェアもへったくれもないだろう。恨みっこなしでいこうや!」
ハルトの声に、魔王が薄く笑った。そして魔王が手を空中にかざす。
「またあれか……」
巨大な火球がパチパチと爆ぜながら次第に膨らんでいく。
背後にはまだナサルディがいる、ここに投げられるのはまずい。ハルトは跳躍すると縦一閃に火球もろとも聖剣で斬り払った、ワルファーノの身体にマグマの血が流れ傷はまた塞がっていく。頭上の火球は左右に分かれて魔王の両脇に落下したが、灼熱の中でワルファーノは涼しい顔を見せる。
「ナサ!逃げろ!」
そうは言ったが逃げる場所などないのはハルトもわかっていた、下へ続く螺旋階段は瓦礫で塞がれていて通れない、せいぜい見つからないように隠れているのが精一杯だ。再びワルファーノの上に巨大な火球が現れる。
(手段はあるんだ……)
ハルトは魔王の左手に注目していた、他の傷が跡形もなく修復されているのに、さっきドラゴンが噛みちぎった左拳は再生しない。つまり、斬るのではなく取り除いてしまえばいかにあの身体でも修復はできないのだ。手段は思いついていた、しかしそれには相手の懐にまで潜り込まなくてはならない。ハルトは舞台の上を走ってワルファーノの注意をそらした。自分に向かって投げられる火球を一閃すると、二つの破片は塔の下に燃えながら落ちた。魔王が走り寄って拳を繰り出すが、リーチが違い過ぎて懐には入れない。口から火を吹き、大きな尻尾を回して魔王は勇者を追い詰めていく。
「くそっ!」
とうとうハルトは崖を背負った。これ以上はさがれない。魔王の頭上にまた火球が持ち上がった。
「トルさん!」
ナサルディがハルトと魔王の間に割って入った。
「……私があの火球を防ぎます、トルさんはその隙に攻撃して下さい」
「お前、何を言ってる」
彼女はもう退魔の魔力を持っていない、持っていたとしても炎から身を守れる保証はない。一体今の彼女に何ができるというのか。
「大丈夫です、信じて下さい」
ナサは恐怖を押し殺して微笑むが、ハルトは別の理由で呆れていた。
「どうしてそれを敵に聞こえるように言うんだ……」
魔王は火球を構えながら悠然と二人を眺めている。十分に声の聞こえる距離で。
「あいつ……言葉通じるんですか?」
「この、バカ……」
ハルトが顔を曇らせると、ワルファーノの表情が笑った。
(……やってみろ)
そう言っていると思った。奴もまた楽しんでいるのだ、この命がけの戦いを。
「大丈夫みたいだ。ナサ、思った通りにやってみろ」
ハルトもため息をついて剣を構える。
「え……大丈夫なんですか?でも聞こえちゃったって事は……」
「もう良いから!お前の思う作戦をやれ!」
想像していた戦いとは随分な違いだ、おまけに魔王と勇者の戦いが今や一人の町娘に委ねられようとしている。
しかしそれでいいと思った。肩書も責任も役割も、堅苦しいのはもうまっぴらだ。この戦いが終わったら今後はもう少し自分の人生について考えるとしよう。
魔王の腕が振り下ろされ、火球が二人めがけて降下した。ナサは腰を落として何かを構えている。
(まさか……)
火球が何かに吸い込まれ目の前から消え去った、彼女の胸元の呪い、かつて弟を封印していた宝玉。今度はそれが魔王の火球を封じ込めたのだ。
「流石、できる女だ」
ハルトはナサの横を通り過ぎて魔王へ突進する。大きく地を蹴って魔王を聖剣で一閃した、ワルファーノが体制を崩したが、傷は修復を始める。ハルトは傷が埋まるより早く、魔王の胸元に盾を押し付けると、渾身のオーラを解き放った。
勇者の盾が発した衝撃波が傷口から魔王の体内で炸裂し、背中を突き破った。魔王の肉と臓物が空中に放り出され、次第にそれは降下していく。
「……」
ワルファーノはがらんどうになった胸元を抑えながらその場に座り込んだ。
ハルトもその場から動かず、互いに二人は見つめあう。
「……」
やがて魔王の口元が小さく動いたが、ハルトがそれを読み取るより早く魔王の身体はゆっくりと倒れ伏した。
「……やった」
後ろでナサルディが声を上げる。本当に大した女だ、まさか彼女に救われるとは。
「勇者殿!」
振り返ると、四人を乗せたドラゴンが舞台の上に戻ってきた。下を見ると巨大化したウサギが広間に倒れている。
「こやつはまさか……」
「おい、お前やったのか?」
「おおお、なんと、素晴らしい!」
ウィルがドラゴンの上から尋ねる。
「勝ったんだな?」
ハルトは既に動かないワルファーノの身体を見た。
「ああ……勝ったよ」
皆が一斉に歓声を上げる。魔王城が突然振動し始めた。
「勇者殿、早く乗って下さい!恐らくこの城は崩壊します!」
ハルトとナサがドラゴンの背に乗った。見ると尻尾のところに第2班の妖精達がしがみついている。
(行けますか?)
(かなり重いが、降下だけならできなくもない)
ドラゴンが舞台を離れると、魔王城の土台が崩れ巨大な城そのものが空中で崩壊していく。
「ようやく、終わったのかねぇ……」
ハルトはぽつりと言った。
「ええそうです……遂に、遂に我々は勝利したのです」
ワトーはすっかり感極まった様子で他の皆も一様に頬を上気させている。どうやらこの中で一番冷めているのは自分らしい。
(全く……こんな事二度とやらないからな)
帰ったら兄の墓には謝っておこう。そんな事を思いながら、偽物の勇者は大きく息を吐いた。
太陽は相変わらず穏やかに、大地を照らしていた。
2016年中に完結させるとか言いながらここまで伸ばしてしまい本当にすみませんでした。
そして携帯請われた都合でもう連絡の取れない多くの方…無事完結したことをお知らせできずに申し訳ありません。
もしこの話を読んで何か感じた事、アドバイスなどありましたら甘口辛口問わず募集しております。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
私の文章が少しでもどなたかの楽しみに繋がればこれ以上の幸せはありません。




