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トル・ラバートリックの冒険  作者: 長谷川コールスローサラダ
11/15

過去

「……」


 ハルトはゆっくりと瞳を開ける。目に入ったのは白くて軽そうな材質の天井と、暖かくオレンジ色に周囲を照らすランプの光だった。


「……」


 首を回して周囲を窺う。見慣れない部屋のベッドに自分は寝かせられていた。


「……勇者殿?」


 ワトーの声がした。反対側を見るとベッドの脇にワトーが立ってこちらを見ている。


「おおお……勇者殿、目を覚まされましたか」


 ハルトは手をついて身体を持ち上げる、途端に嫌な痛みが胸元に広がった。


「なりません勇者殿!どうか横になって、安静にしていて下さい」


 布団をかけられ、また白い天井とオレンジのランプが目に入る。

 窓の外が暗い、どうやら今は夜らしい。


「俺は一体……」


 ハルトは横になったまま身体を検めた、四肢は問題なく付いている。この胸の傷は何だ?

 落ち着いて記憶を辿る内、リュマとの戦いがハルトの脳裏に蘇った。あの時、謎の魔物に胸を貫かれ瀕死になったハルトはそれ以上動く事も出来ず地面に落下したまま生死の境をさまよっていた。

 あふれ出る血の温かさに包まれながら意識が遠のいた時、誰かが自分を引っ張っていた。その誰かはハルトの足を掴み地面を引きずるようにして林の中に運んで行く、途中リュマの拳が何度も地面を叩いたが、幸いにして命中する事は無かった。


 それはナサルデイだった。


 リュマの一撃で林の中に飛ばされた彼女は半身を大きく損傷しながらも立ち上がり、フラフラの足取りでハルトを林に隠すと呪文を唱え彼を救った。やがてハルトは気を失ってしまったが、顔から血を流した彼女が自分を覗き込んでいたのをよく覚えている。


「そうだ……ナサが俺を治療してくれた」

「左様です。あの時ネルソン殿がすぐに勇者殿を治療していなければとても助かるような状態ではなかったと聞いております。いやはや全くもって仲間の力と言えるでしょう」

「そうだったのか」


 ハルトは腕を枕にして呟く、まさか彼女に救われるとは。


「勇者殿、お二人がいらっしゃいました」


 戸の方を見ると、普段と変わらないナサルディが部屋に入っていた。その後ろにはウィルの姿もある。


「ありがとう。お前が助けてくれたんだな」


 椅子に腰かけるナサルディを見ながらハルトは礼を言う。


「あの時は無我夢中で……とにかくトルさんが無事でよかったです」


 相手はそう言って笑った。


「それより、お前の方は無事だったのか?」

「林に突っ込んだ時何本か骨をやっちゃいましたが、ここの人達の術は凄くて。もう殆ど痛くないくらいです」

「ネルソン殿はリュマに殴られた時、まだ身体に僅かな退魔の魔力が残っていたのです、おかげであまり大きなダメージを受けずに済んだのでしょう」

「あの時は私ももう駄目かと思いましたけどね」


 ナサルディはそう言って笑う、ハルトはその顔を覗き込んだ。


「良かったな、顔に傷が残らなくて」


 ナサルディは目を見開いて狼狽する。


「どうしたんですか、そんな事言うなんて」

「どうしたも何も、女の顔に傷が残っちゃ可哀想だろ」


 ナサルディは目を泳がせる、無性に気恥ずかしくて、意味もなく首元を掻いた。


「はあ……ありがとうございます」


 彼女がそう言ってうつむくと、入れ替わりとばかりに背後に控えていたウィルが身を乗り出した。


「……トルよ」


 ウィルは重々しく口を開く。


「トル、その。すまなかった!」

「何だ?」


 そう言ったハルトの片眉が上がる。


「本当に俺は、何と詫びればいいのか……」

「俺は今起きたところなんだ、初めから分かるように説明してくれ」


 ウィルが顔を上げるが、その表情はこの世の終わりとでも言いたげなほど悲観に溢れていた。


「お前の胸を貫いた魔物はシャドウと言うらしいんだが……あいつはいつの間にか俺の影に潜んで、どうやら俺達の動向を探っていたらしいんだ。俺はそれに気付かず、遂にあの時、奴に攻撃を許してしまったんだ……」


 ハルトは噴き出して笑った。


「下らん」

「……」

「敵の術中に落ちたから何だ。俺はお前が思う程自分の身体に興味もないよ、俺が全快するまでにはその気持ちを切り替えてくれ」

「……申し訳なかった」


 ウィルが悄然として謝り、ナサルディとワトーもウィルの方を見て沈黙する。


「……ちょっと眠い。また寝ていいか?」

「ああ、そうだな。せめて早く良くなるのを願っているよ」

「じゃあ、失礼します」


 ウィルとナサルディの二人が部屋を後にする。またハルトとワトーだけが残された。


「勇者殿、今日のところはゆっくりお休み下さい。私もこれで失礼致します」

「待ってくれワトー。話があるんだ」

「どうぞそのままでいて下さい、起き上がる事はありません」


 ワトーは椅子に座り直しハルトの言葉を待っている。

 ハルトは大きく息を吸って、一息に言い放った。


「俺はトル・ラバートリックじゃないよ」

「……」


 ワトーは眉根を寄せて目の前の勇者を見返している。相手が何を言っているのか分からない、そんな様子だった。


「もう一度言おうか」

「仰っている意味がよく分かりません、一体どういう事ですか?」

「俺は巷で名の知れたトルじゃないって事さ」


 ハルトは天井を眺めながらそう言う、窓の外は静かで夜風の吹く様子もなかった。


「貴方は何を言っているのです……」

「そのままの意味だよ、俺はお前に嘘を吐いていたんだ」


 ワトーの瞳が少しずつ見開かれていく。


「俺の本当の名前はハルト」

「……」


 ワトーは完全に動きを止め、ただ目の前の男を見つめた。


「ハルト・ラバートリック。それが俺の名前だ」


 白い壁に囲まれた小さな部屋で、オレンジ色の光が二人を照らしていた。




 およそ百年前、魔王が地上の全てを闇に染めようとした時一人の若者が妖精族より受け取った剣と盾を手に魔王へと戦いを挑み、ついに彼は魔王を地上から追放することに成功した。人々は喜び『偉大なる勇者ラバートリック』を大いに湛えた。

 それから長い月日が流れても『勇者ラバートリック』の伝説は人々に語り継がれ、勇者が生まれた村は名を『始まりの村』と改めた。

 そして数年前、再び魔王が現れ地上への侵略を開始し世界中が再び『勇者』の登場と活躍を期待した、この時始まりの村には六代目の勇者であるトル・ラバートリックが生まれ、かつてのどの勇者をも凌ぐほどの裁量を見せていた。村の誰一人としてこの先を不安視するものがいないほど、トルの技量は優れていた。

 宮殿は六代目の『ラバートリック』である『トル・ラバートリック』を招き多額の軍資金を授けたが、人々は知らなかった。トル・ラバートリックは既に逝去していると、訓練中の事故で怪我を負い、そのまま帰らぬ人になったと。

 トル・ラバートリックには弟がいた、彼は名をハルト・ラバートリックと言う。始まりの村の村長は宮殿からの軍資金を受け取るため、弟のハルトにトル・ラバートリックとしての役を命じた。




「では、貴方は亡くなった兄の名を語り、これまで旅をしていたと言うのですか」


 ワトーは木椅子に座ったまま、身体をハルトの方に向けて問いかけた。


「そう言うことだ」

「何と……心中お察し致します」

「俺が勝手に嘘を吐いた、お前が気にすることじゃないさ」


 ハルトは天井を見たままで言った。


「……」


 二人とも黙って、互いの呼吸が聞こえるようだった。


「怒るか?」

「はい?」

「俺はあんたに嘘を吐いていた、それも出会ったときからずっとだ。怒ったって構わないぜ」


 その言葉にワトーはうつむきながら小さく息を吐いた。

 ハルトはゆっくりとワトーを見た。


「貴方は……私達にとって大切な英雄なのです。これから共に魔王を討つ仲間であるなら、どうしてこの程度の事で腹を立てましょうか」


 ハルトは苦笑する。


「随分と優しいじゃないか」

「……ウィル殿やネルソン殿はご存じなのですか?」

「俺の口からは言ってないが、ナサ辺りは何か気付いてるかもな。あいつはあれでいて勘が良い」


 ワトーは口をつぐみ言葉を選んでいる様子だったが、やがて尋ねた。


「勇者殿、しかしなぜ黙っていたのです。村の事情で貴方が『トル』の名前を名乗っていたのは分かりましたが、貴方もラバートリックの一族であるなら負い目など感じずによいのに」

「負い目を感じていたわけじゃないよ」


 ハルトは頭の下で組んでいた腕を胸の前で組んだ。


「ただ俺は兄貴に憧れていたんだ。誰からも認められていて誰よりも優れていた理想の勇者に。どれだけ鍛錬をしても俺は兄貴の影から出れなかった、一体自分に何が足りないのか、どうすれば俺もあんな風になれるのかって思ってた。その兄貴があっけなく死んで、あれよあれよと俺が兄貴のふりをする事になった、そしたら何で俺は『偽物』のトルでなきゃいけないんだって気持ちになってな。試してみたかったんだ、俺に兄貴の立場が務まるのかって」

「……」

「格好悪い話だな」


 ハルトはそう言いながらまた苦笑した。


「ハルト殿」


 ワトーは少し遠くを見つめながら呟く。


「その名前で呼ばれるのは初めてだな」

「我々の目的は魔王を討ち地上に平和を取り戻す事です、全ては順調に進んでいます」


 夜の静かな風がハルトの頬を撫でた。


「貴方が立派な勇者であることは私が保証します、今はどうか目の前の目標に全力を注ぐと致しましょう」

「ありがとう、確かにそうだな」


 ハルトはそう言って目を閉じる。胸が高鳴って、しばらくは眠れそうになかった。



「さて、これからの事について、少し話しておきたいのじゃが、構わんか?」


 翌日、セルネイラはハルトの周囲に人を集めてそう言った。


「俺は構わないが、ナサはどうしたんだ?」


 ハルトが尋ねる。ウィルとワトーがベッドの横に座り込んでいるのに、ナサルディの姿はどこにも見えなかった。


「ネルソンは今母様に呼ばれておる。後で彼女も交えて場を設けるが、先におぬしらに話があるのじゃよ」


 セルネイラは改めて周囲を見やった。


「まずドラゴンを眠りから呼び覚まし助力を請うのは先に説明した通りじゃが、例えドラゴンに乗って飛べたとしてもまだ課題が残されておる」

「つまり、魔王城が空のどこにいるか見当がつかないって言いたいんだろ」


 言葉尻を盗んでハルトが言った。


「流石は勇者、勘が良いの」

「なるほど。確かに魔王城は空中を自在に移動している。この広い空の中しらみ潰しに飛び回ってもらちが明かんな」

「左様。そこでこれから儂らはある男を探そうと思う」

「ある男?」

「アルダ・シンと言う男じゃ」

「……」


 ハルトとウィルとワトーがそれぞれ顔を見合わせる。聞き覚えのない名前だった。


「儂が魔王城に乗り込んだ時に行動を共にした男じゃ、儂はその男と二人で城内に忍び込んだが、実はその時アルダが魔王の仕掛けた罠に引っかかったのじゃ。その罠は手錠の様な金属片が独りでに動き、触った者の腕にまとわりつく仕組みじゃった」

「……話が見えんな」


 ウィルが呟く。


「これは儂の予想じゃが、アルダの腕にはまだ罠の金具がぶら下がっておると思う。そして儂ら妖精族の術なら、魔術の痕跡から術者の所在地を探知することが可能なのよ」


(面白い)


 ハルトは少し身を乗り出した。


「つまり、そのアルダって男が魔王の居場所を知る唯一の手がかりという訳だ。その男の居場所について目星は着いてるのか?」


 セルネイラに代わりワトーが口を開く。


「勇者殿、この枝葉をご覧下さい」


 ワトーが指示したのは、ぼろぼろの小さな小枝だった。


「これは『示しの梢』と呼ばれる術具じゃ、その者がこれから行うべき行動を予言してくれる」


 セルネイラが合図すると、ハルトの目の前に金属製のトレーが運ばれた。示しの梢がトレーの上に置かれる。


「今からこの枝葉に火をつける。恐らく何か大切な予言を、この枝葉はおぬしに授けてくれるはずじゃ、賭けになるが儂らはその予言を頼りに行動しようと思う」

「予言?」


 ハルトが枝を見ながら尋ねる。枝には小さな赤い実が付いていた。


「詳しい事はこれから分かる。じゃが示しの梢は今勇者に反応しておる、勇者よ、予言を聞き取れるのはおぬしだけじゃ。儂がこの枝に火をつけたら予言を絶対に聞き漏らさんでいてほしい」

「何だそりゃ……突然だな」


 ハルトはベッドの上で居住まいを正す。セルネイラの指が光って枝葉に火を点け、黙々と白い煙がたちまちハルトを包んだ。



「貴女が、ナサルディ・ネルソン殿ですね」

「はい」


 相手の顔も見えない薄暗い円形の部屋、ナサは妖精王に謁見していた。

 部屋の隅では小さくて頼りない炎がゆらゆらと燃える、どうしてランプを置かないんだろう。ナサは第一にそう思った。


「退魔の魔力を操れるそうですね」

「はい」


 頼りない明かりの中、妖精王の影が薄っすらと目に入る。


「少し前までは商人として暮らしていたと聞きましたが?」

「はい」


 何を考えているのか、妖精王は定められているように質問を繰り返す。まるで値踏みされているような居心地の悪さをナサは感じた。それにしてもどうして部屋を暗くするのか。


「……」

「弟御が封印されたと言う宝玉を、今お持ちですか?」

「はい」


 ナサは胸元から宝玉を取り出す。


「もしよろしければ、拝見したいのですが」

「はい、構いません」

「ありがとうございます」


 妖精王の隣に控えていた影が動き、ベサドがナサルディに歩み寄った。


「拝借致します」


 ベサドが宝玉を受け取るとその姿が再び影の中に消える。

 微かに見える影が一か所に集まった、どうやら皆が輪になって宝玉を眺め、ぶつぶつ言い合っているらしい。


「……」


 真面目なはずなのに、どうしてこの部屋はこんなにシュールなのだろう。そう考えた途端微かな笑いが込み上げ、ナサルディは頭を振って気を引き締めた。

 やがてベサドが再び影から出て、ナサルディに宝玉を返した。


「ありがとうございました」


 ナサルディは宝玉を受け取って黙礼する。

 ベサドがまた席に戻った。


「……何か分かりましたか?」

「ええ。その宝玉は『ルーグオプシャ』と呼ばれる術具です」


 ナサルディは驚いて息を詰まらせる。


「……この珠の事を、知ってるんですか?」

「存じています。ルーグオプシャは対象を内部に封じ込める術具で本来は武器として使用される物です」

「どうすれば、弟を元に戻せますか?」


 本来の名前が何だろうが例えそれが武器だろうが、今はどうでも良い。ナサルディは急き込むようにして聞いた。


「本来それは相手を封印する武器ですから、中身を元に戻す手段が考えられていないのです」

「……」


 思わず言葉を失う。助けられたはずの救助船からもう一度突き落とされた気分だった。


「元に戻すとすれば身体を再構築するしかありませんが、気になるのは貴女がこのルーグオプシャを使用できたと言う事です」

「……どういう事です?」


 ナサルディは力なく顔を上げる。


「術の詠唱は才能によります。ルーグオプシャがあったからと言って、当人に素質がなければ発動させる事も出来ない、つまり貴女にはこの術具を使う素質があった」

「……」

「そして、身体を分解する事ができたと言う事は、恐らくは再構築する事も、貴女には可能なはずです」

「私に……?」


 妖精王は首を回して、傍らに控える従者に合図した。


「貴女にも『森の滴』を差し上げる必要がありそうですね」


 やがて従者がナサルディに小さな杯を渡した。水は透き通っている。


「これは、トルさんが退魔の魔力を取り戻した水ですよね」

「ええ。人の持つ素質を引き出す効果があります。貴女がルーグオプシャを使う才能を有したなら、その逆の才能を持っているかもしれない」

「……」


 ナサルディは森の滴を見つめる。


「それから、貴女が勇者の血筋かも知れないと言う話がありましたが、私の見たところ魔力の源は弟御の魂ですね」

「ボストの?」

「退魔の魔力は奇跡でも神の力でもありません。全ての生き物が生まれながらに持っている魂そのものの波長が、魔の物の侵入を防ぐのです。ルーグオプシャから流れ出た弟御の魂の波長が、肉親である貴女の身体に蓄積されていたのです」


 薄暗い部屋の中でナサルディは小さく笑った。


(なんだ、そうだったんだ)


 これまで理由も分からずに使っていたオーラだが要するに弟の魂を身に着けていたからと言うだけの事で、種が分かれば自分に素質があったわけでも、特別な存在でもなかったらしい。

 彼女は少し寂しいような、力が抜けた感じがした。


「そうだったんですね」


 ナサルディはそれだけ言うと薄く唇を開き、森の滴を喉に通した。

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