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トル・ラバートリックの冒険  作者: 長谷川コールスローサラダ
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トル・ラバートリックの旅立ち

 東から太陽が顔を出し、森全体を白い光が包んだ。冷たかった夜の世界から解放され草木は全身で朝の光を受け止める。おはよう、今日も一日が始まった。

 ここは都から遠く離れた山間、なだらかな丘の中に転々と山々が立ち並ぶ様はまるで雲海の中にも見える、それが霧のかかった早朝ならなおさらだ。

 斜面では草花が静かに顔を上げて全身で朝の光を受け止め、その間を茶色いウサギがピョンピョンと飛び回っている。そしてそのウサギを追いかけるようにして、小さな悪魔がピョンピョンと地面を飛び回っている。

 案ずる事は無い、あれはそう言う魔物なのだ。そう、この世界にはたくさんの魔物がいる。そして魔物がいると言う事は当然魔王も存在すると言う事だ。世界は不思議とそうできている。


 視点を朝の斜面に戻そう。

 野ウサギと魔物の追いかけっこの先に集落の様なものが見える。

 開けた丘の上、人々は小さいながらも畑を作り、その周りに柵を巡らせて魔物から村を守っているようだ。

 ここは「始まりの村」この村には伝説の勇者である「トル・ラバートリック」が住んでいる。

 彼は幼い頃から様々な剣術・魔法術を教わり、立派な勇者としての頭角を現していた。村の人々もそんな勇者「トル・ラバートリック」を誇らしく思い、彼はたちまち村の顔になった。


 しかし、そんな始まりの村の一日はひどく不穏な気配に包まれている。

 朝日の中を歩く人々はいずれも不安そうな顔をして、口元を抑えながらきょろきょろと挙動不審な者も多い。幾人かの人間が村の外れにある空き地に集まっている、皆は互いの顔を合わせず空き地の一点を見つめている。

 やがてその中の一人の女が涙を流し始めたかと思うと、逃げるように家に帰る者、堪え切れず自分も泣き始める者、ただ呆然と立ち尽くす者など、静かな朝はどこへやら、村は悲しみと混乱に満ちていた。

 皆が見つめる空き地の片隅には簡素な墓石が置かれ次のように刻まれていた。


ー伝説の勇者トル・ラバートリックここに眠る…


 勇者トル・ラバートリックは死んだ。つい一昨日の事だ。もう一度言おう、つい二日前に伝説の勇者は死んだ。魔王はまだ生きている、今この瞬間もきっと世界を闇に染めているだろう、しかしもう勇者はいない。


 断言しておこう、勇者トル・ラバートリックは死んだ。そしてこの世界に死人が生き返る魔法は無い、残念ながら世界はそうはできていない。

 青年は溜め息を吐いて水を飲んだ。

 まったく、呆れてものも言えないとはこのことだ。半分ほど水を飲んだ彼はコップをテーブルに戻す。

 正面に目をやると、向かいの席には一人の老人が座る。悠然と構えた青年と対照的に老人の視線はせわしなく宙をさまよい、表情にも余裕がなかった。


 始まりの村の片隅、とある一軒家で二人は向かい合っていた。


「……」


 老人がハンカチで額の汗をぬぐう、彼は上物の衣服を着ていたがそれも色あせて見えるほど、その所作は落ち着きがなく挙動不審だった。

 沈黙に耐え切れず水を飲もうとコップをつかむが、老人のコップにはもう一滴の水も残ってはいない。

 老人が物欲しそうな眼で青年を眺める。


「……」


 相手が水を求めていることは明らかだったが、青年は気付かないふりをして自分のコップでもう一度喉を潤した。


「……」

「……」


 部屋には重苦しい空気が満ちていた。老人は早くこの時間が終わればいいと思い、青年は心の中で呆れ返っていた。


「バカバカしい」


 彼が吐き捨てるように言うと老人がサッと顔を上げる。まるで犬だった、それも役立たずのボロ犬だ。


「俺はあんたの常識を疑うよ」

「ああ、君の言い分はもっともだ。だが分かってくれ、これも村のためなんだ」

「村のため?あんたのケツを拭いてくれってだけの話だろ。それでもあんた村長か」


 村長と呼ばれた老人はもう一度汗を拭いて青年に頭を下げる。


「頼むよ……お願いだ」


 禿げ上がった頭に玉の汗が浮かび、普段の威張り散らした姿が嘘のようだった。その情けない姿がさらに青年を苛立たせる。


「替え玉なんて、話にもならない」

「もう後には引けないんだ、宮殿じゃ沢山の人が『伝説の勇者トル・ラバートリック』に会いたがってる、名誉なことなんだ、王様から褒美だって出るんだ」

「で、その褒美であんたの酒代を支払うんだろ」

「ば、バカな事を言うな」


 村長の瞳があわただしく動く。本人はばれていないつもりだが彼の分不相応な遊びっぷりは有名で、村の誰一人として知らない者はいなかった。


「恥ずかしいと思わないのか、あのトルさんが死んだんだぞ?皆がこれだけ悲しんでる中であんたは金の心配かよ」

「ち……違う、勇者が死んだなんて簡単に公表できるわけないだろうが。とにかく式典だけは無事に済ませないと混乱が広がってしまう、だからここは……」


 青年が思い切り机を叩いた。並んだコップが揺れる。


「それを『俺』に言うのかよ!」


 一瞬にして村長の顔に怯えが広がり、すがるように青年の両腕を掴んだ。


「君の気持はもっともだ、本当にすまない、私も恥ずかしい。だが君しかいないのも事実なんだ、一生のお願いだ。ハルト」


 ハルト、それが青年の名前だった。ハルトはこれ以上ないほどの嫌悪を感じ村長の腕を振り払う。村長が椅子から立ち上がって早口にまくしたてた。


「後で人をよこすから付いて行ってくれ。式典に出るだけでいい、勇者の聖剣も渡してやる、頼むぞ」


 ハルトが怒鳴るより早く村長は身を翻し家の外に飛び出した、そのまま足をもつれさせて逃げて行く。抑えられない怒りがこみあげてきてハルトの体が震える、机に残ったコップを掴むと力任せに戸に叩き付けた、大小の破片が床の上に飛び散り、自分の荒い呼吸だけが部屋の中にこだまする。

 押し殺すような声が口から漏れた。


「クソジジイ……」


 情けない態度と裏腹に村長の行動は速かった。それから一時間もしない間に数人の男達が部屋に押し入りハルトを拘束してしまったのだ。


「離せこの野郎!」


 男達は一言も喋らず、抵抗するハルトに袋をかぶせるとそのまま担ぎ上げ外へと連れ出した。

 視界と身体の自由を奪われながらハルトは自分が荷物の様にして馬に乗せられたこと、そしてどうやら村の外に運び出されたらしいことを感じた。


「畜生……」


 袋と縄で自由を奪われ、完全に動くことができない。疾走する馬の振動が何度も何度も身体を揺さぶった。



 どのくらいそうしていただろうか。やがて男達は馬を停め、すっかり抵抗する気力も萎えたハルトを馬の背中から担ぎ下ろした。袋の紐が解かれ、突然の日光がハルトの顔を覆う。


「着替えてくれ」


 そう言いながら男が手渡したそれはトル・ラバートリックが生前身に着けていた鎧だった。


「村長から話は聞いているだろう。君の気持も分かるが、どうかここは一つ『勇者』になってくれ」


 辺りは平野だった、いつの間にか傾いた日が空と野を茜色に染めている。


「……」


 とても着る気にはならなかったが大の男に囲まれた状況で異を唱える訳にもいかない、しぶしぶハルトは鎧に袖を通していく。


「助かるよ」


 男はハルトが指示に従ったのを見て安堵したように言った。


「これから宮殿に入るが君は何も喋らなくていい、万事俺達に任せてくれ」

「こんなこと、上手くいくわけない……」


 ハルトの呟きは黙殺され、男達は身だしなみを整えて騎乗した。どうやらこの四人が『勇者のお供』としての役を担うらしい。ハルトはリーダー格らしい男の後ろに乗せられた。


「それと、これを持っててくれ」


 男はそう言って一振りの剣を渡す。


「これは」


 勇者の聖剣。伝説の勇者だけが振るうことの許される剣だった。


「……絶対上手くいかないよ」


 やはり誰も応えないまま『勇者』となったハルトは宮殿へと運ばれていった。


 ハルトの予想に反し、式典は無事に終わった。

 まるで茶番劇だった。宮殿へ到着した男達は旅の疲れがどうこうと御託を並べてハルトを役人から遠ざけ、晩餐会の招待さえ体調が悪いと言って断ってしまったのだ。

 式典そのものは翌日に開催されたが、男達は当然の様にハルトの周囲に寄り添い鉄壁のガードを崩さない。最早誰の目にも不自然に映った筈だがこの日さえ乗り切ってしまえばそれでいいのだろう。

 結局ハルトが国王からの友好の品々を受け取り、式典はつつがなく終了した。日は傾いていたが休憩など取る筈もなく男達とハルトは逃げるように宮殿を離れて隣町の宿屋に転がり込んだのだった。


 隣町の宿に入って扉を閉めた時、初めて男達の表情がほころんだ。


「いやぁ、お疲れさま」

「まったく、無事に済んでよかったよ」


 そんなことを言い合って互いに談笑している。彼等も宮殿にいる間はいつ衛兵にひっ捕らえられるかの恐怖と戦っていたのだろう。

 ハルトは一人壁にもたれ、笑い合う男達を眺めていた。


「……」


 自分は何をしているんだろう。部屋の中に夜の風が吹いた。

 とても今の状況が現実と思えなかった。様々な思いがハルトの脳裏に浮かんでは消える。やがて思い浮かぶのは本物の『勇者トル・ラバートリック』の姿だ、つい数日前まで生きていた、村の英雄だった彼。それはハルトにとっても憧れだった、勇者の血を引く者として周囲の期待を一身に背負い確固たる覚悟の下にその役割を全うしようとしていた。そして誰よりも強かった。


 そんなトルが事故で死んだ。なのにこの状況は何だ、俺は一体何をしている。


「……」


 部屋の隅で放心するハルトをよそに男達は笑いながら部屋を後にしていく。酒でも飲みに行くのかその手には国王からもらった金貨が握られていた。心なしか全員の足取りもうきうきとしているようだ。

 男の一人がハッとしてハルトの方に目をやる。


「……」


 ハルトは魂が抜けたような表情で座る。男は少し逡巡したものの、仲間の声に呼ばれ結局はハルトを部屋に残して出て行った。

 木張りの床に漆喰の分厚い壁、低い天井には使い込まれたランプ。ハルトは鎧を脱ぐ気力も失せ、壁にもたれていた。


「……」


 窓の外からは酔客の喧騒と笑い声が聞こえ目の前には使い古された汚い寝具が並ぶ、自分が眠いのかどうかもよく分からなかった。


「……様」


 突然の声にハルトは驚き飛び上がった。


「ああ申し訳ありません、驚かすつもりはなかったのです。どうか無礼をお許し下さい」


 てっきり誰もいないと思って放心していただけに全く不意を突かれた。目を凝らして声の方を見るが、部屋の奥が暗くてよく見えない。


「何だ……誰だ」

「私はワトー・フォルグランと申します。突然の訪問ご迷惑とは存じますが、何卒ご容赦下さい」


 声の方に目を凝らすがぼんやりとした暗闇があるだけだ。声は少ししわがれていて、どうやら男の声であるらしかった。


「ワトー?。何なんだ、あんたは今どこにいるんだ?」

「おお、失礼しました。私の姿が見えなかったのですね、只今お近くへ参ります」


 微かな衣擦れの音が聞こえる、ランプの光を受けおぼろげに現れたその姿にハルトは息をのんだ。子供ほどの小さな体に大きく突き出た耳、赤い髪の毛の隙間からギョロギョロとした目がこちらを見ている。身体にはどこかで拾ったようなぼろ布を巻いていた。


「……妖精族か」


 深い森に住み、生命のエネルギーを操り自然と共に生きる種族。ハルトも話には聞いていたが実際に目にするのは初めてだった。


「はい。このような身なりですが決して怪しいものではございません、どうか貴方様とお話をさせて頂きたいのです」


 ワトーと名乗った妖精は大きな瞳を伏せて懇願するようにこちらをうかがっている。


「話って、俺にか?」

「はい。是非貴方に聞いて頂きたいのです」


 妖精はそう言いながらハルトの正面へ歩み寄る。ハルトは戸惑いを覚えながらも先を促した。


「よく分からないが、聞くだけなら構わないよ」

「ありがとうございます。おお、このような突然の申し出にもかかわらず何と寛大な」

「能書きは良いから、さっさと要点だけ話してくれ」


 ハルトは足を組んで膝の上に頬杖をついた。


「承知致しました。あまりに突飛な話で申し訳ありませんが、どうか貴方様に魔王めを討伐して頂きたいのです」


 危うく手から顎が落ちるところだった。


「は?魔王だと?」

「はい。古来より我ら妖精と魔物は陰と陽、このまま魔王めの侵攻が進めば、それは我ら妖精族にとって存亡を左右する事態になるのです」


 そう言って妖精は一歩進み出て頭を垂れた。


「どうか魔王討伐の為、貴方様のお力添えを頂きたい!」

「待て待て話が見えない。何で俺がお前達に力を貸さなきゃならないんだ?」

「当然の疑問であります。誠意をもって正直に申し上げるなら全ては私めの勝手な行いに過ぎないのです」

「勝手な行い?」

「先に申しましたように我ら妖精族は今や存亡の危機に瀕しております。こうしている今も多くの同士が魔物の襲撃により住処を奪われ、命を失うものも後を絶ちません。かように苦難の時であるからこそ、我ら妖精族は魔王討伐を掲げる勇者トル・ラバートリック殿のお力添えを望んでいるのであります」


 ハルトの目が大きく見開かれた。


「恥ずかしながら私も魔物により住処を奪われ各地を流浪している身であります。同士を求め旅を続ける中で偶然にも今日貴方様が宮殿に招かれているとの話を耳にし、せめてお話しだけでも耳にして頂きたく思い参上した次第……」


 思い出したように夜風が吹き、窓の外からは楽しそうな喧騒が聞こえる。妖精は続けた。


「勿論我ら妖精族は魔王討伐に向け貴方様へのあらゆる協力を惜しみません。そのことはこの血にかけて約束致します。どうか、何卒ご一考下され!」


 そうだ、この妖精は自分の事をトルだと思っている。自分はトルとして式典に出たし今もこうしてトルの鎧を身に着けている。ハルトは腰に差した剣を眺めた。

 この剣は勇者のみが持つことを許される伝説の聖剣、一人分の旅荷物。


「……」


 いつの間にかハルトは口元に手を当てていた。少なくともこの瞬間において、自分は紛れもなく『勇者トル・ラバートリック』なのではないか。もしそんな事が出来るのだとしたら、今大きな運命の流れが自分に向かっているのかも知れない、自分と言う人間にスポットライトが当たろうとしているのだ。

 それに彼は思った。


「……あまり大差はないしな」

「は?」

「いや。ワトーとか言ったか?」

「はい」

「構わないよ」


 ハルトは身を乗り出して言った。


「俺は『伝説の勇者トル・ラバートリック』だ。ラバートリックの血を引く者として、俺が魔王を倒してやる」


 一際大きな笑い声が、窓の外から聞こえた。

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