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第六話 女神と『世界』


 そこは、白い世界だった。澄み切った清涼な空気に満たされ、時折穏やかな風が頬をそっと撫でる。暖かい光が天頂から降り注ぎ、そして恐ろしいほどに無音だった。柔らかい靄に包まれて、僕はその果てしなく広い空間の真ん中に横たわっていた。


「――きなさい……」


 どこか遠くから声が聞こえる。鈴のなるような、少女の声だ。


「――起きなさい、迷い子よ」


「ん……」


 微睡みの中の意識が浮上して、次第に霧が晴れていく。いつの間にか、頭上には突き抜けるような蒼穹が広がっていた。


「目覚めましたか、迷い子よ」

「貴女は……?」


 顔をあげると、目の前に小さな女の子が立っていた。シンプルな白いワンピースに身を包んだ、青い目の女の子だ。金に輝く麦穂のような髪は緩やかにウェーブしていて、幼いながらも整った顔立ちを丁寧に縁取っている。


「わたくしはフィー。『世界』を司る女神です」


 普通に考えれば少女の頭を心配してしまうようなセリフだったけど、何故だかそれは僕の意識にすっとしみ込んだ。おもむろに石を差し出されて、「これは石です」と言われたような、「そうですね」としか言いようがない気持ちだった。


「なんで、僕はここに?」

「迷い子である貴方が、力を発現したからです」

「迷い子? 力?」


 意味不明な単語の羅列に、またも意識が朦朧としてきた。そんな僕を見て、フィーは静かに、困ったような笑みを浮かべた。


「そのように焦らずとも、時間はあります。ここは女神が創った空間なのですから。ゆっくりとわたくしの説明に耳を傾けておけばよいのです」


 そう言って、目の前の少女がしゃがんで、小さなてのひらで僕の耳の間を撫でた。


「まずは、貴方はこの世界へ迷い込む前の事を、どこまで覚えていますか?」

「……今とは違う姿かたちで、異なる世界で、多分、平凡な生活を送っていたと思います」


 逡巡の後にそう呟くと、フィーは金髪を揺らして頷く。


「それだけ覚えていれば、十分でしょう。あなたはこの世界に迷い込む前。生前――といいましょうか、それを謳歌し、そして年若くして死にました。原因は――深く語る必要も無いでしょう。貴方は別に知ることもない」


 となれば、僕の中にあるのは、僕の前世の記憶ということだろうか。未だに凍り付いた記憶は溶けることなく僕の奥底に眠っているが、それだけにどうしても他人の記憶とは思えないのだ。以前からうっすらと考えていたことが確実なものになった。


「迷い子とは、貴方のように以前の生の記憶を持ったまま、別な世界へと落ちてしまう者の総称です。本来なら個別の環を生命が循環するのですが、極稀に貴方のように落ちてしまう者が存在するのですよ」

「確かに、シェラも僕みたいなのはたくさんいるって言ってました」

「ええ、貴方の今いる世界は層の最低に存在します。そのため、様々な世界から少しずつ、結果的に多くの者が落ちてくるのです」


 フィーの説明によれば、世界とはミルフィーユみたいに何層にも積み重なっているらしい。そして、丁度水の中の泥が沈殿するように、僕のような輪廻の環から外れた存在が、層を下っていく。僕は尻尾の先をくるくると回して、唐突に告げられた事実を受け止めようとした。


「まあ、貴方の出自についてはそのあたりでいいでしょう」


 悩んでも仕方のないことです、とフィーは小さく手を打って僕の思考を断ち切った。そうして、話題は変わる。


「本題は、貴方がなぜここへ呼ばれたか。です」


 そういえば、さっきフィーは僕が力を発現したからとかなんとか、言っていたような。


「さっきも言った通り、貴方は力を発現しました。力というのは、あの世界特有の特別なモノなのです。それが発現したということは、貴方という存在が、『世界』によって認められた。言い換えれば貴方が『世界』に定着したということを表します」


 ふんふん。人差し指をぴんと立てて語る彼女に向かって、もっともらしく頷く。つまり――どういうことだろう?


「……あんまり分かっていないようですね」


 フィーの呆れた視線が痛い。


「つまりは、貴方は正式に『世界』の内包物として見なされたのですよ。異なる世界から迷い込んできた貴方は、もう元の世界の輪廻には戻れないといっても過言ではないでしょう」

「見習いから、本採用になった感じ?」

「うーん、まあ、大きく間違ってはいないでしょう」


 微妙な顔をされたけど、大体合ってるみたいだ。


「それでその、力っていうのはどういうモノなんですか?」


 意識を失う際で見たのは、小さな銀色の箱。おそらくは『聖櫃』というのが僕の力なのだろう。


「力は個人によって異なります。種族によって大まかな傾向はあれど、最終は個々の心の形が力として発現するのです。貴方の場合は『聖櫃』。森羅万象を内包し、秘匿し、保護するものです」


 聖なる櫃という大仰な名前だけあって、その能力は強力なものらしい。フィーの説明にも熱がこもる。


「とはいえ、まだ貴方は『世界』に認められた直後。その力を十全に扱うことはできません。けれど、その力を使って『世界』に認められた後にはより強力なものとなるでしょう」

「『世界』に貢献、ですか」

「ええ、そうです。例えば、種族繁栄、文明開化、異分子の排除など。まあとりあえず『世界』によって認められた力ならどう扱っても大体は『世界』に貢献する行為となるでしょう」


 つまりはたくさん力を使えば、それだけ強力になるよ。といったところか。なんだかゲームのレベルアップシステムを思い出してしまうな。


「そういえば、『世界』って生きているんですか?」


 僕の質問を待っていたかのように、フィーはなめらかに答えた。


「ええ。『世界』は巨大な生命と考えてもらって問題ありません。そこには意志が存在し、循環があり、そして子を成すのですから」

「意志があって、循環して、……子供ができるの?」

「そうです。『世界』の意志とは、修正力とも言い換えられるでしょう。元々は白い画布に絵の具によって色彩が加わるように、虚無に『世界』の意志が働くことで星が生まれ、生命が生まれるのです。私たち神々は、『世界』によって生み出された、『世界』そのものを補佐する存在に過ぎません」


 すらすらと語るフィーの表情はどこか活き活きとしていて、誇らしげに見えた。


「循環というのは、つまり私たちの生き死にや強大な力の流れのことですね。これが滞った時、『世界』は不調となり、各地で異変が起き始めるのです」


 要は血液のような物なのだろう。命が生まれ、育まれ、死ぬ。力が湧き、流れ、消滅する。その循環によって、『世界』が存在しているのだと、彼女は言った。


「子を成すというのも、そのままの意味ですね。ある一定の期間を経て成熟した『世界』はやがて、子を成します。先ほど説明した層は、世界が子を成した果てなのですよ」

「つまり、今最底辺にあるこの世界は一番若いってことですか」

「そういうことになります」


 生まれ、成長し、子を成す。なるほど確かに、これは生命としか言いようがなかった。つまり、僕が元いた世界は今いる『世界』のご先祖様にあたる訳だ。そう考えると、なんだか感慨深い思いになるね。


「ん」

「うん? どうかしました?」


 のほほんと達観して『世界』について思いを馳せていると、唐突にフィーが何かに気付いた素振りを見せる。


「そろそろ、現実世界で貴方の意識が覚醒するようです」


 そういえば、僕は気を失っていたんだった。殆ど忘れていた。


「それでは、暫しのお別れです」


 そう言って、フィーはにこりとほほ笑んだ。


「貴方に託された力は、おそらく『世界』に存在するモノの中でもかなり強力なモノでしょう。決して、使い道を見誤らないよう」


 フィーの小さな白い手が僕の頭を数回なでた。まるで陽だまりのようで、暖かくて柔らかい、とても気持ちが良い手だった。


「そういえば」


 ふと、フィーは思い出したように言う。


「私の姿は、ここに呼び出された者の潜在意識に左右されるのですよ」


 ……つまり?


「この可愛らしい幼子の姿は、貴方が望んだものなのです」

「え、僕そんなしゅみは――」


 そうして、僕はその白い空間から消え去った。最後に投下された小さな爆弾を抱えながら。




「――目が覚めたか」


 気が付くと、クッションの上で寝かされていて、柔らかい毛布に包まれていた。焦げ茶色の毛布で、なんだか安心する匂いがする。毛布に包まったまま、頭だけを持ちあげて周囲を見渡すと、すぐ近くに木椅子に座ってニヒルな笑みを浮かべているシェラの姿が見えた。傍らには木椅子と一緒に持ち込んだらしい、一本足の丸テーブルも置いてあって、水の入ったグラスが置かれていた。


「おはよう」

「ああ、おはよう」


 まだあまり動いていない頭で、辛うじてそう口にすると、シェラは少し笑って応えてくれた。けれど、その顔には疲労の色がうっすらとだけど確かに見える。居候しはじめて早々、面倒ごとを起こしてしまったみたいだ。


「それで、僕はどれくらい寝てたの?」

「半日くらいだよ。明かり屋がさっき、夜にしていったよ」

「そっか……」


 あんまり長い間寝ていた訳じゃなくて、少し安心した。頑張りますって言った翌日から昏睡とか、目も当てられないけど。どうやら朝なかなか僕が起きてこなくて、様子を見に来たシェラはとても驚いたらしい。朝から心臓が止まるかと思った、という苦情と一緒にワシャワシャといささか乱暴に頭を撫でられた。


「うひゃっ」

「罪滅ぼしだと思って大人しくしなさい」


 ぐりぐりと世界が回って気持ちが悪かった。けど僕は大人しくされるがままになった。これぞまさしく借りてきた猫、なんてね。


「それでオウカ。これ、何かわかる?」


 一通り満足したのか、そう言ってシェラが懐から取り出したのは、小さな銀色の箱。意識を失う際に見た、あの箱だった。


「それ……。夢じゃなかったんだ」


 ただっ広い空間、女神だと名乗る少女。夢のような体験が、次々と頭の中を駆け巡った。銀色に輝く小さなそれを見ると、経験したそれらの全てが現実味を帯びてくる。

 知らず知らずのうちに考え込んでしまったらしく、シェラが声を掛けてきた。


「何かあったのかい?」

「うん、実は――」


 心配そうな彼女に、僕は寝ている間にあったこと、フィーという少女にあったことを包み隠さず話す。話している最中、こんなことを話していいのかどうか疑問が過ったけど、そういえば出会った時に彼女が僕みたいなのはたまにいると言っていたのを思い出した。だったら、少しくらい話しても大丈夫だろう。


「森羅万象を内包し、秘匿し、保護するもの、か」


 箱を細い指の中で転がしながら、シェラが呟く。思考を巡らせる彼女の横顔がランプの光に揺らめいていて、まるで高級な西洋人形みたいだ。


「そういえばこれ、蓋が開くんだよ」

「え? そうなの」


 ふと思い出したようにシェラが箱の上半分を摘まむと、パカッと音がして半分に割れた。蝶番でつながっていて、中は空洞らしい。箱のサイズ的に考えても、そこまで大きなものは入らないようだけど、立派な箱には違いなかった。そういえば、僕は箱に触れたことがなかったな。じっくりと近くで見たこともないから、分からなかった。クッションから抜け出して、シェラの太ももに飛び乗って、掌の上にある銀色を見つめる。大体、僕が想像していた通りの箱だ。大きさが、すこし小さすぎる感じもするけど。


「何か入れられるみたいだね」


 言いながら、足の先で銀色の縁に触れる。ひんやり冷たい、金属質だった。


「少し小さすぎる気もするけどね。よければ鑑定しようか?」

「え? そんなことできるの?」


 そんなことを聞いてから、僕はハッとした。見上げると、彼女の青い瞳には呆れがたっぷりと含まれていた。髭がピクピクと動いて、尻尾が硬直するのが分かった。きっと、今僕は茹蛸のようになってるんじゃないだろうか。


「私は【上級鑑定士】だぞ?」

「は、ははは……」


 忘れてた。なんて口が裂けても言えない。


「はぁ……。まあ、いいか。それじゃあ鑑定するよ」

「お願いします」


 ごめん寝をするみたいに前足を揃えて、ぎゅっと頭を下げる。そんな僕の首筋をぐにっと抓って、シェラは鑑定を始めてくれた。

 なにかしらの力を使ったようで、彼女の右目の中に複雑な紋様が浮かび上がっている。それらは絶え間なく動き、絡んで、常に一定の形状を留めない。力を使うと、こんな感じになるのか。魔法とはまた別の技術なのかな。


「おお……」


 何か驚くようなことが分かったらしく、シェラの薄い唇から感嘆の声が漏れる。


「よし、鑑定終了だ」

「ど、どうだった?」


 鑑定は数分も掛からずに終わったらしい。ふっと脱力して、銀色の髪をかき上げたシェラに、ドキドキしながら結果を聞いてみる。


「この箱の名前は【保管箱】というらしい。材質は純粋な鉄だ」


 ここまで不純物の含まれていない完全な鉄は見たことがない、とシェラは頬に赤みを帯びながら語ってくれた。しかし、保管箱という名称からしても、この箱はなにかを入れておく用途らしい。


「オウカはこれみたいな箱をまた創れるのかい?」


 純鉄の箱をいじりながらシェラが聞く。


「多分できると思う」


 そう答えながら、頭の中に箱を思い描く。想像するのは、同じ大きさ、材質の【保管箱】――。


 コロンと硬質な音を響かせて、虚空から生まれた箱が床を転がった。


「ほら、できた」


 箱の作成は問題なくできた。それどころか、最初みたいにぐったりすることもない。ただまあ、50mを全力疾走したくらいには疲れたけど。念のため、シェラに再度鑑定してもらったら、全く同じ【保管箱】だったみたいだ。


「つまり、【聖櫃】っていうのは何かを保管する箱を作成するっていう力?」

「まあ、そういうことだろうね」


 シェラによれば、力を使い続けていればその分扱い方にも慣れて、力自身もより強力なモノになっていくようだ。これがフィーが言っていた『世界に認められる』ということか。


「最低でも、一日一回は何かしら生成したほうが良いと思うよ」

「継続は力なりってヤツだね」

「はは、そういうことだね」


 面白い言葉を知っているね、とシェラはまた僕の頭を撫でた。


「それじゃあ私は部屋に戻るよ。オウカもゆっくりお休み」


 小さく欠伸をかみ殺して、シェラは部屋を去っていった。僕はそれを見送ると、テーブルに置かれた二つの箱を見て、クッションの下に仕舞いこんだ。


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