第五話 シェラ先生の魔法講座
「オウカ、荷解きを手伝ってくれ」
「うん、いいよ」
メープルさんが尻尾をふりふり帰っていったのを見届けて、シェラが奥からリュックを持ってきた。口が閉じられないほど多くの荷物が詰まっていて、白い棒や紙に包まれたパンが飛び出している。すんすんと鼻先を揺らして、香ばしい匂いを掴む。
「それじゃあ出していくから、閉じ紐を解くか切って」
「りょーかい」
シェラが次々と取り出して、テーブルに並べていく包みは、そのほとんどが薄茶色の髪の上から粗い紐で封されていて、僕は爪先でそれを切っていった。爪の出し入れも呼吸のようにできることに、少し不思議な心地になったけど、鋭く切れ味が落ちる様子もないのは見ていて楽しい。
シェラが買って来たのは、殆どが新鮮な野菜や干し肉、それに香辛料だ。香辛料は高いのか、僕の額ほどの大きさの小瓶に少しだけだった。
「そういえば、買い出しはどこへいってたの?」
「うん? 色々周ったけど、大体は大市場でそろえたよ。街の中央にある大きな広場で、たくさんの商店が並んでる一角だよ。街の外の農園や牧場からも新鮮な食料なんかが届くから、いつでも魔物で一杯だね」
今度また案内するよ。とシェラが小瓶を並べながら言った。大市場は僕がシェラの肩に乗せてもらった通り以上に膨大な数の魔物が犇めく場所らしい。毎日なにかしらの催しが行われていて、多額のお金が手の間を渡り歩くようだ。
「街の外にも魔物が住んでるんだ?」
「ああ、たくさんね。大抵は種族ごとにまとまって一つの地域に定住してるんだけど、『外界の者』と戦って暮らす流浪者もかなりたくさんいるよ」
その言葉に、この世界へ迷い込んだ当初の光景が脳裏を過る。忘れられないのは、かつて自分もそうだったからだろうか。
「はいこれ」
「わぷっ!?」
ぼうっとしていると、ぼふっと顔になにかを投げつけられた。
「あ、クッションだ」
「できるだけ使いやすそうなのを選んだけど、そんなので大丈夫?」
「うん! ありがとう」
それは、深い緑色のクッションだった。縁は白い刺繍糸で飾りが施され、目にも美しい。試しに前足の爪を引っ込めて触ってみると、ぽふぽふと深く沈んだ。大きさは僕がちょうどすっぽりと収まるくらい。座り心地も良さそうだった。
「こんな高そうなもの、なんだか申し訳ないね」
「ふふ、その代わりしっかり働いてもらうよ」
シェラの言葉に、僕はきょとんとして首を傾げた。
「え、僕ってここで働くの?」
「……なんの為にキミを拾って来たと思ってるんだい?」
「てっきり、ギルドかどこかで働き口を探して……」
「せっかくいい働き口があるのに、なんで別のところへ行こうとするんだ」
それもそうだった。
呆れた様子で僕の頭を撫で始めた彼女から、目を背けるようにしてごろごろと喉を鳴らす。
「それで、どういう仕事をすればいいの?」
「なに、簡単だよ。私が迷宮に行ってる間の留守番と客の対応をしてくれさえすればいい」
「それだけでいいの?」
「私は一度迷宮に潜ったら一月は帰ってこない」
なぜか自信満々といった様子で薄い胸を張るシェラを見て、僕は彼女と遭遇できた幸運に感謝して、これからやってくる苦労を微かに悟った。
そんな話をしているうちに荷解きは終わったらしく、シェラが包み紙と紐を纏めて作業場に運ぶ。これは捨てずに取っておいて、必要なときに使うらしい。大抵は焚き付けなんかになるようだ。包みから出した品々は、殆どを地下の倉庫に納める。僕が今度ここも整理しようと言うと、シェラはそっぽを向いて乾いた笑いを上げた。
「ああそうだ。オウカ、ちょっと裏庭に行こうか」
荷物を片付けて一段落着いたとき、シェラが思い出したように口を開いた。理由を聞く間もなく、僕は彼女の細い腕に抱き抱えられて連行された。
「な、なにするの?」
若干尻尾を膨らませながら、シェラを見る。隙間風に揺れる銀髪を抑えながら、シェラは楽しそうに笑った。多分あれはなにかを企んでいる表情だ。
「今からキミに、魔法を教えようと思ってね」
「魔法?」
聞き慣れない、心躍る単語が飛び出して、僕は少し浮足立った。
シェラがまずは見てもらったほうが良いか、と白い指先を虚空に突き出した。
「『水球』」
その言葉に呼応して、指先の空間が歪んだ。一瞬後、何もなかったはずのそこには拳大ほどの水の球が浮いていた。
「すごい……」
「あはは、思った通りの反応をしてくれるね」
気が付けば、僕は尻尾をぶんぶんと猛然とした勢いで振っていた。シェラが水球を霧散させると、とたんにしゅんと耳を倒してしまう。我ながらなんと感情をよく表すのだろう。
「今のは水球という魔法だね。近くにある水源から魔力量に見合っただけの水を集めるんだ」
「作りだしたわけじゃないんだね」
そんなことをこぼすと、シェラは一層笑みを深めた。なんでも物質生成の魔法はそれこそ魔法の扱いに秀でた種族の中でも限られた者しか使えないような、秘技中の秘技らしい。まあ、それもそうかと僕はうなずいた。さっきの場合、シェラは庭の隅にある井戸の中から水を集めたらしい。
「もっと魔力を込めれば地下水なんかを集めることもできるから、迷宮探索なんかではよく使う魔法の一つだよ」
覚えておいて損はないとのことなので、僕も早速挑戦することになった。
「まずは魔力を感じるところからだね」
そう言って、シェラが僕の前足を握る。そして、すぐにシェラの方からじわじわと温かいなにかが流れ込んできた。
「何か感じたかい?」
「熱い、なにかが流れてくる」
「ああ、それが魔力だよ」
そう言って、さらに力の量が多くなる。温度もどんどんと高くなり、まるで焚火にあたっているようだ。そのうちに、流れ込んでくる魔力に応じるようにして、僕の体の中からも、同じような温かい力が湧き出る。それはすぐに血管のように体中を巡り始めた。
「うん、キミの魔力も呼び起こされたみたいだね」
そう言って、シェラは自分の魔力を弱めて、最後には手を放した。それに代替するように僕自身の魔力が全身を濃く巡る。最初は落ち着かなかったが、次第にその感覚にも慣れてきた。ふとシェラの方へと頭を上げると、彼女も満足そうにうなずいていた。
「これでキミも魔法を使えるようになったはずだよ。試しに水球を作ってみようか」
そう言って、シェラが魔法を発動する際のコツを伝授してくれる。水球の魔法を発動させるには、大きく三つの段階を踏まなければならないらしい。一つ目は、自分の魔力を外に展開して、水源を見つけること。二つ目に、水球を作成する場所を指定して、自分の魔力で固定すること。そして最後に詠唱を唱えると魔法が発動する。
「魔力を体外に展開するのは、背中から羽を伸ばすような感覚かな」
そうアドバイスされて、背骨を意識して突き出すように力んでみる。何回か挑戦するうちに勝手が分かって来て、狭いながらも魔力を展開することができた。感覚としては、目に見えないバリアを自分を中心に球状に展開していくイメージだ。魔力を展開すると、その範囲内に存在するモノの情報が、土や草、石、風の動きまで、目を向けなくても分かる。
「ふぅ……」
長い間展開していると、魔力を消耗したのかどっと疲労が体を覆った。まるで長距離を全力疾走した後のようだ。
「疲れたようだね。少し休むといい」
シェラが水球を作って、小さな桶に入れてくれた。ちろちろと舌を伸ばして飲む井戸水は冷たくて全身の疲れが癒される。
「ちなみにさっきの魔力を展開するのも立派な魔法なんだ」
「へぇ、そうなんだ」
「『捜索』って言ってね、範囲内に存在する物体を知る魔法さ」
この魔法は鉱山などで鉱脈を見つけることにも役立っているらしく、巧い者ならとてつもなく広い範囲を一度に調べることもできるのだとか。
「それじゃあ、次へ進もう」
少し休憩したのち、シェラがぱちんと手を打って立ち上がった。浅い皿に移してもらった井戸水を舐めていた僕もそれに倣って頭を上げる。
ぱたぱたとズボンのお尻を叩いて土を落とすシェラに眉間を顰めながら、それを避けて井戸の近くまで向かった。
「今度は魔力を展開して、その範囲内から水源を見つけてみようか」
井戸の縁に手を掛けて、シェラが言う。
「うん、わかった」
言われるままに目を閉じて、再度自分の中の魔力を放出する。自転車やお箸の扱い方を覚えたように、二回目からはすんなりと展開することができた。範囲は丁度中庭と同じくらいの球状で、内包する全てを手に取るように感じることができる。その中から、水を探す。探す、と言っても失せ物を見つけるために歩き回るような感覚じゃなくて、どちらかといえば整理された標本箱を俯瞰して目当ての蝶を見つけるような、そんなかんじ。
「――あったよ」
「よし、それじゃあ水源の一部を手前に持って来てみようか。コップに移すように、移動先に魔力で入れ物を作るんだよ」
声に従って、まず目の前に小ぶりなガラスのコップを想像して魔力で器を作る。イメージをそのまま投射するのは難しくて、下手な粘土細工を壁にぶつけて踏みつぶしたような歪な形だ。それでもなんとからしいものはできたから、それで水を汲み取るように想像を膨らませていく。
「ああ、そうだ。上手だね」
上の方から、驚きの籠った声が聞こえる。そりゃあ上手でしょう、なんたって僕は昔から、空想に浸るのだけは得意だったんだから。なんて心の中で独白する。
「よし、成功だ!」
「……ふぅ」
ゆっくりとコップを壊さないように目を開くと、目の前に小ぶりで歪な水球が浮かんでいた。舌を伸ばしてぺろりと舐めとってみる。苦労して集めた水は少し温くて、魔力の抜けた体にしみ込んだ。
「おめでとう。正直、一回目で成功させるとは思わなかった」
「先生の指導のおかげだよ」
「ふふ、できのいい生徒にはご褒美を上げないとな」
そういって、シェラは人差し指の先で僕の喉をくすぐった。得も言われぬ快感が、尻尾の先まで駆け巡る。
「ふ、ふにゃぁぁ」
「ほれほれ、ここがいいのかい?」
「ごろごろごろ……」
一通り僕を弄んだあと、わしゃわしゃと僕の頭を乱暴に撫でて、シェラは立ち上がった。気が付けば周囲は薄暗く茜色に染まっていて、天頂には大きな月が三つ浮かんでいた。
「そろそろ、夕飯にしよう」
「にゃぁ……」
息も絶え絶えの僕は、そう返すのが精一杯だった。
「この街も夜があるんだね」
ふと中庭から空を見上げると、薄紫の夜空に、ガラスの欠片のような星屑がいくつも浮かんでいた。
「ああ、明かり屋が毎日決まった時間に明かりをつけて、消していくんだ。そうしないと時間感覚が寿命の違う種族の間で共有できないからね」
そう言ってシェラが細い指を指したのは、三つの月。よく見ると、月の外縁には細い糸のような足が無数に揺らめいていた。
「明かりが消えるとすぐ寒くなる。早く入って暖炉を付けよう」
戸口を開きながら、シェラが急かす。遥か彼方を小刻みに震える月に見とれていた僕は、慌てて駆けだした。
小さなランタンがおぼろげに光を放つ作業場の片隅に、オーブンを兼ねた小さなストーブがあった。中庭の壁際に積んである薪を放り入れてシェラが指先から火を出すと、すぐにぱちぱちと元気に声を上げ始める。
「できたよ」
「わあっ!」
この世界で初めて口にする料理は、シェラ謹製のベーコンと芋のスープだった。素朴だけど、ピリリとした辛さのあるとろとろとしたスープで、がらんどうだったお腹を温かく満たしてくれる。
「手軽に作れて安くてうまいから、迷宮探索中のキャンプでもよく作るんだよ」
「へぇ、こんなにおいしいものが迷宮でも食べられるんだね」
「余裕のあるときだけだけどね。それでももう何千回と食べてるから流石に飽きた」
そう言って苦笑いを浮かべながらも、シェラはゆっくりと木匙を口に運び続けた。僕は浅いお皿に盛ってもらったスープをできるだけ冷ましながらぺろぺろと味わった。
「今日、市場で常連に会ったから、明日から早速お客はやってくると思うよ。とりあえず私も店には立つけど、いずれ店番は任せるからそのつもりで覚えていってね」
「うん、りょーかい」
人の名前を覚えるのは得意な方だった。そもそも覚えるほどの知人がいなかっただけかもしれないけどね。
「そういえばさ、長い間迷宮に籠るような生活してるのによくお店なんて経営できるよね」
「まあその辺を理解してくれる人しかお客にはならないからね。だからうちで預かってるものは大切すぎて使いどころがないような品ばかりだよ」
「HPやMPがいっぺんに全回復するような薬とか?」
「ん? えいちぴー?」
「……なんでもない。おかわり貰ってもいいかな」
どうやらこの世界はゲームに酷似した世界というわけでもなさそうだ。当たり前といえば当たり前なんだけどさ。怪訝そうな顔でスープを注ぐシェラと目を合わせないように、僕は前足で顔を洗った。
おかわりも平らげてお腹も膨れた僕は、早速覚えた水球を使って器を洗った。歪な水球をお皿の中で転がすように動かすと、面白いようにきれいになった。これは掃除で使えるかもしれない。
その後、シェラは金庫と陳列棚の確認をするために店舗スペースへ向かい、僕は二階の自分の部屋に入った。
「よいしょっと。うん、ふわふわ!」
背中に乗せて尻尾で抑えながら持ってきた、緑色のクッションの上で早速丸まってみると、柔らかいマシュマロで包まれているみたいで心地よかった。考えるのは、ここまでで一番気になっている、僕に宿るという【聖櫃】という力のこと。
「聖櫃……聖なる櫃。櫃って箱のことだっけ? むーん……」
文字からして、箱に関係するような能力なんだろうというおぼろげな憶測は立つ。けれど、箱のなにが関係しているのかは何も分からない。
「箱っていったい、なんなんだろうね」
箱といって思いつくのは、木箱やびっくり箱、おもちゃ箱。要は中に何かが入っている物のことだ。何かを保管する箱? それなら、金庫も箱の一種だろうか。
「――箱を作る能力?」
少し、想像してみる。想像がこの世界では大きな力を持ってることを、僕は魔法の授業で知った。
小さな箱。大きさは僕の、つまり猫の掌くらい。銀色で、立方体。中身は無くて、蝶番で蓋が付いてる。
そこまでイメージしたとき、不意に力が抜けた。全身の筋肉が弛緩して、ぐたりと頭がクッションに埋まる。
「な、なに!?」
頭の中が大騒ぎするが、体は気だるくてうまく動かない。まるで深い水の中にいるみたいだった。段々と世界が回り始める。ぐらぐらと揺れて、ふわふわと空を飛んでいるようだ。
「――あっ」
そして、見つけた。
「銀色、の……箱……」
クッションの足元に転がる、小さな銀色の立方体。
陽炎のように二重に重なり揺れるそれを見ながら、僕は意識を手放した。