第四話 お隣の奥さん
「さて、とりあえず掃除道具を探そうか」
シェラが大通りの黒山に消えるのを見届けて、店の中に舞い戻る。おそらくだけど、道具は地下の倉庫にあるんじゃないだろうか? そんな予想を立てて、作業場から地下室へと階段を下りた。
埃と黴の臭いが微かに漂う地下室はほのかに光を放つランタンのおかげで、少しはましな程度の暗さだった。けれど僕は視力もケモノ仕様になっているらしい。少ししたら薄暗い夕暮れ程度には目が慣れた。壁には大きな樽や棚がぎっしりと立ち並んで、籠や木箱のような入れ物には雑多なものが乱雑に放り込まれている。冷たい石の上を音もなく歩きながら目当てのものがないか首を左右に揺らした。
「こうもぐちゃぐちゃしてたら、見つかるものも見つからないんじゃないのかな……」
一応、よく使う消耗品の類は入り口側、あまり使用頻度の高くないものは部屋の奥と大まかには分けられているものの、その区別はひどく曖昧だ。根菜が詰まった木箱に高そうな銀色の剣が刺さっているのには思わずヒゲを下げてしまった。
「う?」
ガラクタの山に頭を突っ込んでいた時、不意に階上から声が聞こえた。幽かだったけどケモノ耳はそれをしっかりと捉える。もちろんシェラの聞き慣れた低めの声じゃない。
「お客さんかな?」
それなら待たせちゃいけないと、階段を駆け上って店舗スペースへ向かう。
「ごめんくださーい。う~ん、シェラちゃんいないのかしら……。あら?」
金庫室の扉を開けると、テーブルの向こう側に声の主が立っていた。どことなく深みのある高い女性の声だ。
「あらあら、あなたはどなた? シェラちゃんはいるかしら?」
声の主はのほほんとした様子で尻尾をぱたぱたと振って、テーブルを避けながらやってきた。ペタペタと平らな水かきがスリッパのような音を立てた。
「えっと、……あなたは?」
盛大に困惑した僕が苦し紛れにはなった一言に、声の主――フリルの付いたピンク色のエプロンを付けたカモノハシのようなお客さんはまぁまぁ! と声を上げた。
「わたし、隣でお守り屋さんをやってるメープルっていうの。よろしくね」
そういって、メープルさんは嘴に短い手を添えた。
「あ、えっと、僕はオウカって言います。今日からこの家でお世話になってます」
「あらあら、シェラちゃんったら可愛い子を連れてきたのねぇ」
慌てて自己紹介すると、メープルさんはふわふわした毛皮に覆われた丸い体を折り曲げる。釣られるようにして僕も前足を縮めて頭を下げた。
「それで、シェラちゃんはどこにいるのかしら?」
「今、丁度買い出しに出掛けてるんです」
「あらあら、そうなのね。それじゃあ少し待たせてもらってもいいかしら」
僕よりこの家について詳しそうな彼女に僕はただ頷くだけだった。
メープルさんはこの【ノームの紫瞳】のすぐ隣で【水ノ葉院】という名前のお守り屋さんを夫婦で営んでいるらしい。来客を無下にする訳にもいかず、テーブルを挟んで対面していると、ピンク色のエプロンのポケットから無数のお菓子を取り出しながらそう教えてくれた。
「お守り屋さんって、具体的にはどういったものを?」
銀紙に包まれた、オレンジ色の飴を貰って、舌の上で転がしながら聞くと、メープルさんはぱかぱかと嘴を動かした。
「そのままの意味ねぇ。わたしたちクルル族は【呪符術】っていう力を持ってるのよ。その力を使ってね、宝石とかお札なんかにいろんな力を付与するのよ」
それは例えば、火傷から守ったり、水を弾いたりといった日常生活で役立つものから、斬撃を跳ね返すような戦いに用いるようなものまで様々なのだとか。
実用性が高く、手ごろな価格から揃っている【水ノ葉院】のお守りは客からの評判もいいらしく、メープルさんは誇らしげに鼻を鳴らした。
「呪符術は宝石やお札に力を籠めることことが多いから、シェラちゃんとは長いお付き合いなのよ」
バリバリと飴を砕いて、メープルさんが言った。夫婦で店を立ち上げるずっと昔からこの店はあって、よく宝石などを回してもらっているらしい。
「わたしたちがこの街へ越してきて三十年くらいかしらねぇ。思えば長いものだわ」
「そんな昔から……」
嘴の隙間から零れ落ちた言葉に、少し驚いた。シェラの外見は若いのに、最低でも三十を超えてるのか。
「わたしたちクルル族は寿命が長い方だけど、シェラちゃんみたいなレテュード族はそれに輪を掛けて長いわね。それこそ、時の番人とまで言われるアルモン族に匹敵するくらいよ」
アルモン族というと、審判の時にすれ違ったカープや回収屋たちの種族だったろうか。メープルさんの話によれば、アルモン族の中には数千年生きる者もいるそうだ。そんな生き字引なアルモン族がなんでまた回収屋みたいな仕事をしてるんだろう?
「それで、オウカちゃんはどうしてこの街へ?」
「……あーっと」
ある意味当然ともいえる話題の変遷に、少しだけ言葉につまる。けれど、別に隠すようなことでもないだろうと、事のあらましを説明した。
「そう、気付いたら迷宮に……」
僕の話を聞いたメープルさんは、クリクリとした黒い瞳に大粒の涙を浮かべていた。エプロンのポケットから黄色いハンカチを取り出して、それを拭いながら、うんうんと何度も頷いていた。
「たまにね、そういった子がこの街にもやってくるわ。種族も性別も年齢も、全部バラバラで一貫性はなくて、ただ共通点があるとすればこことは別の世界で生きていた記憶を持っているてこと。それも、個人によってはとっても曖昧だったりするんだけどね」
僕は、頭の奥に鈍い痛みが走ったような錯覚を受けた。僕の記憶の中にある、こことは別の世界の感覚は、とてもおぼろげなものだったから。
突然、メープルさんがすくっと立ち上がって、ペタペタと僕の方へと歩み寄って来た。
「え? わぷっ!?」
「安心しなさいな、心細いかもしれないけれど、わたしでいいならいつでも相談に乗ってあげるからね」
そういって、短い手でがっしりと僕の頭を抱きかかえられる。ふわふわの毛皮がとても温かかった。
「ありがとう、ございます」
目の奥が熱くなるのを感じて、何度も瞬きを繰り返しながら呟く。回された腕の力が少し強まった。
「ただいま……って。メープルさん何やってるの?」
「うわわっ!?」
「あら、シェラちゃん」
ガチャリと扉が開いて、リュックを膨らませたシェラが帰って来た。思わぬ来客に驚き、よく分からない場の空気に困惑していた。ドア先に立ち止まって、僕とメープルさんの顔を交互に見比べている。
「お、おかえりなさい!」
変な気恥ずかしさから、メープルさんの腕から抜けてシェラの足元に駆け寄る。
「シェラちゃ~ん! こんなに可愛い子がいるなら報告してくれたっていいじゃないの~!」
「それは、このあとにでも行こうかと思っていたんだけど。その必要も無くなったみたいだね」
パタパタと駆け寄って、シェラの腰のあたりをぱしぱしと叩くメープルさんに、シェラは少し頬角を上げていた。
「それで、メープルさんは何の用?」
「ああ、そうだったわね。新しく宝石をいくつかほしいのだけれど、いいかしら?」
「ああ、そういうことかい。それならちょっと待ってて、いくつか見繕ってくるよ」
そういって、シェラが店の奥へと消える。どうやら、メープルさんは宝石を買いに来たらしかった。それなのに長い間待たせてしまったな、なんて少し申し訳なく思った。別段、僕にできることなど無かったが。
「これくらいのモノでいいかい?」
「あらあら、もちろんよ! いつもありがとうね~」
ほどなくして、木箱一杯に色とりどりの宝石を詰めてやって来たシェラからそれを受け取って、メープルさんは足取り軽く帰っていった。
「それじゃあ、オウカちゃん。さっきも言ったけどいつでも相談に乗るからね。シェラちゃんにいじめられたらすぐ言うのよ」
「メープルさん! 私がそんなこと!」
「うふふ。冗談よ」
そう言い残して、メープルさんは器用に尻尾の先でドアを閉めた。
◆11/27 修正
薄暗い夕暮れ程度にはメガ慣れた。
→薄暗い夕暮れ程度には目が慣れた。