第三話 ノームの紫瞳
「迷宮の迷い猫、ですか」
「はいー。あと【儚き魂】、【探索者見習い】という称号もありますよー」
なぜ、そんな称号が名声の神様だというゲリアル様から授けられたのかは分からない。迷宮街の迷い猫はまだ分かる。気が付いたら迷宮の片隅に迷い込んでいたし。儚き魂、僕の命はそんなに風前の灯火なんだろうか。探索者見習いは特別変わったモノでもないらしい。
ぐにぐにと頭を揺らしていると、ミリカさんが補足してくれる。
「称号はですねー、ある程度他の人と被っているものも多々ありましてですねー。ギルドなんかへ行くと何々の称号を持ってる方のみーなんていう依頼も多く紹介されてますよー」
「ギルド、ですか」
「はいー、日雇いから数年単位の長期雇用まで幅広い依頼を斡旋している職業紹介所のことですよー。今度また行ってみるといいですよー」
手持ちのお金もない今、そのギルドに行って仕事をもらうのが、今の最優先事項になりそうだ。住むところは当面シェラに甘えるとしても、自分の食い扶持くらいは稼がないと。
「それではー、これがアルッドゥラの町の案内図なのでー」
「あ、ありがとうございます」
最後に外部からやって来た魔物にのみ配られるという、この街の地図と先ほどのギルドなどの主要施設のパンフレットが織り込まれた冊子をもらう。これにて、審判は終了らしい。
冊子を咥えて、僕は椅子から飛び降りた。
「それじゃあ、ありがとうございました」
冊子を一度床に置いて、ぺこりと頭を下げる。
「いえいえー、何か困ったことがあったらいつでも来てくださいー」
若草色の髪を揺らしてミリカさんが手を振って見送ってくれるのを見て、僕は扉の外へと出た。
長い廊下を誰にもすれ違わずに歩いてエントランスにたどり着くと、シェラが気付いて長椅子から立ち上がってこちらへ歩み寄って来た。手には綺麗な宝石があるあたり、鑑定でもしていたのだろう。
「ほまはへ」
「ああ、遅かったね」
「はぷ……。うん、寝てたみたい」
シェラが僕のお腹を抱え込んで持ちあげる。拍子に加えていた冊子を落としそうになって、すかさずシェラが受け止めた。
「オウカも、何か荷物入れが必要だね」
「申し訳ないです」
肩の上で体勢を安定させて、尻尾をだらんと垂らすと、シェラが神殿の外へと歩きだした。少しの間離れていただけなんだけど、シェラの細い肩の上は懐かしい感じがした。
「それで、なんていう種族だったんだ?」
「ロッタン族っていう、炎の魔力を操る少ししかいない種族だってさ」
それを聞いたシェラは、少しだけその青い瞳を見開いた。
「ロッタン族か、なかなか珍しいね」
「うん。それで、【聖櫃】っていう能力を持っているらしいんだけど、詳細は分からないって」
「聖櫃……聞いたことないねぇ」
やっぱり、シェラも心当たりはないらしい。細い顎に手を当てて、首を傾げている。
【聖櫃】――特別な、聖なる箱。箱の力というのはなんなんだろうか。うーん、手がかりも足がかりもないツルツルの段階で、何を考えても無駄だろう。そう思って僕は考えるのをやめた。
「それで、【迷宮街の迷い猫】【儚き魂】【探索者見習い】っていう称号があるらしいよ」
「ふむ……、前半二つは寡聞にして知らないが、【探索者見習い】なら私も持っていたよ。それがあるなら、探索者になるのもいいかもしれないね」
「探索者って?」
「ギルドの命を受けて、迷宮内の探索をする業種だよ」
「シェラもそうなの?」
「もう見習いは取れてるけどね」
【探索者見習い】という称号はミリカさんの言う通り一般的なものらしく、シェラも数年前に持っていた。それをきっかけに彼女は探索者として迷宮内を歩き回って、そのうちに見習いが取れて【探索者】という称号に変わったらしい。称号が変わるのは、ミリカさんの愚痴から知っていたけど、【探索者】という称号を得ることで周囲からはようやく一人前として見られるようだった。
「シェラは他にも称号を持ってるの?」
「色々あるよ。例えば【上級鑑定士】だとか、【金庫番】だとか」
称号は、定期的に神殿で審判を受けると勝手に増えていっているようなものらしく、シェラでなくとも普通十個以上は持っているらしい。ということは称号の種類はかなりの数になりそうだけど、それでもミリカさんは【迷宮街の迷い猫】や【儚き魂】は見たことがないと言っていた。ただ単純にとてつもなく珍しいだけなのか、それとも――
「着いたよ」
「……えっ、あ」
頭上からシェラの声が響いて、思考の海から引っ張り出される。気が付けば周囲は魔物だらけの大通りから、ひっそりとした薄暗い路地に変わっていた。背の高い、石造りの建物がしのぎを削るようにして立ち並び、上を見上げれば狭い青空がかすかに見えた。石畳は少し湿っていて、端っこの方には苔や雑草が生えている。シェラが二人も並べば一杯の狭い横丁の最奥、そこにひっそりと構えられた扉の前に立っていた。
「ここは?」
「私の家だよ。ついでに店もやってるけど」
そう言われて視線を上に向けると、ボロボロの看板が目に入った。
【ノームの紫瞳 貸金庫・解呪・鑑定承ります】
「ここがシェラの店」
「ああ、そうだよ」
そう言って、シェラは真鍮製の取っ手を握ってドアを開いた。中は板張りの少し埃の匂いがする広い部屋だった。奥にはカウンターがあって、脇には更に奥へと続くドアがある。左右にはガラクタみたいなアイテムが乱雑に並べられた商品棚が天井まで埋め尽くし、部屋の真ん中には丸いテーブルとイスのセットが置いていった。
「ようこそ、私の城へ」
「おじゃまします……」
シェラが肩から降ろしてくれたから、ぽつぽつと埃の足跡を作りながら歩き回る。オルゴールや水晶の宝石箱、金のラッパに色とりどりの鍵束などなど、商品棚に並んでいる品に、統一性はなかった。
「シェラ、ここに帰ってくるのは何日ぶり?」
足元で埃玉をこねながら、荷物の整理をしている部屋の主人に問いかける。彼女はバツの悪そうな顔をして、銀髪をいじり始めた。
「え、えーっと、十日と少しくらい?」
「少しっていうのは?」
「……二十日くらい」
少しのほうが二倍も多い。
「商売っ気がなさすぎない?」
僕がそんなことを言うと、シェラは口をとがらせる。
「仕方ないじゃないか、客なんていないんだから」
迷宮一の鑑定士さまはお暇なようだった。
「ねえこれ、掃除してもいい?」
「え? ああ、別にいいよ。あ、ただし商品棚には触らない方がいい」
こうして話している間も鼻さきがむずむずして仕方がない。これは一刻も早く対処しなければ。それにしても主であるシェラが、なんで掃除なんて初めて思いついたなんて言いたげな顔をしてるんだか……。
「掃除道具ってどこにあるのかな?」
「えーっと」
シェラはまたも、乾いた笑みを浮かべた。おおかた、自分でも掃除道具の在処が分からないんだろう。
「と、とりあえず! オウカの部屋を案内しよう」
「わぷっ!?」
そうしようそうしよう、と言ってシェラは自分の荷物を放り出して、僕を胸に抱えた。そのまま小走りで奥のドアをくぐるのだから、天地がさかさまになるかと思った。
「この建物は地上二階地下一階の三階建てね。地下は倉庫になってて、一階は店舗スペース。私は基本二階で生活してるから、オウカも二階の空いてる部屋に住めばいい」
「僕、別に部屋はいらないと思うんだけど」
だって猫ですし。
「まあ、あって困るものでもないし。使って使って」
ドアの奥はいくつもの黒い金属製の金庫が並ぶ部屋になっていた。預かった品物は全部ここに納めるらしい。さらにその金庫室の奥に扉があって、その奥はシェラの作業場になっているようだ。大きな作業台が置かれて、商品棚に並ぶ前の怪しげな品々が散乱していた。
「あ、掃除するときはこの部屋は触らないでね」
未鑑定の品の中には、危険なものもあるらしい。まあ言われなくてもこの部屋は掃除できる自信がないけど。
作業部屋からは地下へと降りる階段と、二階へ上がる階段。それと裏庭へと出る勝手口があった。階段の手すりやドアの取っ手には細やかな彫刻が施されている。そういえば、金庫室や店舗スペースの随所には花や草をモチーフにした彫刻があった気がする。
「ここが裏庭。昼間とかだと結構暖かいよ」
「へぇ、すごいところだね」
勝手口の小さな扉を出ると広がる中庭は、四方を背の高い建物に囲まれた歪な四角形の土地だった。浅く緑が広がっていて、隅っこには井戸もある。一応この土地もシェラの持ち物らしい。
「洗濯物なんかも、時間さえ選べば結構乾くよ」
なんせ隙間風が多いからね、なんて言ってシェラは自分で笑っていた。
「地下室には日用品とか食料とか、いろんなものが置いてあるから。必要なものがあったら言ってね」
薄暗い地下には木箱や樽なんかがいくつか置かれて、天井からは薬草の類が干されていた。少し作業場から追いやられたような品々が見えるのは気のせいだろうか。
上の店舗スペース、金庫室、作業場全てを合わせたくらいの広い部屋で、その分天井から吊下がるランタンの数も多かった。けれど、普段から付けているのは半分くらいらしく、地下室はかなり暗かった。
「それじゃあ、二階に上がろうか」
地下から作業場に戻って来て、そのままギシギシと軋む階段を昇っていく。二階は乱雑とした一階や地下と変わって、整然とした廊下が続いていた。左右には二つずつドアが並んでいて、突き当りには大きな窓が設けられている。
「ここは綺麗なんだね」
「あんまり使って無いからね」
……。
「私はこの部屋だから、ここ以外ならどこでも使っていいよ」
シェラは階段にほど近い、彫刻の施されたドアを指さして言った。
「それじゃあ、その向かいの部屋を貸してもらっていいかな」
「いいよいいよ。とりあえず中だけ確認しようか」
シェラがドアを開け中に入る。採光用の窓が一つあるだけの、簡素な部屋だった。板張りの、白い壁紙の張られた広い部屋だ。家具も何もない。
「とりあえず、クッション的なものがあれば……」
「あはは、準備しておくよ」
ほかに必要な物は特に見つからなかった。猫の体というのは案外便利かもしれない。なにせ机も椅子も基本的には必要ないのだし。
「それじゃあ、私はちょっと買い出しに行ってくるから」
一通り建物を見終えて、僕たちは店舗スペースのテーブルに座っていた。シェラはすでに荷物を片付けて、簡素な布の服に着替えている。これから、三十日ぶりの生活環境を整えるべく、買い出しに行くらしい。
「うん、ここで待ってる」
まだ、家の様子を把握しておきたかった僕は、財布とリュックを背負って出ていくシェラを尻尾を揺らして見送った。